2018/07/13

荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE

監督:飯塚健
出演:林遣都/桐谷美玲/小栗旬/山田孝之/城田優/片瀬那奈/安倍なつみ/平沼紀久/有坂来瞳/徳永えり/末岡拓人/益子雷翔/駿河太郎/手塚とおる/小林三起/大橋律/井上和香/浅野和之/高嶋政宏/上川隆也

30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3

【わたしに恋をさせてくれないか】
 市ノ宮グループを率いる父・積から、荒川の河川敷で暮らす不法占拠者らを七夕までに追い払うよう命じられた行(こう)は、川で溺れかけたところをニノに助けられる。“他人に借りを作ってはならない”を家訓とする行にニノが求めたのは「わたしに恋をさせてくれないか」。七夕には金星へ還らなければならないと語るニノや河童の村長など、不思議な住民たちの中で行の日々が始まる。
(2011年 日本)

【真正面から、斜め方向から】
 ひとまず河川敷の住民を、誰の周りにもいる人々を記号化したものだと捉える。で、その先に踏み込むことと、踏み込まずに受け入れること、ともに大切なんだと本作は謳っているようだ。

 自分自身を、孤独であると同時にスペシャルな存在でもあると信じる心。それは河川敷の住民のみならず、リク(行)も積も持ち合わせている想いであり、人を動かす原動力にもなる。
 ただし、自分だけでなく周囲や相手もまた(自分にとっても世界にとっても)スペシャルだと信じることが重要だ。
 たぶん誰もが、泳ぎが上手い、体温が低い、涙を流せない、恋を知らないといった言葉で表せると同時に、1000ページの資料ですらまとめ切れない存在でもある。ある人を形成している“いろいろ”の裏側まで理解し、または理解できないけれど受け止めようと決意するところから、自分と世界とのつながりは始まる。

 そのうえで、逆上がり教室を見守ることにファーストプライオリティを置く生活が送れるのなら、なんと素敵なことだろうか。

 あの、こくごノートが秀逸だ。自分には見えないところにあった懸命さに震える。“その人”の“存在”がニノさんという実体あるひとりの個として収斂していく瞬間の輝きに涙する。

 実は村長のデウス的・超越者的キャラクターについては、リクがこの世界で果たす役割というか、本作をリクの自立の物語だと考えるとやりすぎだなとも思ったのだが、高屋敷の反応から「あらかたのことを知っていて、あらかたの未来がわかるんだけれど、できることは意外と限られていて、あの性格だから憎まれず怖れられもせず、リスペクトされながらサラっと流されることもある人」と村長を捉えると、どうだろう。
 決して宇宙の中心ではなく、この人もまた世界を面白いものにしてくれる1つのピース。そう思うと、人間社会ってホントに奥深くて楽しいと感じられる。

 そんな「大切なものが何か気づかせてくれた」系のドラマ。ありふれたテーマだけれど、ファンタジーとコメディと不条理とおふざけの中に上手く真理を盛り込んで、楽しく見せる。
 TVシリーズの中身を、スピード感とわかりやすさ重視で本筋中心に整理したような形。めくるめくカットワークが生み出す華やかなテンポに、しっとりと流れる空気も混ぜ込まれていて居心地がいい。舞台的な人物配置はユニークで、サントラの乗せかたは手慣れた感じ。

 膨大な量のセリフを、細かな抑揚やコーフンとともに吐き出す林遣都がいい。硬質な上川隆也との親子関係にも違和感がなく、ふたりともストンと物語世界の中に収まっている。
 小栗旬は、あのいでたちなのに背中のラインや腕の角度にカッコよさを漂わせているのが素晴らしく、山田孝之、城田優、片瀬那奈が発する狂気はチャーミングで、安倍なつみと徳永えりは今日も可愛い。

 そして、桐谷美玲の美貌。なんていうか、「ニノさんとしての桐谷さん」に出会えたことが幸せ。急に飛びかかりおんぶなんて、6000万日本男児のツボでしょ。そばにいたらキスしたくなる顔日本一(いま思いついた)からキスしてもらえる倒錯に萌える。

 TVシリーズで描かれた各キャラクターのエピソードがゴッソリ取り除かれたせいで、リクの心の動きが十分に描き出せなかったことは、1本の映画としてみた場合に痛恨であり、残念。不必要にアンダーな画面が多かったことも気になる。

 が、人と人との付きあいかたや人間社会の面白さを、お話としては真正面から、道具立てや見せかたとしては斜め方向から、描いてみせた楽しい作品であることは間違いない。

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2018/07/10

麒麟の翼 ~劇場版・新参者~

監督:土井裕泰
出演:阿部寛/新垣結衣/溝端淳平/松坂桃李/三浦貴大/田中麗奈/鶴見辰吾/松重豊/北見敏之/緋田康人/劇団ひとり/菅田将暉/山崎賢人/聖也/柄本時生/秋山菜津子/相築あきこ/竹富聖花/中村靖日/松澤一之/小泉深雪/菅原大吉/田中要次/志賀廣太郎/大石吾朗/黒木メイサ/向井理/山崎努/中井貴一

30点満点中16点=監3/話3/出4/芸3/技3

【残された想いを追って】
 大手メーカーの製造本部長・青柳武明が刺殺される。容疑者の八島冬樹は事故に遭って意識不明の重体。所轄の刑事・加賀恭一郎は本庁の松宮脩平と組んで、青柳の家族らと接触、事件の陰にあるものを追う。被害者はなぜ縁のない土地を歩き、刺されたまま助けも求めず日本橋“翼のある麒麟像”へ向かったのか? そこには数年前に起こった、ある不幸な出来事が重く深く関わっていた。
(2011年 日本)

