2009/11/09

この道は母へとつづく

監督:アンドレイ・クラフチューク
出演:コーリャ・スピリドノフ/マリヤ・クズネツォワ/ニコライ・リュトフ/ユーリ・イツコフ/デニス・モイシェンコ/サーシャ・シロトキン/ポリーナ・ヴォロビエワ/オルガ・シュヴァロワ/ディマ・ゼムリャンコ/ダーリヤ・レスニコワ/ルドルフ・クルド

30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3

【本当の母さんは、どこ?】
 ロシア、氷と霧の中に建つ孤児院。マダムに連れられてやって来たイタリア人夫婦は、6歳の少年ワーニャを養子として引き取ることにする。手続きが終わるまで約1か月。そこへ、ワーニャと親しかったムーヒンの母親が訪ねてくる。だがムーヒンは、誰かに引き取られた後。「もし自分がイタリアへ行った後で本当の母さんが訊ねてきたら」。そう考えたワーニャは、院長室に忍び込んで自分の出生記録を盗み読みしようと思い立つのだが……。
(2005年 ロシア)

【遠い国の現実】
 ブローカーの存在、孤児院の経済、わざわざイタリアから里親がやって来るという事実に隠されたロシア社会/国際社会の実情、孤児たちが生きるために身につけざるを得ない価値観と技術と生きざま、孤児たちの中に(恐らくは)自然発生的に作られた自治統制と互助のシステム……。
 そうした「里子と里親と仲介役と形式的保護者という関係」について、やや淡々と、その現場へと潜り込むような作風で撮られた映画。ダルデンヌ兄弟作品(『ある子供』『息子のまなざし』)ほど鋭角的ではないけれど、小さく近く生々しくまとめられている。
 割れそうなグラスを指先で弾いたような、小さなBGMが物悲しい。懸命さとナチュラルさを全身から発するワーニャ役コーリャ・スピリドノフ君が可愛く、痛々しい。

 試みに「ロシア 人身売買」で検索してみると、相当な数のニュースや記事がヒットする。本作で述べられているように、臓器などを目的とした取り引きが多発、かなりの国際問題となっているようだ。
 仮に正当な(というのもヘンだが)、本当に里子を欲しがっている夫婦を相手にした“やりとり”であっても、そこにはカネが絡み、引き取られる子どもとその後ろに続く予備軍たちの感情や未来などパーソナルな問題も関わってくる。いわば“経済活動と、人としての道徳・倫理・覚悟”という、異なる価値観の、微妙な衝突や妥協が発生するわけだ。
 少し距離を置いたところから、そんな現実・成り行きを見るしかない僕らにとっては、「せめて、すべての人が幸せに」と願うほかない。

 そう、見るしかない、という作り。楽しむというより、ただワーニャと周囲の環境を見守るだけの映画といえる。
 ワーニャ、彼を追うグリーシャ、ワーニャの母、院長、マダム、孤児のリーダー格であるコーリャン、ワーニャを助けるイルカなどの心情や事情は掘り下げられることはなく、「こういうことがありうる」と提示し、その裏側の闇(病み)について考えてもらう作品、といったところか。

 とはいえ、救いは用意されている。
 ワーニャが文字を覚えようとして読むのは『ジャングルブック』、狼に育てられた少年の話だ。アイデンティティを否定されるかのように「イタリアン」と呼ばれる彼の中に、自分の本当の居場所はどこか他にあるという想いが強く息づき、それが彼の行動の大きな原動力となっていることをうかがわせる。
 子どもは誰だって、自分は特別だと盲目的に信じている。その信じる力が世界を動かすことも、確かにありそうだ。

 コーリャンの優しい厳しさ、ナターハやイルカが抱く(自己嫌悪ゆえだろうか)思いやり、ワーニャが出会う人たちの親切、グリーシャの行動……。目の前で苦しんでいる者がいれば、手を貸す。そんな、人間の“ともによりよく生きていくための力”も描かれる。その力もたぶん、世界を変えていくものとなるだろう。
 どうやらこの作り手にも「せめて、すべての人が幸せに」という想いがあるようだ。

 遠い国の現実を覗き見る映画ではあるが、僕らの住む世界すべてを救うために必要なものについて教えてくれる、そんな映画でもある。

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2009/11/07

スペル

監督:サム・ライミ
出演:アリソン・ローマン/ジャスティン・ロング/ローナ・レイヴァー/ディリープ・ラオ/デヴィッド・ペイマー/アドリアナ・バラーザ/チェルシー・ロス/レジー・リー/モリー・チーク/ボヤナ・ノヴァコヴィッチ/ケヴィン・フォスター/フロル・デ・マリア・チャウア

30点満点中16点=監3/話2/出3/芸4/技4

【呪われた3日間】
 交際相手クレイの母親に認めてもらうためには、出世が必要だ。銀行の融資担当者クリスティンは仕事ぶりを上司に見せて次長のポストを得ようと、返済期限延長を請う老婆=ガーナッシュ夫人を冷たく追い返す。が、復讐に燃えるガーナッシュ夫人は、クリスティンに呪いをかけた。霊媒師ラム・ジャスによれば「3日間苦しみが続いた後、ラミアと呼ばれる悪魔の山羊が迎えに来る」という。クリスティンは呪いから逃れることができるのか?
(2009年 アメリカ)

