2009/07/08

トランスフォーマー:リベンジ

監督:マイケル・ベイ
出演:シア・ラブーフ/ミーガン・フォックス/ジョシュ・デュアメル/タイリース・ギブソン/ジョン・タートゥーロ/ラモン・ロドリゲス/ケヴィン・ダン/ジュリー・ホワイト/イザベル・ルーカス/ジョン・ベンジャミン・ヒッキー/マシュー・マースデン/アンドリュー・ハワード/マイケル・パパジョン/グレン・モーシャワー/エリン・ナース/レイン・ウィルソン/ディープ・ロイ
声の出演:ピーター・カレン/マーク・ライアン/レノ・ウィルソン/ジェス・ハーネル/ロバート・フォックスワース/アンドレ・ソウグリゾ/グレイ・デリスル/トム・ケニー/ヒューゴ・ウィーヴィング/トニー・トッド/チャールズ・アドラー/フランク・ウェルカー/ジョン・ディクロスタ/マイケル・ヨーク

30点満点中18点=監4/話3/出3/芸3/技5

【オートボット&人類vsディセプティコン 第2章】
 あの激しい戦いから2年。米軍の秘密部隊「ネスト」とオプティマス・プライムらオートボットは協力してディセプティコンの残党掃討作戦にあたっていた。いっぽう先の戦闘でキーとなったサムは大学へ。だが、機械に命を与えるオールスパークの欠片から“情報”を得た彼のもとにも危機は迫る。メガトロンの復活、ディセプティコンの首領ザ・フォールンの始動、倒れるオプティマス、サムの宿命……。戦いは、苛烈なものとなっていく。
(2009年 アメリカ)

【期待以上のパート2】
 前作の感想をざっとまとめると「とんでもないクォリティのCG、スピードと迫力に満ちたアクション。ただし、盛りだくさんだけれど、まとまりを欠き、各要素が面白さへと直結していない。単調でクドくてリズムが悪い」といったところ。
 よって少し心配だったんだけれど、「1作目なので気合い入れなくっちゃだし、わかりやすくもしなくっちゃ」という呪縛を解かれたか、思った以上にいいデキを示してくれた。

 まずはCG。前作でも「背景の中への収まり、実写との一体感」は上々だったのだが、今回はさらに進化。豪胆なカメラワークと連動しながら、あるいは人間の動きの間を縫って、立体的にオートボットやディセプティコンが走って飛ぶ
 重量感たっぷりの肉弾戦アクションがあるかと思えば、小型車やスポーツカー、ジェット戦闘機、さらには人型ディセプティコンも加わってスピーディかつ細やか。改造・修理もあるし、衛星との融合もあるし、描かれかたは実に多彩だ。
 ピラミッドや空母や街並が崩壊していく様子も見事。もうどっからどこまでがCGなんだか、その境目は判別不能だ。
 オートボットとディセプティコンのカラーリングを明確に区別してアクセントをつけて欲しかったとも思うが、前作同様・前作以上に、現在のCGの最高=標準レベルがこれなんだと、思い知らせてくれる。

 エンドクレジットには、かなりの数の日本人スタッフの名前。この技術を国内にフィードバックしていただきたいものだが、まぁ無理。だって、カネと手間ひまのかけかたが、まるで違うだから。

 軍の協力、エジプトにヨルダンにパリにスミソニアン。ほんの数秒のカットにも贅沢なまでに物量を投入している。スケールや迫力だけじゃない。サムの部屋や寮内、ミカエラのバイク修理工場など、いずれ破壊される(しかもフォーカスのボケた背景として機能するだけの)ものでも手を抜かずにキッチリ作り上げている。
 カネと時間をかけて、風呂敷を広げ、隅々まで作り込むことで面白さを倍化させる。ハリウッドにしかできない芸当だろう。

 すべてのシーンに見せ場がある、というのも、ハリウッド製CG大作ならではの凄さだ。
 古代が舞台となるオープニングに始まり、上海、サムの家、軍事基地、パリの街、大学の寮、廃工場、海底、惑星~宇宙空間、森林地帯、砂漠とピラミッド……と、あらゆる場面でスペクタクルが繰り広げられる。市街戦中心だった前回よりも幅が広がり、またサムらの生身のアクションも疎かにしないで、そりゃあもう息つくヒマのないほどだ。

 ストーリー的には、当然ながら導入編だった前回との連続性を確保。オールスパークの欠片やサムの先祖に関わる話、メガトロンの復活、米政府内の対立、恋にユーモア、『キングコング』に『バッドボーイズ2バッド』にウンパルンパと、盛り込みもたっぷり。“つづき”らしさ、トランスフォーマーらしさを醸し出して前作ファンを喜ばせる。
 いっぽう“堕天使”をモチーフに、運命という要素をプラスして伝奇モノに仕上げることで目新しさも創出。前作の「人とオートボット」から「サムとオプティマス」というピンポイントの関係に落とし込んだことも新しい魅力となっている。
 多少唐突な展開だが、ただの続編ではなく、大きく物語を発展させていこうという意欲を感じる構成だ。

