シービスケット
監督:ゲイリー・ロス
出演:トビー・マグワイア/ジェフ・ブリッジス/クリス・クーパー
30点満点中14点=監3/話3/出3/芸3/技2
【運命の名馬シービスケット。実話に基づくストーリー】
一代で莫大な富を築いたものの、息子を亡くし、妻とも別れて失意に沈む自動車王のハワーズ。気晴らしにと友人たちに連れて来られた競馬場で新たな伴侶マーセラと出会った彼は、牧場を買い、競走馬を持つ。その馬こそがシービスケット。調教師は変わり者のスミス、騎手は片目が失明しているレッド。とても走りそうには思えぬシービスケットだったが、連勝街道を驀進。激走の熱狂が、アメリカ全土を巻き込んでいく。
(2003年/アメリカ)
【何をやりたかったのか、立ち位置が定まらない映画】
これは“誰”の、あるいは“何”の映画なのか?
騎手のレッド、オーナーのハワーズ夫妻、調教師のスミス、そして競走馬シービスケット。それぞれを等分に描く手もあったろうし、騎手か馬主にもっと絞り込む方法もあったろうが、結局のところ焦点も配分も定まらず、すべてにおいて舌足らずだ。
見るべき点は、ある。画面1つ1つは美しいし、ハワーズが弄ぶ亡き子の玩具、レッドの食事、寄り添って寝るレッドとビスケットなど、画面で何かを伝えようとする意志は感じる。特にビスケットがレコードを叩き出すシークエンスには「お、ここから面白くなりそうだ」と身構えさせられたし、スティーブンスが演じるウルフによるマッチレースは、奇を衒っていない(というか本職だからか)ぶん素敵だ。各レースシーンも、さすがに本職がデザインしているだけあって、まずまずの迫力に仕上がっている(それでも『大草原の小さな家』の草競馬の「腹帯から見た前方」の衝撃度には及ばないが)。
が、カットとカット、シーンとシーンのつながりが不自然(レース中の騎手のアップと引きの画など)だったり、音楽による盛り上げが少しズレていたりで、どうにもストーリーにのめり込めない。
そしてやはり、“何”の映画かという立ち位置が徹底されず、さまざまな点で説明不足になりがちなのが大きな欠点。なぜハワーズがレッドやビスケットにそこまで肩入れするのか、レッドは何をそんなに焦っているのか(生き別れになった父や視界のことが気になっているのだろうが、その焦燥感や寂しさが描かれていない)、レッドとウルフ/レッドとビスケットの信頼関係、そもそもレッドやウルフはどの程度の騎手であり、ビスケットはどの程度強い馬なのか、なぜ急にそこまでの人気馬になったのか、どれくらい小さな馬なのか……。スミスは名調教師に見えないし、ハワーズの妻も影が薄く、ビスケットの速さを「すごい」とセリフだけで片付けてしまったり、と、不可欠でありながら語られたり映し出されたりしていない事柄があまりに多いのだ。
で、結局のところ「こういうことがありました」だけのストーリーから、ほんのちょっと頭を出したくらいの作品にとどまっている。
競馬は、ロマンであり、推理ゲームであり、レジャーであり、ホビーであり、スポーツであり、そしてギャンブルである。そのうちロマンとスポーツの部分を掘り下げるはずだった本作だが、どうもギャンブル部分にスポットを当てた作品、しかも「ハワーズという山師が打ったデカいギャンブルのうちの1つを、必要以上に美化した物語ではないか」とも思えた。それくらい、各登場人物が競馬に賭けるロマン=想いや、スポーツとしての魅力=シービスケットが勝ち続けることの妥当性が薄い内容なのだ。
立ち位置を特定の登場人物に定めるか、あるいは情感を抑えめにして1人1人の役割や悩みをもっと冷静かつ丁寧に描けば、かなりの作品に仕上がっていたはずなのだが。
駄作とまではいわないが、期待が大きかったぶん落胆も大きい。
競馬ファンに「どうだった?」と訊ねられれば、それがアンフェアではないと知りつつも「寺山を読んだほうが、あるいはテンポイントやオグリキャップのレースを見たほうが、遥かに刺激的だ」と答えるほかない。
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