ロボコン
監督:古厩智之
出演:長澤まさみ/小栗旬/伊藤淳史/塚本高史/鈴木一真
30点満点中7点=監1/話1/出3/芸1/技1
【理数系の甲子園『ロボコン』に落ちこぼれたちが挑む】
工業系の高等専門学校に通う、ぐうたら少女・里美。補習授業を免除してもらうため部活動を始めるが、そこは落ちこぼれが集まる“第二”ロボット部。ロボットに課題をクリアさせるコンクール「ロボコン」に、未完成のロボットで挑んだ里美と部員たちは……(以下不明)。
(2003年/日本)
【ああダメじゃんと思わせる要素が多すぎてギブアップ】
今年はじめての「最後まで観られなかった」映画。導入部で「あれ?」と感じ、そのうち面白くなる(というかマトモになる)だろうと思いガマンしていたのだが、結局はギブアップ。
よって評価対象も前半20分に関してのみ。本来なら最後まで観て感想を述べるべきだが、最後まで観ることのできないモノを作るほうが悪い。
まず、ロボット部の部室や体育館といった“場所”で起こる“出来事”を、同じようなアングルで“撮る”だけの画面、しかも長回し多用、1カットずつが不要に長く、リズムも悪い。
このノンビリしたリズムで田舎の高専というロケーション、落ちこぼれの主人公たちという設定を描き出そうとしているのかも、と好意的に解釈しようとするのだけれど……。
試合の様子を引きの画で延々と撮るだけだったら、NHKの試合中継と同じじゃん。というかリアルの中継のほうがよっぽど面白い。
たとえば、どんなロボットなのかを画面で示すために、特徴である部分にもっと寄るべきだろう。操縦する手元やロボットの機構、操縦者の表情などを映し出して動きのある画面を作り、ロボット作りと操縦の楽しさ・難しさをダイナミックに伝えるべきだろう。故障したロボットの中を覗き込んで「ダメだ」って、どうダメなのか見せろよ。この落ちこぼれたちが、どう落ちこぼれたのかキッチリと見せろよ。
それがあってこその映画ではないのか?
説明のためだけのセリフ満載、人物の背景もうかがえず、ウエスト~フルショットの画が中心で各人の表情も判然とせず「ストーリーの中で活きる登場人物たち」あるいは「登場人物が動かすストーリー」といったダイナミズムが画面に出てこない。とにかく随所に「ああ、ダメ映画だ」と結論を出すしかない要素があふれている。
巷ではソコソコの評価を得ているらしいが、それが理解できない。
恐らくは、全国の高専に協力してもらった手前、各校のチームを一応は映さなきゃならなかったり、限られた期間で必要なシーンを撮らなければならなかったという制約はあったのだろうが、んなことは観ているこっちには関係のないこと。なんだか「とりあえず長澤まさみが映っているカットだけは長めに」という要求だけを満たし、ストーリーとか演出意図とかはどうでもいいという姿勢で作られた感もある。
確かに長澤まさみは可愛くて(共演陣も悪くなかったと思う)、それだけが救い。
ウマイと評判の品を注文したらマズかったときと同じ気持ちを抱かせる作品。題材としては面白いと思うので、なんとか最後まで観る機会が来ればいいのだけれど。いまはこれが限界。
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