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2004/10/31

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:レオナルド・ディカプリオ/トム・ハンクス/クリストファー・ウォーケン
30点満点中19点=監4/話3/出4/芸4/技4

【ユーモアたっぷりに実在の犯罪者を描く】
 父の事業失敗と両親の離婚を機に、家を飛び出した高校生のフランク。心にあるのは優しい父への想いと、父を貶めた社会への復讐心、頼りとするのは自らの知恵と度胸。ある時はパイロット、またある時は小児科医に化け、偽造小切手で荒稼ぎを企む。彼を追い詰めるのはFBI捜査官のカール。が、やがて追う者と追われる者の間に不思議な感情が……。実話をもとに、ユーモアとスリルと寂しさをたっぷり詰め込んだ犯罪映画。
(2002年/アメリカ)

【イキな構成・展開・役者】
 事実を基にした映画には、おのずと時代性やライブ感、リアルさが生まれ、「へぇ」という感心を呼ぶ強みも持つ。いっぽう、なかったことは描けないのが弱点であり、また濃密でユニークな実話ほど「何をどう省略するか、どう脚色するか」という難しさが増す。

 この作品の場合も、そうして“描かれなかった”事柄が気にかかってしまう。パイロットや医師などに化けたことによって、たとえば急患が運び込まれて困惑するエピソードのように「何が起こったか」は語られるが、その地位をどう利用したかが不足している。詐欺(のための小切手偽造)の手口や規模も曖昧だ。事実だから仕方ないのだろうが、必要な機材を簡単に手に入れられるというのも都合が良すぎる。
 また、主人公フランクの父はどのように凋落したのか、父への敬愛はどれくらいあったのか、自分を追う捜査官カールに電話をかけるまでのフランクの葛藤、家を飛び出す前から持っていたであろうフランクの詐欺師としての素養、婚約者ブレンダに本名を明かすにいたる「家族」への想い……、といった点も、もっと描けただろう。
 こうした描写こそがフランクのキャラクターに奥行きを持たせ、ただの犯罪者ではない、素顔は寂しい十代なのだと観客に理解してもらうことが必要だったはず。そうして初めて観客も、タイトルが「つかまえてみな」というよりも「つかまえてほしい」ではないか、と気づくのだ。

 こうした不完全さを残すにも関わらず面白い映画に仕上がったのは、語り口の爽やかさとリズムゆえだろう。ゴリ押しのスピーディさではなく、メリハリを利かせながら、時間を自由に行き来しながら、決して軽妙ではないが心地よいテンポでストーリーが進んでいく。
 まず(出てくる女性すべてがバカというのはどうかと思うが)中心となる3人が出色。ディカプリオは「罪の意識が希薄で少年性を残す詐欺師」という役にハマっているし、トム・ハンクスはいつもながら堅実。クリストファー・ウォーケンは、行方知れずの息子の突然の出現に言葉が出ないところなど、本人も演出・編集もあからさまに助演男優賞をにらんだ作り、濃厚で存在感たっぷりだ。

 お話の構成も見事。二匹のネズミ、剥がされるワインのラベル、金のペンダント、ヤンキースの話、フランス語、帽子にサングラスというFBI捜査官のお決まりのいでたち、コミック本、クリスマス、職業のイロハを学ぶために用いられる映画、盲目の旅行客、ウイットにあふれるセリフ……など散りばめられた小物やエピソードの数々が、シーンごとのアクセントとして機能するとともにストーリーとも密接に絡み合い、単なる飾りになっていないのがいい。
 また、キーとなる出来事やセリフが次のシーンへの、あるいはもっと後のエピソードへのスマートなつながりや鮮やかな場面転換に役立てられている点も秀逸だ。スパイはスポーツカーに乗っているなんて話が出れば、直後にはそのクルマのシーンでなくてはならないし、収監されたフランクにカールが会いに来るシーンでは、最初に発せられるセリフは絶対に“アレ”でなくてはならない。十分に練られているなぁと感じさせるところだ。
 画面の構成や色合いも素晴らしい。固定カメラと移動、ロング~アップと多彩かつ的確なショットで単調さを排し、ホコリっぽい安アパート/邸宅/雨のフランス/晴れたマイアミと、明るさも規模も温度・湿度も異なる場所の空気感を描き分けて、特定の場面だけを突出させることなく、全編を通じての“流れ”や“弾み”に気を配っているようだ。タイトルバックからして粋だし、捜査官の接近をにおわせるなど音楽の使いかたも上等。

 省略や脚色に若干の不満はあるが、適度に息を抜きつつ、構成力・展開力・役者の使いかたの上手さなどを示して、さすがはスピルバーグ、である。

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2004/10/30

デイ・アフター・トゥモロー

監督:ローランド・エメリッヒ
出演:デニス・クエイド/ジェイク・ギレンホール/イアン・ホルム/エミー・ロッサム
30点満点中14点=監3/話2/出3/芸3/技3

【父は氷河を越える。愛する息子を救い出すために】
 地球温暖化に警鐘を鳴らす気象学者ジャック。極地の氷が溶けて海流や気流が変動、大嵐の発生や氷河期の訪れがありうるというのだ。「100年後、あるいは1000年後かも」との予測に反し、LAを襲う竜巻、東京に降り注ぐ巨大な雹など地球規模の異変は急速に拡大。遂に大嵐は、大勢の人々とともに北米大陸を飲み込んでしまう。そしてジャックは旅立つ。雪と氷に閉ざされたNYで孤立する、息子サムを救出するために。
(2004年/アメリカ)

【性急な展開、マクロとミクロの配分が悪いストーリー】
 潤沢な予算で好き放題。それが、良くも悪くもエメリッヒ監督の持ち味だ。とりあえず派手なことだけはやらかしてくれる。
 ところが本作は、腕を目一杯に伸ばし切っていない感じ。エメリッヒらしい奔放さがパワーとして画面から伝わってこない。全力疾走の挙句に息切れをしたというか、力の入れ方がどこかチグハグなのだ。

 まずは売りものの特撮シーン。確かに派手ではあるが、CG臭さ・合成臭さが鼻について、ブルーバックの前で懸命に演技する役者たちの苦労を感じ取れてしまうほど。背景と人物のつながり、CGと実写とのつながりに違和感があって、フィニッシュワークを詰め切れていない印象だ。建物を凍りつかせて迫り来る寒気を視覚的に表現するなど、面白い部分もあるのだが、トータルでは“未完成”の感をぬぐえない。

 地球規模で起こる異常気象の切迫した雰囲気を伝えようとする演出も希薄だ。CGシーンやコンピュータ・シミュレーション、宇宙ステーションから見た地球の姿などで災害や嵐の大きさは示されるが、実際の被害が描かれるのはLAとNY、そして千代田区(笑)だけ。しかも被害は、台風中継のようなニュースで国民に伝えられる。
 おまけに、ストーリーは親父が息子を助けに行く話へと収束していく。マクロなテーマのクセに、妙にスケールが小さい。

 まぁ、どれだけ地球がピンチでも大切なのは肉親なんだ、そんな話にしたかったのだろう。それはかまわない。が、それにしては展開が中途半端で説得力にも欠け、親子関係の描写に割かれる時間と労力が少ない。
 そもそもなぜジャック自らが救援に向かうのか、どれほど困難な道程なのかがしっかりと描けていない。父親らしいことをしてこなかったという懺悔の念を抱いていることはわかるが、「いままで約束を破ってばかりだったが、今回ばかりは約束通りに助けに行く」とか、逆に「これまで息子との約束だけは破ったことがない」とか、あるいは「誰かが行かねばならないが、極寒状況下での活動経験が豊富なのはジャックを置いてほかにいない」といった動機づけをきっちりと描くべきだったろう。海側からマンハッタンに到着するという不自然さも気にかかる。
 いっぽう公立図書館で孤立する息子の周辺も、寒さやジメジメ感が十分には出ていない。

 だいたい、前半に比べて後半は話が性急すぎる。あれよあれよと嵐が来て去って、ハイおしまい、という感じ。詰め込まれるエピソードも、サムのクラスメイトのケガと治療のための外出、自らを犠牲にしてジャックを助ける相棒など、とってつけたような印象が強い。
 イギリスの研究チームは途中でほったらかしだし、副大統領やNASAの職員、ジャックの同僚など多彩にキャラクターを配しながら、その背景がまったく説明されることなく舞台から姿を消す。かろうじて息子とともに公立図書館で孤立する面々に、一定の個性が与えられている程度で、全体として“生きた”人物が少ないといえる。

 いっそ前半部を整理してぎゅっと削減、デキのいいCGだけを残して、後半部に力をこめた作品にしていれば、と思う。せっかく雪を前面に出したシーンのデキはまずまずなのだから、ここをさらに煮詰め、雪道を縫ってNYへ向かう親父と、懸命に生き残ろうとする息子、それをたっぷりと語るというのはどうだったろう。
 あ、ひょっとすると、それを『ファインディング・ニモ』でやられちゃったから、お話の比重を変更せざるを得なかったのだろうか。それとも、途中で予算が尽きたか公開時期が迫ったかで、中途半端な仕上がりにせざるを得なかったのか。
 いずれにせよ、未完成の印象が濃い映画だ。

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2004/10/29

サブウェイ・パニック

監督:ジョセフ・サージェント
出演:ウォルター・マッソー/ロバート・ショウ/マーティン・バルサム
30点満点中17点=監4/話4/出3/芸3/技3

【地下鉄ハイジャック犯と鉄道公安官との駆け引き合戦】
 ニューヨークの地下鉄が4人の男によって乗っ取られてしまう。車両を1両だけ切り離し、乗客を人質にとって身代金を要求する犯人たち。いったい彼らは、密室ともいえる地下鉄内でどのようにして金を受け取り、どうやって脱出しようというのか? 運行司令室で対応にあたるのは、鉄道公安官のガーヴァーだ。グループの主犯ミスター・ブルーと、無線を通じた駆け引きに臨むガーヴァー。犯行を阻止することはできるのか。
(1974年/アメリカ)

【センスと緊迫感に満ちた、懐かしき好作】
 20年以上も前、たぶん小学生の頃にTVで出会い、いまだに衝撃的なラストシーンを覚えている思い出の作品。あらためてDVDで観たが、どうやら吹き替えは当時のものが残っていたようだ。それもまた嬉し。

 クライム・サスペンスとしては、あるいは1本の映画として考えても、合格ラインを満たさない部分は多い。警察側登場人物の役割分担が不明確だし、主犯の最期は唐突で、NY市長は途中で用無しとなり、警察側の最初の発砲の理由も説明されない。全体に「ここは原作では書き込まれていたのだろうな」と感じさせる箇所が目につき、すなわち描写するべき事柄の“欠け”で満ちている

 が、それがあまり気にならないほどテンポが良く、カチっとしたまとまりも見せる。シャレっ気たっぷりのセリフでニヤリとさせ、車内の静寂と本部の喧騒を対比させつつ、どこで何がどう起こっているかを丁寧に描く演出は堅実だ。怒鳴りあう地下鉄職員や、列車の暴走を瞑想によって止めようとする乗客、婦人警官かも知れないと思われていた特捜警官など、キャラクターの配置やスパイスも上々。幅と奥行きのあるカメラワークにも感心させられるし、リズムとホーンとを強調した音楽は、この手の映画にベストマッチする。
 そして、あのラストシーン。映画とは、こうでなくてはならず、その実現のためには巧妙な伏線が必要であるということを、この映画で教えられたようなものだ。

 いま観ても古さを感じさせない、などと常套の表現を使うつもりはないが、お手本となる「映画作りのセンス」があちらこちらに散らばっている好作である。

……やっとこ1回アップした分の2周目を終了、未アップ分に取り掛かれる。
ふぅ。

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2004/10/28

ディナーラッシュ

監督:ボブ・ジラルディ
出演:ダニー・アイエロ/エドアルド・バレリーニ/カーク・アセヴェド
30点満点中14点=監3/話2/出3/芸3/技3

【レストランの一夜、それぞれの思いが錯綜する】
 ウードは評判の料理人。今夜もレストラン「ジジーノ」は超満員だ。しかし店のオーナーでもある父ルイスが全権を自分に一任してくれず、ウードは苛立っていた。共同経営者の死、停電の店内、客としてやってきたマフィア、大きな影響力を持つレストラン評論家、ギャンブルに夢中で料理が手につかないスーシェフのダンカン、ウエイトレスに絡む口やかましい画商……。トラブルの予感とともに、ディナーがテーブルへと運ばれる。
(2001年/アメリカ)

