2018/04/16

アベンジャーズ

監督:ジョス・ウェドン
出演:ロバート・ダウニー・Jr/クリス・エヴァンス/マーク・ラファロ/クリス・ヘムズワース/スカーレット・ヨハンソン/ジェレミー・レナー/トム・ヒドルストン/クラーク・グレッグ/コビー・スマルダーズ/グウィネス・パルトロー/ハリー・ディーン・スタントン/パワーズ・ブース/ステラン・スカルスガルド/サミュエル・L・ジャクソン/ポール・ベタニー(声の出演)

30点満点中17点=監3/話3/出4/芸3/技4

【世界を救うべく集められた者たち】
 神の国アスガルドから追放されたロキが地上に姿を現し、正体不明のエネルギー源“テッセラクト”を奪う。悪の軍勢チタウリを地球に呼び寄せ、世界を征服しようというのだ。フューリー長官のもとに集まった特殊能力者たち=アベンジャーズだったが、アイアンマンとキャプテン・アメリカはいがみあい、ソーは自身とロキの遺恨を優先させ、ハルクは暴走。ロキの策略により窮地に追い込まれた結束力のない集団は、世界を救えるのか?
(2012年 アメリカ)

【不満の残るお祭り】
 東映まんが祭ならぬマーベルまんが祭ですな。こちとら『マジンガーZ対デビルマン』とかで免疫のある世代ですから、ちょっとやそっとじゃコーフンも感心もしませんからね。

 そう、お祭りなのだ。なぁんも考えずに楽しめばよろしい。崩れる大地に逃げ惑う人々、空中要塞での激闘にNY街中の大決戦。バトルとパニックとヒーローのカッコよさが、本作のセールスポイントのすべてなのだ。
 科学考証を無視して雰囲気だけで突っ走るところとか、いがみあいが“取ってつけた感”たっぷりだとか、人智を超えた勢力なのにパワーはロキ以下で物理攻撃ばかりに頼っていたりとか、「宇宙の命運を左右する戦いを、バスや銀行に閉じ込められた人を救うっていうミクロなとこに落とし込んでるやん。スケール小さっ」とか、そういう細かなツッコミどころも愛すべきなんである。

 キャプテン・アメリカのダサいユニフォームに対するエクスキューズが用意されている点が面白い。確か『アメイジング・スパイダーマン』にも、こういう配慮が盛り込まれていたはず。アメリカでも「さすがにいまどき、このデザインはないよな」という意識があるんだろう。その気恥ずかしさに言い訳を考えているのが、なんとも微笑ましい。

 ああでもやっぱり、不満かな。個別の作品がそれぞれまぁまぁよく出来ていただけに、メンバーそれぞれの見せ場が相対的に少なくなる今回は物足りない。とっ散らかりすぎないようトニー・スターク=アイアンマンが占めるウエイトを多めにしたことはいいとしても、他のヒーローの要素が弱すぎた感じ。
 キャラクターの描き分けはちゃんとできているんだけれど。

 反面、ブラック・ウィドウの過去とか“自由=やっかいなもの”といったテーマとか「勝手に戦って街を滅茶苦茶にして姿を消す」とヒーローをdisったりとか、思わせぶりに放り込んでおいてそこから掘り下げないファクターが散見されたり。

 もっとシンプルに“力には力を”でまとめればよかったんじゃないか。作品内でも述べられている「力に力で対抗しようとすれば、また新たな強い力を呼ぶ」という皮肉な原理を全編通して貫いて、各自の関係や今回の戦いをまとめたなら、スッキリしっかりとこの映画には芯が生まれたはず。
 キャプテン・アメリカが警官に命令を出すくだりなんか、まさしく「より強い力に従うことの合理性」を見事に描いた傑作場面。こういう部分で楽しさや考えさせる雰囲気を構築していけば、さらに面白くなっただろう。

 また、全体的な見た目のイメージは『アイアンマン』シリーズに近くて新鮮味がないし、物量投入のCGバトルも『トランスフォーマー』には負けている印象だ。

 お祭りとしての華やかさはソコソコあるし、決して退屈させない密度は保っているものの、詰め込むべき要素、まとまり、見せ場のバランス、パワーなど、不満も残る仕上がりである。

●主なスタッフ
脚本/ジョス・ウェドン『トイ・ストーリー』
撮影/シーマス・マクガーヴェイ『路上のソリスト』
編集/ジェフリー・フォード『パブリック・エネミーズ』
編集/リサ・ラセック『プッシング・デイジー』
美術/ジェームズ・チンランド『ファウンテン 永遠につづく愛』
衣装/アレクサンドラ・バーン『マイティ・ソー』
音楽/アラン・シルヴェストリ『特攻野郎Aチーム』
音楽監修/デイヴ・ジョーダン『アイアンマン2』
音響/フランク・E・ユルナー『カウボーイ&エイリアン』
SFX/ダニエル・スディック『G.I.ジョー』
SFX/クリス・ブレンチェウスキー『オブリビオン』
VFX/ジャネク・サーズ『アイ・アム・レジェンド』
VFX/エリック・ナッシュ『リアル・スティール』
VFX/グレッグ・ストラウス『世界侵略:ロサンゼルス決戦』
スタント/R・A・ロンデール『エージェント・マロリー』
格闘/ジョナサン・エイゼビオ『ボーン・レガシー』

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2018/04/13

シェイプ・オブ・ウォーター

監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:サリー・ホーキンス/マイケル・シャノン/リチャード・ジェンキンス/マイケル・スタールバーグ/デヴィッド・ヒューレット/ニック・サーシー/ローレン・リー・スミス/オクタヴィア・スペンサー/ダグ・ジョーンズ

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3

【あらすじ……彼を助け出すために】
 冷戦時代のアメリカ。独り暮らしで聾唖のイライザは、政府の秘密研究所で掃除婦として働いている。そこで出会い、心を通じ合わせた相手はアマゾンから連れてこられた人型の生き物だった。水中に棲む“彼”を研究主任ストリックランドが虐待するのを見かねたイライザは、同僚のゼルダや同じアパートに住むジャイルズらの協力を得て、なんとか“彼”を救い出そうとするのだが……。
(2017年 アメリカ)

【内容について……不寛容な社会に投じられた石】
 言葉を発することができない女性、水棲人間、ゲイ、移民、有色人種など、いわゆる“フツー”ではない人々が苦闘する姿を見せ、「じゃあ“フツー”って何?」「無理解の壁を作るものって、いったい何だろう?」と考えさせる映画。
 自分とは異なるものは排除する。そんな価値観が蔓延しつつある時代の反映として撮られたことは確かだろう。

 自分とは異なる価値観・存在を認めない人たち、さして説得力があるわけではない一般常識に拘泥する人たち、そうした人々が支配する社会。もし、そこで「わかりあえない」と感じたり、あるいは迫害されたり除け者にされたりする場合、解決策が「ここではないどこかで生きる」しかないとしたら、それは哀しいことなんだけれど、そうできるだけであるいはハッピーなのかも知れない。なんて考えさせられたりもする。

 そこにかなりの割合で“性”を絡めた意図を考えるのは、脳の体力も時間もないので、いまはパス。

 考えさせる、とは言っても、エンターテインメントとして仕上げられている。ただ同様の気配を持つダーク・ファンタジーとしては『パンズ・ラビリンス』のほうがずっと自分の好みだなぁ。

【作りについて……キャストたちの仕事ぶり】
 オスカー・ノミネートのサリー・ホーキンスは、なるほど適役で熱演。リチャード・ジェンキンスにも、こういう弾けた人物ができるんだと感心させられる。マイケル・シャノンとオクタヴィア・スペンサーは、いつもながらの安定感。