 またスピルバーグの影も前作以上に感じる。“かくれんぼ”は『ジュラシック・パーク』~『宇宙戦争』~前作と続く伝統だし、ウジャウジャの小型ディセプティコンは『マイノリティ・リポート』だ。砂漠での銃撃戦は明らかに『プライベート・ライアン』で得たノウハウの活用だろう。
 そこへ支配的に混じる、マイケル・ベイらしさ。あおりカット、スローで並び歩く軍人たち、バツっとしたリズム、ベタっとした色調。
 両者のハイブリッド作品であることが、よくわかる。

 キャラクターの散らしかたも楽しい。
 サムは宿命を背負って成長する青年、ミカエラは強くてイロっぽい現代風ヒロイン、レノックスは勇敢で信頼できる軍人と、わかりやすいアクション映画にふさわしい配置。コミックメーカーとしては両親に加えてレオも仲間入りを果たし、ギャロウェイはわからず屋の政府代表の役割をまっとう、意外な活躍を見せる“あの人”もワクワクさせてくれる。
 オートボットとディセプティコンの描写/設定も幅が広がった。思っていた以上に重要な存在だったオプティマス、涙を流したりアリスにイタズラを仕掛けたりなどより人間的になったバンブルビー(アーカイブ音声を合成して会話するあたりは、もっと広げてもよかったか)、愉快なザ・ツインズ、いかにもな親玉のザ・フォールン、意外とヘタレだがなかなかクタバラないメガトロン、その片腕のスタースクリーム、アリスも可愛いし、杖をついた爺さんはスパイスとなっているし、マウンティングまでしてみせるチワワのようなウィーリーは笑わせてくれるし。
 ときに物語を引っ張り、ときには巻き込まれて、次なるステージへと観客を誘う各キャラクターたちには、ハリウッド流+日本の子ども向けアニメのハイブリッド的にぎやかさを感じる。

 トータルとしては、主軸となるストーリーをぶらさず、余計な要素は極力省き、でもお遊びは忘れず、あれもこれも感も出し、多彩なキャラクターを活躍させて、怒涛の展開で突き進む巨編
 まぁ「若者向けのワクワク夏休みムービー」の域は出ていないし、奥行きとか情緒なんかこれっぽっちもないのだが、説明に追われたり迫力だけに頼っている気配もあった前作と比べ、今回は上手にまとめて、「雑然・単調」ではなく「一気呵成」のエンターテインメントとして仕上げてある。期待以上のパート2だといえるだろう。

 となると、パート3にも期待したくなる。新機軸を打ち出してくるのか、それとも今回各所に隠し味として散らしてあった“時間と空間”というキーワードを伏線として生かすのか。
 いずれにせよ、多彩なキャラクターを無駄にせず、各自の立ち位置や性格を展開・演出と密接に結びつけた作品にすることが課題となるだろう(正直今回は、サム/オプティマス/ザ・フォールンの三者にまつわる物語に寄りすぎていたようにも思う)。
 また気持ちの良い“おなか一杯”を味わわせてもらいたいものである。

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2009/07/05

ボビーZ

監督:ジョン・ハーツフェルド
出演:ポール・ウォーカー/ローレンス・フィッシュバーン/オリヴィア・ワイルド/ジェイソン・フレミング/キース・キャラダイン/ヨアキム・デ・アルメイダ/J・R・ビリャレアル/ジョシュ・スチュワート/ジェイソン・ルイス/ジェイコブ・バルガス/マイケル・ボーウェン/M・C・ゲイニー/マーゴ・マーティンデール

30点満点中15点=監3/話2/出4/芸3/技3

【伝説の麻薬王、その替え玉に選ばれた男】
 不運な犯罪を重ねて“3ストライク・アウト”となった元海兵隊員のティム・カーニーは、FBIのクルーズから取引きを持ちかけられる。消息不明の麻薬王ボビー・Zの替え玉として刑務所から出ろというのだ。承諾して出所したボビー・Zことティムだったが、ボビー・Zの恋人エリザベス、息子のキット、相棒のモンク、さらにはクルーズやメキシコの密売人ワテロ、ティムをつけ狙う暴走族らの思惑が絡んで、事態は転がっていく。
(2007年 アメリカ/ドイツ)

【浅い仕上がり】
 まぁ「いくらなんでもバレるだろ」という根本的な疑問を置いておけば、それなりに面白い題材であり、展開でもあると思う。
 が、その「突拍子もないけれどユニーク」なアイディアに、さらなるワクワク感やリアリティを与えるための配慮、ミステリアスな雰囲気が決定的に欠如している。クルーズの狙い、エリザベスの計算、父のいないキットの立ち位置、ワテロとボビー・Zの関係……といった、ストーリーに厚みをもたらすはずの要素が、ことごとく浅くて中途半端なのだ。

 とりわけ、出所後のティムが見せるスーパーマンぶりにシラケる。元海兵隊員というエクスキューズはあるとしても、“意外とデキる男”だとか家族のない寂しさなどは、序盤でしっかり印象づけなければならなかったはず。
 それらがないため、せっかくのティムの活躍も、二転三転する後半の成り行きも空回り、ウソっぽくて浅いお話に感じられてしまう。

