2018/06/07

第九軍団のワシ

監督:ケヴィン・マクドナルド
出演:チャニング・テイタム/ジェイミー・ベル/マーク・ストロング/タハール・ラヒム/デニス・オヘア/デイキン・マシューズ/ダグラス・ヘンシャール/ポール・リッター/ピップ・カーター/ネッド・デネヒー/アラダール・ラクロス/ベンス・ゲロ/ドナルド・サザーランド

30点満点中17点=監3/話2/出4/芸4/技4

【名誉を賭けた戦い、自由を懸けた旅】
 西暦120年、フラビウス率いる5000人のローマ兵が、名誉あるワシの紋章とともにブリタニア北方で姿を消した。20年後、百人隊長となったフラビウスの息子マーカスは蛮族を撃退し、家名の回復に成功。さらに、父が消えた事件の真相を知ることと紋章の奪回を望み、ローマに親兄弟を殺された奴隷エスカとともに北方へと向かう。旅の果てに彼らが見たものとは?
(2011年 イギリス/アメリカ/ハンガリー)

【意外と小さなお話を堅実に】
 しっかし、あらためてローマ帝国って巨大だったんだな。「ハドリアヌスの長城」が位置するのは、現代でいうイングランドとスコットランドとの境界線だとか。
 で、その先で消息を絶った5000人ものローマ兵の行方を探す物語。スケールとしてはデカいし、ハイランドのロケーションも壮大。たとえば「イギリス版アポカリプス・ナウ」みたいなキャッチフレーズだって似合いそうだ。

 なんだけれど、印象としては“小ぢんまり”という雰囲気もある。原因は、ローマ人が英語を喋る(北方蛮族はちゃんとスコットランド・ゲール語を話す)ことのほかに、歴史方面へ風呂敷を広げず、マーカスとエスカのプライベートなストーリーに落とし込んであるせいか。いや、それが悪いんじゃなくて、むしろ効いている感じ。

 敵の勢力範囲内へ侵入するローマ人と、敵中にいる唯一の異民族エスカとの信頼関係は、いわば、ねじれたバディ。ピリピリした距離感、偽りの裏切りと共闘、そして対等な関係へ……。それは見慣れた構図と展開だし、エスカの“自由に対する意志”も掘り下げ不足ではあるけれど、「このふたりの関係と行動を見ればいい映画なんだな」と素直に納得できる安定感はある。

 そのマーカスとエスカを演じたチャニング・テイタムとジェイミー・ベルが、別に“上手い”とは思わないが、それぞれの役にピタっとハマる。いや、チャニング・テイタムってローマ人ぽくはないんだけれど、クビの太さとかカンフー仕込みの動きとかがね。

 動きの良さ=アクションのキレも特徴だ。近接にこだわり、スローモーションに頼らずリアルタイム性を重視、編集も小気味いい。そこを音楽やSEで盛り上げる技も上々で、鼻息を意味のあるモノとして拾い上げるなど音響の仕事も立派。おかげで“肉体派”の剣戟として仕上がっている。

 演出的には、前フリのカットをちゃんと、でもさりげなく用意(砦の外周にタールを蒔く、兜の緒を締める)し、それを回収(火をつける、ローマ人としての証)するところが誠実。
 あと、サムズアップおよびサムズダウン(ブーイング)の由来を垣間見られた点も興味深かった。

 そんなこんなで、意外と小さな物語をしっかり手堅くまとめた、というイメージの仕上がり。

●主なスタッフ
脚本/ジェレミー・ブロック『すべては愛のために』
撮影/アンソニー・ドッド・マントル『127時間』
編集/ジャスティン・ライト『消されたヘッドライン』
美術/マイケル・カーリン『ラストキング・オブ・スコットランド』
衣装/マイケル・オコナー『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
ヘアメイク/グラハム・ジョンストン『アンノウン』
音楽/アトリ・オーヴァーソン『デビルクエスト』
音響/グレン・フリーマントル『ゼロ・グラビティ』
SFX/マイク・ケルト『キャプテン・アメリカ』
VFX/ジョン・ロックウッド『ロビン・フッド』
VFX/スティーヴ・ストリート『慰めの報酬』
スタント/ドモンコス・パルダニィ『ペイド・バック』

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2018/06/04

ピープルvsジョージ・ルーカス

監督:アレクサンドレ・O・フィリップ
出演:ゲイリー・カーツ/ニール・ゲイマン/アンソニー・ウェイ/エド・クラマー/デヴィッド・プラウズ/ジョー・ナスバウム/岡崎能士/デイヴィッド・ブリン/サイモン・ペグ/フランシス・フォード・コッポラ

30点満点中16点=監3/話3/出4/芸3/技3

【愛される作品と、憎まれる創造主】
 1977年公開の第1作以来、長年に渡り世界中で愛され続けている『スター・ウォーズ』シリーズ。コスプレで劇場へ駆けつける人たち、数々の模倣やパロディ、薫陶を受けたクリエーター、爆発的に売れる関連商品……。だがファンたちは、シリーズの生みの親=ジョージ・ルーカスに対して秘かに不満を募らせていた。熱狂的ファンのコメントから『スター・ウォーズ』文化を読み解く。
(2010年 アメリカ/イギリス)

【お父さんはどこへ行く】
 ひたすらインタビュー(かなり膨大な数のファンや関係者に訊いていて、カットされた人も多い模様。クレジットを見ると森本晃司にも話を聞いているんじゃないだろうか)とアーカイブ映像だけで突き進む。
 その点ではドキュメンタリー映画として工夫のない仕上がりなのだが、当然ながらディレクションというか「こっちへ持って行きたい」「いいたいのはこういうこと」という意志は感じる。
 要するに親子なんだな、ルーカスとファンって。

 親が与えてくれたものに目を輝かせて「楽しい楽しい」といいながら、ちょっと気に入らないことがあると口をすぼめてスネる子どもたち。たとえば「モノクロ作品のカラー化には反対したくせに、自分のモノには躊躇なく手を加えるのかよ」とか。
 でもさ、そういう理不尽さってお父さんの特権なのだな。

 あと「新3部作は、なんかツマンなくなってるしっ」ってのは的外れ。言いかたを変えれば、ツマンナイと感じて当然。作るほうだって観るほうだって年を取っているわけだし、テクノロジーや社会システムや国際情勢も大きく変化した。作品の仕上がりに占めるルーカスの影響力がどんだけ大きいとしても、制作に関わるスタッフやキャストは世代交代している。
 そのとき作られたものには、そのときの空気が色濃く反映する。だから、旧3部作と新3部作は“別物”になって当たり前なのだ。
 子どもの頃、お父さんに連れて行ってもらった旅行で感じたドキドキワクワクと同じものを、いま感じようと思っても無理でしょ。

 だいたい、作中でも述べられている通り「老人ホームに入っても、ああじゃないこうじゃないって話してる」ような作品に出会えたことじたいが素晴らしいことであるはず(日本でいえばガンダムか?)。
 大きいからこそ、優れているからこそ「作品はどこに属するか」なんて議論も起こる。
 野球やサッカーや競馬といった観戦スポーツと同様の影響力と発信力を持ち、映画というカテゴリーの中にあるはずなのにそこからハミ出すほどの密度を秘め、ひとつの現象として世界を覆う。そういうものと同時代を過ごせる幸福。

 作中で『スター・ウォーズ』は、一般参加型の文化、ルーカスは遊び場を作った、ドラッグのようなもの、殴られても彼のもとへ帰るDV……などと評されているわけだが、なるほど、どれも正しい。
 で、その文化や遊び場が気に入らなければ、暴力が嫌なら、離れればいいだけのこと、という意見も、もっともなものだ。