 ダグ・ジョーンズ(とかアンディ・サーキス)のような存在は、映画作りの歴史の中で当然のように生まれた重要なピースだと思う反面、ある意味では奇跡なんだろうなとも感じる。
 アカデミー賞授賞式で中島春雄氏(ゴジラのスーツ・アクター)が追悼されたことに対して、町山智浩氏がまさに「ダグ・ジョーンズやアンディ・サーキスの先駆けとしてハリウッドにも認められている」的なことを言っていたけれど、つまり、偉大なプロフェッショナルたちが綿々と自分の仕事をまっとうすることによって“中の人”という立ち位置が確立されたわけだ。
 そういう流れを後世に伝える機能を、本作と、水棲人の“彼”は持つ、といえるのかも知れない。

 暗くてシャープで、スケール感はないのに不思議な重さのある撮影、滑らかな語り口を作り出した編集、作品世界へと引き込む美術・衣装・音楽も特徴的。

撮影/ダン・ローストセン『サイレント・ヒル』
編集/シドニー・ウォリンスキー『エクスタント』
美術/ポール・オースタベリー『三銃士』
衣装/ルイス・セケイラ『キャリー』
音楽/アレクサンドル・デスプラ『GODZILLA ゴジラ』

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2018/04/11

だれもがクジラを愛してる。

監督:ケン・クワピス
出演:ドリュー・バリモア/ジョン・クラシンスキー/クリステン・ベル/ジョン・ピンガヤック/アマウォーク・スウィーニー/ティム・ブレイク・ネルソン/ダーモット・マローニー/ヴィネッサ・ショウ/ケイシー・ベイカー/スティーヴン・ルート/ジェームズ・レグロス/ロブ・リグル/ミーヴ・ブレイク/テッド・ダンソン

30点満点中18点=監3/話3/出4/芸4/技4

【閉じ込められたクジラを助けるために】
 1988年。冷気に覆われたアラスカ州バローでは、厳冬のため例年より早く海面が凍りつき、南洋を目指すはずのクジラ3頭が湾内に閉じ込められる。このままでは弱ってしまう。TVマン・アダムのリポートが全米に放映されると、一気に事態は動き始めた。クジラを狩って暮らすイヌピアット族やグリーンピース、この地で石油採掘を目論む事業者、さらには大統領官邸までがクジラの家族救出作戦を進めようとするのだが……。
(2012年 アメリカ/イギリス)

【出来事の周辺を丁寧に描く】
 実話に基づくストーリー。クジラにグリーンピース、と聞くと、われわれ日本人の心には複雑な思いがよぎってしまうわけだが、本作は冷静だ。単なる美談に落とし込まず、また、ともすればヒステリックな描写になってしまいがちな環境問題についても、さまざまな立場の人たちについても、客観的に捉える。

 たとえば、バローへ押し寄せる人に防寒用ダンボールを売る無邪気なネイサン少年や、いきなり宿泊費が高騰するホテルなど、ひとつの話題が小さな経済活動(ぶっちゃけていえば機に便乗しての金儲け)を生むという事実。世論を動かすためは視聴率のアップが必要だという真理あるいは欺瞞。クジラの救助活動を、あからさまにイメージアップのため利用する人々。

 そこには批判精神も確かにあるけれど、むしろ「人の世って、そういうものだよね」と社会の原理を笑って受け入れる温かさや器量を感じる。イヌピアット族の価値観もまた護るべき文化として尊重する姿勢を見せ、その独自性を否定する狭量な勢力に「彼らには血しか見えない」と、鋭くモリを突き立てるのだ。
 マグロウ役のテッド・ダンソンは、海洋環境問題の活動家(しかもかなりの過激派だったらしい)として有名なんだとか。そういう人物に石油開発業者を演じさせる皮肉もある。

 そのうえで、どんな考えも嗤わずに、人の世を動かすのは結局は人そのもの、人と人との関係、自分の信念に従って自分にできることをやるという単純な行動原則だと、誠実に語る作品のように思える。偽善でもPR戦略でもなんでもいいから、まずは行動、なのだ。

 展開は速い。でも作りは丁寧。1カットずつ時間をかけて撮っている雰囲気があるし、クジラのアニマトロニクスやVFXも見事。クジラの会話をベースにしたようなBGMも心地よい。
 ドリュー・バリモアやジョン・クラシンスキーら出演陣は、ややコメディよりの芝居ながら、それが全体としての“軽さ”を保つ効果を担い、観やすくって考えさせる、いい映画へと昇華させている。
 舞台は寒いけれど温かい、温かいけれど冷静。そんな不思議な仕上がりを見せる作品である。

●主なスタッフ
撮影/ジョン・ベイリー
編集/カーラ・シルヴァーマン
音楽/クリフ・エデルマン
 以上は『そんな彼なら捨てちゃえば?』のスタッフ。
美術/ネルソン・コーツ『ザ・エッグ~ロマノフの秘宝を狙え~』
衣装/シェイ・カンリフ『ボーン・レガシー』
音響/ジェイソン・ジョージ『くもりときどきミートボール』
音楽監修/ニック・エンジェル『裏切りのサーカス』
SFX/ジャスティン・バッキンガム『アバター』
VFX/ジョン・ヘラー『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』
スタント/キース・アダムス『インベージョン』

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2018/04/06

スター・ウォーズ エピソード8 最後のジェダイ

監督:ライアン・ジョンソン
出演:デイジー・リドリー/アダム・ドライヴァー/ジョン・ボイエガ/オスカー・アイザック/アンディ・サーキス/ルピタ・ニョンゴ/ドーナル・グリーソン/ローラ・ダーン/グウェンドリン・クリスティー/ケリー・マリー・トラン/ビリー・ロード/アマンダ・ローレンス/ジャスティン・セロー/アンソニー・ダニエルズ/ジミー・ヴィー/ヨーナス・スオタモ/ティム・ローズ/ワーウィック・デイヴィス/ベニチオ・デル・トロ/キャリー・フィッシャー/マーク・ハミル
声の出演:フランク・オズ/ジョセフ・ゴードン=レヴィット/トム・ケイン

30点満点中16点=監3/話2/出3/芸4/技4

【あらすじ……ジェダイの未来、フォースの行く先】
 帝国軍の残党ファースト・オーダーに襲撃されるレジスタンス。多大な犠牲を払って宇宙へ脱出したものの、カイロ・レンらは追撃の手を緩めない。逃げ延びる策を求めて、フィンはある惑星へと赴く。いっぽうレイはルーク・スカイウォーカーと接触。「ジェダイは滅びる」と協力を拒むルークだったが、やがてレイをフォースの覚醒へと導く。光と闇が対決する時が近づいていた。
(2017年 アメリカ)

★★★ネタバレを含みます★★★

【内容について……評価は保留】
 うーむ。期待して2年待ったけどハズレかも知れないなぁ。

 まずは良かった点から。
 序盤のドレッドノート撃墜シークエンスは重量感、スピード感、悲壮感などヒリヒリの詰まった場面。レイの修行、カジノ、フィンとファズマの対決も、このシリーズらしいユーモアと緊迫感に満ちている。ヨーダ登場やミレニアム・ファルコンの飛来を影で示すあたりは、ファン心理をくすぐる部分だ。

 そして、当シリーズを「共和国(ジェダイ)と帝国(シス)の対立からなる星間戦争を舞台としたスカイウォーカー家の興亡史」と捉える立場から見ると、それを成立させるための要素がギッシリと詰まっていて(そもそもこの第3シリーズのゴタゴタの発端はルークとベンの関係の“こじれ”であるわけだ)、これはもう紛れもなく『スター・ウォーズ』だといっていい内容だと思う。

