2012/05/24

ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ

監督:松山博昭
出演:戸田恵梨香/松田翔太/鈴木浩介/田辺誠一/荒川良々/濱田マリ/和田聰宏/関めぐみ/秋本祐希/永山絢斗/松村雄基/鈴木一真/吉瀬美智子/渡辺いっけい/喜山茂雄(声の出演)

30点満点中16点=監3/話3/出3/芸4/技3

【バカ正直vs裏切り者 最後のゲーム】
 他人を騙し、相手を欺き、誰かを陥れる。勝てば大金が手に入り、負ければ多額の借金を背負うことになる。それがライアーゲーム。天才詐欺師・秋山とともに激闘を勝ち抜き、このゲームから抜け出したはずの神崎直だったが、ファイナルステージへ進んだ秋山を助けるため、ふたたび騙しあいの渦中へ身を投じる。“信じる心”こそがライアーゲーム必勝法だと説く神崎を待ち受けていたのは、正体不明の裏切り者と意外な展開だった。
(2009年 日本)

【最終話として、まぁこんなもん】
 映画としてどうかを語る作品ではあるまい。実際、TVスペシャルをちょっと豪華にしただけのような作り。
 台湾ロケ(舞台となる無人島。これはなかなかのロケーション)を敢行したり美術に気合いが入っていたりはするけれど、全体にセット臭く、画質もベタっとビデオ風味で映画的なスケール感には乏しい。
 説明に説明を重ねないとわからない題材・展開であるうえに流れが不自然な部分もあって、1時間ドラマ3~4本分を再構成したんじゃないの、という空気も感じる。

 ま、そのへんはハナっからわかっていたこと。そもそも「面白い映画を観よう」と思って鑑賞するものじゃなく、あくまでTVシリーズのファン向けに用意された商品というか、スペシャル・コンテンツ。
 だから「映画かどうか」より「『ライアーゲーム』かどうか」が大切だといえるだろう。

 その点については、及第点。
 サイケデリックな美術と衣装と照明、気忙しいVEとSEにジョコジョコと雰囲気を盛り上げるサントラは、完璧に『ライアーゲーム』。まだるっこしくて抜け穴だらけのゲーム・ルール、それを利用した仕掛けと先が気になるストーリー、ちょっぴりの意外性も、やっぱり『ライアーゲーム』。

 キャストも、棒読み松田翔太の堅苦しさ、鈴木浩介のキノコ節が相変わらず楽しい。思えばTVシリーズから一貫してゲーム参加者には“タレント”ではなく“役者”が起用されており(例外もあったけれど)、それは今回も踏襲されていて『ライアーゲーム』っぽさを維持している。
 そして「人を信じる心」という本作の大テーマも押し通して。

 もちろん不満も多い。
 戸田恵梨香はもうちょっと可愛く撮れたはず。ファイナルという割に裏切り者Xがそれほど手ごわくない。ゲームの裏に潜んでいた秘密にも強い肩透かし感を覚える。
 が、『ライアーゲーム』最終話ということなら、まぁこんなところじゃないでしょうか、それ以上でもそれ以下でもないよね、と、最初から過度な期待をしていなかったぶん気楽に観られる1本である。

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2012/05/18

ダレン・シャン

監督:ポール・ワイツ
出演:クリス・マッソグリア/ジョシュ・ハッチャーソン/ジョン・C・ライリー/ジェシカ・カールソン/渡辺謙/マイケル・セルヴェリス/レイ・スティーヴンソン/パトリック・フュジット/オーランド・ジョーンズ/フランキー・フェイソン/クリステン・シャール/トム・ウッドラフ・Jr/ジェーン・クラコウスキー/ドリュー・リン・ヴァリック/モーガン・セイラー/ドン・マクマナス/コリーン・キャンプ/パトリック・ブリーン/ダニエル・ニューマン/ウィレム・デフォー/サルマ・ハエック

30点満点中17点=監3/話3/出4/芸4/技3

【奇妙なサーカス団で始まる、彼の冒険】
 いい子に徹して成績も優秀な高校生ダレン・シャン。けれど教育熱心な両親に息苦しさも覚えており、ある夜、家を抜け出して学校で禁じられた催しを見物に行く。それは、見上げるほどの大男やウルフマン、再生能力を持つ女性らが集うフリークたちのサーカス団。親友スティーブは吸血鬼クレプスリーに「自分もバンパイアになりたい」とすがり、ダレン自身もクレプスリーの飼い蜘蛛オクタを盗んだことで、彼らは大騒動に巻き込まれていく。
(2009年 アメリカ)

【薄味で押しの弱いファンタジー】
 記憶が確かなら、OPクレジットはジョン・C・ライリー、渡辺謙、ジョシュ・ハッチャーソンという並びで、ギャラと知名度の順か。あとはwithとかandでウィレム・デフォーとサルマ・ハエックが来る。軽視されちゃった主役クリス・マッソグリア君(美形で若々しくって決して悪くはない)を、キャリア豊富なバイプレーヤーで支えましょう、という感じ。