 つまり文句をいった時点で、というか簡単に抜け出せない場所へ足を踏み入れた時点で子どもの負け、お父さんの勝ち。で、お父さんは寛大だから、ことさら「勝ったぞ」とはいわないし、子どもらも「じゃあお父さんが嫌いか?」っていうと、必ずしもそうではないらしい。
 意外と、そういう関係を微笑ましく見せる映画なのかも知れない。
 ただ本作の公開後、ディズニーがルーカスフィルムを買収、『スター・ウォーズ』関連の権利がルーカスから離れるなど、状況は激変。さすがにお父さんも疲れちゃったのかな。

 ちなみに個人的には、新旧ともちゃんと『スター・ウォーズ』だと感じている。「安全で間の抜けたものになるのは許せない」というファンの気持ちは理解できるけれど、ちゃんと9分の3+9分の3=9分の6になっていると思う。修正だってOK、キャラクター設定の変更もウェルカム。トータルとしての映画の完成度を上げるためだったら、どんどんやりたいことをやればいいのだ。
※ちなみにこれを観たのは最新3部作の公開前

 過去に『スター・ウォーズ』シリーズについて書いた感想を読み返してみると「この映画が存在したというだけで十分と思わせる、そういうパワーが満載」だの「一級のエンターテインメント」だの、果ては「人類の財産」だとか、絶賛じゃん、俺。
 そんなふうに楽しんだもんが、真の勝者じゃないだろうか。

 でも自分の感想、ミディ=クロリアンとジャー・ジャー・ピンクスには触れていないんだよね。案外、自分自身も口をすぼめながら“見て見ぬふり”をしちゃっていたのかも。

エピソードI ファントム・メナス
エピソードII クローンの攻撃
エピソードIII シスの復讐
エピソードIV 新たなる希望
エピソードV 帝国の逆襲
エピソードVI ジェダイの帰還

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2018/05/17

ルビー・スパークス

監督:ジョナサン・デイトン/ヴァレリー・ファリス
出演:ポール・ダノ/ゾーイ・カザン/クリス・メッシーナ/トニ・トラックス/スティーヴ・クーガン/アーシフ・マンドヴィ/デボラ・アン・ウォール/アリア・ショウカット/エリオット・グールド/アネット・ベニング/アントニオ・バンデラス/オスカー(asスコッティ)

30点満点中20点=監4/話4/出4/芸5/技3

【夢で見た彼女が現実に】
 デビュー作が大ヒットを記録し、天才と騒がれた若き作家カルヴィン。だが以後はまったくタイプライターを打てず、恋人とも別れ、犬のスコッティと寂しい日々を過ごしている。セラピストの勧めでようやく彼が書き始めたのは、ある夜の夢で見たひとりの女性についての物語。ところがその女性=ルビー・スパークスが、カルヴィンが創作した通りの姿と性格と背景をともなって本当に現れ、カルヴィンとの恋人生活を始めるのだった。
(2012年 アメリカ)

★ネタバレを含みます★

【何度も傷つかないと、奇跡も現実も守れない、それが人】
 監督は『リトル・ミス・サンシャイン』のコンビで、なるほどと思わせる空気感。脚本はルビーを演じたゾーイ・カザン。『ハッピーサンキューモアプリーズ』からさらに女優としてステップアップしたことを実感でき、また、こういうものを書けることにも驚かされた。

 ああ、でも、ちゃんと感想を書く自信がないな。肌合いというか、観終えて心に残るトロっとしたものの味は『終わりで始まりの4日間』『エターナル・サンシャイン』に近いのだけれど。

 ともかくも、男ってのは愚かなのだ。時おりルビー・スパークスのような破滅型に、こりゃあマズいと思っていながら何もかも委ねたくなってしまうくらいに。
 ルビーの現実世界への登場時の衣装が、かなりヤバイ

 浮かれるカルヴィン。奇跡的な幸福には代償がツキモノ、っていうのがこの世の真理であるはずだが、そういう不安を微塵も描かないのが逆にリアル。こうなるともう、クリエイターとしての創作とその発展などではなく、あくまで男としての欲望・願望・妄想の無責任な具現化、あるいは後先考えず(というより先々に待ち受けている不幸を潜在意識では承知したうえで)流れに身をまかせるマゾヒスティックな恋愛模様だ。

 まぁさすがに、すべてを意のままに操ることを禁忌とする自制心がカルヴィンの中にはある。男って、愚かなりにそういうピュアな生き物でもあるのだ。

 が、ふたりの関係をカルヴィンは上手くコントロールできない。理想はあるし自制しようともするんだれれど、イメージの押しつけへと転化していく。
 兄夫婦と母夫婦、ふたつのカップルが対比として置かれる。彼らに対しカルヴィンは「なんやかんや文句をいいながら、なんだかんだやっていく」という処世術を持たないし「バカを貫徹することが愛」と開き直ることもできない。

 やがて曖昧になる境界線。
 魔法と真実の差はどこにあるのか? 恋と束縛の違いは? 理想と現実とのギャップはなぜ生まれ、それをどう埋めるべきなのか?
 さまざまな“想い”と“実際”の違いの中で、男としての自然な苦悩を募らせていくカルヴィン。加えて彼には、自分の創作物とどう接するかという作家としての苦悩もあるからやっかいだ。

 はじめは疾走するかのごとく、終盤では哀しみを帯びて響く、執筆のテーマ(サントラ)の使いかたが印象的だ。

 でも本来、境界線なんて、彼らのような特殊なカップルでなくとも曖昧なものなのだろう。ひとつひとつの出会いも、恋も、奇跡であると同時に現実でもあるのだ。
 そのことを理解せず、ひとたび“想い”と“実際”との違いに悩み、囚われてしまうと、自分はどうすればいいのか、どこまでが許されるのか、行為の境界線までも見えなくなる。

 迷走と暴走の挙句、すべてをゼロへと戻し、カルヴィンはタイプライターからPCに乗り換える。
 タイプライターは、ひたすら情熱的に作り上げる行為、後戻りできないしミスは許されないし、あるいはミスはミスのまま突き進む、そんな生きざまの象徴だろう。いっぽうPCは、冷静に、思案し、整合性を保ちながら、さかのぼって修復することもある、そんな、新たなカルヴィン像。

 それはクリエイターとして一皮むけたことを示す描写であると同時に、現実世界で生きる決意のあらわれでもある。
 ひとつひとつの出会いも、恋も、奇跡であると同時に現実。そうした“身近な奇跡でできあがった現実”にこそ本当の幸せがある。そこで生きていくのは、奇跡と現実を自分の都合のいいようにゴチャ混ぜにして浮かれることより、よっぽどタイヘンだ。

 カルヴィンの兄ハリーは「男として頼む。この奇跡をムダにするな」という。ここで「奇跡」を「現実」に置き換えてみれば、よくわかる。現実もまたムダにしてはならないのだ。奇跡と現実の集積体である恋は、コントロールしにくく、壊れやすいがゆえに、ムダにしないでおこう、守り抜こうと、努力する必要があるのだ。

 元カノと上手くいかず、ルビーとも失敗してしまったカルヴィンに、みたびチャンスは訪れる。また失敗してしまうかも知れないが、“身近な奇跡でできあがった現実”の大切さを知った彼なら、それなりの覚悟をもってチャレンジするだろう。
 何度も傷つきながら、やっと自分の恋心を制御する術を覚えていく。人は愚かであり、だからこそ愛おしい