★ある意味でネタバレを含みます★

【どんでん返しには期待するべからず】
 チラシには「先読みを許さない13のショック!」とか「すべてが覆る衝撃のラスト60秒!!」とある。
 えっと、残り20分くらいでオチが読めちゃうんですけれど。いや、まさかこんな単純な終わりかたではあるまい、もうひとヒネリあるはず、という期待とは裏腹に“そのまんま”終わる……。

 基本的にはショッカーだ。薄暗い駐車場、風に揺れる木の葉、黒いネコなどオモワセブリックなアイテムを配置し、画面をナナメに切り取って不安感を煽り、そして突然のドンっ、うぎゃぁ。ビクっとさせられた場面は、確かに13回くらいあったかも知れない。

 この部分で特に頑張っているのが関係。弦の旋律が空気を冷やし、ミシミシと木の軋む音が観客を上下左右立体的に取り囲んでゾクリとさせる。強烈な音圧で鼓膜を苛めた直後の静寂、それが不快な耳鳴りを呼ぶ。これらサウンド・ワークを体感できるという点では、映画館に足を運ぶ価値のある作品だろう。
 婆さんのドロドロや奇怪な右目、肌に突き刺さるステープラーなどで嫌悪感を生む美術、シャープな撮影・編集もなかなかのもの。
 それと、あらためて多民族国家アメリカの“得体の知れなさ”も感じさせてくれる。メキシカン・ヒスパニックやロマのマジャル語が「こういうことが起こっても不思議じゃないよな」と思わせるのだ。

 そんなわけで作りとしてはシッカリしているのだが、だからこそ余計に、どんでん返しを期待すると“スカされる”のである。

 ただ、これはオチもの・どんでん返しものではないと、好意的に見れば、いろいろと興味深いところが浮かび上がってくる。

 たとえば、僕らの生活との距離感。出世欲とか、そのためには手段を選ばない姿勢、こんな婆さん胡散臭くてマトモに相手してられないよという親近感、追い詰められて姿を現す自分の本性、でも他人を不幸へ突き落とすことに覚える後ろめたさ……。
 それらは誰の心にもあるもの。どこにでもいるハエが不吉の前兆になるという設定や、生活感たっぷりのクリスティンの部屋を作り出した美術も、恐怖を身近なところに置くための配慮だろう。
 つまり本作は観客に対して「あんただって、ちょっとした不親切や現代的営利主義の代償として、呪いをかけられることがあるかもよ」という恐怖を与えようとしたわけだ。
 駐車場とか倉庫とか葬式とか墓場とか、アクション・シーンが“笑える”こともポイント。いやもう、すごいノリですよ。実際サム・ライミは狙って笑わそうとしたらしく、その脱力感が、観る者をますます無責任な立場へと追いやっていくような感覚。

 アリソン・ローマンは周りの出来事への感覚が麻痺しているというか、緊迫感の欠片もない芝居だけれど、これなんかまさしく、ノホホンと暮らす無感覚現代人を映す鏡。が、いざとなったら狂気で身体を満たし、雨の中で猛り吠える。その姿に、僕らってそういう(ふだんはゼロだけれどキレるときには100のテンションでキレる)生き物かも、と思ってしまう。
 ジャスティン・ロングも「とっつぁん坊や」で学者に見えず、ミスキャストにも感じるのだが、だいたい恋する男って、こんなふうに本質的には役立たずなのかも知れない。
 そこへポンと投じられる、ガーナッシュ夫人役のローナ・レイヴァーと、老霊媒師ショーン・サン・デナ役のアドリアナ・バラーザの怪演。若者ふたりの無責任感と、お婆さん&オバサンの鬼気迫るオドロオドロしさ、その対比がまた「なんてことのない日常と表裏一体の怪奇」を感じさせる。
 あと、ガーナッシュ夫人の孫娘を演じたボヤナ・ノヴァコヴィッチが不必要に可愛いのも、そっちへ気をそらせる狙いだろうか。

 と、本作を「どんでん返しものではなく、呪いをかけられる可能性への恐怖を煽る映画」と捉えてみたが、やっぱり、ちょっと期待ハズレだったなという感想が残る作品である。

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2009/11/06

アルファ・ドッグ 破滅へのカウントダウン

監督:ニック・カサヴェテス
出演:エミール・ハーシュ/ジャスティン・ティンバーレイク/ショーン・ハトシー/ヴィンセント・カーシーザー/フェルナンド・バルガス/アレックス・ソロヴィッツ/ベン・フォスター/アントン・イェルチン/オリヴィア・ワイルド/ヘザー・ウォールクイスト/ドミニク・スウェイン/クリス・マークエット/アマンダ・セイフライド/アンバー・ハード/ルーカス・ハース/クリス・キンケイド/アレックス・キングストン/マシュー・バリー/デヴィッド・ソーントン/シャロン・ストーン/ハリー・ディーン・スタントン/ブルース・ウィリス