 また、肝心のアクション部分がちょっとショボい。クルマにバイクに馬に飛行機に爆発に肉弾戦に銃と、ふんだんにアクション要素は盛り込まれているのだけれど、昨今の基準からすればスケール感に乏しく、組み立てや編集のキレも粗い。
 三角締めだとか、キャビン爆破の際のジョンソンのリアクションなど、面白さを感じる部分はあるものの、全体としてはやはりリアリティと迫力とに欠ける印象だ。

 そんなB級の作りでも最後まで観られるのは、テンポのよさゆえ。シーンごとにビートの効いたサウンドトラックが乗っかり、ビデオクリップを思わせるノリでポンポンと進んでいく。その軽快さがまた“浅さ”を呼んでいるとはいえ、観やすさにつながっているのも確か。
 はすっぱっぽい歩きかたと格闘センスを見せる主演ポール・ウォーカーのオトコマエっぷりも見どころのひとつだろう。

 が、いかんせん浅い。いまどきの「ウラのある巻き込まれ型アクション・サスペンス」としては深みに欠ける作品である。

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2009/07/02

マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋

監督:ザック・ヘルム
出演:ナタリー・ポートマン/ジェイソン・ベイトマン/ザック・ミルズ/テッド・ルジック/レベッカ・ノーザン/スティーヴ・ホイットマイア/オリバー・マスダ/クアンセティア・ハミルトン/ジョナサン・ポッツ/キエレ・サンチェス

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4

【魔法のおもちゃ屋は閉店してしまうのか?】
 齢200歳を超えるというミスター・マゴリアムのおもちゃ屋には魔法のおもちゃがあふれ、今日も子どもたちが押しかける。支配人のモリーはピアノの道に打ち込むため転職を決意するが、マゴリアム氏は会計士の“ミュータント”ヘンリーを雇って書類と財産の整理を依頼、「私は消える。店はモリーに譲る」と宣言する。マゴリアム氏みたいにはなれない、ピアノも続けたいと悩むモリーに、9歳の店員エリックやヘンリーらは……。
(2007年 アメリカ)

【温かく読み取りたい】
 内外での評判があまり芳しくないようなので見くびっていたのだが、どうしてなかなか素敵な映画じゃないか。

 軽快なタイトルバックが、まずは楽しい。
 流れるように本編へ。ここでも、人物を広角で撮ったり上下の微妙なアングルにこだわったりして、その場感や店内の生き生きした様子を写し取っていく。「消える」と告げるマゴリアムさんの寂しげな表情と会計士ミュータントの無表情との温度差、モリーの心情の揺れを描き出す彼女の指先の動きなど、細かなところで気が利いている。

 ダスティン・ホフマンのトボケ具合が愉快。が、それ以上にナタリー・ポートマンがやっぱり魅力的だ。『終わりで始まりの4日間』でも等身大の悩める役柄をキュートに演じた彼女は、今回もリアル23歳の可愛らしさと不安とを見せてくれる。あと、ピアニストの腕ってホントにこういうムッチリズムがあるんだよね。

 そしてなにより“詰め込まれた主張”が、いい。
 ツボは「昔はよく遊んだ I DID WHEN I WAS KID」という、ヘンリーのセリフ(文字)。僕らはいったいいつから、用事を忘れて無邪気に遊ぶということをしなくなったのだろうか。
 子どもにとっては目に映る不思議なものすべてが魔法。“ただ”のモノが、見かたによって、あるいは信じることによって特別なモノになることもある。「自分は“ただ”の○○だから……」と諦めず、無邪気に“できる”と信じることで、誰にだって人を喜ばせる魔法は使えるはず。そんなことを、本作は教えてくれる。

 これってファンタジーではあるけれどファンタジーではなく、ファンタジー仕立てで「楽しんで生きること」「遊びを楽しむこと」を描いた作品ではないだろうか。
 監督ザック・ヘルムは『主人公は僕だった』の脚本家。あちらにも「すべての日常は“静かで特別な一瞬”で出来ている」というメッセージが込められていたが、本作にも、この作家ならではの「生きることに対する価値観」が詰め込まれているように感じた。

 もちろん、ラストにはモリーが無邪気にピアノ協奏曲を弾く姿が盛り込まれていて然るべきだったし、ヘンリーには「人形劇で遊んだ」という過去があってもよかっただろう。エリックを通じて「友だちを“作る”ことと友だちに“なる”ことの違い」を語ってもよかった。
 そのあたりの、本作のテーマと密接につながるエピソードや描写がズボっと削られているため“ただ”のドタバタ劇という後味を残す。それゆえ評価も低いのだろう。
 でも、温かく読み取れば感動できる要素が潜んでいる、そんな作品のように思える。

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2009/06/30

デッド・サイレンス

監督:ジェームズ・ワン
出演:ライアン・クワンテン/アンバー・ヴァレッタ/ドニー・ウォールバーグ/マイケル・フェアマン/ジョーン・ヘニー/ローラ・レーガン/ボブ・ガントン/ジュディス・ロバーツ/ケア・ギルクリスト