●主なスタッフ
撮影/マシュー・リバティーク『カウボーイ&エイリアン』
編集/パメラ・マーティン『ザ・ファイター』
美術/ジュディ・ベッカー『世界にひとつのプレイブック』
衣装/ナンシー・スタイナー『宇宙人ポール』
音楽/ニック・ウラタ『フィリップ、きみを愛してる!』
音響/アーロン・グラスコックス『ザ・タウン』
音響/バイロン・ウィルソン『コンテイジョン』

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2018/04/28

レディ・プレイヤー1

監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:タイ・シェリダン/オリヴィア・クック/ベン・メンデルソーン/レナ・ウェイシー/森崎ウィン/フィリップ・ツァオ/T・J・ミラー/ハナ・ジョン=カーメン/ラルフ・イネソン/スーザン・リンチ/クレア・ヒギンス/ローレンス・スペルマン/サイモン・ペッグ/マーク・ライランス

30点満点中21点=監5/話3/出4/芸5/技4

【あらすじ……この世界を手にするのは誰だ?】
 2045年。仮想現実空間“オアシス”の中では、開発者ハリデーが隠した3つの鍵を探すゲームが白熱。その鍵で扉を開けてイースター・エッグを手に入れればオアシスの所有権を得られるとあって、ライバル企業IOIも多数のプレーヤーを送り込んでいた。スラムで暮らす青年ウェイドも“パーシバル”と名乗ってゲームに参加。第1の鍵を最初に獲得したことで、彼の運命は動き出す。
(2018年 アメリカ)

【内容について……オタ上等+現実こそがリアル】
 始まって10分くらいで「スピルバーグめ、上手いことやりやがったな」と感じた。これ、原作があるとはいえスピルバーグの欲望具現化とストレス解消って部分が大きいんじゃないか。

 たぶんこの人、ふだんからアレもやりたいコレもやりたいって考えてる。実際にアレコレと手を出し、しかも作品を仕上げるスピードがめちゃくちゃ速いんだけれど、それでもまだ時間が足りない、身体が足りない、こっちは諦めるしかないか、あー先を越されちゃった……って地団駄を踏む毎日なのだ。
 そんなとき原作と出会って「あ、そうか。1本にみんな詰め込んじゃえばいいんだ」って気づいたんだな。

 もちろん本作に登場するキャラクター/設定/展開/美術の元ネタは、その大半が原作から来ているはず。映画化にあたっても原作者の意向がかなり反映されているそうだし、散りばめられた“イースター・エッグ”の数々は「美術やVFXのスタッフがオタク・マインドを全開にしてアイディアを出しあって、さぞかし楽しんだんだろうな」と思わせる。

 それら周囲の“熱”を理解して受け入れつつ(スピルバーグ自身もゲーオタらしいし)、『市民ケーン』クロサワへのリスペクトを埋め込んだのが、映画オタとしての本懐。『インセプション』とか『トゥルーマン・ショー』を思わせる描写からは「私もこういうのを作りたかったんだよぉ」っていうスピルバーグの叫びが聞こえてくるようだ。
 可愛いぞ、スピルバーグ。『キングコング』『トランスフォーマー』も撮りたかったんだろ。

 上記各作品、もちろんスピルバーグ監督作、『AKIRA』、あと『アイアン・ジャイアント』『シャイニング』も、ほんと観ていて良かった。例のセリフに目頭が熱くなり、さらにアイツとアイツが戦うなんて日本人としては愉悦至極でございますよ。

 ただ本作がオタク・マインドを刺激するのは、そうした小ネタや借用要素を詰め込んであるからだけじゃない。

 まず、人類がさまざまな問題の解決を諦めてしまい、人々は仮想現実空間へ逃避している、という設定が肝。
 ボクらオタの多くも、心のどこかに痒みというか、「ホントはこんなことしている場合じゃないんだけれどね」という軽い“恥”を抱えながら、趣味や非生産的な活動に没頭している(よね)。本作の世界と登場人物たちは、現代とそこに生きる人々の投影だ。

 ところがVR世界の中でパーシバルやアルテミスは、問題解決のためにガチで奮闘しなければならない事態に直面。やがてそれは現実世界に生きるウェイドやサマンサにも波及する。
 最後には、あっちの世界を救うためにはこっちの世界で頑張らなきゃいけなくて、こっちの世界の窮地を打開するためにはあっちの世界を駆けまわる必要がある、という混沌へと至る。

 その混沌をハイファイブやガンターたちがオタク・マインドを武器として乗り越えていく様子を描く。結局のところ自分の好きなモノを楽しもうとすれば、何かしら突破しなければならない壁に突き当たることはあって、そのとき頼りになるのは、ほかならない「俺はコレが好き」という熱さなのだ。オタ上等!

 ただし本作は「現実こそがリアル」ってことも伝える。すんごく当たり前の説教である。
 けどVR世界やオタ魂を一切否定せず、矮小化もせず、まぁ「ちょっと控えめにね」とは言ってくるものの、仮想現実と現実とをシームレスに結びつけて「どっちも僕らには大切」と打ち出してきたことが素晴らしい。

 そう、オタの楽しみの半分は、没入、没頭、散財、理解されなくったっていいもんという自己憐憫のフリをした自己愛……といった内向きの行為と思考にある。でも残りの半分は、空想&妄想&コレクションの開陳と共有=外向きの行動にあるわけで。
 久しぶりに「この映画のこと、誰かと話したい」って思えたんだけれど、そのためには現実世界でのつながりが不可欠。そして、VR世界(趣味の世界)で見聞きしたことが現実世界のブレイクスルーにつながることもあるだろうし、リアルがあってこそ空想には深みも生まれるってもの。うん、どっちも僕らには大切なのだ。

 Wikipediaのスピルバーグの項に、こんな記述がある。
「映画というのは、1人でノートパソコンで見るより、知らない者同士が映画館に集まって、一緒にチカチカする映像を見るものだ」
 まさしく、そういう楽しみ方をするために作られた、発声可能上映向きの一本。純エンターテインメントの様式で“リアルなオタ道”を訴えてくる作品である。

【作りについて……トータルの仕上がりが良質】
 グダグダグダっとやや堅苦しい説明口調が混じっちゃう(頼っちゃう)のは『ジュラシック・パーク』でも見られた悪いクセ。でも本作は「楽しんでもらうところは徹底して楽しんでもらおう」と、スピーディなアクション場面ではセリフを極力抑えてある。そのメリハリが上等。
 原作者アーネスト・クラインが、相当深いレベルまで映画作りに噛んでいるのも、本作が成功した大きな要因。

 オアシス内の“何でもアリ”を作り出したVFXや美術は確かに凄いけれど、現実世界の「コンテナが縦に積み上げられた街」の描写こそがSF。各種のガジェットも楽しい。80年代ポップスの奔流と立体的な音響で耳も喜ばせてくれる。
 それらを含め、映画としてのトータルの仕上がりが良質なのは主要スタッフに気心の知れたスピルバーグ組&一流どころを揃えたゆえだろう。

 ウェイド役タイ・シェリダンがパッと見冴えないのも、サマンサ役のオリヴィア・クックが地味に可愛いのも、オタ映画としては正しいキャスティング。森崎ウィンはカッコよく、フィリップ・ツァオ君はキュートだ。