【ヴィジュアル優先で、ストーリーや人物に奥行きがない】
 慌しくも鮮やかに料理を仕上げていく調理人たちや、手際も頭もいいと感じさせるウエイトレス、軽妙なバーテンなど「確かに、評判になるだけのレストランかも」と思わせる。特に調理シーンのカメラワークは、誰がどのような作業をすすめているのかわからないという不満はあるもののダイナミックだし、店内を映し出すアングルも、テーブルの配置が判りづらいものの、それが気にならない安定感がある。この店、実在で、しかも監督の所有というから、そのメリットが生かされているのだろう。

 で、ビデオクリップ&CF出身という、この監督。店内はロウソクと照明の赤・厨房は蛍光灯の青・店外は黒と描き分けるコントラストや物語の導入部など、雰囲気重視の画面作りに演出の背景がうかがえる
 が、それらがストーリーを生かすために使われているか、不可欠な技法かというと疑問。独りよがり、とまではいわないが、空回りではある。また、カット間のつながりの不自然さ、ストーリー性の軽視など、ヴィジュアル優先で仕事をしてきた人物特有のマイナス面も目につく。出自に反して音楽に深みが感じられないのも、おかしな話だ。

 このレストランの魅力をうっすらと感じさせつつ、淡々と各テーブルの様子や人物を描くことで、コンパクトなグランドホテル型映画として大きく乱れることなくまとめられているのは評価できる。が、それぞれのエピソードは「だから、ナニ?」レベルの羅列。こうしたタイプの映画では、ニヤリ、うーむ、ふむふむ、おいおい……といった各種のエピソードを絡み合わせながら、大団円へと至らせるべきだ。ところが、ほとんどのエピソードに魅力がないし、オチ(らしきもの)にカタルシスも驚きもない。見終わった後に残るものがないのだ。
 シェフ、副シェフ、オーナー、マフィアなどキャラクター豊かでありながら、その実生活まで感じさせるほどディテールに凝られているのが画商ひとりというのは、いかにももったいない。多少「詰め込み過ぎでうるさいな」と感じられても、それぞれの人物についてその背景まで浮かび上がらせる工夫やストーリー性が欲しかった。

 盛り付けと給仕には満足できるが、素材と調理法には配慮の余地アリ。そんな料理に例えられる作品だ。

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2004/10/27

座頭市

監督:北野武
出演:ビートたけし/浅野忠信/ガダルカナル・タカ
30点満点中12点=監3/話2/出2/芸2/技3

【仇討ちに巻き込まれた、居合いの達人・座頭市】
 ある町にふらりとやってきた座頭市。目が見えず、仕事は按摩、博打好き、そして居合いの達人。杖に仕込んだ剣が一閃すると、そこには死体が転がる。市は、両親の仇を討とうとするおきぬ、おせいと知り合う。姉妹が狙うのは、町を牛耳る銀蔵親分や悪徳商人の扇屋たち。市も成り行きで手を貸すことになるが、いっぽう銀蔵も、病に伏せる妻を抱えながら剣を極めようとする浪人・服部源之助を用心棒として雇っていた。
(2003年/日本)

【現実離れした空間と緊迫感ある殺陣。そのギャップを楽しめるか?】
 好意的に解釈すれば、すべては作品世界を“戯画化”するための演出とコーディネーション、ということになるのだろう。
 深みのないストーリー、時間的・空間的な広がりのない舞台、奥行きのないキャラクター、時代劇的ではないセリフと口調。しかも演じるのは、ふだんテレビでバカをやっている人たちが中心。音楽は平板で“しつらえた感”が強く、セットは“作りました感”が目立つ。日中にフィルターを使うなどして夜を作り出し、雷鳴は稲光と同時に(!)轟く。合間にはコントやフラッシュバックが挿入され、シーンごとに無駄な動作は多く、しかも、どのカットもベストよりコンマ何秒か長いため、全般に間延びした印象を与える。

 これらすべてによって、どこか浮わついた、現実離れした世界が出来上がるわけだが、一転して殺陣のシーンとなると、スピーディで迫力も説得力も増す。モノトーンに近い泥臭い画面の中に、赤が飛び散る(あまり効果的ではないが)。つまりは、このギャップ、コントラストを作りたいがための演出。間延び、緊迫感、間延び、緊迫感……、というわけだ。

 が、肝心の殺陣シーンが、いかにも短く、スケールに欠く。あと100人くらい斬ってくれたなら。時折は鞘を使ったり小刀を投げたりもするが、総じて単純な「斬る、そして血しぶき」の連続で、たとえばジャッキー・チェンのカンフーのような意外性やワクワク感が少ない。で、結局のところカタルシスを十分に得られることなく、いつの間にやら小悪党どもが片付けられて、終劇となる。間延びした印象だけが残ってしまうのだ。
 イメージとしては「わりと才能のある人が、ソコソコの予算で作った自主制作」といった風情。これで世界に通用し、スタンディング・オベーションまで勝ち得たというのだから、海の向こうでは映画の観かたが異なるのかも、と思うほかない。

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2004/10/26

ターミネーター3

監督:ジョナサン・モストウ
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー/ニック・スタール/クレア・デーンズ
30点満点中13点=監3/話2/出2/芸3/技3

【殺人マシン、みたび襲来。もういちど未来を変えられるか?】
 反乱コンピュータによる人類の抹殺。そんな暗黒の未来を防いだジョン。だが同時に、人類のリーダーになるはずだった自分の未来をも奪ったことになり、いまは厭世的な日々を過ごしていた。ところが、またも未来から最強の殺人マシンT-Xが刺客として現代に送り込まれ、ジョンを守る任を受けたT-850もやってくる。幼馴染みのケイトとともに逃走するジョン。事態の真相を暴き、ふたたび「審判の日」を阻止できるか?
(2003年/アメリカ)

【ディテールがまるでなっていない、大味な作品】
 SFマインドや軍事マインドを持たない人が作ってしまったこと、それがこの映画の最大の敗因だろう。
 そのマシンやプランはどのような経緯で開発されたんですか? 国家機密を扱う部署に無関係の人間がそう簡単に入り込めていいんですか? ウイルスに侵されたコンピュータって電波状況の悪いテレビみたいにノイズが入るんですか? どうしてそこに粒子加速器があるんですか? 危険人物を包囲する方法ってそれでいいんですか? セスナってそう簡単に操縦できるんですか?
 特にギモンなのが、最強の敵T-Xの扱い。それほど強い存在として描かれるわけでもなく、そもそもどうして女性型アンドロイドなのか説明も描写もされない。
 これほどディテールへのこだわりがない映画も珍しい。

 素顔のままのT-850シュワ知事がサングラスや革ジャンを見つけて、おなじみのいでたちになるシーンがあったが、こうしたセンスももっと欲しかった。単に笑えればいいというわけでも、1作目2作目を踏襲すればいいというものでもない。細かな部分に至るまでファンを楽しませようと工夫を凝らして欲しかったのだ。このターミネーター世界を確固なものにしようという気概を全編にあふれさせて欲しかったのだ。
 本来、そうした細かな部分をしっかりと構築することがSFアクションを支える土台となるはずなのに。「こんどは女で行ってみようか」「ここで、こんな武器を出してみようか」といった、軽くて場当たり的なノリが感じられる。しかもそのノリが、SF的には20年前の発想だから困ったちゃんだ。「建物や街をここまでやたらと破壊すれば、アクションとして派手だし上出来じゃーん」という、見える部分にしかカネと労力を割かない製作姿勢なのだから困ったちゃんだ。
 ナノテクによってボディを乗っ取られそうになり、けれど使命を果たさねばならず、と板ばさみになるT-850にもゲンナリさせられるし、そのほかの人間キャラも薄っぺらで“ドラマ”がない。SFXには真新しさがない。クレア・デーンズは昔より可愛くない。ないないばかり。

 評価できるとすれば、スピーディな展開で飽きさせ“ない”ところか。音響面も含めて各シーンにはそれなりに迫力はあり、オチも「ほう、そう来たか」と一応の関心を引くものだった。
 そういった事件の“大筋”に関わる部分のテンポの良さ、とりあえず2時間は画面にひきつける手際はいいのだが、リズム感を重視するあまり、ディテールや背景を描き込むことを忘れてしまった、そんな映画である。

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2004/10/25

トエンティマン・ブラザーズ

監督:スコット・ロバーツ
出演:ガイ・ピアース/レイチェル・グリフィス/ロバート・テイラー
30点満点中12点=監2/話2/出3/芸3/技2

【犯罪者3兄弟と、彼らを待ち受ける罠】
 ダイル、マル、シャインの3兄弟は、腕利きの犯罪集団でありながら現在は服役中。だが実は、こっそり外へ抜け出し、その間に強盗を働いて刑務所へ戻るという、アリバイ作りの方策だ。手引きするのは現職の警官、そして弁護士のフランク。ところがフランクは、ダイルの妻キャロルを寝取り、稼いだ金も独り占めしようとする。陰謀に気づいたダイルは、折しも持ちかけられた新たな犯罪計画を機に復讐を遂げようとする。
(2002年/オーストラリア)

【面白い要素が見当たらない、センスに欠ける作品】
 製作者は本当に「面白い」と思ってこの映画を作っているのだろうか?
 服役中の強盗3兄弟をこっそりシャバに戻してカネを盗ませるという設定はいいが、そのメリットや仕掛けをわかりやすく説明する義務を果たしていない。3兄弟それぞれのキャラクターも本作の魅力ではあるが、弟ふたりに比べて肝心の長兄ダイルのキャラが立っていない。長兄の妻キャロルのポリシーも不明だ。

 何よりストーリー展開と演出に、光るものがない。どうなるのかというハラハラ感に欠け、逃げるときは逃げるだけ、撃つときは撃つだけでスリルを高める工夫が足りない。盗んだカネが「どういう理由で、どこへ行ったのか」も描かれない。ただダラダラと場面が進行しているだけだ。
 しかも、撮影技法やカット間・シーン間のつながりに見るべきものもないので、ますますダラダラ感が増す。及第点をあげられるのは、まずまず手堅く演じていた出演陣と音楽くらいだろう。

 ひとことでいえば、面白みのない映画、面白くない映画。DVDでは字幕スーパーの翻訳の質があまりヨロシクないのも、この映画をツマラナクしている一因だが、そもそも映画としてのデキが良くないのだから、日本語版製作に力が入らなくても当然か。
 本来クライム・アクションというのは、盗む側vs盗まれる側、追う者vs追われる者の対決図式をスリリングに描きつつ、アクシデントによるパニック、仕掛け、ちょっとしたアクセントやスパイスなどを加えることで完成度が高まるもの。その点では、ギョーカイ人のように言葉をサカサマに構成する3兄弟独特の喋りが一応のスパイスとなっているが、それも取ってつけたような印象を与えるし、それ以外には「ふむふむ」と思わせるところはまったくない。
 一応は破綻なく進むため途中で観るのをやめたくなるほどではないが、面白い映画に求められる要素をほとんど満たしていない本作は、失敗と断じられても仕方ない。

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2004/10/24

アンデッド

監督:ピーター&マイケル・スピエリッグ
出演:フェリシティ・メイソン/ムンゴ・マッケイ/ロブ・ジェンキンス
30点満点中18点=監4/話4/出3/芸3/技4

【ゾンビと化した町人たち。逃げ切ることはできるのか?】
 片田舎の町に、突如として降り注いだ隕石群。その日から村人たちは、殺しても死なないゾンビと化し、人々を襲い始める。異変に気づき生き延びたのは、親の遺産である農場を借金のカタとして取り上げられ町を出ようとしていたレネ、身勝手な保安官、飛行機乗りのウェイン、宇宙人にさらわれたことがあるというマリオンなど、ごくわずか。決死の逃走。しかし、街の外周に沿って聳え立つ正体不明の壁が、彼らの行く手を阻む。
(2003年/オーストラリア)

【ゾンビ映画の新境地を拓いたB級アクション】
 ゾンビ映画のルールとして「襲われる恐怖、追い詰められる恐怖、自分もゾンビ化してしまう恐怖、愛する人がゾンビ化する恐怖、誰が敵なのかわからない恐怖、極限状態に置かれることによって信頼関係が破綻する恐怖……などを描かなければならない」とした。
 ところが本作では、そうした要素は、ほとんどナシ。ホラーに不可欠な“切なさ”もなく、思わせぶり感があるのは冒頭の10分ほどのみだ。