30点満点中15点=監3/話2/出3/芸3/技4

【謎の腹話術人形が巻き起こす恐怖】
 ジェイミーとリサ、若い夫婦のもとに差出人不明の大きな荷物が送られてきた。中に入っていたのは、腹話術の人形。その夜、ジェイミーの外出中にリサが惨殺され、ジェイミーはリプトン刑事から嫌疑をかけられることに。あの人形の送り主がカギを握っていると考えたジェイミーは、久しく離れていた故郷レイブンズ・フェアへ戻る。そこで聞かされたのは、メアリー・ショウという女性腹話術師にまつわる悲劇だった。
(2007年 アメリカ)

★ネタバレを含みます★

【面白くはないけれど、ヒドくはない】
 脚本リー・ワネル&監督ジェームズ・ワンといえば『ソウ』で衝撃を与えてくれたコンビ。そのドキドキをもう一度、との思いはアッサリと裏切られることになる。

 簡単にいえば、フツーのホラー。いつドンデン返しが……と期待しつつ観ていると、どんどん「ただのヨーカイ話」へと向かっていく。
 ストーリー的にも演出的にも、その路線から逸脱しない。鏡、雷、突然の音とオドロオドロのサウンドトラック、墓場、古い言い伝え、何か重要な事実を知っていそうな老婆、廃墟、そして不気味な人形……。かつてどこかのホラーで使われたようなアイテムを適当に組み合わせ、それっぽく見せて、それなりに怖がらせるだけだ。

 裏で糸を引いているものの存在も、なんとなくバレバレ。まぁ一応ラストにひとひねりがあってカッコだけはつけたものの、そのへんに転がっているB級ホラーの1つ、という印象は拭えない。
 同じ人形ものなら、ハッキリと『チャイルド・プレイ』のほうが上だ。

 唯一誠実なのは、このクラスの映画でも「ちゃんと作ろう」という意識が込められていること。アンダー気味で薄暗く、青っぽく、その中に赤が浮かぶ絵作りは、しっかりと“ホラーらしさ”を創出する。
 ただ撮るのではなく、どんなふうに撮るかまで考えている、ということ。そのあたりまでショボくてC級D級に自らを貶めてしまっている映画が多いことを思えば、「面白くはないけれど、ヒドくはない」といったレベルの仕上がりだといえるかも知れない。

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2009/06/28

AVP2 エイリアンズVS.プレデター

監督:コリン・ストラウス/グレッグ・ストラウス
出演:スティーヴン・パスキエ/レイコ・エイルスワース/ジョン・オーティス/ジョニー・ルイス/アリエル・ゲイド/クリステン・ヘイガー/サム・トラメル/ロバート・ジョイ/デヴィッド・パートコウ/トム・ウッドラフ・Jr./イアン・ワイト

30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4

【ついに地上が、奴らの狩場となる】
 宇宙船内でプレデターとハイブリッド・エイリアンの戦闘が起こり、船はコロラド州ガニソンの森林地帯へと墜落。地に放たれたエイリアンは次々と人を襲い、一気に増殖していく。久しぶりに町へ戻ったダラス、弟のリッキーとそのクラスメイトたち、保安官のモラレス、軍役から帰還したケリーと娘のモリーらにも迫る危機。彼らの周囲では、エイリアンたちと、それを滅しようとするプレデターとの闘いが激化していくのだった。
(2007年 カナダ/アメリカ)

【序盤は良好、終盤で一気にしぼむ】
 思えば『エイリアン』の歴史は変革の連続だった。閉鎖環境下のSFサスペンスから一気に戦争アクションへ、ゴシック・ホラーもアメコミ風のダークな展開も取り込み、そしてプレデターの“獲物”へと身をやつし……。
 まぁ成功ばかりとはいえなかったが、単なる続編に終わらせないぞという気概を見せてくれるシリーズであることは確かだ。

 今回も大きくシフトチェンジ。
 舞台は森に囲まれた田舎町。登場するのは、久しぶりに町へ帰ってきたタフガイと、バカな若者たちと、保安官と、帰還したばかりの女性兵士。つまりはパニック・ホラーを思わせる空気。
 なるほど、ジェイソンやフレディの代わりにエイリアンを跋扈させようという腹づもりである。
 ついでにパート1やパート3を想起させる場面を用意してファンサービスにも心を砕き、この手の作品ではタブーであるはずの「子どもが残虐に殺される」シーンを作って独自性も創出(是非はともかく)。
 バカバカしいけど楽しいじゃん。

 特に序盤が、すこぶるいい。低域響く音楽で一気に引き込むオープニングから、セリフ/字幕に頼らなくても人間関係やプレデターの目的がなぁんとなくわかる展開が続き、ああコイツは殺されるだろうなという予感もしっかり抱かせる。敵(エイリアン)の敵(プレデター)は人類の味方じゃないってことも示す。
 説明に頼らず見せてわからせる作りで、サクサクっと進んでいく。

 監督のストラウス兄弟は、VFX畑を歩んでいる人たちらしい。フィルモグラフィには『コンスタンティン』とか『300』とか、ヴィジュアル系の映画が並ぶ。でも本作は単なるコケオドシに終わらず、ちゃんと“ストーリーを描く”という方向で進めているのがエライ。