●主なスタッフ
脚本/ザック・ペン『X-MEN:ファイナルディシジョン』
編集/マイケル・カーン
撮影/ヤヌス・カミンスキー
音響/リチャード・ハインズ 以上『リンカーン』
衣装/カシャ・ワリッカ=マイモーネ
編集/セーラ・プロシャー 以上『ブリッジ・オブ・スパイ』
美術/アダム・ストックハウゼン『それでも夜は明ける』
音楽/アラン・シルヴェストリ『ザ・ウォーク』
SFX/ニール・コーボルド『ローグ・ワン』
VFX/マシュー・E・バトラー『エンダーのゲーム』
VFX/グレイディ・コファー『エリジウム』
VFX/ロジャー・ガイエット『フォースの覚醒』
スタント/ゲイリー・パウエル『スカイフォール』

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2018/04/16

アベンジャーズ

監督:ジョス・ウェドン
出演:ロバート・ダウニー・Jr/クリス・エヴァンス/マーク・ラファロ/クリス・ヘムズワース/スカーレット・ヨハンソン/ジェレミー・レナー/トム・ヒドルストン/クラーク・グレッグ/コビー・スマルダーズ/グウィネス・パルトロー/ハリー・ディーン・スタントン/パワーズ・ブース/ステラン・スカルスガルド/サミュエル・L・ジャクソン/ポール・ベタニー(声の出演)

30点満点中17点=監3/話3/出4/芸3/技4

【世界を救うべく集められた者たち】
 神の国アスガルドから追放されたロキが地上に姿を現し、正体不明のエネルギー源“テッセラクト”を奪う。悪の軍勢チタウリを地球に呼び寄せ、世界を征服しようというのだ。フューリー長官のもとに集まった特殊能力者たち=アベンジャーズだったが、アイアンマンとキャプテン・アメリカはいがみあい、ソーは自身とロキの遺恨を優先させ、ハルクは暴走。ロキの策略により窮地に追い込まれた結束力のない集団は、世界を救えるのか?
(2012年 アメリカ)

【不満の残るお祭り】
 東映まんが祭ならぬマーベルまんが祭ですな。こちとら『マジンガーZ対デビルマン』とかで免疫のある世代ですから、ちょっとやそっとじゃコーフンも感心もしませんからね。

 そう、お祭りなのだ。なぁんも考えずに楽しめばよろしい。崩れる大地に逃げ惑う人々、空中要塞での激闘にNY街中の大決戦。バトルとパニックとヒーローのカッコよさが、本作のセールスポイントのすべてなのだ。
 科学考証を無視して雰囲気だけで突っ走るところとか、いがみあいが“取ってつけた感”たっぷりだとか、人智を超えた勢力なのにパワーはロキ以下で物理攻撃ばかりに頼っていたりとか、「宇宙の命運を左右する戦いを、バスや銀行に閉じ込められた人を救うっていうミクロなとこに落とし込んでるやん。スケール小さっ」とか、そういう細かなツッコミどころも愛すべきなんである。

 キャプテン・アメリカのダサいユニフォームに対するエクスキューズが用意されている点が面白い。確か『アメイジング・スパイダーマン』にも、こういう配慮が盛り込まれていたはず。アメリカでも「さすがにいまどき、このデザインはないよな」という意識があるんだろう。その気恥ずかしさに言い訳を考えているのが、なんとも微笑ましい。

 ああでもやっぱり、不満かな。個別の作品がそれぞれまぁまぁよく出来ていただけに、メンバーそれぞれの見せ場が相対的に少なくなる今回は物足りない。とっ散らかりすぎないようトニー・スターク=アイアンマンが占めるウエイトを多めにしたことはいいとしても、他のヒーローの要素が弱すぎた感じ。
 キャラクターの描き分けはちゃんとできているんだけれど。

 反面、ブラック・ウィドウの過去とか“自由=やっかいなもの”といったテーマとか「勝手に戦って街を滅茶苦茶にして姿を消す」とヒーローをdisったりとか、思わせぶりに放り込んでおいてそこから掘り下げないファクターが散見されたり。

 もっとシンプルに“力には力を”でまとめればよかったんじゃないか。作品内でも述べられている「力に力で対抗しようとすれば、また新たな強い力を呼ぶ」という皮肉な原理を全編通して貫いて、各自の関係や今回の戦いをまとめたなら、スッキリしっかりとこの映画には芯が生まれたはず。
 キャプテン・アメリカが警官に命令を出すくだりなんか、まさしく「より強い力に従うことの合理性」を見事に描いた傑作場面。こういう部分で楽しさや考えさせる雰囲気を構築していけば、さらに面白くなっただろう。

 また、全体的な見た目のイメージは『アイアンマン』シリーズに近くて新鮮味がないし、物量投入のCGバトルも『トランスフォーマー』には負けている印象だ。

 お祭りとしての華やかさはソコソコあるし、決して退屈させない密度は保っているものの、詰め込むべき要素、まとまり、見せ場のバランス、パワーなど、不満も残る仕上がりである。

●主なスタッフ
脚本/ジョス・ウェドン『トイ・ストーリー』
撮影/シーマス・マクガーヴェイ『路上のソリスト』
編集/ジェフリー・フォード『パブリック・エネミーズ』
編集/リサ・ラセック『プッシング・デイジー』
美術/ジェームズ・チンランド『ファウンテン 永遠につづく愛』
衣装/アレクサンドラ・バーン『マイティ・ソー』
音楽/アラン・シルヴェストリ『特攻野郎Aチーム』
音楽監修/デイヴ・ジョーダン『アイアンマン2』
音響/フランク・E・ユルナー『カウボーイ&エイリアン』
SFX/ダニエル・スディック『G.I.ジョー』
SFX/クリス・ブレンチェウスキー『オブリビオン』
VFX/ジャネク・サーズ『アイ・アム・レジェンド』
VFX/エリック・ナッシュ『リアル・スティール』
VFX/グレッグ・ストラウス『世界侵略:ロサンゼルス決戦』
スタント/R・A・ロンデール『エージェント・マロリー』
格闘/ジョナサン・エイゼビオ『ボーン・レガシー』

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2018/04/13

シェイプ・オブ・ウォーター

監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:サリー・ホーキンス/マイケル・シャノン/リチャード・ジェンキンス/マイケル・スタールバーグ/デヴィッド・ヒューレット/ニック・サーシー/ローレン・リー・スミス/オクタヴィア・スペンサー/ダグ・ジョーンズ

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3

【あらすじ……彼を助け出すために】
 冷戦時代のアメリカ。独り暮らしで聾唖のイライザは、政府の秘密研究所で掃除婦として働いている。そこで出会い、心を通じ合わせた相手はアマゾンから連れてこられた人型の生き物だった。水中に棲む“彼”を研究主任ストリックランドが虐待するのを見かねたイライザは、同僚のゼルダや同じアパートに住むジャイルズらの協力を得て、なんとか“彼”を救い出そうとするのだが……。
(2017年 アメリカ)

【内容について……不寛容な社会に投じられた石】
 言葉を発することができない女性、水棲人間、ゲイ、移民、有色人種など、いわゆる“フツー”ではない人々が苦闘する姿を見せ、「じゃあ“フツー”って何?」「無理解の壁を作るものって、いったい何だろう?」と考えさせる映画。
 自分とは異なるものは排除する。そんな価値観が蔓延しつつある時代の反映として撮られたことは確かだろう。

 自分とは異なる価値観・存在を認めない人たち、さして説得力があるわけではない一般常識に拘泥する人たち、そうした人々が支配する社会。もし、そこで「わかりあえない」と感じたり、あるいは迫害されたり除け者にされたりする場合、解決策が「ここではないどこかで生きる」しかないとしたら、それは哀しいことなんだけれど、そうできるだけであるいはハッピーなのかも知れない。なんて考えさせられたりもする。