 よって、ゾンビホラーと呼ぶことはできない。代わりに重要視されているのは、パニックアクション、あるいはミステリーとしての仕上がりだ。
 倒されたゾンビが起き上がるタイミング、主役ふたりの武器の扱いや戦闘能力、貫通する銃弾などアクション面での小ジャレた演出が全体に爽快感を与えている。また、町を囲い込む壁とその正体という“謎”を付け加え、狭い町で閉塞状況にある人々を主役に据えることでミステリアスなムードも増している。謎そのものは強引というか、いかにもB級のノリではあるが、なまじホラーのセオリーに囚われず、アクションを中心に据えつつ謎の解決へ向かうという筋立てが新鮮さを感じさせる。
 ミスコン、釣りやクリケットくらいしか楽しみのない田舎町、借金のカタに取られた農場、拍車付きのブーツといった設定や小物などもストーリー展開に生かされているし、美術、音楽、特撮、特殊メイク、夜の青と血の赤とを効果的に使った画面作りも、このクラスの映画としては及第点をはるかに超えている。

 ただ、やはりチープさと、それがもたらす細部の詰めの甘さは否定できない。マリオンの変人ぶり、『エイリアン』シリーズのリプリーを髣髴とさせるレネなど各キャラクターについてはもう少し突っ込んで語るべきだったろうし、物語中盤から突然登場する○○○○○とゾンビ事件との関係はもっとスムーズな流れで明らかにして欲しかった。真っ当な戦闘コーディネーターや銃器の専門家、衣装デザイナーが参加していれば、各画面のシャープさはさらに増し、よりグレードの高い作品となっただろう。

 とはいえ、深く考えず退屈しのぎとして観れば、上出来。スジを外していても、ちゃっちくても、面白くできることを示した、奇妙ではあるが痛快な作品。ハッキリいえば、ヒョーと爽快に叫びながら“笑える”ゾンビ映画である。派手に、けれど丁寧な描写で次々とゾンビを倒していくあたりは、『バイオハザード』(ポール・アンダーソン監督)よりも、よほどゲーム的かも知れない。

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2004/10/23

es

監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル
出演:モーリッツ・ブライブトロイ/クリスチャン・ベルケル/ユストゥス・フォン・ドーナニー
30点満点中14点=監3/話2/出3/芸3/技3

【刑務所シミュレーションが人格を崩壊させる】
 ある大学で開始された、ひとつの実験。それは被験者を囚人役と看守役とに分けて、擬似的に刑務所内の人間関係を作り出すというものだった。ジャーナリストのタレクは、眼鏡にカメラを仕込んで実験に潜入、囚人役として事態の推移を見守る。次第に崩壊していく被験者たちの人格。看守は尊大かつサディスティックに変貌し、囚人は内向的になり、自虐性と反発心を増していく。そしてとうとう、感情が爆発する瞬間がやってきた。
(2001年/ドイツ)

【作り物臭さが漂い、実験の恐怖が伝わらない】
 元新聞記者である主人公タレクが実験に参加した動機、他の参加者の日常などがまず描かれて、それぞれのアイデンティティが実験によりどのように変化あるいは表出し、崩れていくのか、それを映し出すのが当然であったはずなのだが、キャラクターすべてに「それっぽさ」というか、生活背景を感じさせる部分が足りないため、実験そのものがウソっぽく感じられてしまう。
 また被験者たちが狂気に追いやられていく過程=それぞれの心理の微妙な部分をカメラは捉えず、ただ“事態”を追うだけに終止しているのは、この映画のテーマを考えれば決定的な欠点だろう。

 これが事実、人間の心理変化に明確な理由や兆候などない、それぞれの背景などお構いなしに、刑務所というシチュエーションは突然に、人の心を崩壊させていく、と、いいたいのかも知れない。だとしたら、なおさら、どんな人物でも環境の影響を受けざるを得ないことを示すため、キャラクターを描き分ける必要があった。また、看守役から囚人役に与えられるジワジワとしたプレッシャーも、もっと手間ひまをかけて盛り込むべきだった。
 また、急ごしらえの実験設備や大学病院の「暗い蛍光灯」的な雰囲気、眼鏡に仕込まれたビデオカメラの映像など、ドキュメンタリー性とリアリティを高めるための工夫・努力を感じるし、手堅いカメラ割りと編集などいい仕事をしている部分もあるのだが、それらがかえって劇映画っぽさ、すなわち「作り物臭さ」を出してしまっているのも皮肉な話だ。
 その作り物臭さが、安っぽさになってしまっている。

 全体として『マイドク』(デヴィッド・ブライス監督)あたりに通じる雰囲気が漂い、つまりは「奇天烈科学者の珍実験と、その恐怖」といったB級テイストが流れている。
 いっそ参加者本人の述懐やデータなどと再現フィルムを交えつつ、純粋なドキュメンタリーとして仕上げれば、観客に問題を提起するフィルムとなり、より面白かっただろう。

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2004/10/22

閉ざされた森

出演:ジョン・トラボルタ/サミュエル・L・ジャクソン/コニー・ニールセン/ティム・デイリー
30点満点中18点=監4/話4/出3/芸3/技4

【消息を絶ったレンジャー隊員たち。事件の真相は?】
 パナマの米軍基地で、訓練中のレンジャー隊員たちが失踪するという事件が発生する。基地司令官のスタイルズ大佐から解決を依頼されたのは、犯罪の嫌疑がかけられている麻薬捜査官トム。女性大尉ジュリーは外部の介入を快く思わなかったが、救出された隊員をトムが尋問すると、訓練教官ウエスト軍曹の残虐性、麻薬密輸のウワサなど、思いもかけぬ証言と、その証言を覆す証言が続出。何が真実で、誰がウソをいっているのか?
(2003年/アメリカ)

【この面白さを存分に味わわせる配慮が欲しかった】
 メリハリがあって展開もよし。二転三転どころか四転五転するストーリーを破綻なくまとめ、脚本の段階から演出、編集に至るまでよく練られた作品といえる。
 夜間・雨中のシーン+隊員たちに個性が足りないため、やや見づらいところはあるものの、それを除けば全体にカメラワークは秀逸で、スリリングで飽きさせない画面とテンポの良さを作り出している。
 ただ、不満もある。この手の、観ている者をケムに巻きつつ、何が真実なのか、誰が本当のことを語っているのかなど謎を撒き散らす映画に対して観客は、「えっ!」「あっ!」といった驚き、鮮やかな大どんでん返しを期待する。が、本作はそのレベルにまで、もう一歩といったところでとどまっている。

 いや、謎の内容、その解決過程と語り口など全体的なまとまりは申し分ないのだが、まずスピーディすぎて“考え、そして騙される”という楽しみを味わうことができないのだ。
 それに、そもそも観客ではなくある登場人物を騙すために作られた仕掛け(映画でも小説でも前例のある作法なので、そのこと自体は問題ではないが)に対して「そのために、そこまでやるか?」という違和感も残る。
 ラストでニヤリとさせられるものの、『スティング』(ジョージ・ロイ・ヒル監督)に始まり、『追いつめられて』(ロジャー・ドナルドソン監督)や『ユージュアル・サスペクツ』(ブライアン・シンガー監督)など、この種の“ダマシ系”映画を見慣れた現在の観客としては、騙されることは予定調和であり、そのうえで「もっとスカっと騙されたい」ものなのだ。

 せっかくシャープで十分に面白さのある作品なのだから、それを観客に存分に味わってもらうために、そこにダマシがある必要性・説得力を加えつつ、考える時間を与えるという配慮が欲しかった作品だ。また作中でボレロが使われているが、この意味深な音楽は、本当に意味深な映画、やられたぁ~っと思わず唸ってしまう映画、このウソが延々と繰り返されていくのだなという内容を持つ映画にこそふさわしいはずで、この作品にはそぐわないだろう。

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2004/10/21

シービスケット

監督:ゲイリー・ロス
出演:トビー・マグワイア/ジェフ・ブリッジス/クリス・クーパー
30点満点中14点=監3/話3/出3/芸3/技2

【運命の名馬シービスケット。実話に基づくストーリー】
 一代で莫大な富を築いたものの、息子を亡くし、妻とも別れて失意に沈む自動車王のハワーズ。気晴らしにと友人たちに連れて来られた競馬場で新たな伴侶マーセラと出会った彼は、牧場を買い、競走馬を持つ。その馬こそがシービスケット。調教師は変わり者のスミス、騎手は片目が失明しているレッド。とても走りそうには思えぬシービスケットだったが、連勝街道を驀進。激走の熱狂が、アメリカ全土を巻き込んでいく。
(2003年/アメリカ)

【何をやりたかったのか、立ち位置が定まらない映画】
 これは“誰”の、あるいは“何”の映画なのか?
 騎手のレッド、オーナーのハワーズ夫妻、調教師のスミス、そして競走馬シービスケット。それぞれを等分に描く手もあったろうし、騎手か馬主にもっと絞り込む方法もあったろうが、結局のところ焦点も配分も定まらず、すべてにおいて舌足らずだ。

 見るべき点は、ある。画面1つ1つは美しいし、ハワーズが弄ぶ亡き子の玩具、レッドの食事、寄り添って寝るレッドとビスケットなど、画面で何かを伝えようとする意志は感じる。特にビスケットがレコードを叩き出すシークエンスには「お、ここから面白くなりそうだ」と身構えさせられたし、スティーブンスが演じるウルフによるマッチレースは、奇を衒っていない(というか本職だからか)ぶん素敵だ。各レースシーンも、さすがに本職がデザインしているだけあって、まずまずの迫力に仕上がっている(それでも『大草原の小さな家』の草競馬の「腹帯から見た前方」の衝撃度には及ばないが)。

 が、カットとカット、シーンとシーンのつながりが不自然(レース中の騎手のアップと引きの画など)だったり、音楽による盛り上げが少しズレていたりで、どうにもストーリーにのめり込めない。
 そしてやはり、“何”の映画かという立ち位置が徹底されず、さまざまな点で説明不足になりがちなのが大きな欠点。なぜハワーズがレッドやビスケットにそこまで肩入れするのか、レッドは何をそんなに焦っているのか(生き別れになった父や視界のことが気になっているのだろうが、その焦燥感や寂しさが描かれていない)、レッドとウルフ/レッドとビスケットの信頼関係、そもそもレッドやウルフはどの程度の騎手であり、ビスケットはどの程度強い馬なのか、なぜ急にそこまでの人気馬になったのか、どれくらい小さな馬なのか……。スミスは名調教師に見えないし、ハワーズの妻も影が薄く、ビスケットの速さを「すごい」とセリフだけで片付けてしまったり、と、不可欠でありながら語られたり映し出されたりしていない事柄があまりに多いのだ。

 で、結局のところ「こういうことがありました」だけのストーリーから、ほんのちょっと頭を出したくらいの作品にとどまっている。
 競馬は、ロマンであり、推理ゲームであり、レジャーであり、ホビーであり、スポーツであり、そしてギャンブルである。そのうちロマンとスポーツの部分を掘り下げるはずだった本作だが、どうもギャンブル部分にスポットを当てた作品、しかも「ハワーズという山師が打ったデカいギャンブルのうちの1つを、必要以上に美化した物語ではないか」とも思えた。それくらい、各登場人物が競馬に賭けるロマン=想いや、スポーツとしての魅力=シービスケットが勝ち続けることの妥当性が薄い内容なのだ。
 立ち位置を特定の登場人物に定めるか、あるいは情感を抑えめにして1人1人の役割や悩みをもっと冷静かつ丁寧に描けば、かなりの作品に仕上がっていたはずなのだが。

 駄作とまではいわないが、期待が大きかったぶん落胆も大きい。
 競馬ファンに「どうだった?」と訊ねられれば、それがアンフェアではないと知りつつも「寺山を読んだほうが、あるいはテンポイントやオグリキャップのレースを見たほうが、遥かに刺激的だ」と答えるほかない。

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2004/10/19

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人

監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:ダニエル・ラドクリフ/エマ・ワトソン/ルパート・グリント/ゲイリー・オールドマン
30点満点中22点=監5/話3/出5/芸4/技5