【丁寧で味もあるが、マイナス面も】
 向井理を(申し訳程度に)登場させるなどTVシリーズとの連続性をキープしてあるわけだが、作りもTVサイズのまま。スケール感に乏しく、CMを挟みやすいようなブラックアウトがたびたびあるし、音楽も(テーマ曲は好きだけれど)気忙しい。
 ただ、野暮ったい間の悪さはなく、わかりやすさにも配慮し、回想を適時挟みながらストーリーを流していく。松宮の疾走シーンなど気合いの入った場面も観られて、丁寧な仕上がりではある。

 芝居も丁寧、というか、キッパリとして清々しい。各登場人物がその場、その感情にふさわしい表情を見せ、それをカメラもしっかり捉え、編集でもキチンと拾われつながれているというイメージ。
 もともと『眠りの森』あたりから加賀恭一郎シリーズを読むときには阿部寛を念頭に置いていたので、TVシリーズからのこの配役、個人的には嬉しい限り。

 溝端淳平の生真面目さ、新垣結衣の「こういう田舎っぽさの抜けていない役が似合うよね」感、見るからにいろいろ背負ってそうな中井貴一の苦渋、田中麗奈の上手さなど、他のキャストも申し分なし。ま、松坂桃李の高校生役ってのが「えっ?」と思ってしまうのと、劇団ひとりの登場(芸人が真面目な芝居をやることに異論はないが、ひとりの場合は普段からその真面目な芝居をネタにしているので、こういう役に起用すべきではないと思う)はマイナスだったけど。

 お話としては“まあまあ”といったところか。
 あちこち歩き回って苦労しているように見えて、実は都合よくいろんなことに気づいていて、あくまで結論ありきで進む展開。八島冬樹が「あんなこと」をしてしまった動機にも不自然さが残るし、せっかく松重豊がいい味を出しているんだから、彼と加賀との信頼関係も少しは盛り込んでもよかったのではないか。労災隠しについてもちゃんとフォローすべきだろう。

 ただ、単なる謎解きではなく、事件の解決とは何なのか、人が人へ想いを託すとはどういうことなのか、人の“死”と“死体”にどんな違いがあるのか……といった、本作のテーマにはしっかりと向き合っているし、頭で考えただけじゃなく、人の周囲に実在するさまざまな事象を吸収・整理して構成されている印象。日本橋界隈を舞台にする意味もちゃんとクリアしているといえる。

 そんなわけで、プラスもマイナスもある作品。

●主なスタッフ
撮影/山本英夫『ステキな金縛り』
編集/穗垣順之助『スマイル 聖夜の奇跡』
美術/金勝浩一『アフタースクール』
音楽/菅野祐悟『曲がれ!スプーン』

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2018/06/28

劇場版 SPEC~天~

監督:堤幸彦
出演:戸田恵梨香/加瀬亮/栗山千明/伊藤淳史/福田沙紀/有村架純/三浦貴大/麿赤兒/利重剛/岡田浩暉/松澤一之/載寧龍二/でんでん/森山樹/カルーセル麻紀/河原さぶ/石川浩司/向井理/浅野ゆう子/神木隆之介/椎名桔平/竜雷太

30点満点中14点=監2/話2/出4/芸3/技3

【加熱するSPECを巡る戦い】
 日本の歴史を陰で操る“御前会議”は、それまで利用してきた特殊能力者たち=SPECホルダーの抹殺計画「シンプルプラン」を実行に移す。その前に立ちはだかるのは、死んだはずの一十一。SPECホルダーを監視してきた各機関は事態の収束を図り、十一の姉で警視庁未詳事件特別対策係の当麻紗綾や同僚の瀬文焚流らも、人類の未来を左右するこの戦いの渦中へと身を投じることとなる。
(2012年 日本)

【納得できるけれど不合格】
 劇場版、というのはすなわち「劇場で公開」という意味。必ずしも映画ではないわけで。TVシリーズのファンのためのボーナストラックといったイメージ、過度な期待をしてはイケナイ。

 ま、ボーナストラックとしては、そこそこ納得できる。軽妙な掛け合いや派手な動き、載寧龍二の扱い、背景にまで潜ませたパロディの数々、振り幅の大きな各キャラクターの設定や芝居(竜雷太がいい)……など、過剰すぎるほどのお遊びを交えつつ、それなりにSFチックなストーリーがテンポよく進むあの“空気”を味わうことはできる。

 ていうか、ぶっちゃければ戸田恵梨香と神木くんを見られれば、もうそれで十分なんである。
 戸田恵梨香の当麻紗綾は、ここまでやっていいのかなと心配になるくらいアクセルを吹かしたキャラクターであり演技であり、彼女にとってのブレイクスルーとして長く記憶したい役柄。
 神木くんも、この当時の特徴である“こんなふうに演ったら面白そう”という工夫や熱意を全開。漫才やってる姿が愛おしい。

 でもやっぱり、映画としては不合格

 バチカンが頑なに隠匿するという現代の神秘“ファティマ第三の予言”を持ち出しながら、お話のスケールは姉弟喧嘩の域を出ず、登場するSPECホルダーは、えっと、8人かな、だけど実質はもっと少ない感じ。
 そのあたりは「まぁ超大作ではないから」と看過するとしても、画面で描かれていることをいちいちセリフで説明し、「死体になって死んでいた」などという非日本語まで使って、頭の悪いこと悪いこと。
 青池とその娘の安否なんか、誰も気にしちゃいないし。

 タイムスライスなどVFXは頑張っているけれど、これとてTV版ですでにしっかりやっていたこと。SFXも画面作りも全体にTVスケール。わさざ劇場で見せるほどのモノではないよな、という印象。
 あ、としたら、映画版と銘打たなかったのは誠実なのか。

 さすがにこのまとめではイケナイと思ったのか、シリーズ完結篇となる『劇場版 SPEC~結~』を公開するらしい。しかも「物語のスケールが1本では収まり切らない」からと2部作。
 さすがにスルーしちゃいました。

