2017/06/28

ラ・ラ・ランド

監督:デイミアン・チャゼル
出演:ライアン・ゴズリング/エマ・ストーン/キャリー・ヘルナンデス/ジェシカ・ロース/ソノヤ・ミズノ/ローズマリー・デウィット/ジョン・レジェンド/フィン・ウィットロック/J・K・シモンズ

30点満点中18点=監4/話2/出4/芸4/技4

【あらすじ……それでも彼と彼女は夢を追う】
 ロサンゼルス。ウエイトレスとして働きながら女優への夢を追うミア。バーでのピアノ演奏で生計を立てながら、いつかは自分の店を持ち大好きなジャズに身を浸して暮らしたいと願うセブ。だがミアはオーディションを受け続けるも芽が出ず、セブは自分勝手な行動から職を失ってしまう。過酷な現実と対峙しながらも前向きさを保つ彼と彼女。ふたりは偶然の出会いから恋に落ち、未来へ向けての歩みを支え合うことになるのだが……。
(2016年 アメリカ/香港)

【内容について……よく出来ているが】
 キレイに作られているけれど、感情移入できるかといえば、そうでもないわけで。なぜかと考えると、たぶん主演のふたりが美形だから。あと、現実世界の厳しさよりロマンチックさが勝ってしまっているから。
 要するに、キレイにデキすぎている、からかなぁ。

 夢を諦めてしまった人、あるいは夢の途中にいる人が彼と彼女に成功を託す楽しみかたもあるのだろう。実際、映画ってそういうものだとも思う。 けれど、本来、夢に人生を賭けるのってツライこと。たとえばミアは、華やかな服を持っていて全体に小奇麗、売り込みのためにパーティにも積極的に参加。そんなふうに自分自身を一定のレベルに置いておくためには、削らなきゃならないものも多かったはずだ。セブにしたって望まぬ活動に勤しむことへの自己矛盾がもっともっとあっただろう。そのあたりを意識的にスルーしているように思える。

 スルーしたというか、そういったディテールよりも「主役ふたりに対して観客が抱くイメージ」に頼った、あるいは「描かなかった部分は誰もが当然想像できるものとして扱っている」という感じか。

 それと、どこかに「最終的には『何かと引き換えにした夢の実現』へと収束するのだろう」という空気が漂っていて、実際その通りとなるわけで。

 うん、やっぱりキレイにデキすぎているんだよなぁ。もちろん、そうしたベクトルで作られた“ボーイ。ミーツ・ガールのミュージカル・コメディ”であるのだから、このウェルメイド感や“軽さ”は正解なのだとも思う。これはもう好みの問題。

 目指したベクトルの範囲ではよく出来ているのは確か。ラストのフラッシュバックによって「ラブストーリーで重要なのは“切なさ”」という大命題もクリアしてくれたし。

【作りについて……撮影への不満と役者の確かさ】
 オープニングのフリーウェイの場面をはじめとして、全体に派手で明るくて丁寧に撮られている。終盤の、いかにも“セット然”とした場面もミュージカル黄金期へのオマージュとして微笑ましいし(美術は『キル・ビル』などのデヴィッド・ワスコ)、衣装(『インターステラー』などのメアリー・ゾフレス)も華やかだ。

 ただ、画面・場面の鮮度には不満。スミがかっていてパぁっと突き抜けないというか、ゴチャゴチャしているというか。監督がこだわったらしい夕暮れのマジックタイムも、もっと鮮やかに撮れたんじゃないかと思う。オスカー受賞だけれど(撮影は『アメリカン・ハッスル』などのリヌス・サンドグレン)。

 主演ふたりは文句なし。特にエマ・ストーンは、ミアという役を演じることが嬉しくて楽しくて仕方ないといった風で、こちらはオスカーにも納得。

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2017/06/24

愚行録

監督:石川慶
出演:妻夫木聡/満島ひかり/小出恵介/臼田あさ美/市川由衣/松本若菜/中村倫也/眞島秀和/濱田マリ/平田満

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4

【あらすじ……事件の裏側、人の裏側】
 若きエリート会社員・田向とその妻、そして幼い娘が自宅で惨殺されてから1年。もう人々の話題にものぼらなくなったたこの未解決事件を、雑誌記者の田中武志だけが追っていた。なぜ彼らは殺されなければならなかったのか? 犠牲者の同僚や元同級生らへの取材で次第に明らかとなる、田向一家の“本当の顔”。また武志は、ネグレクトの疑いで逮捕された妹・光子という問題を抱えており、弁護士とともに奔走するのだが……。
(2016年 日本)

【内容について……誰も彼も必死なのかも知れない】
 まぁ確かに誰も彼もが愚かなおこないに終始する(オープニングのバス車中で見せた武志の行動から、もう素晴らしく下劣)わけだけれど。

 でもどっちかというと「みんな、ただ必死なだけじゃん」と感じる。自分のなすべきこと、やりたいことに対しては100のパワーを割くけれど、それ以外のものはいっさい切り捨てる。その人生スタンスは、考えようによっては憧れの対象にもなりうるんじゃないか。
 のんべんだらりと日々を過ごす身からすると、実は、田向や武志のメンタリティはちょっと羨ましかったりする。

 ただし度を超すと、あるいは不器用だと、その生き様はすぐさま非人間的な“愚行”となるわけで。

 現実社会を振り返っても、成功者とされる人の多くが、この種の愚行=ゴールへ向けて他人などお構いなしに突き進む生きかた、に身を委ねているんじゃなかろうか。
 金持ちや地位と名声を手にした人物は、愛されることなく、たびたび妬み・嫉み・やっかみのターゲットとなる。それは、単に負け犬の遠吠えではなく、裏でうごめいているのもただの卑屈さだけではあるまい。ひょっとするとみんな「あんたらどうせ、どこかで“愚行”に走っているんだろ」という洞察を働かせているのかも知れない。

 なんだか映画の本筋から離れた感想になってしまったけれど、ここで描かれているのは、「恨まれる(または道を踏み外す)覚悟がないのなら、平々凡々に生きてろ」ってことのように思える。だってたぶん、100のパワーを正しい方向にだけ注ぐのは、難しいはずだから。
 ああでもできれば、他人の粗探しに100のパワーを割くような人間だけには、なりたくないものである。