 が、そうした満足ファクター以上に展開面の不満が大きい。
 レイアの復活は、さすがにやりすぎ。これに対してスノークはアッサリと死亡。ラスボス(級)の倒されかたとしては映画史に残るほどの拍子抜け。カイロ・レンはスノークの手のひらで踊らされていたはずだから、この逆転劇は無理目に感じる。
 レイの超絶覚醒とスノークの死亡を除いては、意外とお話が進んでいない(レジスタンスが逃げ延びただけ)のもモヤモヤが募る要因となっている。

 あと「それはいわない約束でしょ」とも思うのだけれど、やっぱりどうしてもカイロ・レン=アダム・ドライヴァーの魅力不足に言及せざるを得ない。ぬぼぉっとしてインテリジェンスが少なくて、なんかこう「こいつの運命を見届けてやるぞ」と決心させてくれないのだ。
 まぁジェダイの騎士としてもシスとしてもスカイウォーカーの血を継ぐ者としても不完全な存在、という意味では、この“どっちつかず感”は適役なのだろう。それにヘイデン・クリステンセンだってエピソード2から3にかけて驚くほどの変身を見せたので、まだ見限れないとも思う。

 ちなみにImdbと自分の評価は、かなり乖離している模様。
 ファントム・メナス……6.5 18点
 クローンの攻撃…………6.6 19点
 シスの復讐………………7.6 20点
 新たなる希望……………8.7 18点
 帝国の逆襲………………8.8 16点
 ジェダイの帰還…………8.4 17点
 フォースの覚醒…………8.0 18点
 最後のジェダイ…………7.5 16点

 世間では旧3部作が神格化され過ぎている点とアナキン3部作の評価がかなり低いことがわかる。ただ今回のエピソード8も手放しで讃えられているわけではなくって、現地でも「正史から除外させよう」という運動が起こっているのだとか。

 それは極端な話。こちらとしては「今回は“つなぎ”。まだ明かされていない謎も多く、完結を待ってあらためて評価しよう」と希望をつなげたい。

 だって、これまで僕ら(および作品内の人々)が考えていたフォースのありかた、ジェダイとシスの形が、間違っていた可能性も示唆されているのだから。ひょっとすると「光と闇の対立構図」「こちらが善、あちらが悪」ではなく、そのバランスこそが肝要なのではないか、と。
 「失敗から学びそれを後世に伝えるべき」と語るヨーダや「ジェダイやシスを超えた新しい時代」を作ろうとするカイロ・レンは、そのことを悟っているのかも知れない。だとしたら心強い限りだ。

 アナキン3部作が「ジェダイの限界を描いた物語」、ルーク3部作が「ジェダイに新しい時代と可能性をもたらす物語」であることは間違いないと思う。そのうえでエピソード7以降に期待していたのは「愛こそが最大のフォースという価値観を確立させる物語」だったわけだが、異なる方向へ疾走してくれるのも、むしろ歓迎だ。
 フォースとは、ジェダイとは、シスとは、何か。その(一応の)回答を提示してくれることを、また2年待つとしよう。

【作りについて……安定感と非安定感】
 前作『フォースの覚醒』から継続しているスタッフは、衣装のマイケル・カプラン、音響のマシュー・ウッド、SFXのクリス・コーボルド、VFXのベン・モリスとマイケル・マルホランド、スタントのロブ・インチ、ニコール・チャップマン、C.C. スミフといった面々。美術として『ワールド・エンド』などのリック・ハインリクスが加入しているが、全体としては『スター・ウォーズ』らしさがキープされていると感じる。立体的かつスピーディな絵作りとか世界観とか。

 それでもどこかに違和感を覚えてしまうのは、製作のラム・バーグマン、監督・脚本のライアン・ジョンソン、撮影のスティーヴ・イェドリン、編集のボブ・ダクセイという『LOOPER/ルーパー』組の色が出ているせいか。
 で、その『LOOPER/ルーパー』に自分は18点とまずまずの高評価を与えているのだけれど、感想を読み返してみてわれながら笑ってしまった。
「突っ込みどころや不満の多いストーリー」「下手にヒネったり要素を増やし過ぎたりすることなくすっきりまとめてみせた」「バリエーション豊かな画面で生み出す緩急、しっくりと馴染むBGM、説明過多に陥らない語り口など、全体に手堅い」「豪胆で雑だけれど、上々のエンターテインメント」。
 はい、今回もそのまんまです。成長しろよ、というか、この監督らしいというか。本質を見抜いていた数年前の自分を褒めてやりたいところだ。

 それと、ギャレス・エドワーズ、エドガー・ライト、ウィリアム王子&ヘンリー王子、トム・ハーディなどのカメオ出演(大半はカットされているようだが)には疑問と不満を抱いてしまう。そういう“甘え”“ちょっと度を越した面白がり”は、観客にシラケを起こさせたり、作品の格を下げてしまう原因となるから。

 デイジー・リドリーは相変わらず可愛く、レイというキャラクターを十二分に体現している。フィンのジョン・ボイエガ、ポーのオスカー・アイザックも、このシリーズに欠くべからざる存在となりつつある。これら主要キャラクター3名が健闘しているからこそ、なおさらアダム・ドライヴァーに“ノれない”ようにも思う。

 今回の3部作(シークエル・トリロジー)が完結した後、さらに3部作が作られる予定で、その製作における中心はライアン・ジョンソン監督が担うのだとか。ただし「スカイウォーカー家から離れた、新たな登場人物による新たな物語」になる模様。うん、まったく別個のものにしてくれるのなら、それはそれで楽しみだ。

 肝心のエピソード9は、ふたたびJ.J.エイブラムスがメガホンを取る予定とのこと。歓迎したい。

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2018/04/02

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。

監督:アンディ・ムスキエティ
出演:ジェイデン・リーバハー/ソフィア・リリス/ジェレミー・レイ・テイラー/フィン・ウォルフハード/ジャック・ディラン・グレイザー/ワイアット・オレフ/チョーズン・ジェイコブズ/ジャクソン・ロバート・スコット/ニコラス・ハミルトン/ジェイク・シム/ローガン・トンプソン/オーエン・ティーグ/ミーガン・シャルパンティエ/スティーヴン・ボガート/スチュアート・ヒューズ/ジェフリー・ポーンセット/モリー・アトキンソン/スティーブン・ウィリアムス/アリ・コーエン/ビル・スカルスガルド

30点満点中19点=監4/話3/出4/芸4/技4

【あらすじ……この街で何が起こっているのか?】
 メイン州デリーで子どもが次々に行方不明となる。姿を消した弟ジョージーを見つけ出そうと、友人のリッチー、エディ、スタンと探索を進めるビル。そこへ転校生のベン、女子の間では鼻つまみのベバリー、屠殺業の見習いマイクも合流。彼らはみな「怖いものの幻が見える」という共通点を持っていた。不良グループからの暴行や親の干渉に悩まされながら、少年たちは真相へと近づいていく。
(2017年 アメリカ/カナダ)

【内容について……心理的恐怖と状況的恐怖】
 小さい頃、何が怖かったかといえば、押入れの中の天井近くに見えていた謎の黒い影。まるで胎児のようなシルエットで、その押入れからは大急ぎで荷物を取り出さなくちゃならなかった。
 それから壁の木目。これは多くの人に思い当たる節があるはず。ムンクの『叫び』みたいに顔を歪めながら地獄へ引っ張り込まれる人を想起させる、アレだ。