●主なスタッフ
 主要スタッフはTVシリーズとほぼ同様。音楽は『パコと魔法の絵本』などのガブリエル・ロベルト、VFXは『キサラギ』などの野崎宏二。

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2018/06/18

テルマエ・ロマエ

監督:武内英樹
出演:阿部寛/上戸彩/北村一輝/竹内力/宍戸開/勝矢/キムラ緑子/外波山文明/飯沼慧/岩手太郎/木下貴夫/いか八朗/神戸浩/内田春菊/菅登未男/森下能幸/蛭子能収/松尾諭/笹野高史/市村正親

30点満点中16点=監3/話3/出3/芸4/技3

【ローマの技師、現代日本へ来たる】
 繁栄を極める古代ローマ。暴君ハドリアヌス帝は市民最大の娯楽としてテルマエ(公衆浴場)の整備に注力していた。なぜか現代の日本へタイムスリップした技師ルシウスは、平たい顔族=日本人が風呂に注ぐ技術と情熱に驚嘆し、ローマにも“日本風テルマエ”を再現する。その斬新さと便利さはたちまち話題となり、ルシウスはハドリアヌス帝との接見に臨むこととなるのだが……。
(2012年 日本)

【いいところと悪いところがハッキリ混在】
 チネチッタスタジオの利用は大正解。セット臭くなるんじゃないかという心配は杞憂だった。ただ、スケール感を出そうと張り切りすぎているのと同時に“撮らせてもらっている”的な空気もある。遠慮気味に外から撮る、とでもいうのかな。もっと「ローマに入り込む」必要があったように思う。

 その他のロケーションも多彩。海外だけじゃなく、日本の温泉地もいい風情。そこに『アイーダ』をはじめとするクラシックを乗っけて、見た目の雰囲気作りはマズマズ。でも、画面サイズが単調、人物を捉える際のサイズに乏しい。まぁ素っ裸が多いしね。

 オリジナル・キャラを用意するなどストーリーは上手なアレンジを見せている。銭湯、家風呂、ショールームなど舞台にバリエーションがあり、エピソードも軽快に転がる。日本語とラテン語の処理も映画ならでは。これは『のだめ』での開き直りがいい経験になっている感じ。
 が、説明だらけのセリフ。ローマ側の人物配置が表面的で、もうちょっと各人の内部を掘り下げてもらいたかったところ。

 阿部ちゃんの怪演と、立派な身体が楽しい。二度見するところなんか、素晴らしくお上手。山越真実役の上戸彩は、もったいないくらいに可愛い。
 いっぽう北村一輝や宍戸開あたりは、お話の流れを考えるともっとキッパリ悪人善人を演じてよかったはずだし、平たい顔族に素人役者が多くて興をそいでいる。

 と、いいところと悪いところがハッキリ混在している仕上がり。全体としても、状況を描くことと笑わせることに精いっぱいで“お風呂に入ることそのもの”の魅力は十分に伝え切れていないかな、という不満もある。
 まぁ原作とはちょっと異なる、生身の人間がやるからこそのおかしさや工夫は出せていたように思うし、壮大なコントと考えればOKか。

 第2作目の製作も正式に発表されたとのこと(これを観て感想を書いたのは2013年です)。ヘンに欲張らず、このノリを持続させればいいんじゃないだろうか。

●主なスタッフ
監督/武内英樹『のだめカンタービレ 最終楽章』
脚本/武藤将吾『クローズZERO』
撮影/川越一成『曲がれ!スプーン』
編集/松尾浩『海猿』
美術/原田満生『TOKYO!』
音楽/住友紀人『やまとなでしこ』

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2018/06/07

第九軍団のワシ

監督:ケヴィン・マクドナルド
出演:チャニング・テイタム/ジェイミー・ベル/マーク・ストロング/タハール・ラヒム/デニス・オヘア/デイキン・マシューズ/ダグラス・ヘンシャール/ポール・リッター/ピップ・カーター/ネッド・デネヒー/アラダール・ラクロス/ベンス・ゲロ/ドナルド・サザーランド

30点満点中17点=監3/話2/出4/芸4/技4

【名誉を賭けた戦い、自由を懸けた旅】
 西暦120年、フラビウス率いる5000人のローマ兵が、名誉あるワシの紋章とともにブリタニア北方で姿を消した。20年後、百人隊長となったフラビウスの息子マーカスは蛮族を撃退し、家名の回復に成功。さらに、父が消えた事件の真相を知ることと紋章の奪回を望み、ローマに親兄弟を殺された奴隷エスカとともに北方へと向かう。旅の果てに彼らが見たものとは?
(2011年 イギリス/アメリカ/ハンガリー)

【意外と小さなお話を堅実に】
 しっかし、あらためてローマ帝国って巨大だったんだな。「ハドリアヌスの長城」が位置するのは、現代でいうイングランドとスコットランドとの境界線だとか。
 で、その先で消息を絶った5000人ものローマ兵の行方を探す物語。スケールとしてはデカいし、ハイランドのロケーションも壮大。たとえば「イギリス版アポカリプス・ナウ」みたいなキャッチフレーズだって似合いそうだ。

 なんだけれど、印象としては“小ぢんまり”という雰囲気もある。原因は、ローマ人が英語を喋る(北方蛮族はちゃんとスコットランド・ゲール語を話す)ことのほかに、歴史方面へ風呂敷を広げず、マーカスとエスカのプライベートなストーリーに落とし込んであるせいか。いや、それが悪いんじゃなくて、むしろ効いている感じ。

 敵の勢力範囲内へ侵入するローマ人と、敵中にいる唯一の異民族エスカとの信頼関係は、いわば、ねじれたバディ。ピリピリした距離感、偽りの裏切りと共闘、そして対等な関係へ……。それは見慣れた構図と展開だし、エスカの“自由に対する意志”も掘り下げ不足ではあるけれど、「このふたりの関係と行動を見ればいい映画なんだな」と素直に納得できる安定感はある。

 そのマーカスとエスカを演じたチャニング・テイタムとジェイミー・ベルが、別に“上手い”とは思わないが、それぞれの役にピタっとハマる。いや、チャニング・テイタムってローマ人ぽくはないんだけれど、クビの太さとかカンフー仕込みの動きとかがね。