30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3

【野良犬たちの日】
 カリフォルニア。闇商売を営む父から麻薬を仕入れ、自らも売りさばくジョニー・トゥルーラブと、その取り巻きであるフランキー、エルヴィス、ティコたち。彼らはジョニーに借金のあるジェイクとの関係が悪化したことから、ジェイクの弟ザックを誘拐した。過保護な母から逃れたいと考えていたザックはジョニーらの奔放な生きかたに惹かれ、自らも“仲間”だと信じるようになっていく。だが少しずつ事態は、引き下がれないところへ向かう。
(2006年 アメリカ)

【ただ滅していくのみ】
 演技の幅を見せてくれるエミール・ハーシュ、どんな役にもポンとハマってしまうジャスティン・ティンバーレイク、甲高く気弱な声のアントン・イェルチン、不必要なまでに妖艶なアマンダ・セイフライド……。ヤング・アダルトの有望株が、ズラリと顔をそろえる。
 そして、みんなガキである。

 原題の『アルファ・ドッグ』は野犬の群れのボスを示す言葉らしいが、しょせんそれは、小さな徒党の頭目。自分たちよりも大きなものに怯えながら日々を過ごし、いつしか捻り潰されるのが宿命だ。
 複数のキャストがまとめて提示される冒頭のクレジット、その背後に流れる8mmフィルム、あるいはバカにしているブラック・ラップと違和感なく馴染んでしまう様子が、彼らの「どこにでもいるチンピラのガキども」という立場を浮き彫りにする。

 周囲にあるのは、青々と芝生の茂る庭、水をたたえたプール、広大なリビング。そうした恵まれた環境にあっても、いや、不自由のなさそうな環境だからこそ、「何も考えなくていい、楽な生きかた」へと衝動的に突き進む。現代の閑静な住宅地にあっても『蝿の王』は成立してしまうのだ。

 彼らは、何もしない。成長もしない。ただ飲み、貪り、ハイになるだけ。小突きあってゲームに興じ、カッコをつけてスラングを吐き、隷属に幸せを求める。浅はかな思考を巡らせれば巡らせるほどに、望まない方向へと転がっていく。
 多用される「話せるか?」というセリフ。誰かに話を聴いてもらいたいという、彼らの叫び。
 ドラッグと銃が画面に登場しなければ、ホントに、ただのガキどもの日常である。いや、ドラッグと銃もまた彼らの日常か。

 そして彼らは死と破滅を迎える。その事件の裏には、実のところ、何もない。たいした理由もなく(またはガキの日常、ガキの喧嘩の延長として)、死と破滅がやってくる。

 彼らを取り囲む大人たちでは、いわれるまでわからないほどの“変貌”を見せるシャロン・ストーンが印象的だが、彼女にしろジョニーやフランキーの父たちにしろ、みな無責任で、子らに隷属を求めるのみだ。それを、やはり日常=当たり前のものとして捉えており、親子ともども「何も考えなくていい、楽な生きかた」から抜け出す道はないように思える。

 そうした“ただ滅していく姿”を、不思議と優しい視線で、けれど近寄りすぎることなく、うつしとっていく映画。「こんな国に生まれたはずじゃなかった」、または「こんな世の中にしてしまってすまない」という監督の悔恨が詰まっているようにも感じる。

 オープニング、夭折のディーバ=エバ・キャシディが大胆なアレンジで歌う『Over the Rainbow』が胸に迫る。現代社会では、ここまで思い切って崩して歌わないと虹の向こうへは行けない、ということなのかも知れない。

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2009/11/03

ペルセポリス

監督:マルジャン・サトラピ/ヴァンサン・パロノー
声の出演:キアラ・マストロヤンニ/カトリーヌ・ドヌーヴ/ダニエル・ダリュー/シモン・アブカリアン/ガブリエル・ロペス・ベニテス/フランソワ・ジェローム

30点満点中17点=監4/話2/出3/芸5/技3

【マルジの日々】
 イランで生まれ、いまはフランスで暮らすマルジ。彼女がたびたび空港へ来て思い出すのは、故郷テヘランのこと。父、母、祖母らと過ごした日々、優しいおじさん、友人たち、留学、失恋、出会い……。それは70年代の近代化とイラン・イスラーム革命、そしてイラン・イラク戦争へと続くイランの歴史とオーバー・ラップするものでもあった。パリ在住のイラストレーター、マルジャン・サトラピの自伝を自ら映画化した作品。
(2007年 アニメ フランス/アメリカ)

【あちらと、こちら】
 影絵・切り絵・版画を思わせるモノトーンの世界が広がる。シンプルなラインながら、陰影の付けかたと細かなモーションにより、実に表情豊かに、そして滑らかに人物は動く。はなをすする、ヘッド・バンキング、浮遊、飛ぶクルマで表現される恋、人形劇風に描かれる“斃れる人々”など、動きのスムーズさと演出のユニークさが素晴らしい。常に近景と遠景を配置する画面構成も見事。
 アニメーションとしての出来は、極上の部類に入るだろう。