 そして、実はピエロも。理由やキッカケは不明だ。なんでもピエロに対して恐怖心を抱く「道化恐怖症」というものが実際にあるらしく、本作(の原作、または以前に作られたTVシリーズ)や、ペニーワイズのモデルとなったジョン・ゲイシー(ピエロの扮装を好んだ実在の連続殺人犯)が原因ではないかと言われているのだとか。でも、原作は未読だし前作も観ていないんだよなぁ。

 だから、もっと根源的な何かがあるのではないかと思う。たとえば古代の地球ではピエロのようなボディペイントやタトゥを施した呪術師が民衆を苦しめていて、その記憶が遺伝子レベルで現代人にも受け継がれているとか。
 そんなわけでヤツは怖れられ、本作や『気狂いピエロの決闘』みたいな映画が撮られたり、ジョーカー(『ダークナイト』)のようなヴィランが生まれたりしているのだ。

 ただし本作のストーリー/演出/雰囲気は、怖いというより「気味が悪い」とか「驚かされる」といったイメージ。『エイリアン』を初めて観たときのほうが、よっぽどブルブルガクガクした。
 まず意外だったのが、ペニーワイズの存在がかなり早い段階で具体的に提示された点。「うわっ」とは思わされたものの、ホラーの常道からは外れた描きかた、「いつ何が出てくるの?」という怖さをいきなりスポイルする。それにこやつ、子どもがバットやチェーンで対抗できる程度のポテンシャルしかなく、もう観るのもイヤだと感じるほどの恐怖はない。

 じゃあペニーワイズの機能は何かと考えると、それでもやはり恐怖の象徴ということになるのだろう。弟や親の死(に対する悔恨)、不気味な絵と写真、自分を不潔だと感じる強迫観念、病気……。そうした、子どもたちの心の中に巣食う“説明できない恐怖”、“冷静な分析や思考を許さずに恐怖を誘う対象物”を吐き出す存在。いわば心理的恐怖の権化。

 そこへプラスして配されるのが“親”たちだ。ルーザーズクラブの7名と不良のヘンリーは、頭ごなしの叱咤、(おそらくは性的なものも含む)虐待、放任やごまかしなど、例外なく親に苦しめられている。この映画の親たちは、子どもたちを状況的恐怖へと陥れる存在となっている。

 そして子どもたちは、心理的恐怖=ペニーワイズとの闘い(失敗すれば消えてしまうという恐怖もある)の中で、何もしなければ何も解決しないことに気づき、勇気を手にし、状況的恐怖からも抜け出そうとする。親たちによる抑圧と束縛と無理解を、一応の恭順や反発、あるいは親殺しという強硬手段によって、克服したり、やり過ごす術を身につけていくのだ。
 もはやホラーというよりジュブナイル/ビルドゥングスロマンの趣である。

 ただ、完全な答えはまだ出ていない。
 例の押入れの中の黒い影は、結局ホコリの塊で、明かりを照らせば胎児とは似ても似つかぬ形をしていた。壁の木目だって、いまでは屁とも思わない。代わりに、大人になって痛切に感じるのは「お金がないのって怖い」ということだったりする(笑)。
 本作の少年たちが抱える心理的恐怖と状況的恐怖はもう少し深刻だけれど、さあ果たして、本当に心理的恐怖を払拭し、状況的恐怖を打開することができたのか(早い話が大人になるための一歩を踏み出せたのか)、そのためにどんな手段・態度を取っていくのか、定かではない。

 続編も観ざるを得ないわけだが、2年も待つことになるとは、それこそ恐怖である。

【作りについて……キャストの力】
 前述の通り、かなり早い段階でペニーワイズの姿を見せてしまうのが意外。「何者の仕業?」「いつ何が出てくるの?」という怖さは薄れるわけだが、それが奏功。少年たちが対処したり乗り越えたりしなければならないものと、実際に乗り越えていく様子とを、たっぷり見せてくれる。
 状況的恐怖と心理的恐怖の中で少年たちが心を通じ合わせていく描写は、ほとんど『スタンド・バイ・ミー』。たぶん原作からしてそうなんだろう。ただ、それが二番煎じ的な安さにならず、上等な“子どもたちの物語”になっているのは、脚本のひとりとしてクレジットされているキャリー・フクナガ(『闇の列車、光の旅』)のセンスが大きかったのではないだろうか。

 シャープかつ絶妙の闇を映し出す撮影と、テンポのよさと不安の盛り上げを両立させた編集も見事。ほどほどの規模を持つ街の中層階級の子どもたち、という雰囲気もよく出ている。
 撮影監督のチョン・ジョンフンは『お嬢さん』の人、編集ジェイソン・バランタインは『キラー・エリート』の人、美術クロード・パレは『猿の惑星:創世記』の人だ。

 ほぼ全編に渡って響き続ける重厚な音楽と、次のシーンのSEを前のシーンに少しだけ乗っける手法が、恐怖を煽る。音楽は『ブレードランナー2049』のベンジャミン・ウォルフィッシュ、音楽監修は『マリリン 7日間の恋』のデイナ・サノ、音響は『ドライヴ』のヴィクター・レイ・エニス。

 ヘアメイク/スペシャルメイクには『サイレント・ヒル』『シューテム・アップ』『エスター』などに携わったスタッフが起用されていて、SFXは新『キャリー』のウォーレン・アップルビー、VFXは『エリジウム』のニコラス・ブルックス。確かな技術で作品世界を作り上げている。

 これらをまとめ上げるのは王道ショッカー演出。ビクっとはさせられるけれど、ある意味では想定の範囲内、「安心してビックリできる」という印象。「そんなのアリか?」がない。なので、本作の持つジュブナイル/ビルドゥングスロマンの味わいを悠々と楽しむことができる。

 過去のスティーブン・キング作品へのオマージュやリスペクトも感じる。まぁ本作の原作にそうした描写があるのかも知れないが、血の奔流は『シャイニング』『キャリー』を思わせるし、わざわざ少年たちの背景に陸橋を渡る貨物列車をうつし込むなんて『スタンド・バイ・ミー』を意識しているのは明らかだろう。

 主要キャラクターの個性と配置と見た目も『スタンド・バイ・ミー』的なのだが、その楽しさとは別に、みんな上手い。相変わらずアメリカは幼い才能の宝庫だ。ほとんどの子役が長編デビューかそれに近いキャリア、せいぜい「アマンダ・セーフライドやロバート・カーライルの子ども時代を演じました」程度なんだけれど、きっとここから次代のスターへと育っていくのだろう。

 とりわけジョージー役ジャクソン・ロバート・スコットくんの無垢な可愛らしさは、本編へと一気に引き込む力にあふれている。ベバリー役ソフィア・リリスは、華のある顔でも強烈な芝居でもないものの、近い将来ミニシアター系で主役を張れそうなキュートさと奥の深さを感じさせる。ベン役ジェレミー・レイ・テイラーも、キッパリとした好感度の高い芝居を見せてくれる。

 大人たちも、ほぼ無名の顔ぶれ。だからこそ余計なことを考えずにすむので、歓迎すべきキャスティングだ。

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2018/03/09

KUBO/クボ 二本の弦の秘密

監督:トラヴィス・ナイト
声の出演:アート・パーキンソン/シャーリーズ・セロン/マシュー・マコノヒー /ルーニー・マーラ/ブレンダ・バッカロ/ケイリー=ヒロユキ・タガワ/ジョージ・タケイ/メイリック・マーフィ/レイフ・ファインズ
日本語吹替版:矢島晶子/田中敦子/ピエール瀧/川栄李奈/羽佐間道夫/小林幸子