 動きの良さ=アクションのキレも特徴だ。近接にこだわり、スローモーションに頼らずリアルタイム性を重視、編集も小気味いい。そこを音楽やSEで盛り上げる技も上々で、鼻息を意味のあるモノとして拾い上げるなど音響の仕事も立派。おかげで“肉体派”の剣戟として仕上がっている。

 演出的には、前フリのカットをちゃんと、でもさりげなく用意(砦の外周にタールを蒔く、兜の緒を締める)し、それを回収(火をつける、ローマ人としての証)するところが誠実。
 あと、サムズアップおよびサムズダウン(ブーイング)の由来を垣間見られた点も興味深かった。

 そんなこんなで、意外と小さな物語をしっかり手堅くまとめた、というイメージの仕上がり。

●主なスタッフ
脚本/ジェレミー・ブロック『すべては愛のために』
撮影/アンソニー・ドッド・マントル『127時間』
編集/ジャスティン・ライト『消されたヘッドライン』
美術/マイケル・カーリン『ラストキング・オブ・スコットランド』
衣装/マイケル・オコナー『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
ヘアメイク/グラハム・ジョンストン『アンノウン』
音楽/アトリ・オーヴァーソン『デビルクエスト』
音響/グレン・フリーマントル『ゼロ・グラビティ』
SFX/マイク・ケルト『キャプテン・アメリカ』
VFX/ジョン・ロックウッド『ロビン・フッド』
VFX/スティーヴ・ストリート『慰めの報酬』
スタント/ドモンコス・パルダニィ『ペイド・バック』

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2018/06/04

ピープルvsジョージ・ルーカス

監督:アレクサンドレ・O・フィリップ
出演:ゲイリー・カーツ/ニール・ゲイマン/アンソニー・ウェイ/エド・クラマー/デヴィッド・プラウズ/ジョー・ナスバウム/岡崎能士/デイヴィッド・ブリン/サイモン・ペグ/フランシス・フォード・コッポラ

30点満点中16点=監3/話3/出4/芸3/技3

【愛される作品と、憎まれる創造主】
 1977年公開の第1作以来、長年に渡り世界中で愛され続けている『スター・ウォーズ』シリーズ。コスプレで劇場へ駆けつける人たち、数々の模倣やパロディ、薫陶を受けたクリエーター、爆発的に売れる関連商品……。だがファンたちは、シリーズの生みの親=ジョージ・ルーカスに対して秘かに不満を募らせていた。熱狂的ファンのコメントから『スター・ウォーズ』文化を読み解く。
(2010年 アメリカ/イギリス)

【お父さんはどこへ行く】
 ひたすらインタビュー(かなり膨大な数のファンや関係者に訊いていて、カットされた人も多い模様。クレジットを見ると森本晃司にも話を聞いているんじゃないだろうか)とアーカイブ映像だけで突き進む。
 その点ではドキュメンタリー映画として工夫のない仕上がりなのだが、当然ながらディレクションというか「こっちへ持って行きたい」「いいたいのはこういうこと」という意志は感じる。
 要するに親子なんだな、ルーカスとファンって。

 親が与えてくれたものに目を輝かせて「楽しい楽しい」といいながら、ちょっと気に入らないことがあると口をすぼめてスネる子どもたち。たとえば「モノクロ作品のカラー化には反対したくせに、自分のモノには躊躇なく手を加えるのかよ」とか。
 でもさ、そういう理不尽さってお父さんの特権なのだな。

 あと「新3部作は、なんかツマンなくなってるしっ」ってのは的外れ。言いかたを変えれば、ツマンナイと感じて当然。作るほうだって観るほうだって年を取っているわけだし、テクノロジーや社会システムや国際情勢も大きく変化した。作品の仕上がりに占めるルーカスの影響力がどんだけ大きいとしても、制作に関わるスタッフやキャストは世代交代している。
 そのとき作られたものには、そのときの空気が色濃く反映する。だから、旧3部作と新3部作は“別物”になって当たり前なのだ。
 子どもの頃、お父さんに連れて行ってもらった旅行で感じたドキドキワクワクと同じものを、いま感じようと思っても無理でしょ。

 だいたい、作中でも述べられている通り「老人ホームに入っても、ああじゃないこうじゃないって話してる」ような作品に出会えたことじたいが素晴らしいことであるはず(日本でいえばガンダムか?)。
 大きいからこそ、優れているからこそ「作品はどこに属するか」なんて議論も起こる。
 野球やサッカーや競馬といった観戦スポーツと同様の影響力と発信力を持ち、映画というカテゴリーの中にあるはずなのにそこからハミ出すほどの密度を秘め、ひとつの現象として世界を覆う。そういうものと同時代を過ごせる幸福。

 作中で『スター・ウォーズ』は、一般参加型の文化、ルーカスは遊び場を作った、ドラッグのようなもの、殴られても彼のもとへ帰るDV……などと評されているわけだが、なるほど、どれも正しい。
 で、その文化や遊び場が気に入らなければ、暴力が嫌なら、離れればいいだけのこと、という意見も、もっともなものだ。

 つまり文句をいった時点で、というか簡単に抜け出せない場所へ足を踏み入れた時点で子どもの負け、お父さんの勝ち。で、お父さんは寛大だから、ことさら「勝ったぞ」とはいわないし、子どもらも「じゃあお父さんが嫌いか?」っていうと、必ずしもそうではないらしい。
 意外と、そういう関係を微笑ましく見せる映画なのかも知れない。
 ただ本作の公開後、ディズニーがルーカスフィルムを買収、『スター・ウォーズ』関連の権利がルーカスから離れるなど、状況は激変。さすがにお父さんも疲れちゃったのかな。