【運命の子ハリーに訪れる、新たな恐怖、新たな出会い】
 ホグワーツ魔法魔術学校の3年生に進級したハリー。だが今年も、魔法生物学の危険な授業などトラブル続き。中でも最大の気がかりは、ハリーの父母を裏切って死に追いやったという人物・シリウスの、アズカバン刑務所からの脱走。彼を捉えるため、暗躍するのはアズカバンの看守・吸魂鬼たち。ハリーの怒りと戸惑い、さらに強まったロンやハーマイオニーたちとの絆、両親の死の真相などが描かれる、シリーズ第3作。
(2004年/アメリカ)

【ハリ・ポタの世界に加えられた、新たな息吹に喝采】
 まずは×な点から書き連ねよう。
 前任者の急逝によって役者変更となったダンブルドア校長。原作でも奔放というか、魔法使いの常識にとらわれない人物として設定されており、その意味では今回のような“軽さ”は歓迎すべきなのかも知れないが、だとしても「元ヒッピーのイメージ」というのは行き過ぎだろう。ハグリッドが常々「ダンブルドアのことは悪くいっちゃなんねぇ」と語っている通り、おおらかな包容力と確固たる信念が滲み出ていなくてはならない。
 ゲイリー・オールドマン演ずるところのシリウスも、想像よりカッコ悪い。読者はハリーの父と、その盟友であるシリウスをハリー以上の英雄として見ている(だって名前からして“シリウス・ブラック”ですよ、あーた)はずだ。なのにゲイリーのシリウスは、クールじゃない。オモワセブリックなイメージに欠ける。極悪なアズカバンでの投獄生活によって消耗しきっているのはわかるが、ならば余計に威厳・覚悟を漂わせ、今回のエピソードでも今後においてもハリーに多大な影響力を及ぼす人物として描かれるべきだった(が、原作の第5巻を読むと、ゲイリーが適役にも思えてきた)。
 指摘されている通り、展開が性急で省略も多いことは確か(個人的にはさして気にならなかったが)だろう。ありがちな「説明口調のセリフの連続」で処理しなかったところは評価できるが、あとわずか5分あれば、そうした不満を払拭できたのではないか、とも思う。
 タイムターナーの利用にともなうパラドックスの処理も、手堅くはあるがスリル不足。伏線の張りかたに、もうひと工夫欲しかった。

 そして、ハリーたちの成長や心の動きに主眼を置く青春映画としての意味を強められた今回の作品では、その反作用として(吸魂鬼など幻想的なファクターがそろい、謎の提示と解決が続き、ややダークなストーリーが展開するにも関わらず)ファンタジー色が薄れることになった。これは最大のマイナスポイントだ。
 あまり馴染みのないイングランドという土地に暮らす、われわれ日本人とは相容れない価値観を持つ欧州人の魔法使い、そんな異質な存在ゆえの「不思議さ」がハリ・ポタの持ち味だ。ところが今回は、マグルに反抗するハリー、ファッションに目覚め始めたハーマイオニー、いつまでもガキのままのロンと、3人組が等身大の少年少女として描かれたことで、ずいぶんと近しいものとなった。これには、第1作と比べてずいぶんと大人びた3人組の変貌ぶり=こういう子ってロンドンにいそうだよね感も強く作用している。この時期の子どもたちの急成長は不可抗力だが、それにしても、ひょっとすると製作者の思惑を超えるスピードで3人は「大人」に近付いているのではなかろうか。

 だがしかし、その青春映画としてのアプローチが、今回の最大の収穫でもある
 前2作は、良くも悪くも「原作に忠実」であることを旨としていた。それはもう見事のひと言であった。ところが今回は、その製作姿勢を一歩進め、原作の行間を埋めることにトライしているように思える。
 特に印象的だったのが、亡き父の思い出をルーピン先生から聞かされるハリーの寂しそうで嬉しそうな笑み。そして、バービックが処刑された時に思わず(ハリーではなく)ロンにしがみつくハーマイオニー。どのような顔で怯え、どのような声で笑うのかを丹念に描くことで、3人組それぞれとその関係が“血と肉でできた実在”となっていく。その実在が、原作の中のこのセリフを発し、この行動を起こすのだと、原作を読んだ際にイメージをふくらませることができるように……。そんな意図が感じられるほどで、「映像による原作の再体験」という観かたが主であったハリ・ポタを、ひとつ上のステージへ引き上げた(あるいは一歩踏み外した)作品、原作を補完する作品といえる。
 ひょっとすると、これまでフェアリーに見えていたハーマイオニーが、オンナとしての魅力を発散するようになり始めたことに対する“下半身的コーフン”が、必要以上にこの演出手法を評価させているのかも知れないが……。

 また隅々まで何らかの意図を感じさせるキュアロン監督の画面構成は、パンフレットで「背景でも語ることができる」と称されているように、実に見事だ。これまでは平面的・閉鎖的だったホグワーツ周辺の土地を立体的に描いた点や、画面に映るひとつひとつの要素を疎かにしない厳密さが、ハリ・ポタに世界の広がりと密度とを同時にもたらしている。これまでとは異なる音楽(より人間的になったように感じる)の使いかたも面白いし、ディメンターなど魔法生物の造形もいい。散りばめられた小さく笑えるコメディ部分、そしてもちろん冒頭のバス暴走シーンからクライマックスに至るまで特撮も及第点以上。
 原作の再現に徹底して心を砕いたクリス・コロンバスの手腕も十分に評価できるが、ハリ・ポタの世界に(原作者以外の)作家性を初めて持ち込み、この物語を「ファンタジーという絵空事」から脱却せしめたキュアロンの仕事は、より高く評価すべきだろう(キュアロンを持ってきたのはコロンバスの手柄だろうが)。

 さて、第3作でこんな具合に作ってしまうと、4作目以降が心配になってくるが、いまはとりあえず『アズカバン』が成し得たことに酔うとしよう。

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2004/10/18

28日後...

監督:ダニー・ボイル
出演:キリアン・マーフィ/ナオミ・ハリス/ミーガン・バーンズ/クリストファー・エクルストン
30点満点中16点=監3/話3/出3/芸3/技4

【凶暴化ウィルス蔓延。安全な地は、どこにある?】
 事故に遭って意識を失い、入院中のジム。目覚めると、病院からも町中からも人影が消えていた。事態を飲み込めず呆然とさまよい歩くジムを、突如、暴徒たちが襲う。研究所から漏れ出したウィルスのせいで、人間が凶暴化したのだ。感染を免れた元看護婦のセリーナ、高層ビルで暮らすフランク&ハナ親娘とともに、ジムは安全な地を目指す旅に出る。ようやく軍とめぐり合う一行だったが、その宿営地でもトラブルが待っていた。
(2002年/イギリス・アメリカ・オランダ)

【恐怖映画とロードムービーのハイブリッド?】
 ゾンビは走ってはならない、なんていうルールがあるという。真偽のほどは定かでないが、ゾンビ映画(この映画に登場する感染者をゾンビと呼んでいいのかはともかく)である限り、少なくとも以下のような恐怖を描かなければならない、それがルールだ。
 すなわち、襲われる恐怖、追い詰められる恐怖、自分もゾンビ化してしまうのではないかという恐怖、愛する人がアンデッド化する恐怖、誰が敵なのかわからない恐怖、極限状態に置かれることによって信頼関係が破綻する恐怖……。

 で、この映画では何を重視しているかといえば、視点が定まらず、それぞれの恐怖を申し訳程度に散りばめるばかり。核となるのは襲われる恐怖と、そこからの脱出となるのだが、それをロードムービー的に描いて“さわやか感”を出してしまった時点で、ゾンビ映画=恐怖映画としてのスジを外してしまっているように思える。
 いや、ロードムービーに仕立てようという試みは、悪くないのかも知れない。旅も逃避も、たいして変わらないのだから。ただ、さわやか+旅路と恐怖+逃避のバランスが悪いのだ。
 いっそ「迫ってくるぞー」「こっちにもいるぞー」=追い詰められる恐怖に絞り込んで、ノホホンとした旅の雰囲気と襲いくる恐怖とのバランスに留意しつつ、ひたすら逃げ続けることに固執したほうが「ゾンビ映画初のロードムービー」としての評価を得られたのではないか。となると、軍が絡むクライマックスでも主人公たちはなるべく戦わず、エンディングはアンハッピー・ヴァージョンを採用するのがベターだったろう。

 画面の見やすさ、都市部/郊外/逃げ場が限られた建物内といった空間描写のわかりやすさ、最後まで大きく破綻することなく観させる点は買うし面白さは感じる。が、恐怖映画としてもロードムービーとしても突き詰め切れなかったため締まりの悪さが出てしまい、強く推すことのできない映画でもある。

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2004/10/17

ソラリス

監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:ジョージ・クルーニー/ナターシャ・マケルホーン/ジェレミー・デイヴィス
30点満点中15点=監3/話3/出3/芸3/技3

【通信を断った宇宙ステーションで、何が起こったのか】
 地球から遠く離れた惑星ソラリス。この未開の星を探査するために建造された宇宙ステーションで、何かが起こったのか、地球との交信が不通となる。搭乗員である友人の安否を気遣い心理学者のクリスはステーションへと赴くが、生存者は2名のみ、しかも様子がおかしい。やがて、次々と不思議な現象が発生する。SF映画の傑作とされる、スタニスワフ・レム原作&アンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』のリメイク。
(2002年/アメリカ)

【立ち位置が曖昧で、どうにも落ち着かない内容】
 実をいうと「この人、オレには合わないや」と『ノスタルジア』を観て感じたため、タルコフスキー版は観ていない。
 それをいうなら、ソダーバーグも“合わない”監督。せっかくの題材とキャストをそろえながら、さしてスリリングでもなく、何となく自己満足気味というか、細部まで追い込み切れなかった『オーシャンズ11』を観て失望したのだから。
 で、今回も然り。塩と砂糖のバランスが悪いというか、ラークだと思って吸ったらマルボロだったというか、文春文庫で読む知名度の低い海外作家の冒険小説を読んだら案の定イマイチだったときの気分というか……、自分の中の棚の、どこにしまっておくべきか迷うノリの映画だ。

 緊迫感や寂寥感はそれなりにあるし、無駄な要素を省いて、思い出というものの意味、人と人との精神的・肉体的な関わりが持つ意味といったテーマを丹念に描こうとする姿勢も感じられて、悪い映画ではないのだろうという気はする。
 が、どうにも首筋がムズがゆくなる。宇宙ステーション内のセットくさい造形や、登場人物が限られることによって、クローズドな雰囲気が作られている。思い出や人との関わりといったパーソナルな問題をテーマとしているのだから、その手法と雰囲気を是認すべきなのかも知れないが、ある程度の空間的・社会的広がりがあって初めて、人との関わりは認識されるものであり、孤独も感じられるのではないか、という疑問も抱く。
 また、サスペンスフルに進むのか、まったりと行くのか、その境目でユラユラと尻が落ち着かず、どのようなカタチでいいたいことを観客の心に刻もうとするのかが曖昧だ。さぁここからクライマックスだという“ジャンプの前に屈み込む一瞬”もないし、かといってジワジワと海の底へと引きずり込むような重みもない。『オーシャンズ11』もそうだったが、この作品も観終えた後に達成感を覚えないのだ。

 映画と同様に感想も曖昧な表現ばかりになってしまうが、タクシーに乗って目的地を告げ、あれ、この道でよかったんだっけと不安になって、そろそろ運転手に確かめたほうがいいかなと思った途端に裏道から抜けて目的地に着いた、というような映画。
 どうにも、落ち着かない。それが狙いだとしたら、たいしたもんだが。

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2004/10/16

ニューオーリンズ・トライアル

監督:ゲイリー・フレダー
出演:ジョン・キューザック/ジーン・ハックマン/ダスティン・ホフマン/レイチェル・ワイズ
30点満点中17点=監4/話4/出3/芸3/技3

【陪審裁判の裏で繰り広げられる頭脳ゲーム】
 銃乱射事件の被害者の遺族が、銃器メーカーを告訴した。メーカーにとって敗訴は、賠償金支払いにともなう経営悪化と、この後に続くであろう訴訟の連続を意味する。腕利きの陪審コンサルタント・フィッチは、陪審員の生活を残さず調べ上げ、脅迫や懐柔など法に反するあらゆる手段を打つ。が、陪審員の中に、素性不明、怪しげな行動を取る男、ニコラスがいた。果たして彼の狙いは? フィッチとニコラスの頭脳ゲームが始まる。
(2003年/アメリカ)

