フォーン・ブース
監督:ジョエル・シューマカー
出演:コリン・ファレル/フォレスト・ウィテカー
30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3
【降ってわいた不運。電話を切れば殺される】
広告界の大物を気取るスチュは、通りを歩きながら慌しく携帯電話をかけまくる。が、突然鳴った街角の公衆電話に出てしまったのが運のつき。受話器の向こうからは「電話を切れば殺す」という男の声。男はスチュの私生活まで熟知していることをほのめかし、スチュの側にいた人物を狙撃してみせる。やがて警官が到着、スチュを狙撃犯とみなして取り囲むが、電話から離れることも事態を説明することもスチュには許されなかった。
(2002年/アメリカ)
【ラストまで一気に見せるが、小ぢんまり感が強い】
事件はリアルタイムで起こっている(笑)。それによって漂う緊迫感・臨場感は上々だ。
コリン・ファレルも上々。『マイノリティ・リポート』のときには「なんだか地味だし、騒ぐほどかなぁ」と思ったものだが、本作や『リクルート』あたりを観ていると、その地味さ加減が強みになっていて、意外といいのかも、と感じる。本作では、弱り切った男を上手に演じている。
反面、リアルタイムの制約から抜け出せていない。お話の枝葉や“ふくらまし”を効果的に挿入できていないのだ。
スチュが独り占めしている公衆電話を使おうと売春婦が近づき「早く終わらせてよ」と迫るのは、当然考えうるべき展開。また、スチュが妻と浮気相手との板ばさみになるというのも、「切れば殺される」という状況に上塗りされる苦難として機能している。これも必要な要素だろう。
そのレベルまではクリアしているのだが、プラスアルファというか、電話ボックスを占拠することで起こる意外な出来事が発生せず、事件の発生から一応の解決までの時間も短く、また語られない部分も多い。そのため、よくいえばコンパクト、悪くいえば全体に小ぢんまりとしているなぁという印象を与える。良く出来た『世にも奇妙な物語』の1エピソード、といった感じだ。
ストーリーに“無駄”とか“遊び”がほとんどないことが問題なのだろう。街角の公衆電話という設定を生かせば、たとえば、近くで孫を亡くしたので花を供えに来る老婆とか、酔っ払い、電話ボックスを撤去して早く野球観戦に出かけたい工事業者など、まだまだ絡ませられる人物や要素を盛り込めたのではないか。そうした、本筋には関係のない、でも「おほほ」と思わせるものが何かあれば、さらに奥行きが増したはずだ。
リアルタイムものとしては近年、テレビシリーズの『24』が、24時間という長尺にもかかわらず緊迫感を維持した作り(かなり強引な展開も多かったが)を示したし、『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督)という名作や『ニック・オブ・タイム』(ジョン・バダム監督)という佳作もあった。そのあたりに比べれば、場所が電話ボックスに限定されていることも含めて広がり感や“ふくらまし”に欠け、かなり窮屈な仕上がりとなってしまっている。
もっとも、小ぢんまりとした作りを徹底させ、あくまでスチュの立場を中心に展開させることによって、まとまりやスピード感が生まれていることも確か。手堅いカメラワークや人物の動かしかたも加わって、最後まで一気に観せる作品となっている。
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