 そうした面々プラス悪役や脇役の皆さんが、必要以上にはオドロオドロしくせず、ちょっぴりオーバーかつコミカルながら(特に渡辺謙とウィレム・デフォーは、なんかもう楽しんでるでしょ)、どこかに人間臭さを出して快活に演じる。ヒロイン役ジェシカ・カールソンは華に欠けるけれど、まさかジョン・C・ライリーが悩めるヒーローなんて、というギャップも含めて、まずまず面白いキャストだ。

 特殊メイクも頑張っているし、VFXも及第点。この手の作品としては珍しくフィルム(撮影は『クラッシュ』のJ・マイケル・ミューロー)で撮られているようで、その陰影豊かなイメージ(ちょっと暗すぎるけれど)が世界観を助けている。プロダクション・デザインは『マグノリア』などのウィリアム・アーノルド、衣装は『X-MEN:ファイナル ディシジョン』のジュディアナ・マコフスキーで、これらの仕事ぶりも上々だろう。

 ただ、なんか全体にちょっと雑で薄味
 コメディタッチを交えながら、余計なことを端折ってガンガン進むのは、いい。監督は『アバウト・ア・ボーイ』のポール・ワイツ、脚本は監督自身と『ミスティック・リバー』などのブライアン・ヘルゲランドで、ソツなく軽快にまとめてあるとは思う。
 が、展開にも撮りかたにも「さぁここからだ!」とか「これでもか!」というところがない。ふにゃっと流れて見せ場は少なく、あっても基本的に肉弾戦オンリーなのでビャーっドカンっと揉み合って何をやってるのかわからんまま終わり。フリークならではの気色悪さも不十分だ。
 押しの強さとかスケール感とかがまるでなくて、ダレン同様に映画そのものも品よくまとまっちゃった感じ。

 まぁ「これからの盛り上がりに期待」といきたいところだけれど、興行的に失敗して続編製作は頓挫している模様。「続きは見なくていいや」というヒドさではなく、これから噴出するであろう“アク”のようなものが楽しみな題材なので、ちょっと残念だ。

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2012/05/16

バッド・ルーテナント

監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
出演:ニコラス・ケイジ/エヴァ・メンデス/ヴァル・キルマー/アルヴィン・“イグジビット”・ジョイナー/フェアルーザ・バーク/ショーン・ハトシー/ジェニファー・クーリッジ/トム・バウアー/ヴォンディ・カーティス=ホール/ブラッド・ドゥーリフ/デンゼル・ウィッテカー/イルマ・P・ホール/シア・ウィガム/マイケル・シャノン/ジョー・ネマーズ/J.D.イヴモア/ティム・ビロウ/ルシウス・バストン/ランス・E・ニコルズ/ニック・ゴメス

30点満点中17点=監4/話4/出3/芸3/技3

【それは穢れた正義か、美しき悪徳か】
 ハリケーン・カトリーナ襲来直後、荒れ果てたニュー・オリンズ。勇敢な行動で警部補に昇進したテレンス・マクドノーは、麻薬密売人一家惨殺事件の捜査を指揮することになる。が、テレンス自身も娼婦の恋人フランキーと麻薬に溺れており、証拠隠滅や強権的な態度も厭わず、ギャンブルに入れあげて借金や内部調査にあえいでいた。事件の容疑者として売人ビッグ・フェイトが浮かび、目撃者の保護にあたるテレンスだったが……。
(2009年 アメリカ)

【この閉じた世界】
 ヘルツォークは肌に合わないと思っていたのだが、意外と真っ当。青白い冷たさと赤茶けた荒廃感をミックスさせた色調で、顔には陰影を作り、善も悪もいっしょくたになって存在する世の中、というテーマをわかりやすく表現する。カット数は少なく、対象との距離も近くてインディペンデント風味がぷんぷんと漂うものの、その範囲内では手堅い撮りかただ。

 テレンス役のニコラス・ケイジにつきっきり、彼のお芝居を存分に見せる作品ともいえる。左肩を常に上げ、くたびれたような猫背、苦しそうに腰掛ける姿。ちょっとやりすぎではあるけれど、閉塞の中でどうしようもなく足掻く男の“躁”はよく出ている。

 で、観る者は「どうしようもない事に振り回される彼」に振り回されることになる。テレンスの中に息づく正義に期待する自分もいるし、彼が悪徳によって落ちていく様を見たいと思う自分もいる。
 しかし、彼は彼のまま。ただ、語られ、思い知らされるのは、自分の未来はどっちにでも転ぶ可能性があるということだ。
 正義の不在、あるいは何をもって正義とするか、何が悪なのかと問題を投げかける内容でもある。自堕落で信用ならないテレンスだが、彼に救われた者がいるのも事実だし、彼のような存在がピースとなって社会というパズルが完成するのもまた事実なのだろう。

 結局のところ、人生、計略が5割、運が5割。どうしようもないと思えることでも計略次第ではどうにかできるし、何とかなりそうなことでも運次第でズブズブと深みにはまることはある。
 そして、自分のおこないに与えられるのが“請求”なのか“報酬”なのかはわからないし、それが半年先になるのか1年先なのか想像もできない。
 未来が読めないならば、正義とか倫理とか考えるより先に、何とかできそうなことを何とかしてみようとする態度しか取りようはない。