 ちなみに個人的には、新旧ともちゃんと『スター・ウォーズ』だと感じている。「安全で間の抜けたものになるのは許せない」というファンの気持ちは理解できるけれど、ちゃんと9分の3+9分の3=9分の6になっていると思う。修正だってOK、キャラクター設定の変更もウェルカム。トータルとしての映画の完成度を上げるためだったら、どんどんやりたいことをやればいいのだ。
※ちなみにこれを観たのは最新3部作の公開前

 過去に『スター・ウォーズ』シリーズについて書いた感想を読み返してみると「この映画が存在したというだけで十分と思わせる、そういうパワーが満載」だの「一級のエンターテインメント」だの、果ては「人類の財産」だとか、絶賛じゃん、俺。
 そんなふうに楽しんだもんが、真の勝者じゃないだろうか。

 でも自分の感想、ミディ=クロリアンとジャー・ジャー・ピンクスには触れていないんだよね。案外、自分自身も口をすぼめながら“見て見ぬふり”をしちゃっていたのかも。

エピソードI ファントム・メナス
エピソードII クローンの攻撃
エピソードIII シスの復讐
エピソードIV 新たなる希望
エピソードV 帝国の逆襲
エピソードVI ジェダイの帰還

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2018/05/17

ルビー・スパークス

監督:ジョナサン・デイトン/ヴァレリー・ファリス
出演:ポール・ダノ/ゾーイ・カザン/クリス・メッシーナ/トニ・トラックス/スティーヴ・クーガン/アーシフ・マンドヴィ/デボラ・アン・ウォール/アリア・ショウカット/エリオット・グールド/アネット・ベニング/アントニオ・バンデラス/オスカー(asスコッティ)

30点満点中20点=監4/話4/出4/芸5/技3

【夢で見た彼女が現実に】
 デビュー作が大ヒットを記録し、天才と騒がれた若き作家カルヴィン。だが以後はまったくタイプライターを打てず、恋人とも別れ、犬のスコッティと寂しい日々を過ごしている。セラピストの勧めでようやく彼が書き始めたのは、ある夜の夢で見たひとりの女性についての物語。ところがその女性=ルビー・スパークスが、カルヴィンが創作した通りの姿と性格と背景をともなって本当に現れ、カルヴィンとの恋人生活を始めるのだった。
(2012年 アメリカ)

★ネタバレを含みます★

【何度も傷つかないと、奇跡も現実も守れない、それが人】
 監督は『リトル・ミス・サンシャイン』のコンビで、なるほどと思わせる空気感。脚本はルビーを演じたゾーイ・カザン。『ハッピーサンキューモアプリーズ』からさらに女優としてステップアップしたことを実感でき、また、こういうものを書けることにも驚かされた。

 ああ、でも、ちゃんと感想を書く自信がないな。肌合いというか、観終えて心に残るトロっとしたものの味は『終わりで始まりの4日間』『エターナル・サンシャイン』に近いのだけれど。

 ともかくも、男ってのは愚かなのだ。時おりルビー・スパークスのような破滅型に、こりゃあマズいと思っていながら何もかも委ねたくなってしまうくらいに。
 ルビーの現実世界への登場時の衣装が、かなりヤバイ

 浮かれるカルヴィン。奇跡的な幸福には代償がツキモノ、っていうのがこの世の真理であるはずだが、そういう不安を微塵も描かないのが逆にリアル。こうなるともう、クリエイターとしての創作とその発展などではなく、あくまで男としての欲望・願望・妄想の無責任な具現化、あるいは後先考えず(というより先々に待ち受けている不幸を潜在意識では承知したうえで)流れに身をまかせるマゾヒスティックな恋愛模様だ。

 まぁさすがに、すべてを意のままに操ることを禁忌とする自制心がカルヴィンの中にはある。男って、愚かなりにそういうピュアな生き物でもあるのだ。

 が、ふたりの関係をカルヴィンは上手くコントロールできない。理想はあるし自制しようともするんだれれど、イメージの押しつけへと転化していく。
 兄夫婦と母夫婦、ふたつのカップルが対比として置かれる。彼らに対しカルヴィンは「なんやかんや文句をいいながら、なんだかんだやっていく」という処世術を持たないし「バカを貫徹することが愛」と開き直ることもできない。

 やがて曖昧になる境界線。
 魔法と真実の差はどこにあるのか? 恋と束縛の違いは? 理想と現実とのギャップはなぜ生まれ、それをどう埋めるべきなのか?
 さまざまな“想い”と“実際”の違いの中で、男としての自然な苦悩を募らせていくカルヴィン。加えて彼には、自分の創作物とどう接するかという作家としての苦悩もあるからやっかいだ。

 はじめは疾走するかのごとく、終盤では哀しみを帯びて響く、執筆のテーマ(サントラ)の使いかたが印象的だ。

 でも本来、境界線なんて、彼らのような特殊なカップルでなくとも曖昧なものなのだろう。ひとつひとつの出会いも、恋も、奇跡であると同時に現実でもあるのだ。
 そのことを理解せず、ひとたび“想い”と“実際”との違いに悩み、囚われてしまうと、自分はどうすればいいのか、どこまでが許されるのか、行為の境界線までも見えなくなる。

 迷走と暴走の挙句、すべてをゼロへと戻し、カルヴィンはタイプライターからPCに乗り換える。
 タイプライターは、ひたすら情熱的に作り上げる行為、後戻りできないしミスは許されないし、あるいはミスはミスのまま突き進む、そんな生きざまの象徴だろう。いっぽうPCは、冷静に、思案し、整合性を保ちながら、さかのぼって修復することもある、そんな、新たなカルヴィン像。

 それはクリエイターとして一皮むけたことを示す描写であると同時に、現実世界で生きる決意のあらわれでもある。
 ひとつひとつの出会いも、恋も、奇跡であると同時に現実。そうした“身近な奇跡でできあがった現実”にこそ本当の幸せがある。そこで生きていくのは、奇跡と現実を自分の都合のいいようにゴチャ混ぜにして浮かれることより、よっぽどタイヘンだ。