 こりゃあ前作『AVP』は超えたな、と思って観ていたのだが、中盤からハラハラもワクワクもできない、ただのグッちゃんグッちゃんモンスター・アクションに堕していく。
 いや、もうちょっと「この町で何が起こっているのか?」という雰囲気を出して、クライマックスまで引っ張ってもよかったんじゃないか。
 とりわけ主人公たちが銃器店に入るあたりから、強引さと性急さが目立ち始める。しかも、軍隊は登場するけれど人数も銃器も少なく、ドカンバキュンは続くけれど建物内だったり夜間だったり、逃げ惑う人もまばらで、全体にスケール感が出てこない(小さな町だから仕方ないんだけれど)。
 そういえば、ハイブリッドという設定もあまり生かされているとはいいがたいし。

 惜しいなぁ。もう20分くらい長くして“ジワジワ”を醸し出し、予算も倍くらいかけられていれば、傑作になれたはずなのに。
 チャージまでに時間がかかる銃。このガジェットに代表されるジワジワ&ヤキモキを、もっと出すべき。それが不足している終盤の展開で、すごく損をしている映画である。

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2009/06/25

JUNO/ジュノ

監督:ジェイソン・ライトマン
出演:エレン・ペイジ/マイケル・セラ/ジェニファー・ガーナー/ジェイソン・ベイトマン/アリソン・ジャネイ/J・K・シモンズ/オリヴィア・サールビー/アイリーン・ペッド/ダーラ・ヴァンデンボッシェ/ヴァレリー・チャン/エミリー・パーキンス/レイン・ウィルソン/シエラ・ピットキン

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3

【里親探しの行方】
 同級生のポーリーと興味本位で関係を持ち、妊娠してしまうジュノ。意外と物わかりのいい退役軍人の父マック、口うるさいけれど気さくな継母ブレン、年の離れた妹LBたちと暮らす、周りからはちょっと変わり者だと思われている16歳の女の子だ。中絶に踏み切れなかった彼女は、親友のリアに相談、里子を欲しがっている夫婦を探すことに。若くてリッチで趣味もいいパーフェクトなカップル、ヴァネッサとマークを見つけるのだが……。
(2007年 アメリカ/カナダ)

【人の誕生の物語、かも】
 ボトルからラッパ飲みするジュノ、その姿が、焦りとパニックにサンドイッチされた「どうにでもなれ」的な彼女の心情を表す。
 似たような豪邸が立ち並ぶ様子を次々と捉えたカットは、ヴァネッサとマークがどんな街に住むどんな人かを示す。
 ファンシーなジュノの部屋、場面を彩る音楽、派手なことなど何もない地方都市のロケーションといった、雰囲気作りもいい。たいして意味はないのだけれど、裏には確かに想いが潜む、そんな会話のひとつひとつも生々しい。

 自らの想いを表現するジュノ=エレン・ペイジが極上だ。ポーリーが病院に現れたときの、あのホっとした笑顔が泣かせる。『ハードキャンディ』で感じた「美人になりきれない女の子特有の色気」がさらに倍増。まだ何者にもなれない人が発するニオイの中で、溺れまいとあがく16歳の危うさを上手に演じる。

 彼女を包むのは、責任感ゼロ、デリカシーもゼロ、痴話げんかばかりが繰り返される世界。ジュノをはじめとして子どもはみんなバカだけれど、大人だってみんな身勝手で知ったかぶりで、誰かと誰かが永遠に仲良くやっていけるとは思えない世界。でも、「ひょっとしたら、それは可能かも」と感じさせる不思議な温かさもある世界。

 ああ確かに、世の中ってこんな風に、曖昧で、いいことと悪いことの区別なんて明確じゃなくて、人間は不器用で、上手くやっていくことはとても難しくて、だからこそ拙いながらも想いを伝えあわないとどうにもならないものなのだ。
 中盤、何を描きたいのか、どこへ持って行きたいのか、テーマがふらつく気配があるのだけれど、それも当然。だって登場するのは、まだ生きるテーマを見つけられていない「人間以前の人間」ばかりなのだから。

 たぶん、そのテーマを見つけることが、あるいは母親や恋人といった何者かに「なる」ことが、人としての誕生なのだろう。
 ジュノの継母ブレンは“犬を飼う主婦”になったわけだけれど、そこにはジュノやマックとの相談があったはず。そういう語りあい、誰かとの関わりあいの中で、人は何かに「なる」わけだ。
 画面にたびたび登場する、人、クルマ、列車、自転車など、どこかへ向かって走るアイテムが「何かになろうがなるまいが、人生はどこかへ向かっている」ことを教えてくれる。どうせ目的地に着くのなら焦る必要はないのだろうけれど、何かに「なる」ことを諦めてもいけないはずだ。

 この監督の前作『サンキュー・スモーキング』は、狭い世界の中を描いているように思えて実は普遍的なテーマを扱った映画だった。本作も然り。
 人が「何かになる」までの経過を、押しつけがましくなく、無理に教訓を詰め込まず、全体を覆うサラリ感とともに描く秀作である。