30点満点中18点=監3/話2/出5/芸4/技4

【あらすじ……父と母の想いを弦に込めて】
 三味線の音で自在に折紙を操る少年クボは、その特技で小銭を稼ぎながら隠れるように暮らしていた。が、父を殺した“月の帝”に見つかり、いま母親まで犠牲となってしまう。生き延びたクボは月の帝を倒すための旅に出る。探すべきは3つの武具、ともに歩むのはお守りが実体化したサルと、かつて父に仕えていたたクワガタ。彼らの道行きを“闇の姉妹”が追い詰めていく。
(2016年 アメリカ アニメ)

★★★ややネタバレを含みます★★★

【内容について……お子様向けシンプル&ゴッタ煮】
 ウィローだって桃太郎だって、世界を救う者は“流されてくる”のが世界共通の理(ことわり)。モーゼもまたナイル川で拾われていて、そのモーゼの『十戒』のごとく海を割って新天地へと辿り着く登場シーンから、早くもクボの運命は明確である。

 で、その後の展開は、まさに桃太郎(お供はサルと折紙とクワガタだ)だったり『ゴースト・ハンターズ』だったり『ヘンゼルとグレーテル』だったり。村人との交流~武具集め~最終決戦という流れはミッション・クリア型アクションRPGを思わせるし、音楽を武器にラスボスと戦うところなんか『MOTHER』じゃん。水中の目の化け物は『悪の華』か。

 恐れ知らずのゴチャ混ぜテイスト。でもストーリーそのものは複雑じゃなくて、むしろシンプル、ぶっちゃけお子様向け。登場人物は限られている(特にヴィランは闇の姉妹と月の帝だけだ)し、唐突なところもあるし、世界の広がり感には乏しいし。

 脚本クリス・バトラーのほか、大部分の主要スタッフが『コララインとボタンの魔女』や『パラノーマン ブライス・ホローの謎』と共通している。
 両作の感想を読み返してみると「幻惑のストーリー」とか「決定的な楽しさ・面白さには欠ける。世界の小ささや、幻惑の中に観客を引き込んだだけで満足してしまったのが原因」、「性急かつ強引で説得力やお話としてのまとまりに欠く」、「せっかくメッセージ性も高い作品なのにお子ちゃま向けのドタバタにとどまってしまった」……。今回にも当てはまる特徴だ。

 もう少し風呂敷を広げてもよかったし、闇の姉妹と月の帝の冷酷さや霊力の強さを印象づける具体的なエピソードも盛り込むべきだったよなぁ、と感じる。次々に送り込まれる刺客や罠を、クボたちが機転と特殊能力で乗り越えていく、というTVシリーズで見たかったところだ。

【作りについて……表現力の凄さと極上のキャスティング】
 クボが三味線を奏でるシーンの左手の指の動きに、なんかもう泣きそうになる。『コラライン』や『パラノーマン』は「ストップモーションの特徴であるカクカクとした挙動を意識的に採り入れてアクセントを作り、コマ単位でデフォルメされている気配もある」という作りだったけれど、今回は“なめらかさ”や“微妙な動き”に力を入れている印象だ。

 弓を射るクワガタやサルのダイナミックなアクション(格闘演出は『トロン:レガシー』などのアーロン・トニー)はスピーディだし、しかも俯瞰とかアップとかカメラを動かしながらとか、画面レイアウトもバリエーションに富んでいる。

 人物の表情はてっきりCG処理だろうと思っていたのだが、これもパーツを細かく取り替えながら撮影しているのだとか。パンフレットによれば「クボの表情は4800万通り」「サルは3000万通り」「1つのカットで使われた顔パーツは最大で408個」。
 気の遠くなるような作業だが、それだけの手間暇をかけただけのことはある。人形がここまでの感情表現を見せられるのかと畏怖すら抱かせる仕上がりだ

 いかにも“欧米から見た日本人”という人物たちの造形(目が細くて吊り上がっている)は、好みが分かれそう。でもまぁ欧米のクリエーターは東洋系だろうがアフリカ系だろうがアングロサクソンだろうが徹底してデフォルメするから、それほどナーバスになる必要はないのかも知れない。
 それに、全体的な美術や雰囲気作りなども含めて、単に日本っぽさを上っ面だけ撫でるのではなく、製作者たちなりの解釈で再構築しているイメージもある。

 サルの毛並のほか、紙、雪、岩、水、闇など、ありとあらゆるものの質感再現は極上。月やロウソクの灯りも鮮やかに表現し、霊力を宿したキャラクターの輪郭のボヤケなど見せかたの配慮がいちいち憎らしい。

 キャラクター・デザインのシャノン・ティンドル、アニメーション・ディレクターのブラッド・シフ、美術のネルソン・ロウリー、VFXのスティーヴ・エマーソンらは、いずれも『コラライン』や『パラノーマン』にも関わった面々。彼らの底力、面白さやリアリティ創出のために必要と思われることにはいっさい手を抜かないプロフェッショナリズムに脱帽である。

 サウンドトラック(音楽は『路上のソリスト』のダリオ・マリアネッリ)がまたよくって、洋楽風・クラシック風の楽曲にここまで三味線を馴染ませるとはお見事。音響効果(『シークレットウインドウ』のティム・チョウ)も場面のスピード感を増強する。

 字幕版の上映時間が極悪だったのでやむなく吹替版で鑑賞したのだが、これが大正解。字幕を目で追う必要がない=キャラクターの動きに集中できるのはもちろん、キャスティングが素晴らしい
 矢島晶子の、圧倒的なクボ感。しんのすけとも鴨川アスミとも違う芝居なのは当然として、クボが「過酷な運命に翻弄される不思議な少年」であることに疑念を抱かせないのだ。日本に矢島晶子がいることが、本当に幸せだと思う。

 田中敦子のサルは貫録たっぷり。これまた草薙素子と異なり、どこかしら母性を感じさせるのがさすが。羽佐間道夫による月の帝と小林幸子の老婆は、変に力を入れ過ぎず、自分たちがあくまでクボを引き立たせるキャラクターであることをわきまえている印象だ。

 クワガタは、まんまピエール瀧なのだけれど、この漢らしさと愛嬌の混じったキャラクターにピタリとハマる。最大の驚きは川栄李奈による闇の姉妹。音響効果とキャラ設定に助けられている面はあるものの、いやこれ純粋に上手いぞ。完璧な闇の姉妹感。「タレントや女優を安易に声優として起用する」ことに対する不平や異議を黙らせるのに十分な演技だ。

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2018/01/11

新感染 ファイナル・エクスプレス

監督:ヨン・サンホ
出演:コン・ユ/キム・スアン/チョン・ユミ/マ・ドンソク/アン・ソヒ/チェ・ウシク/キム・ウィソン/ソヒ/チェ・ギファ/ジョン・セキョン

30点満点中20点=監4/話4/出4/芸4/技4

【あらすじ……惨劇を乗せて特急は走る】
 特急列車KTXでソウルからプサンを目指すのは、証券会社勤務のソグと幼い娘スアン。だが乗客のひとりが凶暴化して周囲を襲い始めると、その症状は被害者にも次々と伝染していく。力自慢のサンファとその妻で身重のソンギョン、高校生カップルのヨングク&ジニらとともに、走る惨劇と化したKTX内で、あるいは駅で、生き延びようと奮闘するソグ。韓国全土にパンデミックとパニックが広がる中で、彼らは逃げ切ることができるのか?
(2016年 韓国)

★★★ネタバレを含みます★★★

【内容について……設定から展開、そして描写へ】
 ある程度は意識的にゾンビ映画を追っかけているとはいえ、まさか年に3本も劇場で観ることになろうとは。しかもうち2本は“ゾンビ映画のオールタイム・ベスト10”候補だよ。
 1本目の『ディストピア パンドラの少女』は「ゾンビ映画の変化・進化の過程/セカイ系ゾンビ映画」といえる尖がった内容だったけれど、2本目のこちらは真っ向からゾンビ・パニックを描いた正統派だ。