 カルヴィンの兄ハリーは「男として頼む。この奇跡をムダにするな」という。ここで「奇跡」を「現実」に置き換えてみれば、よくわかる。現実もまたムダにしてはならないのだ。奇跡と現実の集積体である恋は、コントロールしにくく、壊れやすいがゆえに、ムダにしないでおこう、守り抜こうと、努力する必要があるのだ。

 元カノと上手くいかず、ルビーとも失敗してしまったカルヴィンに、みたびチャンスは訪れる。また失敗してしまうかも知れないが、“身近な奇跡でできあがった現実”の大切さを知った彼なら、それなりの覚悟をもってチャレンジするだろう。
 何度も傷つきながら、やっと自分の恋心を制御する術を覚えていく。人は愚かであり、だからこそ愛おしい

●主なスタッフ
撮影/マシュー・リバティーク『カウボーイ&エイリアン』
編集/パメラ・マーティン『ザ・ファイター』
美術/ジュディ・ベッカー『世界にひとつのプレイブック』
衣装/ナンシー・スタイナー『宇宙人ポール』
音楽/ニック・ウラタ『フィリップ、きみを愛してる!』
音響/アーロン・グラスコックス『ザ・タウン』
音響/バイロン・ウィルソン『コンテイジョン』

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2018/04/28

レディ・プレイヤー1

監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:タイ・シェリダン/オリヴィア・クック/ベン・メンデルソーン/レナ・ウェイシー/森崎ウィン/フィリップ・ツァオ/T・J・ミラー/ハナ・ジョン=カーメン/ラルフ・イネソン/スーザン・リンチ/クレア・ヒギンス/ローレンス・スペルマン/サイモン・ペッグ/マーク・ライランス

30点満点中21点=監5/話3/出4/芸5/技4

【あらすじ……この世界を手にするのは誰だ?】
 2045年。仮想現実空間“オアシス”の中では、開発者ハリデーが隠した3つの鍵を探すゲームが白熱。その鍵で扉を開けてイースター・エッグを手に入れればオアシスの所有権を得られるとあって、ライバル企業IOIも多数のプレーヤーを送り込んでいた。スラムで暮らす青年ウェイドも“パーシバル”と名乗ってゲームに参加。第1の鍵を最初に獲得したことで、彼の運命は動き出す。
(2018年 アメリカ)

【内容について……オタ上等+現実こそがリアル】
 始まって10分くらいで「スピルバーグめ、上手いことやりやがったな」と感じた。これ、原作があるとはいえスピルバーグの欲望具現化とストレス解消って部分が大きいんじゃないか。

 たぶんこの人、ふだんからアレもやりたいコレもやりたいって考えてる。実際にアレコレと手を出し、しかも作品を仕上げるスピードがめちゃくちゃ速いんだけれど、それでもまだ時間が足りない、身体が足りない、こっちは諦めるしかないか、あー先を越されちゃった……って地団駄を踏む毎日なのだ。
 そんなとき原作と出会って「あ、そうか。1本にみんな詰め込んじゃえばいいんだ」って気づいたんだな。

 もちろん本作に登場するキャラクター/設定/展開/美術の元ネタは、その大半が原作から来ているはず。映画化にあたっても原作者の意向がかなり反映されているそうだし、散りばめられた“イースター・エッグ”の数々は「美術やVFXのスタッフがオタク・マインドを全開にしてアイディアを出しあって、さぞかし楽しんだんだろうな」と思わせる。

 それら周囲の“熱”を理解して受け入れつつ(スピルバーグ自身もゲーオタらしいし)、『市民ケーン』クロサワへのリスペクトを埋め込んだのが、映画オタとしての本懐。『インセプション』とか『トゥルーマン・ショー』を思わせる描写からは「私もこういうのを作りたかったんだよぉ」っていうスピルバーグの叫びが聞こえてくるようだ。
 可愛いぞ、スピルバーグ。『キングコング』『トランスフォーマー』も撮りたかったんだろ。

 上記各作品、もちろんスピルバーグ監督作、『AKIRA』、あと『アイアン・ジャイアント』『シャイニング』も、ほんと観ていて良かった。例のセリフに目頭が熱くなり、さらにアイツとアイツが戦うなんて日本人としては愉悦至極でございますよ。

 ただ本作がオタク・マインドを刺激するのは、そうした小ネタや借用要素を詰め込んであるからだけじゃない。

 まず、人類がさまざまな問題の解決を諦めてしまい、人々は仮想現実空間へ逃避している、という設定が肝。
 ボクらオタの多くも、心のどこかに痒みというか、「ホントはこんなことしている場合じゃないんだけれどね」という軽い“恥”を抱えながら、趣味や非生産的な活動に没頭している(よね)。本作の世界と登場人物たちは、現代とそこに生きる人々の投影だ。

 ところがVR世界の中でパーシバルやアルテミスは、問題解決のためにガチで奮闘しなければならない事態に直面。やがてそれは現実世界に生きるウェイドやサマンサにも波及する。
 最後には、あっちの世界を救うためにはこっちの世界で頑張らなきゃいけなくて、こっちの世界の窮地を打開するためにはあっちの世界を駆けまわる必要がある、という混沌へと至る。

 その混沌をハイファイブやガンターたちがオタク・マインドを武器として乗り越えていく様子を描く。結局のところ自分の好きなモノを楽しもうとすれば、何かしら突破しなければならない壁に突き当たることはあって、そのとき頼りになるのは、ほかならない「俺はコレが好き」という熱さなのだ。オタ上等!