【省略に不満は残るが、脚色の上手さも感じる】
 ジョン・グリシャムの原作を読んですぐに観賞。
 原作ではタバコ会社への訴訟が扱われており、それがストーリーのキーともなっている。映画では相手が銃器メーカーに変更されているのだが、この手の脚色は、単に映画の独自性を出すためだけの意味のないものとなりがちで失敗することも多い。ところが本作は珍しいことに、その変更が“意味のあるもの”になっている。原作以上にスマートでわかりやすいオチともいえるだろう。

 いっぽうで、原作を超えられなかった部分も多い。
 陪審員ひとりひとりの描き込み、陪審コンサルタントによる「そこまでやるか」という所業の数々、ニコラスが他の陪審員を篭絡していく過程、それらが織り成していくスリルといった、この作品の魅力的な部分が大幅に省略されているのは残念だ。また、ただでさえ被告側に比べて存在感の薄い原告側が、映画ではさらに軽い扱いで、「別にダスティン・ホフマンじゃなくてもいいよな」「原告側のコンサルタントって能無しだな」という印象を与えてしまう。
 文庫本上下巻におよぶ作品と約2時間の映画との比較はフェアではないとも思うが、これだけ密度の濃い原作を映画化しようとするなら、省略よりもアレンジの妙で処理しようという心意気を見せて欲しかった。

 それでも、法廷ものとしては出色であるし、観やすくコンパクトにまとめられていることは確かだ。
 そのコンパクトさが「この裁判がどれほどの意味を持つものなのか」といった社会的な広がり感を削いでいるという問題もあるし、法廷ドラマの最高傑作『ザ・プラクティス』を見慣れた目にとっては法廷での駆け引きにも物足りなさを感じる。「おわっ」というインパクトにも、この手の映画には不可欠なオシャレセンスにも欠けているし、登場人物それぞれが設定ほどにはキレる印象も与えない……。
 などなど、文句をつけようと思えばいくらでも数えることができるが、全体的な“まとまり”の良さ、原作既読の人間もラストまで楽しめる脚色の良さで、佳作となっている。

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2004/10/15

サイダーハウス・ルール

監督:ラッセ・ハルストレム
出演:トビー・マグワイア/シャーリーズ・セロン/マイケル・ケイン
30点満点中22点=監5/話4/出4/芸5/技4

【孤児ホーマーの、自分探しの物語】
 孤児院で生まれ育ち、外の世界を知らないホーマー。ラーチ医師の助手として堕胎手術の腕だけは上がっていくが、そんな自分に疑問を持ち始めていた。孤児院を出る決意を固めたホーマーは、中絶のため院を訪れたウォリーとキャンディの誘いで、ウォリーの親が経営するリンゴ農園で働くようになる。さまざまな人との出会い、キャンディへの恋心、そして、人と人との関わりや生命の尊さに触れ、ホーマーは成長していく。
(1999年/アメリカ)

【何を切り取るかに特化した、鮮やかな構成】
 どうということのない話である。
 生まれ育った孤児院という狭い環境しか知らない青年が、外界に出て、さまざまな人と触れ合うことで「自分が何者であるか」を考え、社会の中での自分の立ち位置は何処かを見つけていく。ありがちなビルドゥンクス・ロマンといってしまってもいいくらいだ。
 だから、何を描くか、何を語るかといったテーマ性については、あからさまなくらいであって、論ずる必要などない。むしろこの映画は、どう描くか、いや、何を映すか、主人公ホーマーが歩んだ十数年(おもに後半の数年)という大きなストーリーの、どの部分を切り取って見せるかに主眼を置いて作られたものである。

 ホーマーがなぜ孤児院を出たいと思ったのか、医師(の助手)としての腕前はどの程度なのか、キャンディとの結びつきはどれほどの強さだったのか……などは、重要であるにも関わらず“切り取って見せられていない部分”に含まれる。これは本来なら許されないことだ。
 が、たとえば、ラーチ先生が証明書を偽造してまで「医師ホーマー」に執着する様子、農場の労働者たちがヒョイと手を上げて挨拶する姿、海辺や林の中のホーマーとキャンディ、そして宿泊所に張られた“サイダーハウス・ルール”と、それを「俺たちが決めたルールじゃない」と一蹴するローズといった、切り取られたいろいろが、それ以外の切り取られていない部分を想像する糧となってくれる。シーンとシーンの間の、映し出されていない部分をイメージする映画、といったところだろうか。
 DVDの特典である“カットされたシーン”からも、この映画がまさに「多くの出来事の中の、切り取られた部分だけで構成された作品」であることがよくわかる。

 だから、一編のドラマを観るというより、ホーマーの生活や成長の記録・断片を観るという意味合いの強い映画だ。そこからホーマーの心を読み取ってもらったり、あるいは観た人にさまざまなことを考えてもらおうというのが、この映画の役割であり、試みでもある。
 そしてそれは、見事に成功した。声高にテーマを叫ぶのではなく、淡々と日常と事件とを描くことで、本作はみずみずしさにあふれたグラフィティとなって結実している。
 序盤、ラーチ先生の一人称でストーリーが始まり、やがてホーマーを中心とした三人称的になるという視点の定まらない部分には不満が残るが、季節感に気を遣いつつ、優しさをたたえた音楽に画面を彩らせ、孤児院に暮らす多くの子どもたちにもそれぞれの生涯があるのだと思わせるいくつかのエピソードや、ホーマーとその周辺の心の動きなどを、奇を衒うことなく誠実に映し出していることに好感を覚える。

 説教やアドバイスや人生相談よりもはるかに強く、社会における自分の役目など、多くのことを考えるキッカケを与えてくれる映画といえるだろう。が、それよりも“切り取って見せる”という方法論に感動を覚えた。長い原作を、作者ジョン・アーヴィング自ら脚色したということも寄与したのだろうが、実に新鮮な驚きだった。

 いま思いついたけれど『キャンディ・キャンディ』が好きな人なら、ぜひ観るべき映画(ホントか……と思ったら、同様のことを考えている人は多いようだ。サイダーハウス・ルール+キャンディ・キャンディで、結構な数のサイトがヒットする)。

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2004/10/14

WATARIDORI

監督:ジャック・クルーゾ/ミッシェル・デバ/ジャック・ペラン
出演:鳥さんたち
30点満点中17点=監3/話3/出3/芸3/技5

【渡り鳥たちの生態を丹念に追ったドキュメンタリー】
 世界各地に棲息し、季節ごとに想像を超える距離を飛んで楽天地を目指す渡り鳥たち。その姿を追ったドキュメンタリー作品。北極から南極、米大陸、ヨーロッパ、アジアまで、カメラは地球全土をカバーして100種を超える鳥たちの生態を生々しく捉える。鳥の隊列とともに軽飛行機で飛び、切り立つ崖に作られた営巣地にも接近するなど、ダイナミックな映像が特徴。40か国を訪れた撮影は、期間3年、制作費20億円に及んだ。
(2001年/フランス)

【鳥たちのダイナミックな姿は、生命そのもの】
 美しい映像、演出(演技指導)したかのようなダイナミックな鳥たちの動き、あそこまで近づいたことによる臨場感、そして何よりも、鳥たちがただの「駒」に堕すことなく「この地球上で生きる命」として扱われていることに感心する。
 単なる記録ではなく、また「これだけの鳥さんたちを苦労しながら追っかけましたよー」といった自己満足に終わることもない。“ワタル”という行為の厳しさや意味、その向こうに待っているものを拾い上げているのがエライ。
 映画の本質が“観る・観せる”ことにあり、ドキュメンタリーの本質が“伝える・学ぶ”ことにあるとすれば、その中間でうまくバランスを取った作品に仕上がっているといえる。

 欠点は、全編を通して散文的になってしまっていることか。そりゃまぁストーリー映画ではないのだから仕方ないともいえるが、これ以上冗長になると……という危ういラインでまとまっているため、ともすれば退屈になりがちだ。
 とはいえ「手の届く距離」「まさにそこに在るもの」という雰囲気を、飛ぶ鳥という難しい題材でここまで描き出したのだから、たいしたもの。ストーリー性を求めるなら、親を亡くした鳥たちに飛ぶこと・渡ることを教える劇映画『グース』(キャロル・バラード監督)を観ればいい。あくまで生命を描いたドキュメンタリーとして、十分に魅力的な作品である。


あと、参考までに……

アトランティス
監督:リュック・ベッソン
出演:魚さんたち

 大画面向きの作品。というか『WATARIDORI』が“観せる+伝える”作品であるのに対して、こちらは“流す”といった感じ。海のプロモーションビデオ、とでもいおうか。
 鳥をあくまでも生き物として捉える『WATARIDORI』とは異なり、ベッソンは魚やイルカたちを(エリック・セラの音楽と同列に)「画面の構成要素」として考えている。
 同じフランス産、また恐らくはショップなどで同じコーナーに並ぶ2本の作品。だが、これほどまでベクトルが異なるのはオドロキだ。

 ベッソンの“意図”がベースにある海中模様であるわけだが、キレイにまとめようとするあまり(その割に、フィルムの質感のせいか、あまりビューティホー感はないのだけれど)、ベッソンの魅力でもあるはずの「ある種の破綻」が薄れている。
 そんなわけで、暗めのカフェバー(死語?)あたりの大画面プロジェクターで“流す”ことで、それなりに店の雰囲気を演出し、「へぇ、ベッソンってこんなのも撮るんだ」と思わせるための作品。

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2004/10/13

メメント

監督:クリストファー・ノーラン
出演:ガイ・ピアース/キャリー=アン・モス/ジョー・パントリアーノ
30点満点中17点=監3/話4/出3/芸3/技4

【妻の死の真相を究明しようとする、記憶を維持できない男】
 妻を殺害された保険調査員のレナード。そのショックから、わずか数分前のことすら思い出せないという記憶障害を負ってしまう。症状に悩まされながら、妻の死の真相を解き明かそうとするレナード。記憶をサポートすべく事あるごとに紙や体にメモを書きつけ、その内容にしたがって事件をたどっていく。最後に起こった出来事から、1つ前の出来事、さらに前の出来事……と、時制を逆転させた大胆な構成で話題となった実験作。
(2000年/アメリカ)

【アイディアの勝利。だがアイディアに頼りすぎの印象も】
 全編を観賞後に振り返ってみると、事件そのものはどうというものでもなかったみたい、と気づく。それが「ちょっと前のことを忘れてしまう」という主人公の視点に立って観ること+事件を遡りながら体験することによって、観客も謎と緊迫感の中に投げ込まれる。カットインされるモノクロームのシーン=レナードが記憶障害に陥る前に遭遇した出来事の扱いもなかなかに効果的で、謎をさらに深めつつ、レナードの苦悩をわかりやすく解説する機能を果たしている。
 発想の勝利、といえるだろう。

 でも、それ以上ではない。
 大胆な構成で観るものを惑わし、ストーリーに変化を与え、少しずつ謎が解きほぐされていく喜びも与えてくれるのだが、そこでさらにもうひとひねり、通常の順序で観たとしても驚ける工夫が欲しかったところだ。
 どの程度の時間が経てば忘れるのか、その肝心な部分をイキに描いた部分……ビールのくだりやモーテル管理人との関係……も、もう少しオシャレに、数もふんだんに取り入れて欲しかった。
 また、いってみれば「事件を追うだけの映画」なわけで、ストーリーの広がりや映画的なお楽しみが感じられなかったのもマイナス点。妻との思い出の品を燃やすあたりからは、ただのサスペンスを超えようとする雰囲気、「映画としての何か」を感じるのだけれど。

 イメージとしては『ユージュアル・サスペクツ』(ブライアン・シンガー監督)に勝てるアイディアを思いついたんだけれど、そのアイディアだけに頼ってしまい、しかもそれを最後まで詰め切れなかった、といった感じの仕上がりだ。

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2004/10/12

ベッカムに恋して

監督:グリンダ・チャーダ
出演:パーミンダ・ナーグラ/キーラ・ナイトレイ
30点満点中12点=監3/話2/出3/芸2/技2

【規律の中に生きる少女の夢は、サッカーだった】
 インド系イギリス人の女の子ジェスは、ベッカムとともにイングランドのサッカー代表として活躍することを夢見ている。ところが女子チームに参加していることがバレて、父親はカンカン、姉の結婚話も破談しそうになる。おまけにチームで2トップを組むジュールズとはコーチをめぐる三角関係で険悪な仲に。やむなく夢を諦めて、おしとやかに暮らそうとするジェスだったが、チームにとっての重要な一戦が間近に迫っていた。
(2002年/イギリス・アメリカ・ドイツ)