 まずは「襲われる恐怖、追い詰められる恐怖、自分もゾンビ化してしまう恐怖、愛する人がゾンビ化する恐怖、誰が敵なのかわからない恐怖、極限状態に置かれることで信頼関係が破綻する恐怖……などを描くべし」というゾンビ映画の基本ルールをクリア
 ごくごく単純に、こうした要素を盛り込めばそれだけで楽しくなるってことがよくわかる。

 新しいアイディアとしては、もちろん列車内を舞台とした点。いわば走る密室。また感染者の思考能力が落ちることや活動原則(自力ではドアを開けられない/人間が見えたら襲ってくる)を明示している点も面白い。
 主要人物たちの立ち位置・価値観を「この人を守らなきゃ」で統一(父娘、夫妻、恋人、老姉妹)し、そこに身勝手で小心者のクソジジイを絡めたキャラクター配置も、意外とゾンビ映画では新鮮かも知れない。

 まぁ「この映画のために用意された設定&シチュエーション」という雰囲気は否めないものの、それがしっかりとスリルを盛り上げるためのキーとなっているのが誠実だ。

 逃げ場がない、だから瞬く間にパンデミックへと至るし、もう突破するしかない。外界と隔絶され、情報がなかなか入ってこないから焦る、あるいは対応が後手に回る。クソジジイが「良かれと思って」取った行動は事態を悪化させ、それが主要登場人物3組への感情移入を促進させる。
 ノンストップ・サバイバルと銘打っているけれど、実際には緩急自在だ。「うわっ」という瞬発的恐怖だけでなくジリジリとした脂汗的な怖さも味わわせてくれるし、駅や横転した車両など無理なく舞台を広げて単調にしない工夫もある。

 噛みつかれた人たちが豹変する感染速度が素晴らしい。物語のスピード感を損ねない、いいテンポ。感染者がカクカク動きジタバタと暴れる描写はどこかパペット的で、その気味悪さは「理解しがたい相手、近づいてはならない敵」としての恐怖を増幅させる。
 感染者どもは走るどころか飛び降りて群がってジャンプして執拗に追いかけてくる。「来た来た来たぁっ」という問答無用の圧迫感。人間を見つけたら反射的に襲ってくる、そのタイミングの取り方も絶妙だ。ロメロ版『ゾンビ(Dawn of the Dead)』では「They must be destroyed on sight!」と人間側が叫んだが、ここでは感染者がまさしく「見つけ次第、襲えっ」とばかりに行動する。

 設定&シチュエーションを生かしつつもチャレンジングな展開、そして描写の妥当性。一本筋が通った映画だと感じる。
 そして、あのオチ。大好きなハインラインの『猿は歌わない』を想起させて、いやはや感動してしまうほどの締めくくりだ。

 ゾンビ映画の定石に真正面から取り組みながら、独自性も盛り込み、展開と描写の上手さで唸らせる。大収穫といえる1本である。

【作りについて……ホーム・テリトリーの魅力を引き出す】
 序盤、ソグとスアンがKTXに乗るまでがやや間延びしているようにも思えるものの、鑑賞後に振り返ると、決して省略できないパートだとわかる。また列車内のカメラワークは『スノーピアサー』の方がダイナミックだったかも知れないが、閉塞感・緊迫感・臨場感は負けていない。

 カクカクジタバタする感染者、ワラワラと軍人ゾンビが襲来するシークエンス、感染者が集団で引きずられる場面での画角などにアニメっぽさを感じたのだが、案の定、監督はアニメ出身らしい。自分のホーム・テリトリーから上手くテクニックを引っ張ってきて魅力を作り出している。

 怪力サンファのキャラクターもアニメっぽく、マ・ドンソクの実直でキッパリした芝居とも相まって、展開を動かす原動力となっている。ヨンソク役のキム・ウィソンも、もう見るからに小悪党というか、どこにでもいる保身主義者の体臭をプンプンと放って気持ち悪い(褒め言葉)。
 アン・ソヒは、画像検索で見つかる妖艶で小悪魔チックな顔とは違って、懸命で子供っぽくて可愛いジニを好演。ソギョン役のチョン・ユミも、実力派の佇まいが場面を締める。スアンのキム・スアンも達者だ。KTXのキャビンアテンダント(ウー・ドゥイム)も、なにげに美人。

 主人公たるソグは、やり手のファンドマネージャーという部分、パンデミック発生の遠因が自分にもあるかも知れないという“考えたくはないやりきれなさ”などが、やや掘り下げ不足。ただコン・ユの普通っぽさが、この作品の雰囲気にはハマっている。

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2017/12/17

ダンケルク

監督:クリストファー・ノーラン
出演:フィオン・ホワイトヘッド/アナイリン・バーナード/フィオン・ホワイトヘッド/アナイリン・バーナード/ハリー・スタイルズ/マーク・ライランス/トム・グリン=カーニー/バリー・コーガン/キリアン・マーフィ/トム・ハーディ/ジャック・ロウデン/ジェームズ・ダーシー/ケネス・ブラナー/マイケル・ケイン(声の出演)

30点満点中18点=監5/話2/出3/芸4/技4

【あらすじ……その兵士たちを救えるのか】
 第二次世界大戦中、ドイツの猛攻に遭いフランス北部の港町ダンケルクに追い詰められた英仏連合軍。ボルトン中佐の指揮のもと大勢が救出を待つ海岸では、トミーら若い兵士が一刻も早く撤退しようと悪戦苦闘する。ドーバー海峡を挟んだイギリスからは、ドーソン氏の操舵で小さな民間船がダンケルクを目指し出港。空からはスピットファイアを駆ってファリアーら空軍も援護に向かっていた。果たして数十万人の脱出劇は成功するのか?
(2017年 イギリス/オランダ/フランス/アメリカ)

★★★ややネタバレを含みます★★★

【内容について……描かれているのは、意外と内面】
 戦地では人間の心の中で、まずは2つの思いがせめぎ合う。すなわち「死ぬかも知れない」「死にたくない」だ。

 なんとか生き延びようと海岸でジタバタするトミーら下級兵士は、ひたすら「死にたくない」を行動原理として手を尽くす。愚かで滑稽で卑怯にも見えるけれど、とにかく純粋だ。いつもより知恵と度胸も沸いて出る。
 ただしそれが上手くいかないと、こんどは“自分より弱い他者”を攻撃しはじめる。なるほど足手まといを排除すれば集団としての生存確率は上がるだろうが、弱者を虐げることで「死ぬかも知れない」という恐怖を打ち消そうとする魂胆も見える。
 また、足手まといを排除することで「残った俺たちは強い」、だから「死にっこない」という3つ目の心理を手に入れて、その幻想も恐怖に対抗するための拠り所となるのかも知れない。

 撤退の指揮を執るウィナント大佐やボルトン中佐は、冷静に3つの心理のバランスを取る。「死ぬかも知れない」と分析しつつも決して焦りで我を失うことなく、「死にたくない」ならどうすればいいかを計算・実行し、部下たちを勇気づけるべく「死にっこない」という態度も示す。
 恐怖に幻想で対抗するのではなく、あくまで指揮官として為すべきことをおこない、その手続きが自信を呼び、自信によって恐怖に打ち克つ、といったところだ。

