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2004/10/01

バトル・ロワイアルII 鎮魂歌

監督:深作健太
出演:藤原竜也/前田愛
30点満点中8点=監1/話1/出2/芸2/技2

【ふたたび死闘の幕が開く】
 日本の治安を守るために制定された、中学生どうしに殺し合いをさせるというBR法。だが、ここから逃れ、レジスタンス活動を繰り広げる地下組織、ワイルドセブンが誕生した。政府は、彼らの壊滅のため新たな法を作り、武器を持った中学生たちをレジスタンスの本拠へと送り込む。逆らう者には死あるのみ、敗者にも死あるのみ。無意味な戦いを阻止するための戦いが、また無意味な戦いを生む。悲劇が繰り返される。
(2003年/日本)

【これは『バトル・ロワイアル』を名乗るべきではない】
 上記あらすじのままなら、まずまず面白いものが作れたかも知れない。けれども……。H氏いわく「素材とか技術とかにこだわって、一生懸命作ったんだけれども、いざ聴いてみると『なんでこうなっちゃうかなぁ』としか思えないスピーカーみたいな映画」。さもありなん。

 いや、果たして『バトル・ロワイアル』という素材に、どこまで本当にこだわったのか。
 前作では、「登場人物たちよりも上の世代の大人の目線」で物事を語っている違和感が確かにあったが、原作というシバリがあるため“介在”程度にとどまっていた。ところが今回は、テロリズム、民族紛争、その中におけるアメリカの存在など『バトル・ロワイアル』には不必要なファクターを盛り込んで、大人(少なくとも自分は大人だと思っている人)の意識が映画を“支配”してしまっている
 もうこうなると、ストーリーどうこうじゃない。登場人物が共通しているだけで『バトル・ロワイアル』じゃない。
 主義主張やイデオロギーが存在せず、どこまでも不条理なのが原作における「戦い」だった。今回、そこに何とか意味を与えようとアレコレ捻ってみたのはわかるが、稚拙で、『バトル・ロワイアル』を名乗るべきではない内容になってしまっている。

 絵作りも、ただ単にアレとかコレとかやってみたかっただけで、その向こうに“広がっている”感覚がない。たとえば戦闘シーンでは、撃ち合っている相手が感じられない。戦闘の舞台となる島の地形や環境もせせこましく、スケールがいかにも小さい。
 下敷きにされたであろう『プライベート・ライアン』(スティーヴン・スピルバーグ監督)も『レオン』(リュック・ベッソン監督)も、たとえ人物のバストアップであっても、その“周囲”を感じさせる絵になっている。カタチばかりマネをしたところで、迫力やスピード感や残酷さを醸し出すためのしっかりした技術やスピリットや予算がなくては、失敗に終わってしまうのは自明のはずだ。
 演技陣も、前半の竹内力は頑張っていたと思うけれど、肝心のところでグタグタ、千葉真一も「とってつけた」感じの出演。もっとも、これらとてシナリオの拙さがそうさせているのだが。
 まとめれば、末永遥に萌え切れない(出番少ないし)映画。

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