シッピング・ニュース
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ケビン・スペイシー/ジュリアン・ムーア/ジュディ・デンチ
30点満点中18点=監4/話3/出4/芸3/技4
【生気のない男が、先祖が眠る島で生を取り戻すお話】
コンプレックスの源である厳格な父と、奔放で無責任だが愛の対象である妻とを同時に亡くしたクォイル。失意と戸惑いの中で彼は、父の異父妹という老女アグニス、幼い娘バニーとともに、父の故郷ニューファンドランド島へと移り住む。何事もない日々。だが、そこで得た新聞記者という新しい職、同僚や美しい未亡人、先祖にまつわる残酷な過去など、出会いや経験を通じて少しずつクォイルは“自分の生きかた”を見つけていく。
(2001年/アメリカ)
【なにげない毎日、なにげない映画】
見どころは役者、というか“人の動き”だろう。ヘッドホンをつけて印刷機の前に座る工場のカットだけで、クォイルが送る「クライマックスのない人生」がありありとわかる。読んだ人がかすかに首を振るだけで、クォイルの書いた記事の出来栄えは明らかだ。哀しい過去を語るアグニスは、ほんの少し体の角度を変えるだけで、クォイルからの同情を拒絶する。娘バニーが眠る父の腕にそっと添えた手からは、見知らぬ土地を徘徊する亡霊への恐怖をうかがわせる。
その、なにげなさが、いい。
島の人とクォイルとが交わす、なにげないセリフも味わい深い。傲慢だが芯があり、いいものはいいと認める新聞社社長のジャック、はなもちならない編集長のタート、夢を語る同僚のナットビームや社長の息子デニスなど、どこかにいそうな、けれどちょっとヒネクレた人々を等身大に描く。ある時は朴訥と、ある時は辛辣に、飛び交う会話は、決して饒舌ではないものの、それぞれの人となりや、この島に根付いている価値観を映し出す。『サイダーハウス・ルール』でもそうだったが、この監督、脇役・端役の動かしかたが相当に達者だ。
アグニスが兄の遺灰をトイレに捨てる場面などに見られる、パーソナルな出来事と島の自然とを対比させて画面を構築するカメラの動きも秀逸で、フィルムの質感も、ニューファンドランドの冷たくて湿り気ある空気を装飾なく映し出している。クォイルが年を取っていく過程をユニークに処理した冒頭のカット、哀しく美しく淡々と流れる音楽、いまにも朽ち折れそうなクォイル家や使い込まれた船といった美術、それぞれがいい仕事を見せる。全体として、この島とそこに暮らす人物たちのありのままが描かれているように思える。
そうした演出やスタッフの仕事が積み重なって、なにげない毎日、淡々と流れる島の生活を浮き彫りにしていくわけだが、ストーリーもまた、なにげない。本当に何もないのだ。
一応は、とりえのないクォイルが、少しずつ自信をつけ、癒されていく物語。記事が認められて有頂天となりIBMのパソコンを要求したり、怖かったはずの船に乗る表情が自信をつけるに連れて変化したり、保母ウェイビィと傷つけあいながら理解しあったりと、クォイルの生き様は十分に描けているとは思う。けれど、あくまで“他人の話”としか観ることはできないし、父や妻などいくつかの死は出てくるが、死別や人生について考えさせられるわけでもない。
一般家庭で撮られるホームムービーも、映っている人だけが楽しい「何もない話」であるが、それを抜群の撮影センスと編集センスでまとめあげた映画、という感がある。
何もない物語だからこそ、人の生きようを、なにげなく瑞々しく描いて退屈させないことに驚かされるし、好きな部類に入る映画なのだが、ひょっとすると観終わった後、同行の者と何を語るかを迷うかも、そういう作品である。
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