 ラスト・シーンの水族館は、食うものも食われるものも仲良く狭い世界で生きていることを示しているのだろう。その外へ出ることがかなわぬなら、フワフワと泳ぎ続けるしかないのだ。
 そんな閉じた世界をシニカルに描く作品である。

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2012/05/11

パブリック・エネミーズ

監督:マイケル・マン
出演:ジョニー・デップ/クリスチャン・ベイル/マリオン・コティヤール/ジェイソン・クラーク/ビリー・クラダップ/スティーヴン・ドーフ/ブランカ・カティッチ/ジョヴァンニ・リビシ/リーリー・ソビエスキー/スティーヴン・グレアム/ロリー・コクレイン/ジェームズ・ルッソ/デヴィッド・ウェンハム/クリスチャン・ストールティ/スティーヴン・ラング/デヴィッド・ウォーショフスキー/チャニング・テイタム/キャリー・マリガン/エミリー・デ・レヴァイン/ジェフリー・カンター/ジョン・オーティス/ショーン・ハトシー/アダム・ムッチ/スペンサー・ギャレット/ドン・フライ/マット・クレイヴン/リリ・テイラー/マイケル・ベント/アラン・ワイルダー/ランス・ベイカー

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4

【民衆の敵、その生きざま】
 大恐慌直後の1933年。仲間を脱獄させることに成功した強盗犯ジョン・デリンジャーは、その後も次々と銀行を襲う。彼らを逮捕すべく、エドガー・フーバーは州と州をまたいだ犯罪に対応する法と捜査システムの整備に奔走し、ジョンの本拠地であるシカゴの責任者には腕利きのメルヴィン・パーヴィスを登用する。クラブで出会ったビリー・フレシェットと恋に落ちたジョンは、メルヴィンによる必死の追撃を次々と交わすのだが……。
(2009年 アメリカ)

【デキはいいが、芯の弱い映画】
 トータルとしては、すごくよくできていると思う。とりわけ語り口のリズム感が上々だ。

 荒っぽくもスマートに脱獄や強盗を完遂させる様子を、下手な説明抜きで流れるように描写し、ジョン一味の組織力、計画力、綿密な下準備の必要性や悪党どものネットワークの存在を印象づけていく。対比として捜査当局の不甲斐なさも描き、いっそうジョンたちの仕事ぶりは引き立つ。
 メルヴィンは捜査官たちに大量の武器を供与し、おいおいそんなに大袈裟にするのかよと観客に思わせておいて、部下にそれだけの覚悟を迫る。あるいは競馬場の中、熱狂する人々を背景にしたキスシーンでは、ジョンとビリーがたがいに相手しか大切なものはないと感じていることがわかる。

 こうした“見せる語り”を支えるのはスタッフの力。
 ドキュメンタリー・タッチを交えて引き込む冒頭部から、撮影はその場感を重視。サウンドメイクもまたその場の空気をすくい取り、音数も多彩。美術や衣装もスキがない。スタントチームも一流のようだ。

 もちろん出演陣の力量も確かで、ジョニー・デップはカッコよく、マリオン・コティヤールは美しく儚く、クリスチャン・ベイルは出しゃばりすぎることなく振り回される捜査官を好演。他の作品なら主要な役を演じられるメンツをチョイ役に配してあって、大胆なキャスティングとも感じる。

「今日が最高なら明日のことは考えない」
「人は来た道ばかり気にするが、どこへ向かうかが大切だ」
 刺激的なセリフの数々も楽しい。

 ただ、伝記モノの宿命を思い知らされることにもなる。
 ダラダラとジョンの生い立ちから作らず、彼の人生の後半部だけでまとめた点は、物語をキュっと締めることにつながっていて見識だと思う。が、同時に浅さを生んでいるというか、ジョンに「連続銀行強盗犯」以上の存在感を与えることも阻んでいる。
 仲間やビリーとの関係、ジョンの仕事ぶりに加えて、メルヴィン側の描写にも相当の時間を割き、ジョンがキッカケでFBIが誕生したことも盛り込んで、顔と名前が一致しない人物もゾロゾロと登場。流れはいいものの散文的になり、映画/物語としての“軸”が失われてしまったような印象だ。

 デップずるいぞカッコいいぞ、という感想は残るけれど、ジョン・デリンジャーが何者なのか、彼の存在が社会や仲間やビリーに果たした役割は何だったのかがフワっとしたまま終幕を迎える、そんな「ちょっと芯の弱い」映画になっているように思える。

●主なスタッフ
 撮影は『インサイダー』などのダンテ・スピノッティ、編集は『コラテラル』のポール・ルベルと『アメリカを売った男』のジェフリー・フォード。
 美術は『ダークナイト』のネイサン・クロウリーや『バットマン ビギンズ』シカゴ・パートのパトリック・ラム、『トロン:レガシー』のウイリアム・ラッド・スキナーら。衣装は『スウィーニー・トッド』のコリーン・アトウッド。音楽は『アクロス・ザ・ユニバース』のエリオット・ゴールデンサール、サウンドチームは『ウォッチメン』のジェレミー・ピアソンら。
 SFXは『トランスフォーマー:リベンジ』のブルーノ・ヴァン・ジーブロック、スタントは『かいじゅうたちのいるところ』のダーリン・プレスコット。