 そこにかなりの割合で“性”を絡めた意図を考えるのは、脳の体力も時間もないので、いまはパス。

 考えさせる、とは言っても、エンターテインメントとして仕上げられている。ただ同様の気配を持つダーク・ファンタジーとしては『パンズ・ラビリンス』のほうがずっと自分の好みだなぁ。

【作りについて……キャストたちの仕事ぶり】
 オスカー・ノミネートのサリー・ホーキンスは、なるほど適役で熱演。リチャード・ジェンキンスにも、こういう弾けた人物ができるんだと感心させられる。マイケル・シャノンとオクタヴィア・スペンサーは、いつもながらの安定感。

 ダグ・ジョーンズ(とかアンディ・サーキス)のような存在は、映画作りの歴史の中で当然のように生まれた重要なピースだと思う反面、ある意味では奇跡なんだろうなとも感じる。
 アカデミー賞授賞式で中島春雄氏(ゴジラのスーツ・アクター)が追悼されたことに対して、町山智浩氏がまさに「ダグ・ジョーンズやアンディ・サーキスの先駆けとしてハリウッドにも認められている」的なことを言っていたけれど、つまり、偉大なプロフェッショナルたちが綿々と自分の仕事をまっとうすることによって“中の人”という立ち位置が確立されたわけだ。
 そういう流れを後世に伝える機能を、本作と、水棲人の“彼”は持つ、といえるのかも知れない。

 暗くてシャープで、スケール感はないのに不思議な重さのある撮影、滑らかな語り口を作り出した編集、作品世界へと引き込む美術・衣装・音楽も特徴的。

撮影/ダン・ローストセン『サイレント・ヒル』
編集/シドニー・ウォリンスキー『エクスタント』
美術/ポール・オースタベリー『三銃士』
衣装/ルイス・セケイラ『キャリー』
音楽/アレクサンドル・デスプラ『GODZILLA ゴジラ』

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2018/04/11

だれもがクジラを愛してる。

監督:ケン・クワピス
出演:ドリュー・バリモア/ジョン・クラシンスキー/クリステン・ベル/ジョン・ピンガヤック/アマウォーク・スウィーニー/ティム・ブレイク・ネルソン/ダーモット・マローニー/ヴィネッサ・ショウ/ケイシー・ベイカー/スティーヴン・ルート/ジェームズ・レグロス/ロブ・リグル/ミーヴ・ブレイク/テッド・ダンソン

30点満点中18点=監3/話3/出4/芸4/技4

【閉じ込められたクジラを助けるために】
 1988年。冷気に覆われたアラスカ州バローでは、厳冬のため例年より早く海面が凍りつき、南洋を目指すはずのクジラ3頭が湾内に閉じ込められる。このままでは弱ってしまう。TVマン・アダムのリポートが全米に放映されると、一気に事態は動き始めた。クジラを狩って暮らすイヌピアット族やグリーンピース、この地で石油採掘を目論む事業者、さらには大統領官邸までがクジラの家族救出作戦を進めようとするのだが……。
(2012年 アメリカ/イギリス)

【出来事の周辺を丁寧に描く】
 実話に基づくストーリー。クジラにグリーンピース、と聞くと、われわれ日本人の心には複雑な思いがよぎってしまうわけだが、本作は冷静だ。単なる美談に落とし込まず、また、ともすればヒステリックな描写になってしまいがちな環境問題についても、さまざまな立場の人たちについても、客観的に捉える。

 たとえば、バローへ押し寄せる人に防寒用ダンボールを売る無邪気なネイサン少年や、いきなり宿泊費が高騰するホテルなど、ひとつの話題が小さな経済活動(ぶっちゃけていえば機に便乗しての金儲け)を生むという事実。世論を動かすためは視聴率のアップが必要だという真理あるいは欺瞞。クジラの救助活動を、あからさまにイメージアップのため利用する人々。

 そこには批判精神も確かにあるけれど、むしろ「人の世って、そういうものだよね」と社会の原理を笑って受け入れる温かさや器量を感じる。イヌピアット族の価値観もまた護るべき文化として尊重する姿勢を見せ、その独自性を否定する狭量な勢力に「彼らには血しか見えない」と、鋭くモリを突き立てるのだ。
 マグロウ役のテッド・ダンソンは、海洋環境問題の活動家(しかもかなりの過激派だったらしい)として有名なんだとか。そういう人物に石油開発業者を演じさせる皮肉もある。

 そのうえで、どんな考えも嗤わずに、人の世を動かすのは結局は人そのもの、人と人との関係、自分の信念に従って自分にできることをやるという単純な行動原則だと、誠実に語る作品のように思える。偽善でもPR戦略でもなんでもいいから、まずは行動、なのだ。

 展開は速い。でも作りは丁寧。1カットずつ時間をかけて撮っている雰囲気があるし、クジラのアニマトロニクスやVFXも見事。クジラの会話をベースにしたようなBGMも心地よい。
 ドリュー・バリモアやジョン・クラシンスキーら出演陣は、ややコメディよりの芝居ながら、それが全体としての“軽さ”を保つ効果を担い、観やすくって考えさせる、いい映画へと昇華させている。
 舞台は寒いけれど温かい、温かいけれど冷静。そんな不思議な仕上がりを見せる作品である。

●主なスタッフ
撮影/ジョン・ベイリー
編集/カーラ・シルヴァーマン
音楽/クリフ・エデルマン
 以上は『そんな彼なら捨てちゃえば?』のスタッフ。
美術/ネルソン・コーツ『ザ・エッグ~ロマノフの秘宝を狙え~』
衣装/シェイ・カンリフ『ボーン・レガシー』
音響/ジェイソン・ジョージ『くもりときどきミートボール』
音楽監修/ニック・エンジェル『裏切りのサーカス』
SFX/ジャスティン・バッキンガム『アバター』
VFX/ジョン・ヘラー『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』
スタント/キース・アダムス『インベージョン』

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2018/04/06

スター・ウォーズ エピソード8 最後のジェダイ

監督:ライアン・ジョンソン
出演:デイジー・リドリー/アダム・ドライヴァー/ジョン・ボイエガ/オスカー・アイザック/アンディ・サーキス/ルピタ・ニョンゴ/ドーナル・グリーソン/ローラ・ダーン/グウェンドリン・クリスティー/ケリー・マリー・トラン/ビリー・ロード/アマンダ・ローレンス/ジャスティン・セロー/アンソニー・ダニエルズ/ジミー・ヴィー/ヨーナス・スオタモ/ティム・ローズ/ワーウィック・デイヴィス/ベニチオ・デル・トロ/キャリー・フィッシャー/マーク・ハミル
声の出演:フランク・オズ/ジョセフ・ゴードン=レヴィット/トム・ケイン

30点満点中16点=監3/話2/出3/芸4/技4

【あらすじ……ジェダイの未来、フォースの行く先】
 帝国軍の残党ファースト・オーダーに襲撃されるレジスタンス。多大な犠牲を払って宇宙へ脱出したものの、カイロ・レンらは追撃の手を緩めない。逃げ延びる策を求めて、フィンはある惑星へと赴く。いっぽうレイはルーク・スカイウォーカーと接触。「ジェダイは滅びる」と協力を拒むルークだったが、やがてレイをフォースの覚醒へと導く。光と闇が対決する時が近づいていた。
(2017年 アメリカ)

