ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:ダニエル・ラドクリフ/エマ・ワトソン/ルパート・グリント/ゲイリー・オールドマン
30点満点中22点=監5/話3/出5/芸4/技5
【運命の子ハリーに訪れる、新たな恐怖、新たな出会い】
ホグワーツ魔法魔術学校の3年生に進級したハリー。だが今年も、魔法生物学の危険な授業などトラブル続き。中でも最大の気がかりは、ハリーの父母を裏切って死に追いやったという人物・シリウスの、アズカバン刑務所からの脱走。彼を捉えるため、暗躍するのはアズカバンの看守・吸魂鬼たち。ハリーの怒りと戸惑い、さらに強まったロンやハーマイオニーたちとの絆、両親の死の真相などが描かれる、シリーズ第3作。
(2004年/アメリカ)
【ハリ・ポタの世界に加えられた、新たな息吹に喝采】
まずは×な点から書き連ねよう。
前任者の急逝によって役者変更となったダンブルドア校長。原作でも奔放というか、魔法使いの常識にとらわれない人物として設定されており、その意味では今回のような“軽さ”は歓迎すべきなのかも知れないが、だとしても「元ヒッピーのイメージ」というのは行き過ぎだろう。ハグリッドが常々「ダンブルドアのことは悪くいっちゃなんねぇ」と語っている通り、おおらかな包容力と確固たる信念が滲み出ていなくてはならない。
ゲイリー・オールドマン演ずるところのシリウスも、想像よりカッコ悪い。読者はハリーの父と、その盟友であるシリウスをハリー以上の英雄として見ている(だって名前からして“シリウス・ブラック”ですよ、あーた)はずだ。なのにゲイリーのシリウスは、クールじゃない。オモワセブリックなイメージに欠ける。極悪なアズカバンでの投獄生活によって消耗しきっているのはわかるが、ならば余計に威厳・覚悟を漂わせ、今回のエピソードでも今後においてもハリーに多大な影響力を及ぼす人物として描かれるべきだった(が、原作の第5巻を読むと、ゲイリーが適役にも思えてきた)。
指摘されている通り、展開が性急で省略も多いことは確か(個人的にはさして気にならなかったが)だろう。ありがちな「説明口調のセリフの連続」で処理しなかったところは評価できるが、あとわずか5分あれば、そうした不満を払拭できたのではないか、とも思う。
タイムターナーの利用にともなうパラドックスの処理も、手堅くはあるがスリル不足。伏線の張りかたに、もうひと工夫欲しかった。
そして、ハリーたちの成長や心の動きに主眼を置く青春映画としての意味を強められた今回の作品では、その反作用として(吸魂鬼など幻想的なファクターがそろい、謎の提示と解決が続き、ややダークなストーリーが展開するにも関わらず)ファンタジー色が薄れることになった。これは最大のマイナスポイントだ。
あまり馴染みのないイングランドという土地に暮らす、われわれ日本人とは相容れない価値観を持つ欧州人の魔法使い、そんな異質な存在ゆえの「不思議さ」がハリ・ポタの持ち味だ。ところが今回は、マグルに反抗するハリー、ファッションに目覚め始めたハーマイオニー、いつまでもガキのままのロンと、3人組が等身大の少年少女として描かれたことで、ずいぶんと近しいものとなった。これには、第1作と比べてずいぶんと大人びた3人組の変貌ぶり=こういう子ってロンドンにいそうだよね感も強く作用している。この時期の子どもたちの急成長は不可抗力だが、それにしても、ひょっとすると製作者の思惑を超えるスピードで3人は「大人」に近付いているのではなかろうか。
だがしかし、その青春映画としてのアプローチが、今回の最大の収穫でもある。
前2作は、良くも悪くも「原作に忠実」であることを旨としていた。それはもう見事のひと言であった。ところが今回は、その製作姿勢を一歩進め、原作の行間を埋めることにトライしているように思える。
特に印象的だったのが、亡き父の思い出をルーピン先生から聞かされるハリーの寂しそうで嬉しそうな笑み。そして、バービックが処刑された時に思わず(ハリーではなく)ロンにしがみつくハーマイオニー。どのような顔で怯え、どのような声で笑うのかを丹念に描くことで、3人組それぞれとその関係が“血と肉でできた実在”となっていく。その実在が、原作の中のこのセリフを発し、この行動を起こすのだと、原作を読んだ際にイメージをふくらませることができるように……。そんな意図が感じられるほどで、「映像による原作の再体験」という観かたが主であったハリ・ポタを、ひとつ上のステージへ引き上げた(あるいは一歩踏み外した)作品、原作を補完する作品といえる。
ひょっとすると、これまでフェアリーに見えていたハーマイオニーが、オンナとしての魅力を発散するようになり始めたことに対する“下半身的コーフン”が、必要以上にこの演出手法を評価させているのかも知れないが……。
また隅々まで何らかの意図を感じさせるキュアロン監督の画面構成は、パンフレットで「背景でも語ることができる」と称されているように、実に見事だ。これまでは平面的・閉鎖的だったホグワーツ周辺の土地を立体的に描いた点や、画面に映るひとつひとつの要素を疎かにしない厳密さが、ハリ・ポタに世界の広がりと密度とを同時にもたらしている。これまでとは異なる音楽(より人間的になったように感じる)の使いかたも面白いし、ディメンターなど魔法生物の造形もいい。散りばめられた小さく笑えるコメディ部分、そしてもちろん冒頭のバス暴走シーンからクライマックスに至るまで特撮も及第点以上。
原作の再現に徹底して心を砕いたクリス・コロンバスの手腕も十分に評価できるが、ハリ・ポタの世界に(原作者以外の)作家性を初めて持ち込み、この物語を「ファンタジーという絵空事」から脱却せしめたキュアロンの仕事は、より高く評価すべきだろう(キュアロンを持ってきたのはコロンバスの手柄だろうが)。
さて、第3作でこんな具合に作ってしまうと、4作目以降が心配になってくるが、いまはとりあえず『アズカバン』が成し得たことに酔うとしよう。
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