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2012/05/08

第三の男

監督:キャロル・リード
出演:ジョセフ・コットン/アリダ・ヴァリ/トレヴァー・ハワード/バーナード・リー/ポール・ハービゲル/エルンスト・ドイッチュ/ジーグフリード・ブリュワー/エリッヒ・ポント/ウィルフリード・ハイド=ホワイト/ヘドウィグ・ブレイブトル/オーソン・ウェルズ

30点満点中19点=監4/話3/出4/芸4/技4

【親友の死、その真相を追って】
 大戦後、各国によって分断統治されているウィーンに、親友ハリー・ライムを頼ってやって来た米国人小説家ホリー・マーティンス。だが彼を待っていたのは事故死したハリーの葬儀だった。ハリーの恋人アンナ・シュミットやハリーの友人だというクルツ男爵とルーマニア人ポペスク、アパート管理人などの話を聞くうち、事故ではなく殺人ではないかと考えたマーティンスは、英国軍キャロウェイ少佐の警告を無視して独自に調査を始める。
(1949年 イギリス)

【クラシックと呼ぶにふさわしい1本】
 全体に格を感じる仕上がり。ただ「撮る」のではなく、こっちからこんなサイズでこう「撮りたい」という意志があふれている。
 ナナメだったり、タテ方向と奥行きを常に意識していたり、とにかく大胆な構図の連続。闇と光も巧みに使い分け、とりわけオーソン・ウェルズの登場シーンは、彼のイタズラっぽい顔ともあいまって鋭角的。おなじみのテーマソングが、さまざまなシーンでリフレインされるのも面白い。

 何かを表現するとか、特定の心情を表すためというより、ただただこの作品を印象に残すことが目的、という、ある種の潔さのようなものを感じる。確かに他にはない、どこか1カット取り出すだけで『第三の男』だと紛れもなくわかるような、独特の映像世界。

 ただし極端に奇異にはならず、見知らぬ町での不安、気まずさ、親しみ、疑問などを適度に示すなど、必要なことは手堅くうつし、サスペンスをジワリと盛り上げる程よいバランス感覚も維持。キャロウェイがハリーの悪事についてマーティンスに説明する場面、あるいはマーティンスを乗せたタクシーが疾走するシーンなどリズムとスピード感も上々だ。

 素人探偵が意外な事実に迫るという設定、予想外の展開、素性がわからぬ者たち、子どもという無垢な存在によって呼び起こされる恐怖など、盛り込まれた要素は多彩ながらよく整理されていて、「地獄に昇ったか、でなければ天国に落ちた」とか「未練なんかないわ。でもまだ私の一部なの」といったセリフもシャレている。

 悪党側でも話が進むなど視点の揺らぎは気になるし、マーティンスとハリーの関係、ハリーとアンナの関係、ハリーの無実を証明しようとマーティンスが思い立つ動機など、もう少し掘り下げてもよかったと思うが、サスペンス/ミステリーのバイブルとしても機能しそうなパッケージとなっていて、クラシックと呼ぶにふさわしい1本といえるだろう。

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2012/05/05

母なる証明

監督:ポン・ジュノ
出演:キム・ヘジャ/ウォンビン/チン・グ/ユン・ジェムン/ソン・セビョク/キム・ビョンスン/チュン・ウヒ/イ・ヨンサク/ムン・ヘラ/イ・ミド/ジャン・ピルキョン/キム・ジョンウク/イ・ソンヒョン/ムン・ボクドン

30点満点中19点=監4/話4/出4/芸4/技3

【息子の無実を証明するために】
 頭が弱く、記憶力も悪いトジュン。友だちといえばゴロツキでトラブルメーカーのジンテだけで、この日もトジュンが轢かれかけたとクルマの持ち主を恐喝、警察沙汰になる始末だ。ある夜、酔って女子高生の後をフラフラと追うトジュン。次の朝、女子高生の遺体が見つかり、わずかな物証からトジュンが逮捕される。トジュンの母は息子の無実を信じ、なけなしの金で弁護士を雇い、ジンテが真犯人だと考えて独力で調査も開始するのだが……。
(2009年 韓国)

★ややネタバレを含みます★

【汚れも厭わぬ愛】
 手持ちカメラでブレも気にせず撮る場面、あるいはちょっとリズムを外したシーンも多く、たっぷりとした間(ま)があり、画面はくすみがち、やや古い撮りかたに思える。少なくとも『殺人の追憶』『グエムル -漢江の怪物-』『TOKYO!』などポン・ジュノ監督の過去作ほどスタイリッシュや鋭角的な見た目ではない。

 が、そこから何度も急転、出しながら飲む、暗闇から投げられる石、行為中のしりとり……と、日常の中に潜む不条理な光景をドカっと示し、予想外の展開ばかり叩きつけてくる。
 生まれるのは、静かで冷ややかで心を急がせる空気感、真実がどこにあろうと結局は悲劇にしかならないだろうという予感。一応は母親が探偵役を務める謎解きモノといえるが、「何があったか」「誰が犯人か」といった事実よりも、この居心地の悪い空気・感覚の中で這いずり回る“母親の姿”を描いて見せることに主眼は置かれている。