【作りについて……画面の雰囲気と芝居が内容に合致】
 監督はポーランド国立映画大学で学んだ人らしく、撮影のピオトル・ニエミイスキも同窓生だとか。色調補正などもポーランドで実施しているとのこと。これがもう明らかに効いている。
 明かりと影のコントラスト、抑えられた色、冷涼な画質は、作品世界の出来事が人の世の温かみとは無縁であることを伝える。

 演技陣も良質。映画の主人公は武志=妻夫木聡ながら、あくまで聞き役に徹していて、“生気を失った表情の裏に潜む炎”にゾクゾクさせられる。その佇まいは最終的に「いやお前、ナニ傍観者を気取ってるんだよ」という思いを観る者に湧き上がらせて、この人はこういう役にピッタリとハマるのだなぁと再認識できる。

 満島ひかりは、本来は前向きな役もできるはずだけれど、ここでは何かに怯えているようで、生きのびたい本能と自己破壊衝動の間で苛まれて、つまりは世紀末の小動物っぽい魅力が炸裂。
 小出恵介、松本若菜、眞島秀和は、本人のイメージが下がりそうで心配な役どころ(実際に私生活で下げちゃった人がいるのは残念だけど)。それをまっとうしたのが偉い。

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2017/06/22

ザ・コンサルタント

監督:ギャヴィン・オコナー
出演:ベン・アフレック/アナ・ケンドリック/J・K・シモンズ/ジョン・バーンサル/ジェフリー・タンバー/シンシア・アダイ=ロビンソン/ジーン・スマート/ジョン・リスゴー/セス・リー/ジェイク・プレスリー

30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4

【あらすじ……凄腕の仕事人が暴き出すもの】
 田舎町で小さな会計事務所を営むクリスチャンは、アスペルガー症候群という問題を抱えながらも計算能力の高さでクライアントからの信頼を得ていた。ある企業の財務調査を請け負った彼は会社の不正を発見するも、依頼は一方的に打ち切られ、経理担当のデイナとクリスチャンは命を狙われることになる。が、窮地を軽々と乗り越えるクリスチャン。実は彼は、裏世界と通じる凄腕スナイパーという、隠された顔を持っていたのだ。
(2016年 アメリカ)

【内容について……ストレート】
 このアイディアと設定で考えられる範囲内の展開。弾けずに収まりすぎている感じだ。
 途中で「クリスチャンと弟がどこかで入れ替わっている=いま見ているこのクリスチャンは実は弟」なんて深読みもしたんだけれど、そんなヒネリ手もなく(まぁラストで明かされる事実がヒネリといえばヒネリなのか)、悪そうな奴は悪いし、困ってる人は本当に困っているなど、かなりストレートに進む。

 まぁ、それなりに面白いのは確かなので、フツーのアクション映画として楽しむぶんにはOKか。

【作りについて……手堅くて地味】
 監督は『プライド&グローリー』の人。そっちの感想を読み返すと「真面目に、ピンと張り詰めた空気を維持させながら、しっかりと作ってあるけれど地味」となっていて、本作もまた然り。アクションや銃撃なんか、手堅くてスピード感もあるけれど新味ナシだし。
 いわゆる職人さんなのかな。そういう意味では、しっかり仕事をしましたね、という仕上がりだ。

 ベン・アフレックはヨガ賞(スペイン版ラジー賞)のワースト・アクターを受賞。そこまで酷くはないけれど、取ってつけた感というか、そんなに深く考えずにこの役やっているだろ、という雰囲気はある。

 それ以外は……と思い出そうとしても、なんか、あんまり書くことを思いつかない娯楽作だな。

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2017/06/20

この世界の片隅に

監督:片渕須直
声の出演:のん/細谷佳正/小野大輔/尾身美詞/稲葉菜月/潘めぐみ/牛山茂/新谷真弓/岩井七世/小山剛志/津田真澄/大森夏向/京田尚子/目黒未奈/世弥きくよ/栩野幸知/三宅健太/澁谷天外

30点満点中19点=監4/話4/出4/芸4/技3

【あらすじ……戦火の中、ひとりの娘の生】
 昭和19年、戦時下の広島。不器用ながらも朗らかで絵の得意な浦野すずは、呉に住む北條周作のもとへと嫁ぐ。優しい舅や足の不自由な姑、出戻ってきた周作の姉径子とその幼い娘晴美、そして近隣の人々らと、明るくたくましく日々を過ごす、すず。だが戦況は苛烈さを増し、軍港のある呉では空襲も増えていく。やがてかけがえのないものを次々と失ったすずは、それでも自分を保ちながら強く生きていくのだが……。
(2016年 日本 アニメ)

【内容について……戦争の中で“生きる”ということ】
 序盤は、すずというひとりの女性を通じて、ノスタルジーの中にリアルも絡めながら当時の日本(広島)を描き、大切な人や時間を奪う戦争の悲劇性と愚かしさを浮かび上がらせていく。いってしまえば“よくある戦争映画”という認識で観ていた(実際そういう意味合いも持つ作品だとは思う)。

 だが中盤、すずが体内にほとばしる情念をむき出しにするシーン、あるいは終盤の叫びに、腰を抜かしそうになる。それまでが比較的淡々とした語り口だったぶん、驚愕は大きい。と同時に、自分は“突然の感情爆発”が大好きだということを再認識する。

 戦争が、その“暴力性”によって人間からさまざまなものを奪うことは確かだ。けれどそれ以前に、「悦びや希望を諦め、本来の自分は心の中の深いところに押しとどめて抹殺しなければならない」という絶望的な価値観を強いる“脅迫性”のほうが、人に与える影響は大きいのではないか。

 いや、過去にもこの“脅迫性”を「戦争は嫌いだが、憲兵や隣組に睨まれないよう自分の意見を押し殺す」といったベクトルで描いた作品は多かったろう。だが本作には「戦争の中では、自分自身を、自分に対して偽らなければならない」という捉えかたが見える。
 こんな世の中で、自分の望まぬスタイルの生をまっとうしようと思えば、他人の視線や評判を意識したり時代の風潮を慮ったりするよりもまず「自分を欺く」ことが必要なのだ。そうしないと生きていけないのが戦争なのだ。
 じゃあ、なぜそこまでしなければならないかといえば、人は、とにかく生きていくほかないから。