 ただし本作は「現実こそがリアル」ってことも伝える。すんごく当たり前の説教である。
 けどVR世界やオタ魂を一切否定せず、矮小化もせず、まぁ「ちょっと控えめにね」とは言ってくるものの、仮想現実と現実とをシームレスに結びつけて「どっちも僕らには大切」と打ち出してきたことが素晴らしい。

 そう、オタの楽しみの半分は、没入、没頭、散財、理解されなくったっていいもんという自己憐憫のフリをした自己愛……といった内向きの行為と思考にある。でも残りの半分は、空想&妄想&コレクションの開陳と共有=外向きの行動にあるわけで。
 久しぶりに「この映画のこと、誰かと話したい」って思えたんだけれど、そのためには現実世界でのつながりが不可欠。そして、VR世界(趣味の世界)で見聞きしたことが現実世界のブレイクスルーにつながることもあるだろうし、リアルがあってこそ空想には深みも生まれるってもの。うん、どっちも僕らには大切なのだ。

 Wikipediaのスピルバーグの項に、こんな記述がある。
「映画というのは、1人でノートパソコンで見るより、知らない者同士が映画館に集まって、一緒にチカチカする映像を見るものだ」
 まさしく、そういう楽しみ方をするために作られた、発声可能上映向きの一本。純エンターテインメントの様式で“リアルなオタ道”を訴えてくる作品である。

【作りについて……トータルの仕上がりが良質】
 グダグダグダっとやや堅苦しい説明口調が混じっちゃう(頼っちゃう)のは『ジュラシック・パーク』でも見られた悪いクセ。でも本作は「楽しんでもらうところは徹底して楽しんでもらおう」と、スピーディなアクション場面ではセリフを極力抑えてある。そのメリハリが上等。
 原作者アーネスト・クラインが、相当深いレベルまで映画作りに噛んでいるのも、本作が成功した大きな要因。

 オアシス内の“何でもアリ”を作り出したVFXや美術は確かに凄いけれど、現実世界の「コンテナが縦に積み上げられた街」の描写こそがSF。各種のガジェットも楽しい。80年代ポップスの奔流と立体的な音響で耳も喜ばせてくれる。
 それらを含め、映画としてのトータルの仕上がりが良質なのは主要スタッフに気心の知れたスピルバーグ組&一流どころを揃えたゆえだろう。

 ウェイド役タイ・シェリダンがパッと見冴えないのも、サマンサ役のオリヴィア・クックが地味に可愛いのも、オタ映画としては正しいキャスティング。森崎ウィンはカッコよく、フィリップ・ツァオ君はキュートだ。

●主なスタッフ
脚本/ザック・ペン『X-MEN:ファイナルディシジョン』
編集/マイケル・カーン
撮影/ヤヌス・カミンスキー
音響/リチャード・ハインズ 以上『リンカーン』
衣装/カシャ・ワリッカ=マイモーネ
編集/セーラ・プロシャー 以上『ブリッジ・オブ・スパイ』
美術/アダム・ストックハウゼン『それでも夜は明ける』
音楽/アラン・シルヴェストリ『ザ・ウォーク』
SFX/ニール・コーボルド『ローグ・ワン』
VFX/マシュー・E・バトラー『エンダーのゲーム』
VFX/グレイディ・コファー『エリジウム』
VFX/ロジャー・ガイエット『フォースの覚醒』
スタント/ゲイリー・パウエル『スカイフォール』

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2018/04/16

アベンジャーズ

監督:ジョス・ウェドン
出演:ロバート・ダウニー・Jr/クリス・エヴァンス/マーク・ラファロ/クリス・ヘムズワース/スカーレット・ヨハンソン/ジェレミー・レナー/トム・ヒドルストン/クラーク・グレッグ/コビー・スマルダーズ/グウィネス・パルトロー/ハリー・ディーン・スタントン/パワーズ・ブース/ステラン・スカルスガルド/サミュエル・L・ジャクソン/ポール・ベタニー(声の出演)

30点満点中17点=監3/話3/出4/芸3/技4

【世界を救うべく集められた者たち】
 神の国アスガルドから追放されたロキが地上に姿を現し、正体不明のエネルギー源“テッセラクト”を奪う。悪の軍勢チタウリを地球に呼び寄せ、世界を征服しようというのだ。フューリー長官のもとに集まった特殊能力者たち=アベンジャーズだったが、アイアンマンとキャプテン・アメリカはいがみあい、ソーは自身とロキの遺恨を優先させ、ハルクは暴走。ロキの策略により窮地に追い込まれた結束力のない集団は、世界を救えるのか?
(2012年 アメリカ)

【不満の残るお祭り】
 東映まんが祭ならぬマーベルまんが祭ですな。こちとら『マジンガーZ対デビルマン』とかで免疫のある世代ですから、ちょっとやそっとじゃコーフンも感心もしませんからね。

 そう、お祭りなのだ。なぁんも考えずに楽しめばよろしい。崩れる大地に逃げ惑う人々、空中要塞での激闘にNY街中の大決戦。バトルとパニックとヒーローのカッコよさが、本作のセールスポイントのすべてなのだ。
 科学考証を無視して雰囲気だけで突っ走るところとか、いがみあいが“取ってつけた感”たっぷりだとか、人智を超えた勢力なのにパワーはロキ以下で物理攻撃ばかりに頼っていたりとか、「宇宙の命運を左右する戦いを、バスや銀行に閉じ込められた人を救うっていうミクロなとこに落とし込んでるやん。スケール小さっ」とか、そういう細かなツッコミどころも愛すべきなんである。

 キャプテン・アメリカのダサいユニフォームに対するエクスキューズが用意されている点が面白い。確か『アメイジング・スパイダーマン』にも、こういう配慮が盛り込まれていたはず。アメリカでも「さすがにいまどき、このデザインはないよな」という意識があるんだろう。その気恥ずかしさに言い訳を考えているのが、なんとも微笑ましい。

 ああでもやっぱり、不満かな。個別の作品がそれぞれまぁまぁよく出来ていただけに、メンバーそれぞれの見せ場が相対的に少なくなる今回は物足りない。とっ散らかりすぎないようトニー・スターク=アイアンマンが占めるウエイトを多めにしたことはいいとしても、他のヒーローの要素が弱すぎた感じ。
 キャラクターの描き分けはちゃんとできているんだけれど。