 その母親=キム・ヘジャがいい。自らを倒錯へと追いやるダンス、常識と非常識、ビニール手袋を外すことさえ忘れて没頭する熱意、へつらい、絶望と狂気……。この役柄を全身でまっとうする(LA批評家協会賞女優賞)。ウォンビン(兵役とヒザ手術リハビリからの復帰作)の、おたおたや、可愛い顔だからこそ痛々しいキャラクターメイクも上出来だが、やはりキム・ヘジャの存在に負うところが大きい映画、と思わせる芝居だ。

 母親の苦闘とともに全編を通じて印象づけられるのは、液体。立ち小便、クスリ、ペットボトルの水、チューブから吐き出される絵の具、降りしきる雨、ぬかるみ、そして血。地面は常に汚され続ける。
 大地といえば母の象徴。何をいわんとしているかは明らかであり、それはラストシーンでさらに鮮烈なものとなる。バスの中、トジュンの母も他の母親たちもいっしょくたになって踊り狂い、もはや見分けはつかない。
 トジュンの母だけでなく、すべての母親は、みな同じ。汚れも厭わぬ愛で大切なものを守り続けるのだろう。

 もちろん「濡れる地面」も居心地の悪さをもたらすものであり、そういう意味では“何を描くか”と“どう描くか”とをイコールで結びつけたような作品ともいえる。
 相変わらず、この監督は切れている、と感じさせる1本だ。

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2012/05/01

正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官

監督:ウェイン・クラマー
出演:ハリソン・フォード/レイ・リオッタ/アシュレイ・ジャッド/ジム・スタージェス/クリフ・カーティス/アリシー・ブラガ/アリス・イヴ/サマー・ビシル/ジャクリーン・オブラドルス/ジャスティン・チョン/メロディ・カザエ/メリク・タドロス/マーシャル・メナシュ/ナイラ・アザド/シェリイ・マリル/リジー・キャプラン/マハーシャラハシュバズ・アリ/レイ・バレンティン/オゲチ・エゴヌ/アラミス・ナイト

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3

【この国で暮らすために】
 LAにある移民税関捜査局(I.C.E.)。捜査官マックスは強制退去となったメキシコ人女性の行方を探し、相棒ハミードは父の帰化式典を心待ちにしながら勝手な妹の行動を気に病んでいた。永住権欲しさに、判定官コールに身体を売る女優クレア、偽りだらけの書類でグリーンカードを得ようとするギャヴィン、不法滞在者専門の弁護士デニス、危険な思想を持つとして拘束された女子高生タズリマ、犯罪に巻き込まれるヨンらの未来は?
(2009年 アメリカ)

【移民に可能性を与え、移民から自由を奪う国】
 オープニング・クレジットで「やけに多民族のキャストだなぁ」と思ったら、それもそのはず。堅苦しいタイトル(原題は『Crossing Over』)とハリソン・フォード主演からイメージするようなアクション系刑事ドラマではなく、『クラッシュ』『扉をたたく人』などとテーマを同じくする移民問題群像劇(監督自身、南アフリカ出身の移民らしい)である。

 黒い人形。アフリカ系に苛められるアラブ系。危険防止のために統制される思想と言論。揶揄されるのは、部下の大勢いる弁護士が誰よりも偉く、大切な会話の途中でも携帯電話に出て問題ない、アメリカ流の正しさ。
 世界にはさまざまな価値観があり、その価値観のズレや歪みを許容しない狭量さこそが住みにくい社会を生んでいる、という事実を、捜査官や不法滞在者など当事者たちのパーソナルな出来事に落とし込んで描いていく。

 LAっぽい乾いた空気感の中に広がるその住みにくい世を、フレームを広く使い、陰影や舞台の立体感にも気を遣った撮影(『サンキュー・スモーキング』のジェームズ・ウィテカー)が丁寧かつスケール豊かで、いい。おなじみマーク・アイシャムのスコアも物悲しい。

 演じるのは前述の通り多国籍な面々だが、ざっとキャストのルーツを調べてみたら、ハリソン・フォードはアイルランドとロシアとユダヤ、レイ・リオッタは「養子として育てられ、自身はイタリア系が混じっていると思っていたが純粋なスコットランド系だった」とWikipediaにあり、クリフ・カーティスは『クジラの島の少女』で演じたようにニュージーランド・マオリ、サマー・ビシルは父親がインド系、アリシー・ブラガはブラジル出身、ジム・スタージェスとアリス・イヴはイギリス生まれ……と、役柄と実際とがかなり錯綜している。

 いわゆる“9・11以後”に属する作品を観ていてたびたび感じることなのだが、本作もまた「見た目と事実との違いに、あなたたちは気がつかないか、あるいは気にも留めない」というメッセージを含むキャスティングなのだろう。また「国籍や出自がどうあろうと、1つの優れたものを作り上げる力がある」ことの証であるとも思える。