 生きるために、みずから曲げざるをえない。戦争が持つそんな恐るべき機能に着目し、映画としてまとめあげたことに腰を抜かす。
 ありきたりな作劇で、戦争の悲劇性、愚かしさ、暴力性を伝えることを意図した映画ではなかったからこそ、ここまで広く大きく支持されたのだと思う次第である。

【作りについて……ディテールとミスディレクション狙いと歌】
 原作者・こうの史代の創るヴィジュアル世界をそのまま再現するかのように画面は水彩画チック。ただし、その牧歌的な雰囲気の中には圧倒的なディテールが詰め込まれていることがわかる。

 2次元的・イラスト的・紙芝居的なレイアウトは、ある意味では人の多面性を無視しているわけだけれど、それはまさに「作中のすずの姿や言動は、あくまで僕らに見えている彼女の一面にすぎない」という、本作のテーマを具現化した作り。
 このあたりは同監督作『マイマイ新子と千年の魔法』に込められた「人のすべてを理解できるわけではない。わずかに見える部分を頼りにその人の内側までを判断するしかない」というメッセージとも共通する部分だ。

 となると、どちらかといえば天然キャラのイメージを持ち、けれど内部には熱さを秘める(はずの)、のんのキャスティングにも、ひょっとすると、ある種の狙いがあるのではないか。こんな“のほほん”の中にも、熱いものがうごめいているのだという驚嘆を、画面の内でも外でも観客に与えるための、そんな起用。
 もちろん、役と一体化した彼女の芝居は、こんな妙な裏読みなんか関係ない部分で、映画そのもののを素晴らしいものにしてくれてもいる。

 コトリンゴによる歌の数々=「悲しくてやりきれない」「みぎてのうた」「たんぽぽ」は、どれも耳に残り、心に染みる。シンプルなアレンジは、それだけダイレクトに僕らに迫り、映画の中のパーソナルな出来事を人間社会普遍のものへと昇華させるだけのパワーを持っている。

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2017/06/19

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

監督:ギャレス・エドワーズ
出演:フェリシティ・ジョーンズ/ディエゴ・ルナ/アラン・テュディック/ベン・メンデルソーン/ドニー・イェン/ウェン・ジャン/リズ・アーメッド/ヴァリーン・ケイン/アリステア・ペトリ/ジミー・スミス/ジュネヴィーヴ・オライリー/ダンカン・パウ/ベン・ダニエルズ/ポール・ケイシー/イアン・マッケルヒニー/ファレス・ファレス/ジョナサン・アリス/ドリュー・ヘンリー/アンガス・マッキネス/アンガス・ライト/ガイ・ヘンリー/イングヴィルド・デイラ/ボー・ギャズドン/ドリー・ギャズドン/ワーウィック・デイヴィス/マッツ・ミケルセン/フォレスト・ウィテカー/アンソニー・ダニエルズ/ジェームズ・アール・ジョーンズ

30点満点中18点=監4/話3/出3/芸4/技4

【あらすじ……その重要機密を奪い出せ!】
 帝国の超破壊兵器デス・スターの完成が近づき、反乱同盟は危機に曝されていた。そこへデス・スター建設への協力を強いられているゲイリン・アーソから「中心部に仕掛けた罠を突けば一撃で沈められる」とのメッセージが届く。ゲイリンの娘ジン、反乱軍のキャシアン、ドロイドのK-2SO、脱走パイロットのボーディ、チアルートやベイズらチーム“ローグ・ワン”は設計図入手の決死行に挑む! エピソードIVへと続くストーリー。
(2016年 アメリカ)

【内容について……“つなぎ”以上の濃密さ】
 こういう展開&ラストもありうる位置づけの作品だということを、うっかり失念していた。
 6部作は、フォースの暗黒面に取り込まれたアナキンを中心とするスカイウォーカー家の“業”をメインテーマとしながら、西部劇に剣戟にラブロマンスとあらゆるエンターテインメント要素を詰め込んでスペースオペラとしても成立させていた。
 ところが本作は、ひたすら戦場を、銀河を二分する戦争に巻き込まれた者たちの悲劇を描く。つまり戦争映画なのだ。それが、少しばかりショック。ファンタジックなニオイを漂わせていた6部作と、かなり雰囲気が異なるんだもの。
 もちろんそれは、歓迎すべき革新性だとも思う。

 まったくの“別物”というわけではない。ダース・ベイダーがいる、C-3POがいる。スター・デストロイヤーが飛び、Uウイングが宙を舞う。ところどころに滲み出るユーモア、ある種の都合の良さ、端折りすぎと紙一重のスピード感、お約束の「嫌な予感がする」……。このシリーズならではの楽しさがあふれている。
 黒沢明や永井豪など日本的ファクターのアレンジも当シリーズの特徴。今回は勝新太郎の遺伝子まで取り込んだことに驚かされる。

 そんな“らしさ”に加え、前述の通り帝国vs反乱同盟の戦いの中で多くの戦士が命を落としていった事実を描いたことを合わせれば、まさしく「スター・ウォーズ・ストーリー」を名乗るにふさわしい作品である。

【作りについて……アクション映画としての完成度を目指したか】
 各キャラクターの躍動や表情の面白さ&楽しさをしっかりと追っていて、一般的な(そして上質な)アクション映画/戦争映画でよく観られる作風に思える。カメラと人物の距離感も、やや近めだ。
 そういう意味では「大きな舞台を作って、そこに潜り込む」というイメージだった6部作とは異なる印象。今作で描かれている事件の内容などを考えれば、うむ、これで正解だし、素直に「よく出来ているな」と感じる。

 既存楽曲の変奏を多用したサントラは『スター・ウォーズ』らしさの創出=「ただの一篇のアクション映画ではない」という重厚さを生み出し、もちろん本作そのもののスケールや緊迫感の増強にも貢献。大地の崩壊シーンなどVFXの仕事も見事だ。