【空気感はいいが、ストーリーを語り切れていない】
 全体を流れる雰囲気や空気感は好きだ。
 映画を構成する要素の中でも、この空気感(文字通りの空気感)というのは、かなり重要。ハリウッドで撮ればヌケがよくなるし、ニューヨークなら少し暗く、日本だとスミがかかって見通しが悪くなり、で、イングランドだと湿り気が出る。空が、決して大陸とは地続きじゃないんだよな、という色になる。
 サッカーグラウンドの芝の緑、その上に広がる欧州的な見晴らしの良い空。そんな風景をバックに、ジェスやジュールズが快活に跳ねる。いっぽうで、規律や伝統に厳しく「男性には男らしさ、女性には女らしさ」を求めるインド系タウンや、父母の仲に不安を抱えるジュールズ家に覆い被さるのは、やや重めの空気。この映画のテーマである“閉塞から自由への脱出”を、こうして空気感の違いで描き出している。

 冒頭、合成を上手に使って作り出した、ジェスがイングランド代表として活躍するシーンもいい。いきなり「おっ」と思わせてお話をスタートさせるあたり、なかなかのセンスだ。インド人社会の異質さ・ユニークさを抑制しつつ描き出しているのもいい。

 が、ストーリーには、いろいろと疑問も残る。ジェスとジュールズの三角関係が結局どうなったのかは語られず終いだし、娘がサッカーをやることに猛反対していた父親の心変わりに(若い頃のクリケット話はあるものの)説得力がないというのも大きな欠点だ。
 また、ジェスとジュールズが決してサッカー上手に見えないのも、かなりのマイナスポイント。細かなカット割りやスピード感を出すフレーミングなどで頑張ってはいるのだが、単にシュートを決めたりドリブルで抜いたりして喜んでいるカットだけでなく、ここでも「おっ」と思わせるテクニックをジェスとジュールズに示して欲しかったところだ。
 画面やストーリーにそぐわない音楽にも抵抗感がある。現代の若者っぽさを出そうという意図があったのかも知れないが、パンクの国とは思えぬセンスの悪さに興醒めをもよおす。

 雰囲気や、いくつかの場面に「!」を感じつつ、ストーリーのまとまりや全体の完成度を詰め切れなかった作品。
 もしくは、あ、このコってアミダラの影武者のコなの? 道理でカワイイわけだ、とキーラ・ナイトレイのボディラインに感心する映画。かも。

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2004/10/11

リクルート

監督:ロジャー・ドナルドソン
出演:アル・パチーノ/コリン・ファレル/ブリジット・モイナハン
30点満点中15点=監3/話3/出3/芸3/技3

【CIA入りした若き天才。彼が遭遇する、謎めいた事件】
 学生ながらコンピュータソフト開発においては一流の技能を発揮するジェイムズ。前途は洋々としていたが、亡き父が国の秘密工作員だったことを知る。情報をもたらしたCIAのリクルート担当官バークは、ジェイムズをスカウト。CIA入りを決意したジェイムズは、仲間を信頼することも、また裏切ることも許されない過酷な訓練を乗り越え、晴れて就職に成功する。しかし本部で待っていたのは、陰謀の気配だった。
(2003年/アメリカ)

【面白くないわけではない、という微妙なデキの作品】
 ダマシ系映画の中でも抜群のハラハラ感を持つ『追いつめられて』を手がけた監督でもあるし、出る映画すべてが一筋縄ではいかないアル・パチーノだし、と期待を抱いて観ると、ややガッカリせずにはいられない
 緊迫感とか意外性とか、サスペンス映画としてのキモとなる部分がいまひとつなのだ。何度も言うが、この手の映画では「あっ」「えっ」といった驚きや、センス・オブ・ワンダーがないとダメ。どこかにダマシがあるということを前提として観られる映画というのは、「さぁて、どうやってダマシてくれるんですかね」といった観客のイジワルな期待を、大きく上回るだけのダマシを用意しなければならない。「あー、そうくるのね」程度じゃ満足できないのだ。

 中心となる事件が、なんだかスケールが小さい、というのも緊迫感や意外性の創出を阻害している。画面に登場するのは、ほとんど“身内”=主人公の手の届く範囲にいる人物たち。意味ありげだけれど実は無関係、どうということのない役割なのに実は事件のキーマン、といった存在がいないため、お話が広がっていかないのだ。たとえば『ボーン・アイデンティティー』(ダグ・リーマン監督)とか『スパイ・ゲーム』(トニー・スコット監督)のように、その事件の周辺には大勢が動いているんだろうな、と思わせる背景の広がりがない。

 ただ、あまり期待しないで観ると「そこそこ面白かったね」といえるレベルの仕上がりといえるだろう。才能ある学生がCIAに就職、厳しい訓練を経て正式に働き始めるが、そこで遭遇した事件の中で、誰を信じていいのか疑心暗鬼の闇へ……といった、まぁありがちなストーリーを、2時間を超えない枠ということもあってテンポよく、わかりやすく進めてくれる。訓練の過酷さが描かれる前半から、映画の中心となる事件が描かれる後半まで、さしたる破綻なくまとめられている。

 決定的な欠点や弱点はないが、かといって絶賛できるポイントもなく、くだらないわけでもないし、一生記憶されるものでもない。「面白くなくはない」映画といったところだ。

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2004/10/10

フォーン・ブース

監督:ジョエル・シューマカー
出演:コリン・ファレル/フォレスト・ウィテカー
30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3

【降ってわいた不運。電話を切れば殺される】
 広告界の大物を気取るスチュは、通りを歩きながら慌しく携帯電話をかけまくる。が、突然鳴った街角の公衆電話に出てしまったのが運のつき。受話器の向こうからは「電話を切れば殺す」という男の声。男はスチュの私生活まで熟知していることをほのめかし、スチュの側にいた人物を狙撃してみせる。やがて警官が到着、スチュを狙撃犯とみなして取り囲むが、電話から離れることも事態を説明することもスチュには許されなかった。
(2002年/アメリカ)

【ラストまで一気に見せるが、小ぢんまり感が強い】
 事件はリアルタイムで起こっている(笑)。それによって漂う緊迫感・臨場感は上々だ。
 コリン・ファレルも上々。『マイノリティ・リポート』のときには「なんだか地味だし、騒ぐほどかなぁ」と思ったものだが、本作や『リクルート』あたりを観ていると、その地味さ加減が強みになっていて、意外といいのかも、と感じる。本作では、弱り切った男を上手に演じている。

 反面、リアルタイムの制約から抜け出せていない。お話の枝葉や“ふくらまし”を効果的に挿入できていないのだ。
 スチュが独り占めしている公衆電話を使おうと売春婦が近づき「早く終わらせてよ」と迫るのは、当然考えうるべき展開。また、スチュが妻と浮気相手との板ばさみになるというのも、「切れば殺される」という状況に上塗りされる苦難として機能している。これも必要な要素だろう。
 そのレベルまではクリアしているのだが、プラスアルファというか、電話ボックスを占拠することで起こる意外な出来事が発生せず、事件の発生から一応の解決までの時間も短く、また語られない部分も多い。そのため、よくいえばコンパクト、悪くいえば全体に小ぢんまりとしているなぁという印象を与える。良く出来た『世にも奇妙な物語』の1エピソード、といった感じだ。
 ストーリーに“無駄”とか“遊び”がほとんどないことが問題なのだろう。街角の公衆電話という設定を生かせば、たとえば、近くで孫を亡くしたので花を供えに来る老婆とか、酔っ払い、電話ボックスを撤去して早く野球観戦に出かけたい工事業者など、まだまだ絡ませられる人物や要素を盛り込めたのではないか。そうした、本筋には関係のない、でも「おほほ」と思わせるものが何かあれば、さらに奥行きが増したはずだ。

 リアルタイムものとしては近年、テレビシリーズの『24』が、24時間という長尺にもかかわらず緊迫感を維持した作り(かなり強引な展開も多かったが)を示したし、『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督)という名作や『ニック・オブ・タイム』(ジョン・バダム監督)という佳作もあった。そのあたりに比べれば、場所が電話ボックスに限定されていることも含めて広がり感や“ふくらまし”に欠け、かなり窮屈な仕上がりとなってしまっている。
 もっとも、小ぢんまりとした作りを徹底させ、あくまでスチュの立場を中心に展開させることによって、まとまりやスピード感が生まれていることも確か。手堅いカメラワークや人物の動かしかたも加わって、最後まで一気に観せる作品となっている。

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2004/10/09

10億分の1の男

監督:フアン・カルロス・フレスナディージョ
出演:レオナルド・スバラグリア/ユウセビオ・ポンセラ/マックス・フォン・シドー
30点満点中14点=監2/話2/出3/芸3/技4

【最強の“運”で未来を切り開け】
 ホロコーストを生き延びた男サムは、自らの強運と、他人に触れることでその者の運を吸い取るという能力を武器に、大カジノのオーナーとして君臨していた。その片腕フェデリコも同様の力を持っていたが、サムからの自立を疎まれて能力を奪われてしまう。復讐を誓うフェデリコは、飛行機事故から生還した豪運の持ち主トマスに目をつけ、サムへ差し向けようとする。最強の運の持ち主を決める戦い(ゲーム)が始まる。
(2003年/スペイン)

【設定は抜群だが、ストーリーと演出がそれを生かし切れていない】
 運のやりとりという設定は、実に面白い。全体にダークな色調でまとめた画面作りと落ち着いたテンポも、このテーマにふさわしい怪しげな雰囲気を醸し出している。意外なところに出てるなぁと思わせるマックス・フォン・シドーをはじめ、役者もそれぞれに味がある。
 ただ、肝心の緊迫感が足りない。いや、高速道路を全力で横切ったり、目隠しをしたまま森を走り抜けたりなど、運を試されるゲームは繰り返されるのだが、それぞれの成功が、単なる偶然なのか、それとも強運ゆえなのか、いまひとつ伝わってこない。偶然と強運との違いをハッキリと、かつサスペンスフルに示す工夫を取り入れるべきだったろう。
 ところが、サムに対するフェデリコの復讐というストーリーを追う(語る)ことや、訳もわからぬまま強運ゲームに誘い込まれるトマスの焦燥感を描くことで手一杯になって、「ああ強運とはこういうことをいうんだ」と絵や演出で納得させる工夫があまりないのだ。
 それは、この映画では致命的な欠点といえる。オープニングのカジノの場面、バカヅキしている客にフェデリコが触れると途端にツキが落ちるといった「運のやりとり」につながる描写がもっとあれば、と感じる。

 キャラクター設定と人間関係を整理すれば、人間の運をコントロールすることで“神”であろうとするサム、彼に運を奪われて復讐を誓うフェデリコ、フェデリコに見出されて対サムの最終兵器として試練を課されるトマス、トマスのライバルともいうべき「生涯ケガをしなかった闘牛士」のアレハンドロ……などとなるのだが、そうした位置づけが有機的に関わり合わないのもマイナス点。
 誰が誰よりも強運なのか、どれほどの危機的状況から奇跡的な生還を果たせばサムと渡り合えるだけの強運の持ち主として認められるのかといった力関係や、なぜ命を賭してまで運のやりとりへと挑むのかといった動機づけをしっかりと描写・説明してほしかった。
 そうした細かな部分を丹念に描き、この世界がすべて“運”という不確かなもので支配され左右されていることを観客に理解してもらい、そのうえで、目に見える運とは別の次元で人の命が左右されてしまうオチへと至れば、もっと皮肉なエンディングとなったことだろう。

 ハリウッドが力を入れてリメイクしたら、このダークさは消えても、ダイナミックでスリリングながら隅々にまで配慮が行き届いたエンターテインメント性が高まったものができるような気がする。
 特異な設定かつクローズドな世界の物語であるだけに、映画に緊迫感と説得力を与えるディテールにはこだわってほしいものだ。

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2004/10/08

ハンテッド

監督:ウィリアム・フリードキン
出演:トミー・リー・ジョーンズ/ベニチオ・デル・トロ
30点満点中12点=監2/話2/出2/芸3/技3

【老いた教官は、殺人マシンと化した教え子を止められるか】
 軍特殊部隊の教官として、戦闘のプロを数多く育てた男、L.T.。引退後はカナダの森林地帯で野生動物の保護に打ち込んでいたが、平穏な日々を揺るがす事件が起こる。次々と殺される軍人たち、その犯人がかつての教え子ハラムであることが判明したのだ。戦争という狂気に精神を蝕まれたハラムを止められるのは、L.T.しかいない。森の中、そして都市で、己の肉体と経験とを武器にしたふたりの男の闘いが始まる。
(2003年/アメリカ)

