ニューオーリンズ・トライアル
監督:ゲイリー・フレダー
出演:ジョン・キューザック/ジーン・ハックマン/ダスティン・ホフマン/レイチェル・ワイズ
30点満点中17点=監4/話4/出3/芸3/技3
【陪審裁判の裏で繰り広げられる頭脳ゲーム】
銃乱射事件の被害者の遺族が、銃器メーカーを告訴した。メーカーにとって敗訴は、賠償金支払いにともなう経営悪化と、この後に続くであろう訴訟の連続を意味する。腕利きの陪審コンサルタント・フィッチは、陪審員の生活を残さず調べ上げ、脅迫や懐柔など法に反するあらゆる手段を打つ。が、陪審員の中に、素性不明、怪しげな行動を取る男、ニコラスがいた。果たして彼の狙いは? フィッチとニコラスの頭脳ゲームが始まる。
(2003年/アメリカ)
【省略に不満は残るが、脚色の上手さも感じる】
ジョン・グリシャムの原作を読んですぐに観賞。
原作ではタバコ会社への訴訟が扱われており、それがストーリーのキーともなっている。映画では相手が銃器メーカーに変更されているのだが、この手の脚色は、単に映画の独自性を出すためだけの意味のないものとなりがちで失敗することも多い。ところが本作は珍しいことに、その変更が“意味のあるもの”になっている。原作以上にスマートでわかりやすいオチともいえるだろう。
いっぽうで、原作を超えられなかった部分も多い。
陪審員ひとりひとりの描き込み、陪審コンサルタントによる「そこまでやるか」という所業の数々、ニコラスが他の陪審員を篭絡していく過程、それらが織り成していくスリルといった、この作品の魅力的な部分が大幅に省略されているのは残念だ。また、ただでさえ被告側に比べて存在感の薄い原告側が、映画ではさらに軽い扱いで、「別にダスティン・ホフマンじゃなくてもいいよな」「原告側のコンサルタントって能無しだな」という印象を与えてしまう。
文庫本上下巻におよぶ作品と約2時間の映画との比較はフェアではないとも思うが、これだけ密度の濃い原作を映画化しようとするなら、省略よりもアレンジの妙で処理しようという心意気を見せて欲しかった。
それでも、法廷ものとしては出色であるし、観やすくコンパクトにまとめられていることは確かだ。
そのコンパクトさが「この裁判がどれほどの意味を持つものなのか」といった社会的な広がり感を削いでいるという問題もあるし、法廷ドラマの最高傑作『ザ・プラクティス』を見慣れた目にとっては法廷での駆け引きにも物足りなさを感じる。「おわっ」というインパクトにも、この手の映画には不可欠なオシャレセンスにも欠けているし、登場人物それぞれが設定ほどにはキレる印象も与えない……。
などなど、文句をつけようと思えばいくらでも数えることができるが、全体的な“まとまり”の良さ、原作既読の人間もラストまで楽しめる脚色の良さで、佳作となっている。
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