 フェリシティ・ジョーンズのジン・アーソは、なかなかのハマリ具合。それほど深いところまで掘り下げられることはないのだけれど、それがかえって「宇宙史の1コマ」という哀しい軽さにつながっている。ハネっかえりの若造だったディエゴ・ルナも、上手くイメージを変えてきた。
 チアルートのドニー・イェンが出色だ。アクションはドニー自身の考案で構成・撮影されたんだとか。そのエネルギッシュかつシャープかつ説得力に富む動きと、スピンオフが作られてもいいほどのキャラクターの濃さは賞賛ものだ。
 K-2SOも本作を語るのに欠かせない魅力的な存在。どことなく『アイアン・ジャイアント』を思わせるフォルムと、「ユーモアを介するつもりでいるAI」のストレートな表現が楽しい。

 あと、鑑賞メモに「字幕 林完治」とあるんだけれど、観てから時間が経ったので、いいと思ったのか疑問に感じたのか忘れた。たぶん「6部作を踏まえたうえでの翻訳だなぁ」と感心したのだと思うけれど。

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2016/12/22

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

監督:デヴィッド・イェーツ
出演:エディ・レッドメイン/キャサリン・ウォーターストン/ダン・フォグラー/アリソン・スドル/エズラ・ミラー/サマンサ・モートン/カーメン・イジョゴ/ローナン・ラフテリー/ジョシュ・コーデリー/ゾーイ・クラヴィッツ/ダン・ヘダヤ/フェイス・ウッド=ブラグローヴ/ジェン・マーレイ/ロン・パールマン/ジョン・ヴォイト/コリン・ファレル/ジョニー・デップ

30点満点中17点=監3/話3/出3/芸4/技4

【あらすじ……魔法動物学者が遭遇するNY大騒動】
 1926年。闇の魔法使いグリンデバルドが跋扈し、人間界との関係も険悪となって魔法界が危機に曝されていた時代。アメリカへとやって来た魔法動物学者ニュート・スキャマンダーは、トランクに入っていた魔法生物たちをうっかり逃がしてしまう。折しもNYでは怪現象が多発中。アメリカ合衆国魔法議会(MACUSA)のティナやグレイブス、人間のコワルスキーらを巻き込んだ“危険な力=オブスキュラス”を巡る大騒動が始まる。
(2016年 イギリス/アメリカ)

【内容について……あくまでもスピンオフ】
 『死の秘宝』から、もう5年も経つのか。あらためて『ハリポタ』オリジナル・シリーズは偉大だったのだなぁと思う。
 スネイプがいない、ダンブルドアがいない、ヴォルデモートがいない。深く哀しい業を背負った“おじさま”たちの不在が、こうも物語を軽くしてしまうのかと驚く。そう、軽いのだ。

 過酷な運命、絆、希望と死闘を描いていたオリジナル・シリーズに対し、本作は(いまのところ)ドタバタ・アドベンチャー。あくまでスピンオフ以外の何物でもない、という印象を抱かせる。
 いや、スピンオフという範囲内では十分に面白い。テンポはいいし笑えるし切なさもあるし動物たちは可愛いし。

 ただ、やっぱり各キャラクターの深みの欠如とか、「思わぬ大騒動に巻き込まれちゃって、さぁ大変」に(少なくとも現時点では)とどまっているストーリー展開とか、そうした“浅さ・軽さ”はいかんともしがたいわけで。

 ま、そもそも「魔法界最大の事件を、7年の歳月をかけて描いたオリジナル・シリーズ」の重厚さと比較するのが間違っているのかも。ひとまず新シリーズの開幕編として大目に見るべきか。
 グリンデバルドの今後の動向(ダンブルドアの登場もある?)、2つのカップルの未来、恐らくは大きな役割を果たす(当シリーズにおける深みや哀しさを担う)であろうクリーデンスやオブスキュラス……などに期待しつつ、続編を待つことにしよう。

【作りについて……世界の広がりと立体感は見事】
 オープニングで例のテーマが流れた途端、ググっと『ハリポタ』の世界へ引き戻されるような感覚に襲われる。が、それも一瞬のこと。
 舞台が近代的なNY(つまりマグル/ノー・マジの世界)なものだから、それはそれはもう“別モノ感”で一杯。登場人物が初顔ばかりなのはいいとして、オリジナル・シリーズの中心にいた「拙い呪文しか使えない子ども」がおらず、みんな魔法スキルが高いってのも、ちょっと違和感。

 けれど、その“別モノ感”を許容してしまえば、楽しい画面が広がる。
 1920年代のNYの再現が見事。実写・セットとCGがシームレスにつながり、そこをカメラがグルングルンと縦横無尽に動くものだから、世界/舞台の立体感は、なかなかのもの。
 魔法動物のデザインもトランクの中のアートワークも素晴らしく、全体に美術とVFXのスタッフがよく頑張っているなぁ、という仕上がり。
 音響も、派手でスピーディーで立体的だ。

 主要スタッフがオリジナル・シリーズ終盤と共通しているのに、ここまで“別モノ感”を出せるってのも、考えようによっては凄い。

 役者は、かなり難しかったんじゃないかと思う。丁寧に時間をかけてキャラクターたちが描かれたオリジナル・シリーズとは違って、いきなりポンと作品世界に放り込まれた人物ばかりなのだから。
 なんとか“背景”とか“それまでの生きざま”を漂わせようと、ニュート役のエディ・レッドメインもティナ役のキャサリン・ウォーターストンも、よぉく考えてお芝居していたように思う。
 コワルスキー役ダン・フォグラーの、善人っぽくて、おかしなこともすぐ受け入れてしまう寛容さがナチュラルに滲み出ている感じは、本作におけるある種の救いだとも思う。

●主なスタッフ
監督/デヴィッド・イェーツ
脚本/J・K・ローリング
編集/マーク・デイ
美術/スチュアート・クレイグ
VFX/ティム・バーク
VFX/クリスチャン・マンズ 以上『死の秘宝』
撮影/フィリップ・ルースロ『シャドウ ゲーム』
美術/ジェームズ・ハンビッジ『ダークナイト・ライジング』
衣装/コリーン・アトウッド『スノーホワイト』
ヘアメイク/フェイ・ハモンド『ライフ・オブ・パイ』
音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード『ハンガー・ゲーム』
音響/グレン・フリーマントル『ゼロ・グラビティ』
SFX/デイヴィッド・ワトキンス『ワールド・ウォーZ』
スタント/アミ・ヴァージ『スカイフォール』