【面白い映画にしようという気概に欠けた作品】
 もっともっと面白いものになっていいはずだった。
 ところが、サバイバルのエキスパートという設定があまり生かされていなかったり、唐突に手作りのナイフで戦い始めたり、主演ふたり以外のキャラが立っていなかったり、かといってもっとも大切な部分であるはずの主演ふたりの関係が十分に描けていなかったり、街中での追跡劇にスリルや説得力が足りなかったり……と、ストーリー面や設定面でのアラばかりが目につく作品になってしまっている。
 そもそもハラムの、戦争によって精神を病んだ男という設定がステロタイプ。せめて、どこか弱い部分を抱えている人間であることを示して狂気へと至る説得力を持たせるか、逆に「これほどタフな男まで狂わせる戦争の残虐性とは」といったテーマを滲ませるべきだったのだが、いずれも希薄だ。
 いっぽうL.T.についても、なぜ教官を引退したのか、その腕前、どの程度衰えたのかといった描写がほとんどない。たとえば、ただの警官たちが見落としたものでもL.T.には意味がある情報、といった場面がもっと出てきたり、体力に優るハラムに対してL.T.が経験を武器にしてどう立ち向かうかといった展開なら、生きたストーリーになったのだが。
 キャスティングも、ちょっと無理めか。トミー・リーはよく頑張っているものの、スゴ腕には見えない。ベニチオも、もっとクセモノキャラのほうが味は出る。

 画面作りやテンポなどは真っ当で、大きく破綻することなくラストへと至る。が、全体として“面白み”が足りない。ストーリーやキャラクターの練り込み不足といい、これといって大きなチャレンジや工夫もない画面構成といい、「予算も時間も足りなかったんで、まーこんなもんで」という雰囲気が前面に出て、面白い映画にしてやろうという気概に欠けている感じだ。
 とりたてて“いい”印象が残る作品ではない。

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2004/10/07

マッチスティック・メン

監督:リドリー・スコット
出演:ニコラス・ケイジ/サム・ロックウェル/アリソン・ローマン
30点満点中16点=監4/話3/出3/芸3/技3

【病的な潔癖症、そして詐欺師、そして父親】
 ゴミ1つ許せず、少しのシミも我慢ならず、ドアや窓は必ず3回ずつ閉める潔癖症のロイ。けれど詐欺師としての腕は一流だ。ある日、彼は意外な人物の訪問に驚く。俺に娘がいたなんて! しかも娘は、自分も詐欺師になりたいといいだす始末。いっぽうロイの相棒フランクは、チマチマした仕事に耐え切れず、大きなカモを探し出してくる。慣れない父親役と久々の大仕事。ロイは完遂することができるのだろうか?
(2003年/アメリカ)

【安心して観られる作りだが、それ以上ではない】
 ダマシ系の映画としては、まずまずのデキだろう。これといって凝った伏線が張られているわけではないが、ストーリーはかっちりとまとまっている。
 オープニング、ドアや窓のロックを「ワン、ツー、スリー」とチェックする神経質なロイの姿は、静けさの中に非日常を感じさせる。ロイとフランクの詐欺師としての仕事ぶりも、手堅く、わかりやすく描かれている。娘の登場、ロイの戸惑い、大仕事、トラブルという一連の流れも、整合性が取れている中にもスリルを漂わせているように感じられる。そして、そこまで語られてきたことがバラバラと音を立てて崩れ、同時に別のカタチで組み立て直されるクライマックス。この世界の中でロイだけが取り残された感覚に襲われている、その瞬間を映し出した映像は見事だ。おまけともいうべきカーペット売りに身をやつすラストまで、澱みなくスマートに進んでいく。
 ロイの潔癖症という設定もスパイスとして効いているし、ブルドッグの置き物など印象的なアイテムもほどほどに散りばめられている。

 ただ「あー、なるほどね」というのが率直な印象。「なんだよ、ソレ」ほど悪くはないが、かといって「うぎゃぁ、そういうことだったかぁ」というほどの驚愕もない。ロイほどには、足元から地面がなくなったような喪失感というか、やられた感が薄いのだ。それはとりもなおさず、伏線らしい伏線がないせいでもあるが、コン・ムービーに不可欠のセンス・オブ・ワンダーに欠けているのだ。かっちりと作られていて(それはそれで素晴らしいことなのだが)遊びが少なく、もういっちょオシャレ感覚があってもよかった、とも思わせる。
 たぶんニコラス・ケイジがニコラス・ケイジすぎるせいで(自分でも意味不明。大きくハズすことなく、かといってゾクゾクするほどでもなく、手堅い芝居をしている、という感じか)、安心して観てしまって、もういちど観てみようという気にならないのだ。
 いや、もういちど観て伏線の有無を確認すべきなのかも知れないが、まぁこういう事件があったとしても、それはそれでいいかと、深く分析することなく妙に落ち着いてしまう。

 そう、安心して観られる作りだし、観て損はしないと思う。けれど、それ以上ではない映画だ。

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2004/10/06

ミニミニ大作戦

監督:F・ゲイリー・グレイ
出演:マーク・ウォルバーグ/エドワード・ノートン/シャーリーズ・セロン
30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4

【疾走するミニ。金塊は誰の手に渡るのか?】
 若き天才犯罪者チャーリーたちは、完全な計画の下、厳重に保管される金塊を盗み出すことに成功。しかし仲間のひとりスティーヴが裏切り、ベテラン金庫破りのジョンを殺害、金塊を奪って逃走してしまう。1年後、ようやくスティーヴの居場所を突き止めたチャーリーは、ふたたび仲間を集め、ジョンの忘れ形見であるカギ師ステラも加えて復讐と奪還に挑む。彼らが選んだ武器、それは小回りの利くクルマ、ミニだった。
(2003年/アメリカ)

【展開や見せかたはいいのだが、ラストに説得力が足りない】
 あと一歩、というのが正直なところだ。
 スピード感やストーリーのテンポ、スリルは及第点。最初の犯罪と奪還作戦との時間配分や、つなぎもいい。人物は、掘り下げはやや不足(たとえばジョンとチャーリーの信頼関係などは、もう少しクドく入れ込んでもよかった。エドワード・ノートンは、意外なほど見せ場が少ない)気味であるものの、電子機器の専門家やドライバーなど過不足なく配置され、犯罪世界の広がりをにおわせる雑多な感じも出ている。
 監督は『交渉人』で知られる人物、カメラのウォーリー・フィスターは『メメント』(クリストファー・ノーラン監督)が代表作、プロデュース・チームが手がけた映画には“イキ”な犯罪映画が並ぶ。どこにカネをかけて、どう撮り、どうまとめればシャープなクライムムービーになるのかを把握しているようで、映画全体としてのまとまりは良好だ。
 特に、ボートによる追跡劇とダイバーの活躍、狭い排水路を疾走するミニや混雑するロス市街など、ベニスだから出来ること、小さなクルマだから出来ること、といった状況・アイテムを生かしたシーンは、スピーディで迫力があり、この映画の大きな見どころとなっている。

 その逆に「ベニスだから、ミニだから出来ないこと」が描けていない。たとえば、ミニ1台に多くの荷物は積めない、だから3台で、というところまではいいのだけれど、だからこそ遭遇する危機的状況、なんかが効いてくると、よりスリリングになったはずだ。
 ストーリー上では、クライマックスで登場する難攻不落の金庫や、そこでの対処法が唐突すぎる。ギリギリの場面でさらなるスリルを、という気持ちはわかるのだが、説得力に欠ける。この部分につながる伏線を張っておけば、最後まで完全にまとまった筋書きになっていただろうに。

 設定や役者にはせっかくオシャレな要素がそろい、展開もクールに決めているが、映画の最終的価値を決めるクライマックスで手を抜いてしまったために、ただスピーディなだけが持ち味にも思える映画、悪い意味で小粒な作品になってしまった。あと一歩、である。

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2004/10/05

コール

監督:ルイス・マンドーキ
出演:シャーリーズ・セロン/ケヴィン・ベーコン/ダコタ・ファニング
30点満点中14点=監3/話2/出3/芸3/技3

【家族を引き裂いた3つの場所の3つの監禁】
 美しき妻カレンと幼い娘アビーに見送られ、自家用機で学会へと向かう麻酔医師のウィル。しかし3人組の誘拐犯が彼らを引き裂く。アビーは連れ去られ、カレンは一味の首領ジョーによって監禁、いっぽうウィルも妖艶なシェリルに監視され、身代金支払いを強要される。3つの場所、3つの監禁。誘拐犯たちはこの手法で幾度も大金をせしめていた。が、喘息の持病を持つアビーが発作を起こしたことで歯車が狂っていく。
(2002年/アメリカ)

【大事なところでズッコケてしまった作品】
 相変わらず存在感タップリのダコちゃん、若妻役がハマっているシャーリーズ・セロン(何故か「好き系」の映画によく出ていて、今年だけで3本も観ている)、そして知能的誘拐犯を演ずるクセ者ケビン・ベーコン。配役は決まりすぎるほどだ。
 冒頭部もクール。誘拐犯たちが何度も成功を重ねてきたことを示し、しかし3人組が一枚岩ではないことも微かに匂わせる。ウィルの社会的地位や家族がハイソサエティな生活を満喫していることもうかがわせる。
 道具立ても揃っている。医者という職業とウィルの研究題材、喘息と発作を抑えるクスリ、自家用機といった設定・小道具は、ムダにされることなくストーリーに生かされているといえる。

 ただし、この犯罪、3人を分断させ、それぞれを監視することで勝手な真似をさせないというメリットがある反面、それだけ手間もかかり、リスクも増えることを忘れてはならない。被害者側も、何とか連絡を取り合おう、励ましあおうとするのではないか。そのあたりがキッチリと描けていないことが気にかかる。
 たとえば家族3人だけに通じる合言葉だとか、ご近所さんが別々の場所でカレンとアビーを目撃して不審に感じるとか、いくらでもサスペンスを盛り上げる工夫は取り込めたはずだ。喘息の設定や「同時に3人を誘拐・監視」といった状況を、もう少し生かせたはず。上映時間は短めなので、あと2つ3つの要素を盛り込む余地は十分にあっただろう。
 それでも、破綻なくまとまった画面やテンポのいい展開など、一定以上のスリルを保ちながら観客を飽きさせない配慮は感じられる。だから、多少のキズに目をつぶることのできるまずまずの良作になって“いいはず”だった。

 ところが、クライマックスがすべてを台無しにしてしまっている。「をいをい……。そこで父親が○○○で、○が○○されている○○○に○○○○のってアリかぁ」って。
 これでは「同時に3人を誘拐・監視」という設定も、それまで積み上げてきた喘息のゴタゴタも、まったく意味をなさないドタバタへと収束していく。単に「娘をさらわれた父親がキレた」というだけの映画になってしまっている。
 未読ではあるが原作も同様の展開なのだろうか。だとしたら、そのまま映画化したセンスに疑問を感じる。何がしかの改悪脚色が施され、このラストに説得力を持たせるはずの部分が削除された結果なのだとしたら、なおさら製作者のセンスは疑われる。
 大事なところでズッコケてしまった作品だ。

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2004/10/04

イン・アメリカ

監督:ジム・シェリダン
出演:サマンサ・モートン/パディ・コンシダイン/ジャイモン・フンスー
30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3

【アメリカ、そこは“何か”が起こる国】
 息子の死を引きずるジョニーとサラは、クリスティとアリエル、幼い娘ふたりとともに故郷アイルランドを離れアメリカへと渡る。夢と希望にあふれているはずのこの国この街で、しかし、家族は癒されぬまま貧しい時を過ごす。投げやりで未来のない日々にも思えたが、同じ安アパートに世を厭うように暮らす、難病を抱えた画家マテオとの出会い、そして新しい生命の芽生えを通じて、一家は前へと歩き出す糧を得ていく。
(2002年/アメリカ)

【想像力によって方向が決められる映画】
 何らかの大きく悲しい事件に直面したとき、人は、戦ったり抗ったり、守ったり逃げたり、あるいは捨て鉢になったりするけれど、「誰にも気づかれず耐える」という生きようがあることを教えてくれる。“再生”をテーマとする映画は数多いが、どれだけ観てもいいものだし、好きなタイプの映画でもある。