★★★ネタバレを含みます★★★

【内容について……評価は保留】
 うーむ。期待して2年待ったけどハズレかも知れないなぁ。

 まずは良かった点から。
 序盤のドレッドノート撃墜シークエンスは重量感、スピード感、悲壮感などヒリヒリの詰まった場面。レイの修行、カジノ、フィンとファズマの対決も、このシリーズらしいユーモアと緊迫感に満ちている。ヨーダ登場やミレニアム・ファルコンの飛来を影で示すあたりは、ファン心理をくすぐる部分だ。

 そして、当シリーズを「共和国(ジェダイ)と帝国(シス)の対立からなる星間戦争を舞台としたスカイウォーカー家の興亡史」と捉える立場から見ると、それを成立させるための要素がギッシリと詰まっていて(そもそもこの第3シリーズのゴタゴタの発端はルークとベンの関係の“こじれ”であるわけだ)、これはもう紛れもなく『スター・ウォーズ』だといっていい内容だと思う。

 が、そうした満足ファクター以上に展開面の不満が大きい。
 レイアの復活は、さすがにやりすぎ。これに対してスノークはアッサリと死亡。ラスボス(級)の倒されかたとしては映画史に残るほどの拍子抜け。カイロ・レンはスノークの手のひらで踊らされていたはずだから、この逆転劇は無理目に感じる。
 レイの超絶覚醒とスノークの死亡を除いては、意外とお話が進んでいない(レジスタンスが逃げ延びただけ)のもモヤモヤが募る要因となっている。

 あと「それはいわない約束でしょ」とも思うのだけれど、やっぱりどうしてもカイロ・レン=アダム・ドライヴァーの魅力不足に言及せざるを得ない。ぬぼぉっとしてインテリジェンスが少なくて、なんかこう「こいつの運命を見届けてやるぞ」と決心させてくれないのだ。
 まぁジェダイの騎士としてもシスとしてもスカイウォーカーの血を継ぐ者としても不完全な存在、という意味では、この“どっちつかず感”は適役なのだろう。それにヘイデン・クリステンセンだってエピソード2から3にかけて驚くほどの変身を見せたので、まだ見限れないとも思う。

 ちなみにImdbと自分の評価は、かなり乖離している模様。
 ファントム・メナス……6.5 18点
 クローンの攻撃…………6.6 19点
 シスの復讐………………7.6 20点
 新たなる希望……………8.7 18点
 帝国の逆襲………………8.8 16点
 ジェダイの帰還…………8.4 17点
 フォースの覚醒…………8.0 18点
 最後のジェダイ…………7.5 16点

 世間では旧3部作が神格化され過ぎている点とアナキン3部作の評価がかなり低いことがわかる。ただ今回のエピソード8も手放しで讃えられているわけではなくって、現地でも「正史から除外させよう」という運動が起こっているのだとか。

 それは極端な話。こちらとしては「今回は“つなぎ”。まだ明かされていない謎も多く、完結を待ってあらためて評価しよう」と希望をつなげたい。

 だって、これまで僕ら(および作品内の人々)が考えていたフォースのありかた、ジェダイとシスの形が、間違っていた可能性も示唆されているのだから。ひょっとすると「光と闇の対立構図」「こちらが善、あちらが悪」ではなく、そのバランスこそが肝要なのではないか、と。
 「失敗から学びそれを後世に伝えるべき」と語るヨーダや「ジェダイやシスを超えた新しい時代」を作ろうとするカイロ・レンは、そのことを悟っているのかも知れない。だとしたら心強い限りだ。

 アナキン3部作が「ジェダイの限界を描いた物語」、ルーク3部作が「ジェダイに新しい時代と可能性をもたらす物語」であることは間違いないと思う。そのうえでエピソード7以降に期待していたのは「愛こそが最大のフォースという価値観を確立させる物語」だったわけだが、異なる方向へ疾走してくれるのも、むしろ歓迎だ。
 フォースとは、ジェダイとは、シスとは、何か。その(一応の)回答を提示してくれることを、また2年待つとしよう。

【作りについて……安定感と非安定感】
 前作『フォースの覚醒』から継続しているスタッフは、衣装のマイケル・カプラン、音響のマシュー・ウッド、SFXのクリス・コーボルド、VFXのベン・モリスとマイケル・マルホランド、スタントのロブ・インチ、ニコール・チャップマン、C.C. スミフといった面々。美術として『ワールド・エンド』などのリック・ハインリクスが加入しているが、全体としては『スター・ウォーズ』らしさがキープされていると感じる。立体的かつスピーディな絵作りとか世界観とか。

 それでもどこかに違和感を覚えてしまうのは、製作のラム・バーグマン、監督・脚本のライアン・ジョンソン、撮影のスティーヴ・イェドリン、編集のボブ・ダクセイという『LOOPER/ルーパー』組の色が出ているせいか。
 で、その『LOOPER/ルーパー』に自分は18点とまずまずの高評価を与えているのだけれど、感想を読み返してみてわれながら笑ってしまった。
「突っ込みどころや不満の多いストーリー」「下手にヒネったり要素を増やし過ぎたりすることなくすっきりまとめてみせた」「バリエーション豊かな画面で生み出す緩急、しっくりと馴染むBGM、説明過多に陥らない語り口など、全体に手堅い」「豪胆で雑だけれど、上々のエンターテインメント」。
 はい、今回もそのまんまです。成長しろよ、というか、この監督らしいというか。本質を見抜いていた数年前の自分を褒めてやりたいところだ。

 それと、ギャレス・エドワーズ、エドガー・ライト、ウィリアム王子&ヘンリー王子、トム・ハーディなどのカメオ出演(大半はカットされているようだが)には疑問と不満を抱いてしまう。そういう“甘え”“ちょっと度を越した面白がり”は、観客にシラケを起こさせたり、作品の格を下げてしまう原因となるから。

 デイジー・リドリーは相変わらず可愛く、レイというキャラクターを十二分に体現している。フィンのジョン・ボイエガ、ポーのオスカー・アイザックも、このシリーズに欠くべからざる存在となりつつある。これら主要キャラクター3名が健闘しているからこそ、なおさらアダム・ドライヴァーに“ノれない”ようにも思う。

 今回の3部作(シークエル・トリロジー)が完結した後、さらに3部作が作られる予定で、その製作における中心はライアン・ジョンソン監督が担うのだとか。ただし「スカイウォーカー家から離れた、新たな登場人物による新たな物語」になる模様。うん、まったく別個のものにしてくれるのなら、それはそれで楽しみだ。

 肝心のエピソード9は、ふたたびJ.J.エイブラムスがメガホンを取る予定とのこと。歓迎したい。

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2018/04/02

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。

監督:アンディ・ムスキエティ
出演:ジェイデン・リーバハー/ソフィア・リリス/ジェレミー・レイ・テイラー/フィン・ウォルフハード/ジャック・ディラン・グレイザー/ワイアット・オレフ/チョーズン・ジェイコブズ/ジャクソン・ロバート・スコット/ニコラス・ハミルトン/ジェイク・シム/ローガン・トンプソン/オーエン・ティーグ/ミーガン・シャルパンティエ/スティーヴン・ボガート/スチュアート・ヒューズ/ジェフリー・ポーンセット/モリー・アトキンソン/スティーブン・ウィリアムス/アリ・コーエン/ビル・スカルスガルド