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2016/10/07

ソウル・サーファー

監督:ショーン・マクナマラ
出演:アナソフィア・ロブ/ヘレン・ハント/デニス・クエイド/ロレイン・ニコルソン/キャリー・アンダーウッド/ロス・トーマス/クリス・ブロシュ/ケヴィン・ソーボ/マリーナ・バーチ/ジェレミー・サンプター/ブランスコム・リッチモンド/コディ・ゴメス/クレイグ・T・ネルソン

30点満点中17点=監3/話3/出4/芸3/技4

【片腕のサーファー】
 カウアイ島。サーファーである両親のもと、自身もサーフィンの才能を開花させ、優しい兄ふたりや親友アラナらに囲まれて幸せに暮らすベサニー・ハミルトン。だが地区大会が間近に迫ったある日、サメに襲われ左腕を失ってしまう。一命は取り留め、厳しいトレーニングを経て復帰したベサニーだったが、片腕のハンデはいかんともしがたかった。失意の中、津波の被害に遭ったプーケットをボランティアとして訪れた彼女は……。
(2011年 アメリカ)

【ドライにまとめたおかげで奥行き不足】
 実話ベース。スピードは十分、というかリアルタイムに出来事を畳みかけることによって緊迫感を醸し出している。ただし思っていたよりアッサリ風味だ。サメに襲われるところからして、いきなり淡白。
 もちろん腕を失ったことによって直面する困難な状況は描かれるし、フィジカル以上にメンタル面が課題になることも示唆され、そこにはウジウジや落ち込みもあるけれど、それよりも希望、乗り越えるための工夫、可能性を重視してドライに見やすくまとめてあるイメージだ。

 そのぶん、人間関係が浅い。励ましたり協力してくれたりぶつかったりする相手=両親、兄たち、親友、ライバルの扱いがやや記号的で“その人だからこそベサニーに与えられた影響”といった雰囲気が希薄だ。朝ドラの総集編くらい“人”が省略されている。
 引き上げられたサメをわざわざ出したんだから、その事実に対する父親の葛藤のようなものも描くべきだったろう。日々の積み重ねが進化を呼ぶというテーマや、プーケットで出会った「同情したことを恥じないで。それが新しい視点を生む」という価値観も、素敵なものだけにもっと掘り下げてほしかったところだ。

 サメに食われるかも、という恐怖要素があるのでハワイのプロモーションにはできなかったのかも知れないが、せっかくのロケーションやカルチャーをもう少し盛り込んでもよかったはず。
 あと、努力だとか周囲の協力だとかを全面で描きながら、結局は“神の御加護”を持ち出し、天性の才能で難局を乗り切っているわけで、そのあたりもキリスト教的信仰心の薄いアジア人一般ピーポーの心には響かない要因。

 波やボードを生き物のように捉える撮影は素晴らしいものの、肝心のサーフィン技術の凄さが伝わってこないのも難。サーフィンの場面ではベサニー自身がスタントを務めているとのことだが、「これはスゴイ!」といったセリフに頼りきりで、サーフィン素人が見て感じるヴィジュアル的インパクトには欠けている。

 アナソフィア・ロブは、なかなかいい。一時期は「劣化したかな?」と思わせたのだが、一安心。
 監督・脚本はアイドル映画やタレント主体のお気楽TVドラマを作ってきた面々らしいので、そのバックグラウンドが素直に出た作品かも知れない。

●主なスタッフ
撮影/ジョン・R・レオネッティ『デッド・サイレンス』
編集/ジェフ・W・キャナヴァン『ショーシャンクの空に』
音楽/マルコ・ベルトラミ『キャリー』
音楽監修/ジュリア・マイケルズ『しあわせの隠れ場所』
音響/ダニエル・ペイガン『ゴーストライダー』
VFX/ダン・シュミット『シングルマン』
スタント/ブライアン・L・ケウラナ『ファミリー・ツリー』

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2016/09/22

ドラゴン・タトゥーの女

監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ダニエル・クレイグ/ルーニー・マーラ/ステラン・スカルスガルド/スティーヴン・バーコフ/ロビン・ライト/ヨリック・ヴァン・ヴァーヘニンゲン/ゴラン・ヴィシュニック/ドナルド・サンプター/ヨセフィン・アスプルンド/ジョエリー・リチャードソン/ジェラルディン・ジェームズ/ペル・ミルバーリ/モア・ガーペンダル/ジュリアン・サンズ/マーティン・ジャーヴィス/インガ・ラングレー/ユルゲン・クレイン/ウルフ・フリベリ/ベンクト・C.W.カールソン/エヴァ・フリショフソン/マッツ・アンデション/アラン・デイル/ジョエル・キナマン/クリストファー・プラマー

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3

【消えた少女の謎を追って】
 大物政治家の汚職を追求したものの、裁判で敗れたミレニアム誌の記者ミカエル・ブルムクヴィスト。失脚した彼に実業家ヘンリック・ヴァンゲルはある仕事を依頼する。表向きは評伝の執筆、だが本題は「消えた姪ハリエットを探し出す」こと。謎も確執も多いヴァンゲル家の内情やハリエット失踪当日について調査員リスベットとともに捜査するミカエル。彼らは、この一件と当時おこった連続殺人事件に何らかの関係があると考えるのだが……。
(2011年 アメリカ/スウェーデン/ノルウェー)

【意味あるリメイク】
 ニールス・アルデン・オプレヴ監督によるスウェーデン版『ミレニアム』の感想をザっとまとめると、以下の通り。
 調査過程の流れのよさが上質で、セリフや説明を極力省いて楽しませる上手さがある。やや解像度が粗く、空気感があり、人物を半分陰に置く立体的な絵も特徴。全体として丁寧に作られていて、2時間半を興味深く見せるパワーを持つ。