 そして明らかにされるのは「結局のところ、人次第」だということ。住みよい社会を作るために必要なのは“理解”や“許容だが、そこには“誤解”や“恐怖”が混じることもある。間違いも怯えも人の性質だ。
 いっぽうで、ギャビンを助けるラビ、帰化式を明日に控えたヨンと向き合うハミードの態度からわかるように、“信頼”や“希望”や“許し”もまた人が人に示せる心であるはず。
 安全を守るための法律・ルールで人を苦しめ、法律・ルールを破って人を助ける、そうした「人のありよう」に迫る作品といえるだろう。

 ストーリー面ではコールの心変わりが唐突な点、作りではカットのつなぎの乱暴さが残念だが、全体にセンスよく撮られていて、問題を提起するパワーも持つ映画である。

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2012/04/27

ジュリー&ジュリア

監督:ノーラ・エフロン
出演:メリル・ストリープ/エイミー・アダムス/スタンリー・トゥッチ/クリス・メッシーナ/リンダ・エモンド/ヘレン・ケアリー/メアリー・リン・ライスカブ/ジェーン・リンチ/ジョアン・ジュリエット・バック/クリスタル・ノエル/ジョルジュ・バルテニエフ/ヴァネッサ・フェルリト/ケイシー・ウィルソン/ジリアン・バック/アンドリュー・ガーマン

30点満点中18点=監3/話4/出4/芸4/技3

【時空を超えた、ふたりの主婦の物語】
 外交官の夫ポールとともにパリで暮らすジュリア・チャイルド。時間を持て余した彼女は、いちばん好きなこと=食事を極めようと料理教室に通い、やがてフランス料理をアメリカ家庭に紹介した人物として知られることになる。50年後のNY、編集者エリックと暮らす役所勤めのジュリー・パウエルは、憂鬱な日々を振り払うため、ジュリアの著書に載っているレシピをすべて再現、ブログで報告するというチャレンジを始めるが……。
(2009年 アメリカ)

【つながりに支えられて】
 旦那さんのポールがいい。物静かで生真面目だけれどユーモアもあって、ジュリアに注ぐ視線は常に温か。テーブルに足を投げ出して座る妻をたしなめるのではなく、その脚をひょいっと持ち上げて座る仕草とか、「どこだろうと、僕らがいればそこが家」と前向きなところとか。
 メリル・ストリープの「ザ・芝居」(オホホなセリフ回しより、トロンとした目つきが印象的)が生きるのも、スタンリー・トゥッチの控えめな存在感があったればこそ。『プラダを着た悪魔』とはまったく異なる関係なのに不自然じゃないってのが凄い。

 NYサイドの夫、クリス・メッシーナ演じるエリックがジュリーに向ける態度はもうちょっとドライ(妻の料理にいきなり塩を振っちゃうんだもん)だが、同時に感情的。その肩肘張らない現代っぽさがジュリーをナチュラルに支えていることは確か。こちらも控えめに、キッパリとしたエイミー・アダムスの芝居を輝かせている。

 こうした生身のつながりが本作の大きなテーマじゃないか。

 著書や手紙やブログといった、間接的な、時間と空間を越えたつながりで誰かが誰かに影響を及ぼす。それもまた素晴らしいことだろう。
 とりわけ子どものいない(つまり自分が生きた証を生物的には残せない)ジュリアや、電話で9・11の遺族と話す(深い悲しみを電気信号越しにしか感じられない)ジュリー、大きなストレスを抱えるふたりにとって、「私はここにいるのよ」と不特定多数へ向けて発信する行為はライフワークといえるものであり、自らの存在証明でもあるはずだ。

 でもそれって、時には相手に不快感を与えても気づかないほど一方的なものになってしまったり、どこかイビツなコミュニケーション(サラダ・ランチのシーンが象徴的)になったりしがち。
 ましてやジュリー&ジュリアは料理という「実際に味わわなければわからないもの」を媒介に他者とつながろうとしているわけで、やはり実在としての「私とつながっている人」を求めてしかるべきだろう。
 つまみ食いしてもらえる幸せ、ってのもあるのだ。

 そんな幸せをどこか当然のものとして受け取っている節のあるジュリー&ジュリアだけれど、女を「うん、当然なんだよ」と甘やかすのも男の甲斐性なんである(っていうかノーラ・エフロンも女性だから、そういう価値観を疑問なく持っているのかも)。だからこの映画では、女性を描いていながら男が粋なのだ。

 撮りかたとしては、ちょっと古いというか、50年前っぽさをそのまま出して(プロダクションデザインは『私がクマにキレた理由(わけ)』のマーク・リッカー、衣装は『ダウト~あるカトリック学校で~』『マンマ・ミーア!』のアン・ロス)、ニューヨーカーっぽさもそのまんま出して、よくいえば気取らずまとめた感じ。
 料理をこれっぽっちも素敵に撮らないのは「主婦の家庭料理」だからいいとして、それとジュリアのデカさはまあまあ伝わっていたけれど、全体にフツーすぎて、たとえば50年前と現代の料理のシンクロをもう少しセンスよく見せる場面があってもよかったと思う。