30点満点中19点=監4/話3/出4/芸4/技4

【あらすじ……この街で何が起こっているのか?】
 メイン州デリーで子どもが次々に行方不明となる。姿を消した弟ジョージーを見つけ出そうと、友人のリッチー、エディ、スタンと探索を進めるビル。そこへ転校生のベン、女子の間では鼻つまみのベバリー、屠殺業の見習いマイクも合流。彼らはみな「怖いものの幻が見える」という共通点を持っていた。不良グループからの暴行や親の干渉に悩まされながら、少年たちは真相へと近づいていく。
(2017年 アメリカ/カナダ)

【内容について……心理的恐怖と状況的恐怖】
 小さい頃、何が怖かったかといえば、押入れの中の天井近くに見えていた謎の黒い影。まるで胎児のようなシルエットで、その押入れからは大急ぎで荷物を取り出さなくちゃならなかった。
 それから壁の木目。これは多くの人に思い当たる節があるはず。ムンクの『叫び』みたいに顔を歪めながら地獄へ引っ張り込まれる人を想起させる、アレだ。

 そして、実はピエロも。理由やキッカケは不明だ。なんでもピエロに対して恐怖心を抱く「道化恐怖症」というものが実際にあるらしく、本作(の原作、または以前に作られたTVシリーズ)や、ペニーワイズのモデルとなったジョン・ゲイシー(ピエロの扮装を好んだ実在の連続殺人犯)が原因ではないかと言われているのだとか。でも、原作は未読だし前作も観ていないんだよなぁ。

 だから、もっと根源的な何かがあるのではないかと思う。たとえば古代の地球ではピエロのようなボディペイントやタトゥを施した呪術師が民衆を苦しめていて、その記憶が遺伝子レベルで現代人にも受け継がれているとか。
 そんなわけでヤツは怖れられ、本作や『気狂いピエロの決闘』みたいな映画が撮られたり、ジョーカー(『ダークナイト』)のようなヴィランが生まれたりしているのだ。

 ただし本作のストーリー/演出/雰囲気は、怖いというより「気味が悪い」とか「驚かされる」といったイメージ。『エイリアン』を初めて観たときのほうが、よっぽどブルブルガクガクした。
 まず意外だったのが、ペニーワイズの存在がかなり早い段階で具体的に提示された点。「うわっ」とは思わされたものの、ホラーの常道からは外れた描きかた、「いつ何が出てくるの?」という怖さをいきなりスポイルする。それにこやつ、子どもがバットやチェーンで対抗できる程度のポテンシャルしかなく、もう観るのもイヤだと感じるほどの恐怖はない。

 じゃあペニーワイズの機能は何かと考えると、それでもやはり恐怖の象徴ということになるのだろう。弟や親の死(に対する悔恨)、不気味な絵と写真、自分を不潔だと感じる強迫観念、病気……。そうした、子どもたちの心の中に巣食う“説明できない恐怖”、“冷静な分析や思考を許さずに恐怖を誘う対象物”を吐き出す存在。いわば心理的恐怖の権化。

 そこへプラスして配されるのが“親”たちだ。ルーザーズクラブの7名と不良のヘンリーは、頭ごなしの叱咤、(おそらくは性的なものも含む)虐待、放任やごまかしなど、例外なく親に苦しめられている。この映画の親たちは、子どもたちを状況的恐怖へと陥れる存在となっている。

 そして子どもたちは、心理的恐怖=ペニーワイズとの闘い(失敗すれば消えてしまうという恐怖もある)の中で、何もしなければ何も解決しないことに気づき、勇気を手にし、状況的恐怖からも抜け出そうとする。親たちによる抑圧と束縛と無理解を、一応の恭順や反発、あるいは親殺しという強硬手段によって、克服したり、やり過ごす術を身につけていくのだ。
 もはやホラーというよりジュブナイル/ビルドゥングスロマンの趣である。

 ただ、完全な答えはまだ出ていない。
 例の押入れの中の黒い影は、結局ホコリの塊で、明かりを照らせば胎児とは似ても似つかぬ形をしていた。壁の木目だって、いまでは屁とも思わない。代わりに、大人になって痛切に感じるのは「お金がないのって怖い」ということだったりする(笑)。
 本作の少年たちが抱える心理的恐怖と状況的恐怖はもう少し深刻だけれど、さあ果たして、本当に心理的恐怖を払拭し、状況的恐怖を打開することができたのか(早い話が大人になるための一歩を踏み出せたのか)、そのためにどんな手段・態度を取っていくのか、定かではない。

 続編も観ざるを得ないわけだが、2年も待つことになるとは、それこそ恐怖である。

【作りについて……キャストの力】
 前述の通り、かなり早い段階でペニーワイズの姿を見せてしまうのが意外。「何者の仕業?」「いつ何が出てくるの?」という怖さは薄れるわけだが、それが奏功。少年たちが対処したり乗り越えたりしなければならないものと、実際に乗り越えていく様子とを、たっぷり見せてくれる。
 状況的恐怖と心理的恐怖の中で少年たちが心を通じ合わせていく描写は、ほとんど『スタンド・バイ・ミー』。たぶん原作からしてそうなんだろう。ただ、それが二番煎じ的な安さにならず、上等な“子どもたちの物語”になっているのは、脚本のひとりとしてクレジットされているキャリー・フクナガ(『闇の列車、光の旅』)のセンスが大きかったのではないだろうか。

 シャープかつ絶妙の闇を映し出す撮影と、テンポのよさと不安の盛り上げを両立させた編集も見事。ほどほどの規模を持つ街の中層階級の子どもたち、という雰囲気もよく出ている。
 撮影監督のチョン・ジョンフンは『お嬢さん』の人、編集ジェイソン・バランタインは『キラー・エリート』の人、美術クロード・パレは『猿の惑星:創世記』の人だ。

 ほぼ全編に渡って響き続ける重厚な音楽と、次のシーンのSEを前のシーンに少しだけ乗っける手法が、恐怖を煽る。音楽は『ブレードランナー2049』のベンジャミン・ウォルフィッシュ、音楽監修は『マリリン 7日間の恋』のデイナ・サノ、音響は『ドライヴ』のヴィクター・レイ・エニス。

 ヘアメイク/スペシャルメイクには『サイレント・ヒル』『シューテム・アップ』『エスター』などに携わったスタッフが起用されていて、SFXは新『キャリー』のウォーレン・アップルビー、VFXは『エリジウム』のニコラス・ブルックス。確かな技術で作品世界を作り上げている。

 これらをまとめ上げるのは王道ショッカー演出。ビクっとはさせられるけれど、ある意味では想定の範囲内、「安心してビックリできる」という印象。「そんなのアリか?」がない。なので、本作の持つジュブナイル/ビルドゥングスロマンの味わいを悠々と楽しむことができる。

 過去のスティーブン・キング作品へのオマージュやリスペクトも感じる。まぁ本作の原作にそうした描写があるのかも知れないが、血の奔流は『シャイニング』『キャリー』を思わせるし、わざわざ少年たちの背景に陸橋を渡る貨物列車をうつし込むなんて『スタンド・バイ・ミー』を意識しているのは明らかだろう。

 主要キャラクターの個性と配置と見た目も『スタンド・バイ・ミー』的なのだが、その楽しさとは別に、みんな上手い。相変わらずアメリカは幼い才能の宝庫だ。ほとんどの子役が長編デビューかそれに近いキャリア、せいぜい「アマンダ・セーフライドやロバート・カーライルの子ども時代を演じました」程度なんだけれど、きっとここから次代のスターへと育っていくのだろう。