 ハリウッド版の本作も、ほぼ同じ。スウェーデン版のよさを残しつつフィンチャー風味を程よくプラスした、という印象だ。

 オープニング、スタイリッシュなモノトーン映像に「移民の歌」を乗っけるところからもう全開。逆光の中に人物を置いてシルエットで動きや心情を描いてみせたり、電車での移動や座っているミカエルの姿にすらアーティスティックな空気を漂わせたり。
 ノイズがそのままBGMとなり、その不協和音がリスベットの苛立ちを表現するなど、音響も作風を支える。
 一個一個の要素に意志を込めた密度の高さがうかがえる作品だ。

 いっぽう、セリフなしでカットをつないで状況を見せる上手さと、多数の人物とその関係を整理・説明する“わかりやすさへの配慮”、ふたつのメリハリを効かせてまとめる職人的な技も感じる。
 真相そのものは単純、アっと驚くような展開や謎もなく、いくぶん無理めのストーリーで、アクション要素はほとんどなく、ジリジリとした展開。それでいて不思議なスピード感を保っているのは、さすがだ。

 ただ、いかにも小説を映画化しました的なニオイがしすぎるほどだし、あっちかこっちか、どちらか1本観れば十分というレベル。だいたい、このリメイクの話を知って「ダニエル・クレイグとルーニー・マーラのコンビ。う~ん、ビミョー」と感じたくらいだし。

 ところが、本作の魅力の大部分というか、スウェーデン版より明らかにまさっているところはといえば、そのダニエル・クレイグとルーニー・マーラなんじゃないだろうか。
 どちらかといえば強面マッチョなイメージのダニエル・クレイグだが、それだけじゃジェームズ・ボンドなんかできないわけで。インテリジェンスや人としての意志の弱さも含めた“複雑性”をちゃんと演じられる、いい役者さんだなぁと、あらためて実感できるミカエルだ。

 それ以上に輝くのがルーニー・マーラ。脚本レベルでリスベットのキャラクターが少しばかり単純化またはベクトル変更されたのだろう、スウェーデン版に感じた近づきがたさのようなものは薄まっている。
 反面、少女性とでも呼ぶべき懸命さや残酷さ、自分が世間から異常だと見られていることを逆に武器としてしまうしたたかさはアップ。そうした“痛快な女性としてのリスベット”をルーニー・マーラが、まさしく痛快に演じている。

 この主演ふたりの関係性を再構築したのが、本作の意義。たとえばレンタカー店でふたりが別れる場面。描かれなかったけれど、そこまでリスベットはバイクの後ろにミカエルを乗せてきたわけだ。
 そんなふうに、順を追いながら、たがいの仕事ぶりにリスペクトを感じながら、静かに心を通わせ打ち解けてきた、という流れを読み取らせる描写が貫かれている。

 この関係の、この先を知れるのなら、続編を読んでみたいな。そう思わせる点で、このリメイクには大きな意味があるように思う。

●主なスタッフ
撮影/ジェフ・クローネンウェス
編集/カーク・バクスター
編集/アンガス・ウォール
美術/ドナルド・グレアム・バート
音楽/トレント・レズナー
音楽/アッティカス・ロス
衣装/トリッシュ・サマーヴィル
音響/レン・クライス
VFX/エリック・バルバ
以上は『ソーシャル・ネットワーク』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』『ゾディアック』などで仕事をしたフィンチャー組
SFX/ヨハン・ハーネスク
スタント/キンモ・ラヤラ
以上は『ミレニアム』『ぼくのエリ 200歳の少女』の北欧組
脚本/スティーヴン・ザイリアン『マネーボール』
SFX/ロン・ボラノウスキー『コンテイジョン』
SFX/スティーヴ・クレミン『リンカーン』
スタント/ベン・クーク『スノーホワイト』

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2016/09/17

君の名は。

監督:新海誠
声の出演:神木隆之介/上白石萌音/長澤まさみ/市原悦子/成田凌/悠木碧/島崎信長/石川界人/谷花音/てらそままさき/井上和彦/大原さやか/花澤香菜

30点満点中20点=監4/話4/出5/芸4/技3

【あらすじ……入れ替わった彼と彼女】
 東京に暮らす高校生の立花瀧と、飛騨に住む女子高生の宮水三葉は、なぜか不定期的に「目覚めてから眠るまで体が入れ替わる」という不思議な日々を過ごすことになる。周囲に悟られぬよう、入れ替わっている間も瀧あるいは三葉として行動し、相手に宛てて1日の出来事を日記に残すふたり。が、ある時を境に入れ替わりは途絶える。どうしても三葉に逢いたいと考えた瀧は飛騨へと赴くのだが、そこで信じられない事実と直面するのだった。
(2016年 日本 アニメ)

★★★ネタバレを含みます。まず観に行け!★★★

【内容について……君の名前(と、おっぱい)を憶えている】
 女性の皆さんには、ついつい三葉のおっぱいに手を添える(っていうかガッツリ触ってにぎって上下させているか)瀧くんを、どうか責めないでいただきたい。女の子の身体に入ってしまった男は、例外なく間違いなく堪えることなく、ああしますから。ガッツリ触ってにぎって上下させますから。それが性(さが)ですから。

 宇宙と大地が光でつながれ、東京と飛騨の間を、beforeとafterを想いが飛び越える。時空を超えた“結びつき”は、新海映画に共通するテーマだ。さらに本作ではご丁寧に、髪、リボン、組紐によって“結び”を印象づけ、その意味合いはセリフでも説明される。ストーリー的にも真っ向から“結びつき”を描いていて、この監督の集大成的な作品といえる。

 集大成と感じる点が、もうひとつ。
 ラブ・ストーリーの本質は切なさにアリ、というのが当ブログのスタンスだ。本作でも「好きになっていく相手のことを目覚めれば少しずつ忘れてしまう」という設定および中盤で明かされるある事実によって、それは一定以上のレベルでクリアしている。
 けれど、では、エンディングはどうか。
「無償の愛と救済、その代償としての忘却」という無情(または無上)の展開が、ラブ・ストーリーを神の領域へと押し上げる可能性については『WALL・E』の感想で言及した。
 ましてや本作では「かくりよ」から出るためには大切なものを引き換えにしなければならないと告げられている。大切なものとは、自分の分身=かたわれだ。そして瀧と三葉にとってのかたわれとは「彼・彼女」または「彼・彼女として過ごした記憶」に他ならない。
 ならば、それを完全に失ってしまうことこそ本作にふさわしい“結”ではなかったか。