 が、「自分は何をやっているんだろう」と悩んでいる人に、まずは周囲を見回して、つながりを確認して、それからは「気にしないで楽しむこと」という勇気を与える、そんな映画ではあるだろう。

 あ、ちなみに、ジュリア・チャイルド(実在の人物)についてはまったく知らなかったけれど、自分の考えかたとか料理好きは、確実に『世界の料理ショー』のグラハム・カーから影響を受けています。

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2012/04/25

パラノーマル・アクティビティ

監督:オーレン・ペリ
出演:ケイティ・フェザーストン/ミカ・スロート/マーク・フレドリクス/アンバー・アームストロング/アシュリー・パーマー

30点満点中15点=監4/話1/出3/芸3/技4

【彼女の周りに蠢くもの】
 サンディエゴ。英語教師を目指すケイティとデイトレーダーのミカは、一軒家で同棲中のカップルだ。だがケイティは8歳の頃からたびたび、夜ごと聴こえる奇妙な物音や囁き声に悩まされ続けていた。その怪奇現象が頻繁に起こるようになり、ミカはふたりの寝室にビデオカメラを設置、出来事を記録して原因を突き止めようとする。床が軋む音、風もないのに閉まるドア、夢遊病のように歩くケイティ……。霊の仕業か? 悪魔がいるのか?
(2007年 アメリカ)

★ややネタバレを含みます★

【話題先行、アメリカの中学生向け】
 まずは1万5000ドルで撮っちゃったという点に敬意を表する。
 当然ながら手の込んだことはできないのだけれど、めくれ上がるシーツとか引っ張り回される怪奇現象に「ピアノ線やん」といった安っぽさはなく、上手に処理してある。「ちゃんと撮(録)れていない。それゆえの不思議と恐怖」というのも、超高級ではない機材を使っていることを逆手にとった優れた手法だろう。

 霊が家ではなく人(ケイティ)についているので逃げられないというアイディアは1つの発明だと思うし、最初の30分は小さな物音だけ、次の30分は明らかな変化、最後の30分はポルターガイストがエスカレート、という構成も妥当。クレジットを省いて真実味を創出した思い切りのよさも称えたい。

 が、お話として、あるいは映画として面白いかといえば、NO
 結局のところこのカップル、効果的なことはほとんど何もせず、上映時間の大半はグダグダと「どうしよっか」「何なんだよ」と悩んでいるだけ。ビデオに記録してどうしたいのかも曖昧だし、「ミカ、お前には頼りになる友だちはおらんのかい」ともいいたくなる。
 ショッカー表現に真新しさはなく、そもそも怖いと思わせる場面も少なくて、「素人が撮ったグダグダ」を見せられる映画とすらいえる。

 それに、西海岸のありがちな家のありがちなバカップルに降りかかる怪異現象という設定は「自分にも起こったらどうしよう」という恐怖をアメリカ人には喚起するものだと思うが、だったら日本人には響かない。あくまでもアメリカ人、しかも、この手のモノにきゃっきゃきゃっきゃと喜ぶ中学生向け。実際、Teen Choice Awardのスリラー部門を受賞しているわけだし。
 ちなみに同賞の受賞作を遡ると『13日の金曜日』『アイ・アム・レジェンド』『ディスタービア』と、リメイクやアレンジものがズラリ。こういうのって前にもあったよね、と知っている人にはさほど高く評価されないけれど、「いままであんまり映画を観たことのない人」にとってはそこそこ面白い、ということなのだろう。

 ま、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』とか『クローバーフィールド』とか、何年かに1回はフェイク・ドキュメンタリーが話題となる波の中で、そのあたりを観ていない層に上手くハマった話題先行の作品、といったところである。

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2012/04/22

きみがぼくを見つけた日

監督:ロベルト・シュヴェンケ
出演:エリック・バナ/レイチェル・マクアダムス/アーリス・ハワード/ミシェル・ノルデン/ロン・リヴィングストン/ジェーン・マクリーン/スティーヴン・トボロウスキー/マギー・キャッスル/フィリップ・クレイグ/フィオナ・リード/ブルックリン・プルー/ヘイリー・マッキャン/テイタム・マッキャン/アレックス・フェリス

30点満点中20点=監4/話4/出4/芸4/技4

【タイムトラベラーの妻】
 母を事故で失った6歳の頃から、人にいえぬ“事情”を抱えて生きるようになったヘンリー。彼は、予期せぬ場所、予期せぬタイミングで、ある日のどこかへ飛んでしまうタイムトラベラーになってしまったのだ。成長したヘンリーはアーチストのクレアと知り合う。少女時代から何度も、時を越えてやって来るヘンリーと会っていたという彼女。やがてヘンリーとクレアは結婚するのだが、ヘンリーの特殊な事情が夫婦生活に影を落とすのだった。
(2009年 アメリカ)

★ややネタバレを含みます★

【タイムトラベル・ラブの秀作】
 時間を超えて恋人を見守るという状況は星野之宣の『遠い呼び声』を思わせるし、特殊な事情ゆえの悲恋はバンパイア映画と共通する要素。そういう意味では真のエポックとはいえまい。