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2009/06/23

プラネット・テラー in グラインドハウス

監督:ロバート・ロドリゲス
出演:ローズ・マッゴーワン/フレディ・ロドリゲス/ジョシュ・ブローリン/マーリー・シェルトン/ジェフ・フェイヒー/マイケル・ビーン/レベル・ロドリゲス/ナヴィーン・アンドリュース/フリオ・オスカー・メチョソ/ステイシー・ファーガソン/ニッキー・カット/トム・サヴィーニ/マイケル・パークス/クエンティン・タランティーノ/ブルース・ウィリス

30点満点中18点=監4/話4/出3/芸3/技4

【ゾンビに覆いつくされた町、彼女らは走る】
 テキサスの、とある町。軍人のマルドゥーンと化学者アビーの争いがもとで極秘裏に保管されていたウイルスが漏れ出し、付近の住民が次々とゾンビ化する。ゴーゴー・ダンサーのチェリー、その元カレで謎の解体業者レイ、町外れでバーベキュー・ハウスを営むJTと弟のヘイグ保安官、険悪な関係のブロック医師とダコタ医師の夫妻ら、生き残りのもとに迫る無数のゾンビたち。果たして彼らは、地獄のような町から逃げ出せるのか?
(2007年 アメリカ)

【楽しさと気配りのある超B級】
 同プロジェクト作の『デス・プルーフ』は最初っからC級を狙って作られていたが、こちらは「B級の素材を、A級の味つけで超B級に仕上げた」といったテイスト。
 そのぶん、映画としてのデキではこちらに軍配が上がる。

 いや、バカバカしいというか、安っぽいことには変わりない。
 フィルムの傷や「1巻消失」など“グラインドハウス”らしさを再現。大仰なSEによる安直なショッカーも試みる。サービス的なベッドシーンも用意されている。
 極秘に開発されていたゾンビ化ウイルスという根本設定のほか、激しくぶっ飛ばされても平気だったり、ただのダンサーやベビーシッターがやたらと強かったり、医者のクセに危機管理意識がサッパリだったり……といった細かなところまで、リアリティは皆無だ。
 そこでポケバイって何やねんっ! と、ツッコミどころも多々。まさに狙った安っぽさ。

 が、いっぽうで“粋”も感じる。
 それぞれ生涯を背負った多くの登場人物が1つの終着点へ向けて交わっていくクロス・エピソードの風味を取り入れつつ、『デス・プルーフ』との連続性も確保。無意味に思えるセリフが後々でちゃんと生かされたりして、意外と練られ、広がりや立体感のあるストーリーが完成している。それがまず楽しい。
 見せかたも、ユニークなシーン遷移、チラリズム、遠近・明暗に気を配った絵作り、質の高いCGなど立体的。カー/ガン/格闘とアクションは多彩で、ローズ・マッゴーワンもフレディ・ロドリゲスもよく動くし、爆薬は惜しげもなく使われるし、スピード感も意外性もあるし。

 全体として、テンポのよさと迫力とワクワク感とを重視、でもそれだけじゃなく「この映画に最初から最後までつきあう楽しさ」にも気を配ったパニック・ホラー・アクションがきっちり作られているといえるだろう。
 ハッキリいって、好きです。こういう「グチャグチャっと作ってあるんだけれど、ストーリーや演出の細かな部分に『こうしたら面白くなるよね』というアイディアと工夫と熱意がこもっている」作品は。

 まぁ、いわゆる「マンガやな」的な内容、料理でいえばファースト・フードとかアメリカン・レストランとか、どう作ったってB級にしかならないモノなんだけれど、その範疇で「食べてくれる人を楽しませよう」という意気込みを感じ、それに成功している映画だと思う。

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2009/06/21

デス・プルーフ in グラインドハウス

監督:クエンティン・タランティーノ
出演:カート・ラッセル/ゾーイ・ベル/ロザリオ・ドーソン/ヴァネッサ・フェルリト/シドニー・タミーア・ポワチエ/トレイシー・トムズ/ローズ・マッゴーワン/ジョーダン・ラッド/メアリー・エリザベス・ウィンステッド/マイケル・パークス/クエンティン・タランティーノ

30点満点中16点=監4/話2/出3/芸3/技4

【彼女たちに忍び寄る、黒い影】
 テキサス州オースチン。湖畔の別荘を目指してドライブを続けるのは、アーリーン、シャナ、ジャングル・ジュリア。が、女友達だけの夜を過ごそうとする彼女らを、1台の不気味な黒いクルマが追っていた。あるいはテネシー州レバノン。休暇を楽しもうとするゾーイ、アバナシー、キム、リーの姿を隠し撮りする男、そのクルマも黒。彼=スタントマン・マイクはバーでアーリーンたちと接触、ゾーイらの様子を観察し、やがて行動を始める。
(2007年 アメリカ)

【楽しめなくて当然か】
 まぁタランティーノの自己満足以外のナニモノでもないわけで。
 ひたすら会話で押しながら女の子たちのツマラない日常を提示し、そして突然のクライマックス。いかにも低予算を感じさせる「ここにだけカネをかけて、それ以外はテキトーに時間を潰す感じで」という作りだ。