 淡々と、瑞々しく描かれる日常。冒頭、クルマの中でアリエルがアメリカの夜を見上げるところから、ラストのベランダのシーンまで、一貫した叙情性で涙を誘う。ボロボロの安アパートの臨場感、そこに暮らす人(金をせびったり、羽振りのいいときには彼らなりの思いやりを持ってささやかなプレゼントを用意したり)たちも、やや類型的であるものの存在感はまずまず出ている。
 特筆すべきは2人の子役。驚くほど素晴らしい。こういうコたちやダコタ・ファニングの存在を見ると、アメリカには「映画」「役者」という遺伝子が息づいているのだなぁと感心してしまう。

 死んでしまった男の子の病床での悲しげな表情や、雪に遊ぶアリエル、マテオの姿など、クリスティが持つビデオカメラで撮られた映像の挿入も効果的で、人にとっての最高の宝物は記憶だけれど、思い出に囚われたままでは前へ進むことはできないということを物語る。特に印象的だったのが学芸会(だろう)で『デスペラード』を歌うクリスティ。「雨かも知れない。でも君の頭上に虹がかかる」。彼の地にいる際に蓮池薫氏が心に浮かべ、生きる支えにしたという歌である。

 ただ、克服・再生へ向けての、自虐的ではあるけれど誠実さを秘めた生き方を語りたいのか、ファンタジー色を出したいのか、立脚点がどっちつかずで、結果として手放しで「好き」といえないものになっている。マテオの行動があまりに都合がいいことも(たとえ実際に起こったことだとしても)シラケた印象を与える。
 映画としての“何か”が足りないのかも知れない。ごく簡単にいえば、インパクト。後々まで心に刻み込まれて「ああ、『イン・アメリカ』といったら○○だよねぇ」と思い浮かぶような、何かだ。
 ビデオカメラやE.T.のぬいぐるみなどにその気配は感じるのだが、作品を象徴するほどの機能を果たしていないように思える。
 もっともその役割を果たすべき存在は、クリスティの祈りによって叶えられる“3つの願い事”だろう。とてつもなくどうでもいいことが願いとして叶えられるのか、それとも人生における大きなターニングポイントとして作用するのか、あるいは、どうでもいいと思えて実は重要な意味を持つ出来事へと発展するのか、そのあたりをハッキリと描くことで、この作品の方向性を決められたはずだ。

 不足や方向性の欠如を補うのは、ひょっとすると想像力なのかも知れない。この物語の隣のアパートで繰り広げられているのは『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督)の物語と考えるのか、『ニューヨーク東8番街の奇跡』(マシュー・ロビンス監督)と考えるのか、それによって本作の意味も変わってくるように思える。

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2004/10/03

リベリオン

監督:カート・ウィマー
出演: クリスチャン・ベイル/エミリー・ワトソン
30点満点中16点=監4/話3/出3/芸3/技3

【感情を持つことが禁じられた未来社会に、反逆者誕生】
 悲劇の原因は、感情にあり。市民に喜怒哀楽を禁じ、感情を抑える新薬プロジウムの摂取を義務づける、この社会。違反者を取り締まるのはクラリックと呼ばれる特務機関、その武器は、銃と格闘とを融合させた新しい武術、ガン=カタだ。だがクラリックのひとりプレストンは、ふとしたことからプロジウムなしの生活を送ることになる。やがて芽生え始める、優しさと悲しみ。追われる立場となったプレストンは、どう生きるのか?
(2002年/アメリカ)

【スタイリッシュだが掘り下げの足りない“惜しい”映画】
 一部でカルトな人気、というのはよくわかる。12chの深夜のアニメ的というか、わかりやすくスタイリッシュだ。

 ただ、このクラスの映画でありがちな“どっちつかず感”が欠点として表出してしまっている。本来は、SF映画としてのメッセージ性・神秘性と、アクション映画としてのエンターテインメント性とを共存させたかったのだろうが、そのどちらもが中途半端なのだ。予算不足のためか、あるいは脚本や製作に関わる全般を練り込むための時間と力量が不足していたためか。

 たとえば感情を持ち得ないことの悲劇や、主人公が人として目覚めていく過程などは、より情感を込めて描けた(描きたかった)はず。禁じられた文学や処刑されそうな子犬、死んだ妻や無表情な子どもなど、感情と関わるアイテムやシチュエーションの種は用意されているのだが、アッサリとしてあまり掘り下げられない。どこかのシーン、何かのエピソードを、もう少し時間をかけて展開すればよかったのだが、スタイリッシュな描写が先行して、思わせぶり感が足りないのだ。
 かといって、そのスタイリッシュさも、硬質で無機質な映像、ブルーやグレイが基調となる美術、先端科学と廃墟との対比など、昔ながらの近未来SF的画面作りに頼っている印象がある。

 いっぽう、アクション部分のキモであるところのガン=カタも、どこまで強く、どこまで鋭いのかが完全には伝わってこない。確かにスピーディではあるが、それを味わえるシーンは2つ3つに限られている。常人には不可能な技、感情を廃することで生まれる動きなどを、もっとクドく、もっとサービスしてくれてもよかっただろう。銃とガン=カタ以外のギミックも希薄であるなど、この手の映画に説得力を与え、かつ“イキ”に見せるスパイスも足りない。

 全体として、思わせぶり感がたっぷりの『ガタカ』(アンドリュー・ニコル監督)や『未来世紀ブラジル』(テリー・ギリアム)と、エンターテインメント性を前面に出した『マイノリティ・リポート』(スティーブン・スピルバーグ監督)や『トータル・リコール』(ポール・ヴァーホーベン監督)をミクスして割り損なった感じ。ミクスして割ることにこだわらず、感情を持つことがどれだけ人として豊かでいられるかをアピールする部分をより丹念に描くか、アクション部分に予算も労力もシーンも集中させるか、どちらかに徹すれば、B級は脱しないとしても、ストーリー的にも映画としても飛躍的に面白くできただろうと感じる。
 退屈せずに観られるし、部分部分に面白さもある。が、1本の映画としての完成度を認めるには、練り込みが足りない。悪くはないが、惜しい、というイメージだ。

 後で知ったのだが、この監督、『リクルート』(ロジャー・ドナルドソン監督)の脚本家。そっちも“惜しい”映画。とすると、このあたりが限界なのかも知れない。

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2004/10/02

戦場のピアニスト

監督:ロマン・ポランスキー
出演:エイドリアン・ブロディ/トーマス・クレッチマン
30点満点中17点=監3/話3/出3/芸4/技4

【戦争に翻弄され、家族と人生を奪われたピアニストの物語】
 戦時下のポーランド、ナチス・ドイツの政策によりゲットー(ユダヤ人居住区)へと移されたピアニスト、ウワディク・シュピルマン。強制収用所行きは免れたものの、家族は奪われ、人を人とも思わぬ軍人たちの仕打ちや、人の尊厳を奪い去る社会の中で、死よりも過酷な生活が彼を待っていた。逃亡の果てにたどり着いた一軒の廃墟。そこでシュピルマンは、穏やかな顔を持つドイツ人将校に演奏を聴かせることになる。
(2002年/フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス)


【淡々とした語りが、余計に戦争のむごさを暴く】
 ユダヤ人ピアニストとドイツ人将校の交流がストーリーの大部分かと思っていたところ、それは、いくつもあるエピソードの1つ。予想・期待とは違ったが、これはこれで見ごたえのある映画だった。

 主として描かれるのは、戦争がいかに人を人でなくしていくかという点だ。他人の食べ物を奪い、媚びへつらい、ひたすら逃げる人々。レジスタンスも存在するが、力ない抵抗は新たな死者を増やすばかりだ。
 情感や心理描写は抑え目で、哀しさ辛さ、苦しさ空しさが声高に叫ばれることはない。むしろ、道に落ちたシチューをすする男、シュピルマンの名声を利用して金儲けを企む者、意味のない殺人など出来事が淡々とした口調で描かれる。それだから余計に、人から感情や尊厳を奪い去る戦争のむごさが暴き出されるのだ。

 誰しも思い浮かべるのが『火垂るの墓』(高畑勲監督)。誰がどんな立派な演説をしようが、どんな理屈を述べようが、映画1本のほうがよっぽど反戦メッセージとして上質、ということを思い知らされる。
 惜しむらくは、切羽詰った感が意外と薄いことだ。この種の映画、ある程度は観るのが苦痛と思わせることが必要だと思うのだが、割とスンナリ観入ってしまう。その点でキリキリと胃が痛むような『火垂るの墓』に及ばないのは、ストーリー展開などが「観ていて飽きない」よう配慮されていることもあるだろうが、相手が子ども、こっちは成人ピアニストというのも理由のひとつだろう。

 でもそれなら“ピアニストである意味”というのを描くべきだった。事実をもとにしたストーリーなので無茶はできないのだろうけれど、主人公がピアニストである意味をもっと前面に打ち出さないことには、このタイトルには納得できない。だからこそ「ピアニストとドイツ人将校の交流が大部分」という作りかたが正しいと思うのだが。キャッチコピーからして「音楽だけが生きる糧だった」なのだし。

 ゲットーなどでセットっぽさが気になるところはあるが、廃墟を再現した美術・CGは見事。一級のクラシックをメインに据えているだけに、音楽も戦争の哀しさをいや増している。
 ただラスト、演奏する手のアップからそのままカメラを引くとエイドリアン・ブロディ(カードを操る手がポール・ニューマン、みたいに)だったら、なお良かった。そういう映画ならではの面白さがあって初めて、メッセージ性を離れた部分での映画としての評価は大きく変わるはずだ。

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2004/10/01

バトル・ロワイアルII 鎮魂歌

監督:深作健太
出演:藤原竜也/前田愛
30点満点中8点=監1/話1/出2/芸2/技2

【ふたたび死闘の幕が開く】
 日本の治安を守るために制定された、中学生どうしに殺し合いをさせるというBR法。だが、ここから逃れ、レジスタンス活動を繰り広げる地下組織、ワイルドセブンが誕生した。政府は、彼らの壊滅のため新たな法を作り、武器を持った中学生たちをレジスタンスの本拠へと送り込む。逆らう者には死あるのみ、敗者にも死あるのみ。無意味な戦いを阻止するための戦いが、また無意味な戦いを生む。悲劇が繰り返される。
(2003年/日本)

【これは『バトル・ロワイアル』を名乗るべきではない】
 上記あらすじのままなら、まずまず面白いものが作れたかも知れない。けれども……。H氏いわく「素材とか技術とかにこだわって、一生懸命作ったんだけれども、いざ聴いてみると『なんでこうなっちゃうかなぁ』としか思えないスピーカーみたいな映画」。さもありなん。

 いや、果たして『バトル・ロワイアル』という素材に、どこまで本当にこだわったのか。
 前作では、「登場人物たちよりも上の世代の大人の目線」で物事を語っている違和感が確かにあったが、原作というシバリがあるため“介在”程度にとどまっていた。ところが今回は、テロリズム、民族紛争、その中におけるアメリカの存在など『バトル・ロワイアル』には不必要なファクターを盛り込んで、大人(少なくとも自分は大人だと思っている人)の意識が映画を“支配”してしまっている
 もうこうなると、ストーリーどうこうじゃない。登場人物が共通しているだけで『バトル・ロワイアル』じゃない。
 主義主張やイデオロギーが存在せず、どこまでも不条理なのが原作における「戦い」だった。今回、そこに何とか意味を与えようとアレコレ捻ってみたのはわかるが、稚拙で、『バトル・ロワイアル』を名乗るべきではない内容になってしまっている。

 絵作りも、ただ単にアレとかコレとかやってみたかっただけで、その向こうに“広がっている”感覚がない。たとえば戦闘シーンでは、撃ち合っている相手が感じられない。戦闘の舞台となる島の地形や環境もせせこましく、スケールがいかにも小さい。
 下敷きにされたであろう『プライベート・ライアン』(スティーヴン・スピルバーグ監督)も『レオン』(リュック・ベッソン監督)も、たとえ人物のバストアップであっても、その“周囲”を感じさせる絵になっている。カタチばかりマネをしたところで、迫力やスピード感や残酷さを醸し出すためのしっかりした技術やスピリットや予算がなくては、失敗に終わってしまうのは自明のはずだ。
 演技陣も、前半の竹内力は頑張っていたと思うけれど、肝心のところでグタグタ、千葉真一も「とってつけた」感じの出演。もっとも、これらとてシナリオの拙さがそうさせているのだが。
 まとめれば、末永遥に萌え切れない(出番少ないし)映画。

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