 だが、時間跳躍能力を“体質”と位置づけ、思いも寄らない時空へいきなりジャンプ、服は時間旅行できないので素っ裸とか、飛ぶ際に予感があるとか、もはやヘンリーは自分の事情に慣れている(対処法を確立している)とか、正常時間軸のヘンリーと跳んできたヘンリーが入れ替わったりとか、設定の細かな部分にまで気を払ってある
 また「なぜ跳ぶのか?」については遺伝に因を求めながらも「そういうもの」と割り切って適度に端折り、けれど物語の行く末を左右する重要なキーとしても機能させる。

 つまり、設定をただの設定に押し止めるのではなく「だから、こういうことが起こる」とストーリー/展開を無理なく広げる手際がいいのだ。
 ヘンリーとクレアが抱く「失いたくないものは、手に入れることを望まないと決めていた」とか「あなたの子どもが欲しい」といった想いや、いまの自分のライバルは未来の自分(または過去の自分)という皮肉は、特殊な事情を抜きにしても愛する者どうしに渦巻く感情。そういう要素もしっかりと盛り込んで、オトナのラブ・ストーリーへと昇華させている。

 全体に、タイムトラベルものとしての新しさと手堅さ、恋愛モノとしての切なさを上手くミックスしてまとめてあるといえるだろう。
 オードリー・ニッフェネガー著の原作小説が持つパワーだけでなく、脚色の力もかなり大きかったはず。「ラブ・ストーリーに必要なのは愛じゃなくて哀」ということがわかっているからこそ、こんな風に上手くまとめられるのだと思う。

 描きかたも上々で、まずはショッキングなオープニングでグっと観る者の心をツカむことに成功。その後も1シーン/1カットずつを丁寧に、カメラを大仰に動かすことでドラマチックに撮っていく。とりわけ、6歳のクレアと現代のクレアの走る姿をリフレインさせた場面がお気に入りだ。

 オイリーながらアンダーな画質、しっとり沈むようなサウンドトラックは悲劇を予感させるし、生活感のある美術と衣装も「実在としての彼と彼女の遠さ」という雰囲気を加速させる。
 それらパーツの組み立て/アレンジにも優れていて、『フライトプラン』の評判がイマイチだったロベルト・シュヴェンケの力量は意外と高そう。監督としてスピルバーグやガス・ヴァン・サント、デヴィッド・フィンチャーなども候補に挙がったそうだが、本作の「底辺に暗さと哀しさが流れながらも、決定的にやるせなくはならない」空気感を、この3人に出せたかどうかは疑問だ(まぁスピルバーグかフィンチャーなら、また別の魅力を創出できただろうが)。

 キャストも、当初はブラピ(本作では製作総指揮)とジェニファー・アニストンとか、エイドリアン・ブロディやエヴァ・グリーンの名前も挙がったらしいが、この出来上がりこそが正解だろう。
 エリック・バナは依然としてエリック・バナだけれど、適度な木偶の坊さ加減が「運命に翻弄される男」という役割にピタリとハマっている。
 レイチェル・マクアダムスの可愛らしさは、いうまでもなし。ヘンリーとの“正常時間での初対面”における輝く笑顔、ちょっとした嫉妬、苦悩、寂しさ、決意や喜びなど、あらゆる感情を画面いっぱいに撒き散らして、実に魅力的だ。少女時代のクレアを演じたブルックリン・プルーちゃん(『ブロークバック・マウンテン』『ジェシー・ジェームズの暗殺』)も、さすがに上手い。

 ケチをつけるとしたら、夫婦生活+時間の行き来の中で見られるヘンリーとクレアの成長・変化が、あまり有機的でも鮮やかでもない点。初対面のシーンで大人のヘンリーと少女クレアの大きさの違いを印象づけたのはよかったが、それ以後も「おたがい相手のおかげで成長・変化していった」という雰囲気が欲しかったところ。若い頃と中年期のヘンリーの見た目の違いも、もう少しあってよかっただろう。

 が、それらは些細な注文。「フツーに考えたら、ヘンリーは施設に収容されているか指名手配されているだろ」というのも野暮なツッコミだ。
 タイムトラベルものやラブロマンスとしてだけでなく「のこされた者のための映画」という温かさもあって、なかなかの秀作である。
 あと原題『The Time Traveler's Wife』に、この邦題をアテた人に対しても花丸を差し上げたい。

●主なスタッフ
 脚色は『ゴースト/ニューヨークの幻』のブルース・ジョエル・ルービンで、撮影は『プラダを着た悪魔』のフロリアン・バルハウス、編集は『パッセンジャーズ』のトム・ノーブル。
 美術は『リバー・ランズ・スルー・イット』『ホリデイ』のジョン・ハットマン、衣装は『ボビー』のジュリー・ワイス。音楽は『リトル・ミス・サンシャイン』などのマイケル・ダナ、音楽スーパーバイザーは『マグノリア』のボブ・ボーウェン、サウンドエディターは『アイランド』のデイヴ・マクモイラー。
 SFXは『トロン:レガシー』のアレックス・バーデット、VFXは『オペラ座の怪人』のデイヴィッド・ジョーンズ、スタントは『SUPER 8』のジョン・ストーンハムJr.。

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