 たぶん“グラインドハウス”って、実際にこうだったんだろう。
 前編と後編、ホントに同じ人物が撮ったの? と思わせるバラバラ具合いもユニークだが、そのズレも恐らくは“グラインドハウス”。
 前編は、フィルムの赤茶けた質感とキズ・トビ、音の割れたサントラ、ズームの多用、サイケデリックな色使いと美術、カットとカットのつなぎに頓着しない編集など、やっつけ感と時代性の再現に気を配る。後編は「おい、それでいいのかよ」という凶暴な展開とシメ。
 これこそが、やっぱりたぶん“グラインドハウス”。
 そういう意味では「はい、よくできました」な作品なのかも知れない。

 日本でいえば深作欣二~千葉真一ラインを再現した、といったところか。しかも「いまの(各国の)観客にも楽しんでもらえる要素」をプラスする意識なんかゼロで。
 そりゃあ楽しめなくても無理はない。

 見どころとしては、やっぱりアクション。前編のクライマックスにおけるぐっちゃぐっちゃのリピートと、後編のカースタントは迫力アリ。予算がなくても身体を張って撮りかたを工夫すれば、これくらいはスピーディでスリルのある絵を作れますよ、ということがわかる。
 あとは女優陣。ロザリオ・ドーソンは美人だし、トレイシー・トムズとローズ・マッゴーワンとメアリー・エリザベス・ウィンステッドは可愛いし、ヴァネッサ・フェルリトの唇にも色気がある。

 まとめれば「よーし、映画を観るぞ」という姿勢は無用な作品。

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2009/06/17

アース

監督:アラステア・フォザーギル/マーク・リンフィールド
ナレーション:パトリック・スチュワート/渡辺謙

30点満点中17点=監4/話3/出2/芸4/技4

【偶然の奇跡、地球】
 地軸の傾きと公転が季節の変化をもたらし、大いなる水の循環を生み、多種多様な生命を育んだ星・地球。カメラは、北極に訪れた春、ツンドラと森林地帯、温暖な土地、熱帯雨林、砂漠とサバンナと湿地、ヒマラヤ山脈、赤道直下の海、そして南極へ、地球を北から南へ縦断する。世界200か所以上、撮影期間5年という英BBC製作『プラネット・アース』のアーカイヴをもとに構成された、地球と、そこに暮らす生物たちの物語。
(2007年 ドイツ/イギリス)

【メッセージを伝えるための映画】
 画面を覆い尽くす動物や鳥の群れ、雪山に氷に空に海に森、太陽の光と花と緑……。あるときは幾何学模様に風景や生命の営みが切り取られ、あるときはダイナミックに地球の姿が捉えられる。
 俯瞰からマクロまで大胆かつバラエティに富んだ絵は「どうやって撮ったんだろう?」というより「よく撮ったよなぁ」と感心させられることの連続だ。この美しい映像は、なるほど確かに大スクリーン向き。ジョージ・フェントンのスコアをベルリン・フィルが演奏したというサウンドトラックも格調高く響く。

 ただ、意外なほど上品で大人しい。そこらへんの劇映画が尻尾を巻いて逃げ出すくらい圧倒的に美しいのは事実だし、史上初めて捉えられた貴重な映像が多いこともわかるのだが、ドスンと、人間の感情のプリミティブな部分に切り込んでくることは少ない。
 捕食動物が狩りをする様子もいくつか出てくるが、あまり残酷にならないよう気を遣っている感じ。登場する動植物のバリエーションも少なく、たとえば昆虫、爬虫類、サメ以外の魚類などは、ほぼ蚊帳の外。

 また、必ずしも地球と、そこに棲む生命の姿を“ありのまま”に示しているわけではない。何年もかけ、まったく別々に撮られた映像をつないでひとつの出来事として構成する編集の上手さがある。あるいはハイスピード撮影/スローモーションや低速度撮影を多用し、かなり大胆に合成やコンピュータ処理も使って仕上げられている。
 全体として「ウゲっ」「うわっ」が2割、「ほほぉ」「へぇ~」が8割の配分、撮れたものをそのまま提示するのではなく、「撮りたかったものを撮ってきて、それを見せたいように構成した」というイメージだ。

 見せたい、というのは、伝えたいメッセージがあることに他ならない。本作が意図したメッセージは、ラストで伝えられる情報を聞くまでもなく、ストップ・ザ・地球温暖化
 大自然ドキュメンタリーは「いま自分が地球環境のために何ができるか、この美しい世界を守るためにしなければいけないことは何か」と鑑賞者に考えてもらう役目を負うわけだが、中でも本作は「地球温暖化」へとベクトルを向け、不要なものはどんなに面白い映像でもバッサリ切り捨てるという方法論で作られている。