 ミスター・ドーソンら船を走らせる人たちは「死ぬかも知れない」「死にたくない」をひとまず心の奥底に隠す。でも「死にっこない」という過信には溺れない。
 そして、原動力となっているのは「死なせたくない」だ。
 息子を戦争で亡くしているミスター・ドーソンの中に芽生えた、この4つ目の心理は、ひょっとすると観客……戦争で死にそうな経験をした人などほとんどいないわけだし……にとって、もっとも感情移入しやすいものではないだろうか。
 思えば現代の反戦活動の多くも、「(自分が)死にたくない」ではなく、「(大切な人を)死なせたくない」がベースにあるように思う。非武装・非戦力の一般市民が戦争に対する当事者意識を持とうとするときには、この心理が大きな触媒となるのは確かだろう。

 空軍のファリアーやコリンズは、より強く「死なせたくない」と「死にっこない」を発露する。何も考えず機械的かつ最大限にベストを尽くしているようにも見える。たぶん、無条件にそこまで突き抜けることがいい兵士の条件なのだろう。
 が、帰還用の燃料を残さず追撃する道を選んだファリアーの行動は、決してベストとは言い切れない。それでもラスト、やるべきことをやり尽くした後、敵軍に捕獲されたファリアーは無表情だけれど、どこか誇らしく、同時に諦観も漂わせている。それは彼が、いい兵士ではなくいい人間であろうとして、このような選択をしたからなのだろう。

 死ぬかも知れない。死にたくない。死にっこない。死なせたくない。恐怖と覚悟、本能と願望、自信と幻想、決意と祈念。それらのバランスが、人の行動を決める。
 ただ、どれが強くたって、どう行動したって、死ぬときは死ぬ。本作の登場人物たちは運よく生き延びたけれど、その陰には死んでいった人たちも大勢いるわけで。あるいは生き延びたとしても、船に救出された英国兵のように、もう死について考えたくないと心を麻痺させる者も出てくる。

 表面的には“出来事(救出劇)を描いた映画”だが、実は、その出来事の中でうごめいている“人の内面”を、そこかしこから読み取れる作品なのかも知れない。

【作りについて……徹底したリアリティ】
 陸・海・空の3軸で展開するわけだが、時制の管理が独特。リアルタイムに進行させながらも、微妙に前後し重複する。陸の1・2・3→海の2・3・4→空の2・3→陸の4・5→海の5・6→空の4……みたいなイメージだ。そんな必要あったか、効果的か、と考えると疑問は残るものの、ユニークであり、この作りが不思議な感覚を呼ぶのも確か。

 フィルムにこだわり、IMAX70mmを使い倒したあたりはノーラン監督の真骨頂。「映画を観た」という満足感のある画だ。
 実際に撤退作戦がおこなわれた場所で撮影されたらしく、本物の軍艦を海に浮かべ(ひょっとしたら沈めるところまでやってるかも)、アンティークの飛行機を飛ばし、現場で爆撃の特殊効果までやらかしたんだとか。ギッシリ身を寄せ合って救出を待つ兵士の列は、1500人のエキストラに加え、厚紙を切り抜いて作った兵士を並べたそうだ。

 偏執狂的な取り組みがリアリティを生み、映画を映画たらしめる、ということがよくわかる。そうなんだよ、やっぱCGではなく、船はどーんと浮かび、戦闘機はぐーんと飛んでこそ、作品と観る側の距離も近くなるんだよ。

 ただ、この戦場はヒリヒリしているか、と問われると、『プライベート・ライアン』以来、もうさんざん打ち合いや爆発の中に叩き込まれている現代の観客からすると、ちょっとキレイすぎるかも知れない。

 役者ではファリアー役トム・ハーディが秀逸。ほとんど顔は見えないのだけれど、空編の主役、エースパイロットとしての存在感を始まりからラストまでキープする。

●主なスタッフ
撮影/ホイテ・ヴァン・ホイテマ
美術/ネイサン・クロウリー
ヘアメイク/ルイーザ・アベルとパトリシア・デハニー
編集/リー・スミス
音楽/ハンス・ジマー
音響/リチャード・キング 以上『インターステラー』
衣装/ジェフリー・カーランド
スタント/トム・ストラザース 以上『インセプション』
SFX/ポール・コーボルド『ウルフマン』
VFX/アンドリュー・ジャクソン『ノウイング』

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2017/12/07

ベイビー・ドライバー

監督:エドガー・ライト
出演:アンセル・エルゴート/リリー・ジェームズ/ジョン・ハム/エイザ・ゴンザレス/ジョン・バーンサル/CJ・ジョーンズ/フリー/ラニー・ジューン/ハル・ホワイトサイド/ポール・ウィリアムズ/スカイ・フェレイラ/ランス・パルマー/ハドソン・ミーク/ブローガン・ホール/ジェイミー・フォックス/ケヴィン・スペイシー/ウォルター・ヒル(声の出演)

30点満点中19点=監4/話2/出4/芸4/技5

【あらすじ……恋と音楽とハンドルと】
 子どもの頃に交通事故で両親を亡くし、自身も酷い耳鳴りに悩まされるようになった寡黙な青年ベイビー。そんな彼も、ひとたびイヤフォンを耳に突っ込んでゴキゲンな音楽を再生すれば能力全開、驚異的なドライビング・テクニックを披露する。ある事情から犯罪集団のボス=ドクに指示されるがまま強盗犯の逃走を手助けしてきたベイビーだったが、ダイナーで働くデボラと恋に落ち、この状況から抜け出したいと願うようになるのであった。
(2017年 アメリカ/イギリス)

★ややネタバレを含みます★

【内容について……日常はリズムに支配されている】
 やむを得ない事情で犯罪に加担している男が、大切な人を守るため、そこから抜け出そうと苦悩する。これ、『水戸黄門』では1シーズンに必ず1回は出てくるパターン(大袈裟じゃなくマジで)。
 しかも本作、終盤の展開がかなり強引。誰も(肉体的に)傷つけたくないと考えていたベイビーがいきなり暴力的な行為におよぶし、冷徹なドクは前触れなく情熱に目覚めちゃうし、デボラは躊躇なく現在の安寧を手放し過去も振りかえらず危険な道を歩んじゃう。
 だから物語としては、けっこー安いしグダグダですよ。

 けど憎めない。むしろ愛すべき映画に仕上がっているのは「音楽に乗っけてリズミカルにクライム・サスペンスを描きたいよね」という思いつきを完璧にやり切っているから。
 どこかで「犯罪映画版の『ラ・ラ・ランド』」っていう評を見かけたが、いやこっちのほうがファッショナブルでハイセンスでしょ。『ラ・ラ・ランド』は舞台でも出来なくはない。それに対しこちらは映画ならでは、だし。

 とりわけオープニングからの約10分が秀逸で、セリフも説明もほとんどなしにベイビーのドライビング・テクニックと機転と犯罪計画の周到さ&危うさを見せつけて、はやくも傑作確定。その後もドクの立ち位置や彼とベイビーの関係、ゴロツキどものキャラクター、ベイビーと育ての親ジョーの交流、デボラとの出会いなどを音楽とともに澱みなく描写していく。

 ここまで徹底して音楽と出来事をシンクロさせられると、もはや「日常はリズムに支配されている」なんて思いもわいてくる。
 意志の疎通にまわりくどい言葉なんかいらない、1つの曲を通じてたがいに感じ合う何かと、たとえ拙くとも全身で想いを表現する懸命さ(手話をフィーチャーしてあるしね)があればいい、というメッセージが届く。

 本作の元ネタ、というか、エドガー・ライトの「こんなことやりたい」をコンパクトな形で実現したビデオクリップ、ミント・ロワイヤルの『Blue Song』は2003年の作。見比べてみると、もちろん予算の違いもあるけれど、この十数年で「アイディアの視覚化技術」がいい感じに熟成したことがうかがえる。