 反面、ブラック・ウィドウの過去とか“自由=やっかいなもの”といったテーマとか「勝手に戦って街を滅茶苦茶にして姿を消す」とヒーローをdisったりとか、思わせぶりに放り込んでおいてそこから掘り下げないファクターが散見されたり。

 もっとシンプルに“力には力を”でまとめればよかったんじゃないか。作品内でも述べられている「力に力で対抗しようとすれば、また新たな強い力を呼ぶ」という皮肉な原理を全編通して貫いて、各自の関係や今回の戦いをまとめたなら、スッキリしっかりとこの映画には芯が生まれたはず。
 キャプテン・アメリカが警官に命令を出すくだりなんか、まさしく「より強い力に従うことの合理性」を見事に描いた傑作場面。こういう部分で楽しさや考えさせる雰囲気を構築していけば、さらに面白くなっただろう。

 また、全体的な見た目のイメージは『アイアンマン』シリーズに近くて新鮮味がないし、物量投入のCGバトルも『トランスフォーマー』には負けている印象だ。

 お祭りとしての華やかさはソコソコあるし、決して退屈させない密度は保っているものの、詰め込むべき要素、まとまり、見せ場のバランス、パワーなど、不満も残る仕上がりである。

●主なスタッフ
脚本/ジョス・ウェドン『トイ・ストーリー』
撮影/シーマス・マクガーヴェイ『路上のソリスト』
編集/ジェフリー・フォード『パブリック・エネミーズ』
編集/リサ・ラセック『プッシング・デイジー』
美術/ジェームズ・チンランド『ファウンテン 永遠につづく愛』
衣装/アレクサンドラ・バーン『マイティ・ソー』
音楽/アラン・シルヴェストリ『特攻野郎Aチーム』
音楽監修/デイヴ・ジョーダン『アイアンマン2』
音響/フランク・E・ユルナー『カウボーイ&エイリアン』
SFX/ダニエル・スディック『G.I.ジョー』
SFX/クリス・ブレンチェウスキー『オブリビオン』
VFX/ジャネク・サーズ『アイ・アム・レジェンド』
VFX/エリック・ナッシュ『リアル・スティール』
VFX/グレッグ・ストラウス『世界侵略:ロサンゼルス決戦』
スタント/R・A・ロンデール『エージェント・マロリー』
格闘/ジョナサン・エイゼビオ『ボーン・レガシー』

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2018/04/13

シェイプ・オブ・ウォーター

監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:サリー・ホーキンス/マイケル・シャノン/リチャード・ジェンキンス/マイケル・スタールバーグ/デヴィッド・ヒューレット/ニック・サーシー/ローレン・リー・スミス/オクタヴィア・スペンサー/ダグ・ジョーンズ

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3

【あらすじ……彼を助け出すために】
 冷戦時代のアメリカ。独り暮らしで聾唖のイライザは、政府の秘密研究所で掃除婦として働いている。そこで出会い、心を通じ合わせた相手はアマゾンから連れてこられた人型の生き物だった。水中に棲む“彼”を研究主任ストリックランドが虐待するのを見かねたイライザは、同僚のゼルダや同じアパートに住むジャイルズらの協力を得て、なんとか“彼”を救い出そうとするのだが……。
(2017年 アメリカ)

【内容について……不寛容な社会に投じられた石】
 言葉を発することができない女性、水棲人間、ゲイ、移民、有色人種など、いわゆる“フツー”ではない人々が苦闘する姿を見せ、「じゃあ“フツー”って何?」「無理解の壁を作るものって、いったい何だろう?」と考えさせる映画。
 自分とは異なるものは排除する。そんな価値観が蔓延しつつある時代の反映として撮られたことは確かだろう。

 自分とは異なる価値観・存在を認めない人たち、さして説得力があるわけではない一般常識に拘泥する人たち、そうした人々が支配する社会。もし、そこで「わかりあえない」と感じたり、あるいは迫害されたり除け者にされたりする場合、解決策が「ここではないどこかで生きる」しかないとしたら、それは哀しいことなんだけれど、そうできるだけであるいはハッピーなのかも知れない。なんて考えさせられたりもする。

 そこにかなりの割合で“性”を絡めた意図を考えるのは、脳の体力も時間もないので、いまはパス。

 考えさせる、とは言っても、エンターテインメントとして仕上げられている。ただ同様の気配を持つダーク・ファンタジーとしては『パンズ・ラビリンス』のほうがずっと自分の好みだなぁ。

【作りについて……キャストたちの仕事ぶり】
 オスカー・ノミネートのサリー・ホーキンスは、なるほど適役で熱演。リチャード・ジェンキンスにも、こういう弾けた人物ができるんだと感心させられる。マイケル・シャノンとオクタヴィア・スペンサーは、いつもながらの安定感。

 ダグ・ジョーンズ(とかアンディ・サーキス)のような存在は、映画作りの歴史の中で当然のように生まれた重要なピースだと思う反面、ある意味では奇跡なんだろうなとも感じる。
 アカデミー賞授賞式で中島春雄氏(ゴジラのスーツ・アクター)が追悼されたことに対して、町山智浩氏がまさに「ダグ・ジョーンズやアンディ・サーキスの先駆けとしてハリウッドにも認められている」的なことを言っていたけれど、つまり、偉大なプロフェッショナルたちが綿々と自分の仕事をまっとうすることによって“中の人”という立ち位置が確立されたわけだ。
 そういう流れを後世に伝える機能を、本作と、水棲人の“彼”は持つ、といえるのかも知れない。

 暗くてシャープで、スケール感はないのに不思議な重さのある撮影、滑らかな語り口を作り出した編集、作品世界へと引き込む美術・衣装・音楽も特徴的。

撮影/ダン・ローストセン『サイレント・ヒル』
編集/シドニー・ウォリンスキー『エクスタント』
美術/ポール・オースタベリー『三銃士』
衣装/ルイス・セケイラ『キャリー』
音楽/アレクサンドル・デスプラ『GODZILLA ゴジラ』

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«だれもがクジラを愛してる。