 そこで重層的回想によって語られるのは、マルジの個人史であると同時にイランの近代史。ペルセポリスはテヘランの南にあるアケメネス朝ペルシア帝国の都(遺跡)であり、その名には「都市の破壊」という意味もあるそうだが、まさしく壊されていく国家と人々の様子が綴られる。
 ざっとまとめれば、クーデターによって興ったパフラヴィー朝による独裁と近代化、その裏にあった欧米の思惑(石油の利権と対ソヴィエト)、反体制派によるイラン・イスラーム革命(反欧米とイスラム至上主義)、イスラム共和国の樹立と周辺諸国からの孤立、国内では形を変えて続くことになった圧制、イラクによる侵攻(ここにも欧米の影)……というのが、70年代から80年代のイランの姿。

 以降、いまなお繰り返されている保守派と改革派の衝突などについては、宗教的・政治的思想の違いや欧米ロの立場を勉強しないとわからない部分も多いわけだが、そのあたりをスルーして観たとしても、もう単純に「こちらの世界とあちらの世界の違い」が強烈に迫る。

 堕落の象徴とされるマイケル・ジャクソン、戦地で聴かれるアイアン・メイデン、品物のないスーパー・マーケット。僕らが憧れの対象や平和な日常として捉えているものたちが、あちらでは「危険で特別なもの」として存在する。
 その“違い”は、歴史や民族や経済や価値観が異なるのだから当たり前なのだけれど、僕らも彼らもその“違い”を受け入れず、また理解しようともしない。彼らにとって日本はいつまでも「ゴジラか切腹」であり、僕らにとってイスラム社会は(イランもイラクもひっくるめて)「狂信的で乱暴」のままだ。
 無知と無教養は残虐な行為を呼び、いつしか“違い”は“恐れ”に置き換えられて、そして衝突が生まれる。

 多くのユーモアもこめられている映画ではあるが「こちらの世界、あちらの世界、どちらの住民でもない」という存在のマルジ、彼女が抱える不安と寂しさは、どれほどのものだろうか。
 そう考えながら観ると、『マイティ・ハート/愛と絆』と同様、「わかりにくい世界を『わからない』ですませないことが、悲劇を繰り返さないための最大にして唯一の方法」という想いがまた浮かんでくる。

 クセがあって美しい絵で、人の原罪ともいえる「相手を理解しないこと」について考えさせる、すぐれた“アニメーション映画”である。

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2009/11/01

マイティ・ハート/愛と絆

監督:マイケル・ウィンターボトム
出演:アンジェリーナ・ジョリー/ダン・ファターマン/アーチー・パンジャビ/イルファン・カーン/ウィル・パットン/ジリアン・アーメナンテ/ゲイリー・ウィルメス/デニス・オヘア/アリー・カーン

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4

【彼を想い、屈することなく】
 ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者ダニエル・パールと、その妻でラジオ局勤務のマリアンヌは、9・11以降、中央アジアで取材を続けていた。マリアンヌの出産のため帰国する直前、パキスタンのカラチでダニエルが何者かに拉致される。マリアンヌ、パキスタン当局、米領事館、ジャーナリスト仲間らはダニエルと接触した人物を洗い出し、何とか居場所を突き止めようとする。その成果は着々と上がっているように思われたが……。
(2007年 アメリカ/イギリス)

【複雑な、この世界】
 実話の映画化とあって、ドキュメンタリー・タッチが貫かれる。カメラは人物たちに寄り、あるいはカラチの街並や人たちを細かく捉え、BGMは抑えられて、現場の“生音”を拾う、という作りだ。
 そうして「この出来事は、僕らの生きる世界、生きる時代で起きた(起きている)こと」であると、伝えようとする。

 僕らの生きる世界とは、テロリストに脅かされる世界である。哀しいのはこの事件が、現代世界を切り取った“1つの例”に過ぎないということだ。そして僕らの時代とは、善と悪、敵と味方、そうキッパリと分けることのできない「人の生きかたの複雑性」が、さまざまな衝突の引き金になる時代である。

 本作では「1つの事件に関わっている人の多さ」が印象的に描写される。ホワイトボードに書き連ねられていく関係者と、調査にあたる人たち、もう誰が誰やら。わずか数秒、数行しか届けられないニュースの向こうでは、こんなにも多くの人たちが(引き起こした側も、解決しようとする側も)、それぞれの思想のもとに動いている。
 その複雑性こそが、世界を“わかりにくい”ものにし、たがいに理解しあえないことが悲劇を呼んでいるのではないかと思う。

 ただ、マリアンヌはシンプルだ。たいていの「夫人」ならパニックとなっていたであろう前触れなく起こった事件の渦中にあって、彼女は努めて冷静に、夫の無事を信じ続ける。
 演じるのは出産直後のアンジー。かなり感情移入したそうだが、その思い入れが納得できる熱演。事件後に「テロリズムに立ち向かう唯一の方法は、嫌悪や恐怖感を自分でコントロールすること」と語ったというマリアンヌの持つ“強さ”を、けれどその裏にある“弱さ”とともに表現する。