【作りについて……役者と撮影まわりの素晴らしさ】
 主演のアンセル・エルゴート。とりたててイケメンではないのだけれど、厭世感、後悔、若者ゆえの気楽さと無鉄砲さ、愚かさとインテリジェンスなどがいい案配にミックスされ表出していて、ベイビー役にハマる。
 ヒロインのリリー・ジェームズ。こちらも超美形とは言えないが、十分に可愛く、ベイビーが出会う「僕の痛みを理解してくれそうなコ」としての説得力にも富む。
 ダーリン役のエイザ・ゴンザレスも、はすっぱな感じと度胸と色気と年下を可愛がるおねーさんぶりを上手に醸し出していて、なかなか。

 ドク=ケヴィン・スペイシーと、バッツ=ジェイミー・フォックスは、正直この両者でなくとも務まる役だろう。でも、こういうイカれたプロジェクト(もちろん褒め言葉です)で「現場の要となり、プロモーションの軸となって監督がやりたいことと作品のヒットを支える」「若きタレントの出世シーンを脇から盛り立てる」のもオスカー俳優の仕事(これ観に行ったのってケヴィン・スペイシーの「もうすぐ公開だよー」っていうツイートがキッカケだし)。そうした意味ではベテランの余裕を見せてくれている。

 撮影は『スパイダーマン3』などのビル・ポープで、編集のポール・マクリスや音響のジュリアン・スレイターともども『ワールズ・エンド』などで監督と仕事をしていた面々。そのせいで息ピッタリ。また2ndユニット・ディレクターは『ドライヴ』などのダーリン・プレスコット。彼らスタント・チームの働きも尊い。
 カーチェイスも銃撃も迫力たっぷりで、それらを捉えるカメラ、つなぐ編集もお見事。監督が思い描いていたであろうスピーディーでワイルドでリズミカルでファンタスティックでスリリングでユニークな映像世界をガシっと作り上げ、本作の魅力の大部分を創出している。

 音楽監修は『アバウト・タイム』などのクリステン・レーン。エンニオ・モリコーネにビーチ・ボーイズ、Tレックスにクイーン、『世界にひとつのプレイブック』でも印象的だった「Unsquare Dance」……と、登場する音楽はどれも心地よくベイビーと観客の体内で血をたぎらせる。
 中でもベイビーのママ=スカイ・フェレイラによる「Easy」は、低く優しくややハスキーな歌声がズドンと自分好み。この曲だけで本作の評価が何ポイントか上がる。

 ベイビーが操る、ポータブル再生/サンプリング/音楽編集用の機材は、見る人が見ればヨダレが出てきそうなラインナップだろう。そうした細かな悦びがチョコンと配されているのも、いい映画の特徴である。

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2017/12/04

東京喰種 トーキョーグール

監督:萩原健太郎
出演:窪田正孝/清水富美加/蒼井優/相田翔子/桜田ひより/柳俊太郎/白石隼也/佐々木希/浜野謙太/坂東巳之助/小笠原海/古畑星夏/ダンカン/岩松了/前野朋哉/鈴木伸之/大泉洋/村井國夫

30点満点中15点=監3/話2/出4/芸3/技3

【あらすじ……新たな“種”としての道】
 人を襲って肉を食らう“喰種(グール)”と呼ばれる者たちが、人間の社会に紛れ込んで暮らす東京。気弱な大学生・金木は、ある事件をキッカケとして、そのグールと化してしまう。グールの中でも穏健派である芳村らの助けを得ながらも、時に自制を保てなくなることに葛藤する金木。さらにグールの駆除を目的とする組織CCGの真戸や亜門が彼らのもとに迫る。もはや人として生きることが叶わぬ金木が選ぶ道とは?
(2017年 日本)

★ややネタバレを含みます★

【内容について……ゾンビものの一形態としては歓迎】
 原作未読、ほぼ予備知識なしでの鑑賞。
 ああなるほど、日本のゾンビもの(と言っていいだろう)も“ゾンビ側視点での葛藤”を描くところまで来ているのか、と感心する。
 主人公の金木だけでなく喫茶あんていくに集まる面々には、与えられた運命に対する不満、哀しみ、あがき、あるいはノンキを装ってやり過ごそうという心情が漂っていて、この空間、これまでゾンビものにはなかった装置として、なかなかに魅力的である。

 が、設定や展開には、無理とバカがギッシリ。
 グールの存在は人間社会において単なる都市伝説ではなく確固たる事実として受け入れられているはずだが、その割に危機感はゼロ(夜の街でフツーに遊び歩く人々、いっさい働かない制服警官、真剣味のない評論家)。読書家であるはずの金木もグールに関する知識は実に心もとない。グールはグールで人目につきそうなところでバンバン正体を曝す。なぜか戦闘服まで用意する。急に「お前、誰?」って連中が出てくる。

 圧死したはずのリゼの臓器に移植を妨げるだけの損傷がなく、いやそもそも人体とは構造や組成が違っていて解剖・検査時に「うわっ」てことになるんじゃないの、だいたいグールって病気になった時はどうしていたんだ、といった不思議。
 そうした医学的・科学的なエクスキューズも倫理もスルーして「責任は私が持つ」で移植しちゃう医者。

 いくらダークファンタジーとはいえリアリティをこれっぽっちも考えないのはどうなのよ、と思ってしまう。
 あと、どうやらこの世界ではノックせずにドアを開けることがお約束らしく、そこで偶然目にする事態からお話が動く。安い手法だ。

 そのあたりを我慢し、あるいは「今後さまざまな事件が起こり、いろいろな事実が明らかとなる物語の、その序章」と考えれば、まぁなんとか“収まり”を保った内容ではあるけれど、開始10分で投げ出したくなるレベルのアタマの悪さを感じてしまうのである。

【作りについて……役者の大半と空気感はいい】
 こういう役はもう窪田正孝の専売特許みたいなものだから、安定感はバッチリ。半分くらいは彼の芝居を観る映画。
 清水富美加は原作ファンには不評らしいが、美味しいキャラクターを律儀かつキレよく演じている(もちろんスタントの頑張りも大きいが)。
 桜田ひよりちゃんは可愛いし、白石隼也、柳俊太郎、小笠原海、相田翔子あたりは「上手い」とは言えないけれど、ひたすらダークな作品世界にいい意味での“軽さ”を与えることで、この映画に観やすさを付与している。

 白眉は蒼井優のアヤシサ。なんかこう、スイッチひとつ入れただけで全部持っていく、みたいな女優力を感じる。ちょっと浮いている大泉洋と鈴木伸之を補って余りある働きだ。

 全体にアンダーで透明感がなく、けれどだからこそ舞台や物語に漂う悲壮感が滲み出る唐沢悟の撮影が良質。ただしカットが微妙に長く、つながりにも問題あり=編集でかなり損をしている印象。

 音関係にはクセがありすぎ。セリフが、なぁんかアフレコっぽいというか浮いているというか戦隊ものや韓国ドラマっぽいというか。ちょっとモヤモヤしてしまう聴こえかた。
 いっぽうで音楽は『バウンド』などのドン・デイヴィス、サウンドデザインは『耳をすませば』などの浅梨なおこ、サウンドエフェクトは『メッセージ』などに携わったニコラス・ベッカーと、一流の現場で仕事をしていた人たちが、聴きごたえのある音世界を作り出している。

 話はそれるけれど、清水富美加は“トーカを演じるのが苦役”で、その結果として“心身の著しい不調”に陥り女優業を中断したとのこと。でも、どんな役であれ“演じることが苦役”と感じた時点でもう女優としては心身の不調だと思う。

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