 かつて、生産と消費こそが人類の美徳だった。少々の環境破壊があっても対症療法でお茶を濁して根本的な問題には知らんぷりを決め込んできた。たとえ資源を食いつぶしたとしても、そうなりゃあ夢いっぱいの宇宙空間へ飛び出せばいいのだ。
 だが21世紀に入って、研究者も政治家もマスコミも、利権争いに振り回されながらも「地球を守るための暮らしかた」へと、全世界的なパラダイム・シフトを起こそうと(表面上は)懸命だ。
 そうした時期に作られた、まさにその目的のために存在する映画。ただ美しさに感動して心が洗われたなどといっていてはダメ、もっと肉食動物を出せよなんてもってのほか、“理”の部分で、この映画が伝えようとしている大きな問題を考えるべき作品だろう。

 ひとつ気になったのは、ナレーションを除いて“人の影”が徹底して排されていること。モクモクと煙を上げる工場群や交差点にひしめく自動車などを挿入する手もあっただろうが、そうはしなかった。それどころか、建造物はいっさいうつさず(宇宙からの画像にも人工物は感じられない)、撮影に使われたであろうヘリコプターの影も、ジープやスノー・モビルが刻んだはずの轍も、グライダーの風切り音なども、完全にシャットアウト。
 まるで「人がいないからこそ、自然はこんなにも美しい」とでもいうような作り。やはり、この作品を観て心が洗われているようではダメなのだ。

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2009/06/14

素敵な人生のはじめ方

監督:ブラッド・シルバーリング
出演:モーガン・フリーマン/パス・ベガ/ジョナ・ヒル/アン・デュデック/クマール・パラナ/ボビー・カナヴェイル/ジェニファー・エコルズ/アレクサンドラ・ベラルディ/ジム・パーソンズ/ダニー・デヴィート/リー・パールマン

30点満点中18点=監3/話4/出5/芸3/技3

【老優とレジ係、ふたりのドライブが始まる】
 4年近く現場から離れている老優が、あるインディペンデント映画からスーパーの店長役をオファーされる。リサーチとロケ地の下見を兼ねて、カーソンにある小さなスーパーマーケットへと連れて来られた彼。が、約束の時間になっても迎えは現れない。役に立たない同僚ばかりに辟易しているレジ係のスペイン人女性スカーレットは、やむなく彼をクルマで自宅へ送ることに。スカーレットが新しい仕事の面接を控えていると知った老優は……。
(2006年 アメリカ)

【責任と無責任のコメディ】
 驚きのセルフ・パロディに挑んだモーガン爺様、笑わせてくれます、感心させてくれます。シリアスな悪党や大統領もいいけれど、ちょっとトボケたこういう役が、やはり似合う。
 この作品の中だけでも、いろんな顔を見せてくれる。出演作のビデオが安売り&まとめ売りされているのを見てムっとしたり(アシュレイ・ジャドは怒らなかったんだろうか)、スーパーには強盗がつきものだといわれて不安に目を見開いたり、スカーレットが送ってくれると知ってイタズラっぽく微笑んだり……。

 まぁどこからどこまで自身の本当の姿が投影されているのかはわからないけれど、きっと、新しい発見を素直に喜んだり、不器用ながらも役柄のエッセンスを1つ1つつかみ取ったり、衣装の材質を気にしたりする人であることは確かなんだろう。
 そういう、名優モーガンを観る楽しさにあふれた作品。
 彼に引っ張られてか、相手役のパス・ベガも不安定な異邦人を好演し、チョイ役の人たちもダニー・デヴィート&リー・パールマン夫妻もナチュラルで存在感たっぷり。「書類を見る」という芝居だけで笑わせてくれるジム・パーソンズも愉快だ。

 彼らの演技をしっかり捉えるために、長まわしが多用される。でも一本調子だと感じさせないのは、やっぱりお芝居がしっかりしているからだろう。カットが切り換わった際に前のカットとつながっていないところが目立つなど、やや乱暴な作りではあるけれど、画面の中に収められた演技とメッセージには芯が通っている。

 で、どんなメッセージかというと、責任と無責任
 登場人物は無責任なやつばかり。店員は無責任、客も無責任、店長も無責任、迎えに来ないドライバーも無責任。スカーレットにあれやこれやとアドバイスする老優だって、たぶん、彼女の生涯について全責任を負おうなんて考えちゃいないだろう。
 唯一、責任感を持つ人物として描かれるスカーレット。ただ、彼女の意識はどちらかといえば他人に向けられている。本来、自分自身(の思考や立ち位置や行動)にさえ責任を持ちさえすれば、それでいいはずなのに。

 ポール・サイモンの歌も、自分は何者であろうとするのか、それを決めるのは自身の責任感だと告げているのだろう。
 ルールで自分や他人を律するのもいいけれど、時にはルールから外れ、無意味な束縛から逃れて自由になることだって大切だ。もちろん、そこには既存のルールを破壊することに対する責任が生じる。ルールを曲げちゃうんだから、これまでより“いい自分”にならなくちゃいけないのだ。
 加えて、ちゃんとした人物を演じるために役者が果たさなければならない責任や、お金を払って観てくれる人に対して“いい映画”を提示しなければならないという製作者としての責任も、本作は語る。

 まとめれば、世の中の無責任さに振り回されず、自由な意思で自分を作り上げていくことが、この世に生かされている私たちにとっての、責任。
 軽快なタッチでそんなことを教えてくれる映画である。

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