 とりわけジョージー役ジャクソン・ロバート・スコットくんの無垢な可愛らしさは、本編へと一気に引き込む力にあふれている。ベバリー役ソフィア・リリスは、華のある顔でも強烈な芝居でもないものの、近い将来ミニシアター系で主役を張れそうなキュートさと奥の深さを感じさせる。ベン役ジェレミー・レイ・テイラーも、キッパリとした好感度の高い芝居を見せてくれる。

 大人たちも、ほぼ無名の顔ぶれ。だからこそ余計なことを考えずにすむので、歓迎すべきキャスティングだ。

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2018/03/09

KUBO/クボ 二本の弦の秘密

監督:トラヴィス・ナイト
声の出演:アート・パーキンソン/シャーリーズ・セロン/マシュー・マコノヒー /ルーニー・マーラ/ブレンダ・バッカロ/ケイリー=ヒロユキ・タガワ/ジョージ・タケイ/メイリック・マーフィ/レイフ・ファインズ
日本語吹替版:矢島晶子/田中敦子/ピエール瀧/川栄李奈/羽佐間道夫/小林幸子

30点満点中18点=監3/話2/出5/芸4/技4

【あらすじ……父と母の想いを弦に込めて】
 三味線の音で自在に折紙を操る少年クボは、その特技で小銭を稼ぎながら隠れるように暮らしていた。が、父を殺した“月の帝”に見つかり、いま母親まで犠牲となってしまう。生き延びたクボは月の帝を倒すための旅に出る。探すべきは3つの武具、ともに歩むのはお守りが実体化したサルと、かつて父に仕えていたたクワガタ。彼らの道行きを“闇の姉妹”が追い詰めていく。
(2016年 アメリカ アニメ)

★★★ややネタバレを含みます★★★

【内容について……お子様向けシンプル&ゴッタ煮】
 ウィローだって桃太郎だって、世界を救う者は“流されてくる”のが世界共通の理(ことわり)。モーゼもまたナイル川で拾われていて、そのモーゼの『十戒』のごとく海を割って新天地へと辿り着く登場シーンから、早くもクボの運命は明確である。

 で、その後の展開は、まさに桃太郎(お供はサルと折紙とクワガタだ)だったり『ゴースト・ハンターズ』だったり『ヘンゼルとグレーテル』だったり。村人との交流~武具集め~最終決戦という流れはミッション・クリア型アクションRPGを思わせるし、音楽を武器にラスボスと戦うところなんか『MOTHER』じゃん。水中の目の化け物は『悪の華』か。

 恐れ知らずのゴチャ混ぜテイスト。でもストーリーそのものは複雑じゃなくて、むしろシンプル、ぶっちゃけお子様向け。登場人物は限られている(特にヴィランは闇の姉妹と月の帝だけだ)し、唐突なところもあるし、世界の広がり感には乏しいし。

 脚本クリス・バトラーのほか、大部分の主要スタッフが『コララインとボタンの魔女』や『パラノーマン ブライス・ホローの謎』と共通している。
 両作の感想を読み返してみると「幻惑のストーリー」とか「決定的な楽しさ・面白さには欠ける。世界の小ささや、幻惑の中に観客を引き込んだだけで満足してしまったのが原因」、「性急かつ強引で説得力やお話としてのまとまりに欠く」、「せっかくメッセージ性も高い作品なのにお子ちゃま向けのドタバタにとどまってしまった」……。今回にも当てはまる特徴だ。

 もう少し風呂敷を広げてもよかったし、闇の姉妹と月の帝の冷酷さや霊力の強さを印象づける具体的なエピソードも盛り込むべきだったよなぁ、と感じる。次々に送り込まれる刺客や罠を、クボたちが機転と特殊能力で乗り越えていく、というTVシリーズで見たかったところだ。

【作りについて……表現力の凄さと極上のキャスティング】
 クボが三味線を奏でるシーンの左手の指の動きに、なんかもう泣きそうになる。『コラライン』や『パラノーマン』は「ストップモーションの特徴であるカクカクとした挙動を意識的に採り入れてアクセントを作り、コマ単位でデフォルメされている気配もある」という作りだったけれど、今回は“なめらかさ”や“微妙な動き”に力を入れている印象だ。

 弓を射るクワガタやサルのダイナミックなアクション(格闘演出は『トロン:レガシー』などのアーロン・トニー)はスピーディだし、しかも俯瞰とかアップとかカメラを動かしながらとか、画面レイアウトもバリエーションに富んでいる。

 人物の表情はてっきりCG処理だろうと思っていたのだが、これもパーツを細かく取り替えながら撮影しているのだとか。パンフレットによれば「クボの表情は4800万通り」「サルは3000万通り」「1つのカットで使われた顔パーツは最大で408個」。
 気の遠くなるような作業だが、それだけの手間暇をかけただけのことはある。人形がここまでの感情表現を見せられるのかと畏怖すら抱かせる仕上がりだ

 いかにも“欧米から見た日本人”という人物たちの造形(目が細くて吊り上がっている)は、好みが分かれそう。でもまぁ欧米のクリエーターは東洋系だろうがアフリカ系だろうがアングロサクソンだろうが徹底してデフォルメするから、それほどナーバスになる必要はないのかも知れない。
 それに、全体的な美術や雰囲気作りなども含めて、単に日本っぽさを上っ面だけ撫でるのではなく、製作者たちなりの解釈で再構築しているイメージもある。

 サルの毛並のほか、紙、雪、岩、水、闇など、ありとあらゆるものの質感再現は極上。月やロウソクの灯りも鮮やかに表現し、霊力を宿したキャラクターの輪郭のボヤケなど見せかたの配慮がいちいち憎らしい。

 キャラクター・デザインのシャノン・ティンドル、アニメーション・ディレクターのブラッド・シフ、美術のネルソン・ロウリー、VFXのスティーヴ・エマーソンらは、いずれも『コラライン』や『パラノーマン』にも関わった面々。彼らの底力、面白さやリアリティ創出のために必要と思われることにはいっさい手を抜かないプロフェッショナリズムに脱帽である。

 サウンドトラック(音楽は『路上のソリスト』のダリオ・マリアネッリ)がまたよくって、洋楽風・クラシック風の楽曲にここまで三味線を馴染ませるとはお見事。音響効果(『シークレットウインドウ』のティム・チョウ)も場面のスピード感を増強する。

 字幕版の上映時間が極悪だったのでやむなく吹替版で鑑賞したのだが、これが大正解。字幕を目で追う必要がない=キャラクターの動きに集中できるのはもちろん、キャスティングが素晴らしい
 矢島晶子の、圧倒的なクボ感。しんのすけとも鴨川アスミとも違う芝居なのは当然として、クボが「過酷な運命に翻弄される不思議な少年」であることに疑念を抱かせないのだ。日本に矢島晶子がいることが、本当に幸せだと思う。

 田中敦子のサルは貫録たっぷり。これまた草薙素子と異なり、どこかしら母性を感じさせるのがさすが。羽佐間道夫による月の帝と小林幸子の老婆は、変に力を入れ過ぎず、自分たちがあくまでクボを引き立たせるキャラクターであることをわきまえている印象だ。

 クワガタは、まんまピエール瀧なのだけれど、この漢らしさと愛嬌の混じったキャラクターにピタリとハマる。最大の驚きは川栄李奈による闇の姉妹。音響効果とキャラ設定に助けられている面はあるものの、いやこれ純粋に上手いぞ。完璧な闇の姉妹感。「タレントや女優を安易に声優として起用する」ことに対する不平や異議を黙らせるのに十分な演技だ。

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