 彼女の慟哭に、こう思わずにはいられない。身重の女性を泣かせて、何が神=宗教かと。
 人の世界の複雑性のもっとも大きな原因となり、それゆえ多くの衝突を引き起こし、この事件の背景にもあるはずの「信仰の違い」って、いったい何なのだろうか。もしも「嫌悪や恐怖感を自分でコントロールする」ための試しが宗教であり、宗教に端を発する衝突だとするなら、神とはなんて非情な存在だろうか。
 神に救いを求める限り、人は殺しあうことになる。そんな皮肉すら心に浮かんでくる。

 ある人はあくまでも神を信じ、ある人は神への不信を募らせて、それでも僕らは、非情な神が支配するこの世界で生きていかなくてはならない。悲報を受け取ったばかりのマリアンヌが、食べ物を買いに出かけるように。

 救いがあるとするなら、2つ。
 劇中、たびたび子どもの姿が映し出される。ラスト近くでは、母となったマリアンヌも描かれる。この子のため。その想いが、ひょっとすると世界をつなぎ、自分をコントロールするパワーとなるかも知れない。
 そして、ダニエルの両親が、事件後、異文化間の理解促進に尽力しているという事実。確かに、わかりにくい世界を「わからない」ですませないことが、悲劇を繰り返さないための最大にして唯一の方法であるはずだ。

 愛する存在へのシンプルな想い。世界が複雑であることを前提に、複雑性こそが「わかりあえる可能性を持つ」人としての喜びであるという想い。
 その2つを忘れないことが、非情な神に対しての、僕らの回答だと信じたいものである。まさにそれこそが、神の思惑であるとしても。

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2009/10/31

インサイダー

監督:マイケル・マン
出演:アル・パチーノ/ラッセル・クロウ/クリストファー・プラマー/ダイアン・ヴェノーラ/フィリップ・ベイカー・ホール/リンゼイ・クローズ/デビ・メイザー/スティーヴン・トボロウスキー/コルム・フィオーレ/ブルース・マッギル/ジーナ・ガーション/マイケル・ガンボン/ネスター・セラーノ/ハリー・ケイト・アイゼンバーグ/レニー・オルステッド

30点満点中19点=監5/話3/出4/芸3/技4

【TVプロデューサーと告発者、タバコ業界との苦闘】
 CBSの看板番組『60ミニッツ』のプロデューサー、ローウェル・バーグマン。徹底して真実を報道する姿勢を貫く彼はタバコの安全性に関する資料を入手、その解説をジェフリー・ワイガンドに依頼する。大手メーカー・B&W社から解雇されたばかりのワイガンドは、タバコメーカー社長らによる「ニコチンに中毒性はない」との証言は虚偽だと告発することを決意。だがワイガンドは脅迫を受け、バーグマンにも圧力がかかり……。
(1999年 アメリカ)

【格の高さとメッセージ性】
 日本料理店でのシーン、日本での勤務経験があり、日本語を話せるという設定のワイガンドは、店の人を「おねえさん」と(日本語で)呼ぶ。このリアリティ、「その場にふさわしい言葉を喋らせる」=ディテールを疎かにせず、ちゃんとした“らしさ”をしっかりと配置してある点が、本作の立っている位置を物語る。
 つまり、格のある映画なのだ。

 露出、アングル、レンズのサイズ、うつすもの・うつさないものの判断に気をつかい、スロー、スピーディな編集も駆使して、空気感たっぷりの画面を積み重ねていく。音楽・音を適確にオン/オフすることによってもたらされる緊迫感も上々だ。
 とにかく、たいしたアクションなしに、ジリジリと緊張を高めていく語り口が見事。「信号で車が止まる」というだけでスリルを感じさせるのだから素晴らしい。

 ポイントごとに、バーグマンの視線を追い、ワイガンドの表情や指先をとらえるなど、登場人物たちの心理描写を大切にしていることもわかる。
 モデルとなったふたりと主演ふたりの4ショット写真をwebで観ることが可能で、まったく似ていないことに驚かされるのだけれど、猛り狂っても穏やかに話しても“熱い芯”を感じさせるアル・パチーノ、ひたすら苦悩に沈むラッセル・クロウ、どちらも良質。

 全体的に、パーツすべてが練りこまれており、スキのない作りであることが印象的な作品である。

 で、本作で描かれているジャーナリズムについて。『ミッドナイト イーグル』の感想で「伝えたいことがある人と、伝えてくれることを待っている人がいるなら、その仲立ちとしてジャーナリズムは十分に存在意義がある」と書いたが、その判断基準からいえば、ワイガンドを誘導した気配の強いバーグマンのやり口も、「なぜ伝えなければならないのか」という部分を曖昧にした本作そのものも、ジャーナリズム映画としては“スレスレ”といったところだろうか。