 ただしこの監督の過去作では、どちらかといえば、心の結びつきの不完全さ・不安定さ、喪失、失ったものは取り戻せないという絶対的真実……、つまりはまさしく切なさが前面に描かれていた。
 ところが今回は、「取り戻す」という希望の道、ルールも歴史もわからずやの父親も愛でねじ伏せて心の結びつきが(社会的・個人的な)大勝利を収める方向へと進む。
 過去作の反動なのか反省なのか脱却なのか。あるいはそもそも作り手の中に「心のつながりの結末は、ちょっとしたことでどんなところにでも転がっていく」という価値観があって、これまではたまたまAだったけれど今回はBで、ということなのか(パンフレットによれば、過去作のエンディングが必ずしも作り手の意図通り受け取ってもらえていない、ならば……という思いがあったようだ)。
 いずれにせよともかくも、過去の新海映画があったればこその舵取りであることは間違いないようだ。

 そして、希望へと“結びつく”入口として用意されるのが、名前だ。
 記憶はどうしても(本作のような特殊設定下でなくとも)薄れていく。思い出の品や写真もいずれは焼け、流され、朽ちる。けれど誰しもがひとつずつ与えられた名前という容れ物の中に、記憶や思い出を“つなぎ”止めることはできるかも知れない。
 数々の震災や台風の後で犠牲者の名簿が作られた(本作が3・11の影響を受けていることは確かだろう)。その「リスト」は、第三者からすれば記号の羅列に過ぎない。だが、親しかった者の名を見つけて「その人が確かに生きていたことの記憶・思い出」をなんとか蘇らせたとき、名前を通じて時空を超えた心の“結びつき”が生まれる。

 尋常ならざる「ふたりでひとり」という入れ替わりの時間を過ごし、いったんは大仕事をやり遂げた彼と彼女ならばあるいは、失った“結びつき”を取り戻せるかも知れない。何しろふたりの“結びつき”は3年も前に秘かに作られていた(三葉が投げたリボンを瀧がつかむ場面の鮮やかさ!)のだ。
 入れ替わりは宮水の巫女が1000年にも渡って受け継いできた、いわば神の差配。神のおかげで歴史改変は達成される。けれど挿入歌は宣言する。「運命だとか未来とかって言葉がどれだけ手を伸ばそうとも届かない場所で僕ら恋をする」と。
 そして瀧は“かたわれ(口噛み酒)”を取り込み、疑似的に「自分の中にいる三葉」を作り出す。躊躇なく神に捧げられたものを横取りする暴挙。その愚かさが、ルールを超え摂理を変えるかも知れない。
 たとえ相手の名前を、その中に“つなぎ”止められた記憶を失ったとしても、「名前を追い求める」ことだけは愚直に忘れないでいられるかも知れない。
 そんな希望のこめられた、愛おしき“人の愚かさ”の物語

 だから、責めないでいただきたい。「あいつに悪いよな」と躊躇いつつも胸に手を伸ばす瀧を。終盤、久々に三葉の身体を手に入れて涙ながらにおっぱいをつかむ瀧を。その温もりと柔らかさと罪悪感こそ、三葉に関する記憶そのものであり、彼女と“つながっている”証。バカな行為の中にも“結びつき”を見出してしまう、人の愚かさほど愛おしいものはない。思わず吹き出してしまったけれど、ここ実は泣くところなのである。

【作りについて……ディテール、声の芝居、展開の妙】
 美麗な背景は新海映画の魅力。見覚えのある場所、またはどこかにありそうな風景がクッキリと、でも作品の世界観を壊さない程度の柔らかさで再現される。聖地巡礼に向かう者が続出することに納得のクォリティ。とりわけ三葉in瀧の初回登校時、玄関ドアの先に広がる世界は「田舎暮らしの女の子が初めて生で接する東京の景色」としての説得力に富む。
 加えて今作では半月や陰陽などが各所に散らされ、ふたつでひとつ、かたわれといったテーマが美術面でも印象づけられている。

 背景だけでなく、動画もディテールを重視。髪を結ぶ仕草や声をかけられた際の反応は細かな動きまでナチュラルに描かれ、壁に貼られたメモをはがし取れば隣の紙がかすかに揺れ、ゲンノウで釘を打てば材木はへこむ。巫女の舞も流麗だ。
 三葉のキャラクターデザインが、萌えに寄らず、昭和を思わせる清楚さと現代的な活発さを両立させ、男女の区別なく愛される王道的ヒロインの佇まいを見せる点も素晴らしい(言い方を変えれば好みのタイプ)。

 音にもこだわっていて、小さな息遣いや風に洗われる草のざわめき、虫の声などが丁寧に拾われ、その生々しさが、こちらの世界と作品内との地続き感を上昇させる。RADWIMPSの音楽は、ややもすると歌詞の聴き取り・読み取りに労力を割かれるきらいはあるものの、野田洋次郎のソフトな歌声は画面によく馴染んでいる。

 VCとしての神木くんは作品を経るごとに上手くなっているのが実感できて、ここでは「ちょっと女の子っぽい発声」が実に可愛い。上白石萌音の凛とした、でも不満や戸惑いや楽しさがミックスされたこの年代の“青さ”も瑞々しく表現する声と演技も上質だ。
 長澤まさみと市原悦子はクレジットを見ても「?」となったほどで、つまりは作品とキャラクターに合致した声質と芝居だったということ。谷花音ちゃんも同様で、もうシンプルに上手いと思う。

 内省的なナレーションをベースに進むのは新海作品の常套手段だが、本作は独白だけに頼らず、前述の動画の細やかさ、閉められる引き戸ほかキャッチ的なカットを挿入しながらスピーディに場面をつなぐ編集、時制の組み替えと大胆な構成と手際のいい省略……などによって、ほのぼの系の前半から怒涛の後半までダイナミックに物語を展開させている。
 また昨今ではスマホの存在が、ストーリーやシーンの組み立てに大きな影響を与えること(そしてリアリティを生むこと)もよく理解できる。