 ただ、いかにも欺瞞に満ちた局上層部やアンカーマンの言動、カネが支配する社会、すぐにエキセントリックなネタに飛びつくマスコミの体質(それを喜ぶのはわれわれ視聴者に他ならないのだが)など、世の中がどのようにしてできているのかは、よくわかる。
 タバコ会社とTV局(私自身もTVを信用しなくなって久しい)を糾弾する内容であることは確かだけれど、その両者だけでなく、「世の成り立ち」すべてに対して疑問を投げかける作品だといえるだろう。
 同じテーマで、同じ方向へ、異なるテイストで切り込んでいった『サンキュー・スモーキング』と対比して観るのも面白そうだ。

 面白いといえば、コーヒー=カフェインという、世の中に蔓延するもうひとつの中毒性嗜好品を飲む場面がたびたび登場する点も興味深い。あるいはジャーナリズムもまた中毒性の高い行為であるようにも感じられる。中毒を描いた映画、といえるかも知れない。

 思った以上に世界には、「存在の是非を考えることなく、つい手を出してしまうモノ」があふれている。
 救いがあるとすれば、まだ世の中の何たるかを考えることもない幼い娘たちに「あの放送を見せたかった」と語るワイガンドの、未来に対する儚げな希望、何が正しいか自ら考える力が大切だと伝えたい親心。
 それはエゴイズムなのかも知れないけれど、人を前へ進ませる力となりうるイズムなのだと思う。

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2009/10/29

8mm

監督:ジョエル・シューマカー
出演:ニコラス・ケイジ/ホアキン・フェニックス/ジェームズ・ガンドルフィーニ/ピーター・ストーメア/アンソニー・ヒールド/クリス・バウアー/キャサリン・キーナー/マイラ・カーター/エイミー・モートン/ジェニー・パウエル/ジャック・ベッツ

30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4

【スナッフ・フィルムの真実】
 妻と幼い娘を家に残し、各地を飛び回る私立探偵のトム・ウェルズ。ある大富豪の未亡人から依頼された今回の仕事は、金庫に収められていた8mmフィルムの謎を突き止めること。そこには少女が殺害される現場が記録されていた。作り物なのか? 本物の殺人を撮影した“スナッフ・フィルム”なのか? だとしたら被害者は誰で、何のために作られ、なぜ名士と呼ばれる人物の金庫に入っていたのか? ウェルズの調査が始まる。
(1999年 アメリカ/ドイツ)

★ややネタバレを含みます★

【前後半のバランスは悪いが、意味を持つ作品】
 いかにもシューマカー的な、破綻のない、真っ当な映画、という印象。
 前半では、手がかりを順にたどりながら少しずつ真相へと近づいていくウェルズの様子が丁寧に描かれる。冗漫ではなく、都合が良すぎるわけでもなく、必要なことを必要なだけ提示し、適度なテンポで次へ進む、というイメージ。裏商売の店で、KIDSのコーナーの商品に触れ、思わずその手をジャケットで拭うウェルズの姿が、いい。

 一転して後半は、サスペンス・アクション。無理やりエンターテインメントへ持っていこうとしたせいか、ウェルズが頑張りすぎる動機づけが弱く、やや安っぽく、トータル・バランスを欠いたきらいはあるものの、長回しでウェルズを追っていく侵入シーンのハラハラ感はなかなかのものだろう。

 浮かび上がってくるテーマは、ふたつ。

 まずは映画(フィルム)の持つ力について。これはたぶん、作中に登場する危ないフィルムに関わる者だけでなく、すべての映画関係者に対して向けられたメッセージなのだと思う。
 どんなにクソのように思える作品でも、ひとたび瞬間がフィルム上に刻まれれば、それは(こうして誰かが読み解くことを試みるような)意味を持つモノとなる。掘り起こせば死体と哀しみが増えていく、それだけの重みを持つモノにもなりうる。
 パワーに溺れることなく、パワーを自在に操り、何かを伝える1つの作品として仕上げる、その義務と責任が作り手にはあるのではないか? シューマカーをはじめとする本作の製作者たちの、フィルムメーカーとしての、そんな主張を感じることができる。

 このあたりに関係して面白いのは、ウェルズが吸っているタバコ。本来、フィルムを扱う際にはタバコなどの火気は厳禁。一瞬にして燃えてなくなる軽さもまたフィルムの特性であると、印象づけようとしているのだろうか。

 もうひとつのテーマは、狂気に理由などないという事実。
 いや実際、そうなのだと思う。『告発のとき』『ノーカントリー』でも感じたことだが、すでに現代社会は、理由もなく説明もつかない狂気に満ちた、クソったれの世の中に成り下がっているのだ。おぞましい事件の犯罪動機にマスコミがもっともらしい説明をつけようとするのは、単に、わかったつもりになって安心したいから、この世が狂気に満ちていることを認めたくないから。
 ラスト、ウェルズの笑みに漂うのは、守るべきものがあるという安堵や、守っていこうという決意だけではない。クソったれな世界で生きていかざるを得ない娘への、申し訳ない想いと憐憫も、またある。

 正直、それほど面白い映画ではないし、前後半のバランスの悪さも気になるのだが、「世界はこんなふうにできている」という、意外と大きな問題提起の詰まった映画ではないだろうか。

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2009/10/27

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習

監督:ラリー・チャールズ
出演:サシャ・バロン・コーエン/ケン・ダヴィティアン/ルネル/パメラ・アンダーソン

30点満点中17点=監4/話4/出4/芸3/技3

【いざアメリカ! いざカリフォルニア!】
「アメリカと合衆国(!?)」の文化を学習するため、はるばるカザフスタンからやって来たTVリポーターのボラット・サカディエフ。さまざまな人にインタビューを試み、教えを請う中で、彼の地と此の地があまりに大きく異なることが明らかとなっていく。ホテルのTVで観たパメラ・アンダーソンに恋をしてしまったボラットは、プロデューサーのアザマートを説き伏せて予定変更、彼女のいる西海岸カリフォルニアを目指すのだが……。
(2006年 アメリカ)

【笑えば笑うほど、僕らはバカになる】
 この1年の間に「そうか、世界はこういう風に出来ているんだな」と感じさせる作品をけっこう観ていることに気づいた。今回からしばらくは、そういう映画をシリーズで。

 ほんの数年前だったか、海外で「日本はどこ?」と地図を見せてたずねる番組があって、意外なほど多くの外国人が朝鮮半島を指し示すことに驚いた記憶がある。
 けれど、ま、そんなもんなのだ。そもそも連中、アジアなんかみぃんな一緒だと思ってるぞ。プラハの土産物店で「カムサ ハムニダ」っていわれたもんな。

 たぶんカザフスタンの人々も、アメリカのこと以上に日本のことをわかっていないはず。こっちだって同様。カザフスタンといえば、サッカーでアジアから脱退して欧州に加盟したことと、あとはバイコヌール宇宙基地が宇宙開発ファンには有名。それくらい。政治システムも民族構成も言語も知らないし、場所すら不鮮明だ。

 そんな“たがいに知らぬ関係”というか、“どうせ知らないよね、知らなくっても問題ないし”という無知と無関心とを大前提として、嫌悪感すらもよおすほどの奇異&オチョクリを詰め込んだのが、本作。
 未見のかたのためにイメージを述べると「中国人俳優が眼鏡と出っ歯と着物姿の日本人を演じ、アメリカへ渡ってハラキリ」よりも酷い内容。もちろんそれをシャレとしてやっているんだけれど、ヒヤヒヤするくらい際どいジョークになっている。
 ただし、一応はドキュメンタリーの形式を取りつつも、手間ひまをかけ、テイクを重ねたこともわかり、ニセ・ドキュメンタリー=シャレとわかるように作ってある点は誠実か(いや、これ信じちゃう人がいたら、それこそ笑えない)。

 でも、ふと「単なるオチョクリだけじゃないよな」ということに気づいたりもする。アメリカにいろいろな車種がある理由とか、宗教の意義とか、差別と認識されない差別とか、意外な真理がチラホラ。「ふだん深くは考えないけれど、実は奇妙」というモノゴトや価値観が、僕らの周りにいっぱい転がっていることがわかる。

 そう、ボラットと彼が関わる人々を笑うってことは、己の無知を笑い、無関心を省みない自分を笑うことに等しい。これはある意味、ドキュメンタリーよりも鋭く真実を抉り出そうとした映画なのだ。
 日本公開時のキャッチコピーは「バカには理解不能なバカです。」とのことだが、なるほど、これを観て何も考えずギャハハと笑い飛ばす人こそもっともバカ、といったところか。

 そして、ラスト。「お前ら、自分で考えることができるようになったのは何歳からだ?」と、観客はおちょくられる。もちろん言外にあるのは「考えて生きていないだろ」という批判。
 無知と無関心を貫き、自分を中心とする半径数メートルの世界に生き、立派な大人になってもなお自ら思考することなく押し付けに従う、そんな僕らを嘲笑うような映画なんである。

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2009/10/25

モンティ・パイソン/人生狂騒曲

監督:テリー・ジョーンズ/テリー・ギリアム
出演:グレアム・チャップマン/ジョン・クリーズ/テリー・ギリアム/エリック・アイドル/テリー・ジョーンズ/マイケル・ペイリン/キャロル・クリーヴランド/サイモン・ジョーンズ/パトリシア・クイン

30点満点中16点=監4/話3/出3/芸3/技3

【生きる意味を問う】
 宗教、教育、戦争、美食、病気、経済活動……。さまざまな事象や価値観が蠢くこの世界で、人はなぜ生きるのか? その意味について、人間の誕生と成長、そして死を描くことで考える。という内容ではあるが、体裁としてはブラック・ジョークに満ちた(というかジョークだけの)短編オムニバス連作映画。イギリスのコメディ集団モンティ・パイソンによる映画第4作。
(1983年 イギリス)

【人生に何の意味があろうか】
 モンティ・パイソンといえば、子どもの頃にカルチャー・ショックを受けたものの1つ。なんていうか、「おっそろしくクダラない(または、よくわからない)」と「オモロ怖いっ」ていうイメージ。いま観ても、その印象は同じだ。