 印象深かったのは、観る者の期待をほんの少し外す(上回る)「!」を多数突きつけてきたところだ。ただ縫われるだけではないスカート、いきなりバッサリと切られる髪、例の「泣きながら胸タッチ」、手のひらに書かれた言葉……。「こうだろう」という無意識下の予想を何度も優しく裏切ってくれる。誰の人生も誰かの期待通りではない、という事実は、人の生のおかしみであり、いつくしむべき真理。そんな主張がひっそりあふれている点が、この映画の愛される所以なのだろうと思う。

 それと、リピート鑑賞を強くオススメしたい。二度見れば、オープニングで瀧と三葉が抱いている想いをより深く感じ取れるはず。
 東京の場面では見上げるアングルが、糸守では見下ろすアングルが多用されていて、双方の地のイメージ統一に寄与。ラストの再会も「見上げる瀧、見下ろす三葉」だ。そして階段ですれ違って位置取りは入れ替わる。相手のポジションを自分の中に取り込むことで、ふたりは“かたわれ”を取り戻すのだ。これも二度目の鑑賞で気づいた点である。

 追記として。
 起きたら涙が流れる。ロシュ限界。星野之宣を髣髴とさせるパーツがあって、たぶんインスパイアされているんだろうな、と感じる次第。
 うちのR子は、ラストの舞台=須賀神社の階段の下が出生地らしい。

●主なスタッフ
脚本・編集/新海誠『秒速5センチメートル』
キャラクターデザイン/田中将賀『心が叫びたがってるんだ。』
作画監督/安藤雅司『パプリカ』
美術/丹治匠
美術/馬島亮子
美術/渡邉丞 以上『星を追う子ども』
音楽/RADWIMPS
音響/山田陽『シン・ゴジラ』
音響効果/森川永子
CG/竹内良貴 以上『言の葉の庭』

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2016/08/30

ロック・オブ・エイジズ

監督:アダム・シャンクマン
出演:ジュリアン・ハフ/ディエゴ・ボネータ/ラッセル・ブランド/マリン・アッカーマン/ブライアン・クランストン/ケヴィン・ナッシュ/ジェフ・チェイス/T・J・ミラー/メアリー・J・ブライジ/ポール・ジアマッティ/アレック・ボールドウィン/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/トム・クルーズ

30点満点中17点=監3/話2/出4/芸4/技4

【弾けろロック魂】
 1987年のハリウッド。シンガーを夢見てオクラホマからやって来たシェリーは、運よく知り合ったドリューの紹介で憧れの“バーボンルーム”に職を得る。そのバーボンでは伝説のロックバンド=ステイシー・ジャックス&アーセナルの解散コンサートが近づき、ロックを毛嫌いする市長夫人パトリシアの抗議デモが激化。シェリーとドリューの恋の行方は? 落ちぶれたステイシーは立ち直れるのか? パトリシアの狙いは何なのか?
(2012年 アメリカ)

【直球勝負】
 舞台となる1987年に来日したのは、ビリー・ジョエル、マドンナ、そしてマイケル・ジャクソンといったポップス界の超大物たち。当時、U2やボン・ジョヴィも『ビルボード』誌では“ポップ”に位置づけられていたらしい。ヒップホップも台頭を始めている。
 つまり、ロックの危機と呼べた時代。まぁ本作にちょっぴり漂う“ロックの危機”は、いくぶん誇張されたものだろう。だいたいこの映画自体、ノリが軽いし。

 監督は『ベッドタイム・ストーリー』のアダム・シャンクマンだけれど、『Glee』でもメガホンを取っていて、音楽のアダム・アンダース&ピアー・アストロムも『Glee』で名を売った人たち。そんなわけで本作もスタートからゴールまで一貫してYA向け、挫折と成功を歌う軽ぅい青春ミュージカルだ。

 うん、軽いお話と軽い作りだよなぁ。典型的おのぼり少女がロックスターを目指す若者と出会い、そこに伝説のロッカーが絡んでっていう安さ。ハリウッドの看板から夜景を見下ろしながら恋を語っちゃったりするし。「バーボンルーム」とか「ビーナスクラブ」なんてネーミングもヒネリなし。
 80年代風のダンスをとりたてて工夫せず撮るところも含め、愚直なまでに軽い。

 そこに、なんとかロック魂をプラスしようとする心意気が、この映画の味わい。1小節につき4~8カットくらい使って疾走感を演出し、シーンを夜と室内に絞ることで猥雑さも醸し出す。小便してる最中にもフェティッシュなプレイにも歌を乗っけて、なんともグルービィ。『マグノリア』や『ザナドゥ』をパロってしまうのも反逆のロック魂か。

 役者も、主演ふたりが生真面目にボーイ・ミーツ・ガールをまっとうする周囲で、“その曲を歌い続けている感”たっぷりに熱唱するステイシー役トム・クルーズ、悪ノリに近いところまで突き抜けているキャサリン・ゼタ=ジョーンズ、コミックリリーフの似合うアレック・ボールドウィンといった大御所勢がいい仕事。本作の作りのキモである「ストレートで実直なんだけれど、スパイシーさもプラス」というスタイルを体現するとともに、ニヤニヤを巻き散らかしてくれている。

「ハムスターが死んだとき、あなたの歌に救われた」
「男に品位を求めてもムダ」
 みたいに、音楽の真実、男女間の真理に突っ込んでいくのもロック魂といえなくもないか。

 スッゲーくだらない軽ぅい青春ミュージカルなんだけれど、そのくだらなさにロック魂を注入しようとして熱くなって、でもやっぱり軽いっていう、イケテなさもまたロックかもね、と思わせる作品。

●主なスタッフ
原案/クリス・ダリエンツォ
脚本/ジャスティン・セロー『アイアンマン2』
脚本/アラン・ローブ『ウォール・ストリート』
撮影/ボジャン・バゼリ『魔法使いの弟子』
編集/エマ・E・ヒコックス『パイレーツ・ロック』
美術/ジョン・ハットマン『ツーリスト』
衣装/リタ・ライアック『アポロ13』
音楽監修/マット・サリヴァン『ドリームガールズ』
振付/ミア・マイケルズ
音響/ジョン・A・ラーセン『猿の惑星:創世記』
音響/ミルドレッド・イアトロウ『幸せへのキセキ』

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