 作りはテレビ・サイズのコントの羅列。劇場版の志村けん、みたいな。しかも、やっていることは下ネタでグロでナンセンスでシュールで悪趣味。劇場用映画として考えると、かなり厳しい。
 ただし、ロケ地選びや美術や撮影には、かなり気合いが入っている。ミュージカルのシーンなんか、そのまんま『オリバー・ツイスト』に混じっていてもおかしくないデキだ。オープニングを飾るクリムゾン終身保険会社のエピソードも、まるっまるギリアム風味のグチャグチャで楽しいし。
 うん、バカはこうやって大真面目にやってこそバカとして成立する。

 で、そこで述べられていることは……。
 原題である『The Meaning of Life』の通り、人生の意味を考察することがタテマエになっていて、ラストには正々堂々と答えまで出す。そりゃあもう納得するしかない「すべてを超えて仲良くする」という答え。
 が、1つ1つのエピソードから漂ってくるのは、どちらかというと「人生に意味なんてないだろうがっ」という、突き放した空気だ。生涯賃金よりも高い医療機器に囲まれて生まれ、否定したくなるほど理不尽な信仰に囚われて身動きできず、権力に小突かれ、争いに巻き込まれ、スノッブに育ち、つまらないことで命を落とす。そんな人生に何の意味があろうか。

 っていう、実は深遠な内容を、ホンットどうでもいいくらいクダラなく、狂気とともにフィルム化した作品。
 嫌いじゃないんだけれど、もっと“いま述べていることの裏”とか“ああそうなんだよね的な出来事”を感じさせてくれるコメディが個人的にはより好みなので、ちょっとブットビすぎているようにも思う。
 まぁそこがモンティ・パイソンの良さなんだが。

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2009/10/21

ウィッカーマン

監督:ニール・ラビュート
出演:ニコラス・ケイジ/エレン・バースティン/ケイト・ビーハン/フランセス・コンロイ/モリー・パーカー/リーリー・ソビエスキー/ダイアン・デラーノ/マイケル・ワイズマン/エリカ=シェイ・ゲイアー/クリスタ・キャンベル/エミリー・ホームズ/ゼンフィラ・ゴスリング/マシュー・ウォーカー/アーロン・エッカート/ジェームズ・フランコ/ジェイソン・リッター

30点満点中16点=監3/話2/出4/芸4/技3

【消えた少女、謎めく島民】
 目の前で起きた事故が心に傷を刻み、休職を余儀なくされている白バイ警官のエドワード・メイラス。彼のもとへ1通の手紙が届く。差出人はエドワードの前から姿を消した元婚約者のウィロー、内容は「娘のローワンが行方不明になった……」。ウィローの故郷であるサマーズアイル島へ飛び、捜査を開始したエドワードだったが、共同生活を営む島民たちはローワンなど知らないという。エドワードは、その怪しげな雰囲気に不信感を募らせる。
(2006年 アメリカ/ドイツ/カナダ)

★ネタバレを含みます★

【リアリティに欠け、まったり感漂う】
 30年前に作られた映画のリメイク。オリジナルは観ていないけれど、わざわざ撮り直す必要あったのかなぁ。

 監督ニール・ラビュートは『ベティ・サイズモア』の人。あちらは「各シーンが少々おっとりとしすぎ」と感じたが、今回もその特徴は生きている。
 カメラを大きく動かしたり俯瞰をポンと挟んだり、スケール感創出のための工夫はある。ミステリアスな空気はキープできているし、島の風景もそれなりに美しく、ありがちなBGMでスリルを盛り上げる手堅さも感じる。
 が、カット数は少なめ、全体としてまったり、「観ていて面白い」という場面がほとんどない

 だいたい、数十年前ならともかく、現代を舞台にするには無理のある設定でリアリティに欠ける。それに、ここまで焦らす必要もないはず。エドワードが島に着いた途端、ポカリとやっちゃえばよかったんだから。
 たとえ「オカルトだから、これくらい無理のある話でもOK」と考えたとしても、エドワードはキャラクター設定も行動基準も曖昧だし、ウィローもどっちつかずで、展開がまったりしているんだから、キツイ。
 なんとか色を塗って“観られる”ものにはしたけれど、そもそもの骨格がしっかりしていない彫刻、という感じだ。
 いっそのこと『ホット・ファズ』みたくコメディにしちゃえばよかったのに。ああそれじゃあ『TRICK』か。でも、もともと1時間程度が最適なお話だし、主演・阿部寛、横に仲間由紀恵で、なんぼか面白くなるんじゃなかろうか。

 観るべき点があるとすれば、女優陣。ケイト・ビーハンの潤んだ瞳とか、文芸作品に似合いそうなモリー・パーカーの「ツン」具合とか、リーリー・ソビエスキーの得体の知れない美しさとか。

 で、まさかとは思うが、そのリーリーとジェームズ・フランコの主演で続編が作られたりして。ドタバタなら観てみたいけれど。

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