ゼブラーマン
監督:三池崇史
出演:哀川翔/鈴木京香/安河内ナオキ/渡部篤郎/大杉漣/岩松了
30点満点中14点=監3/話2/出3/芸3/技3
【地球の平和を守るため、究極の地味ヒーローが立ち上がる】
生徒から蔑まれている小学校教諭・市川の唯一の楽しみは、コスプレ。扮するのは、数十年前に放送され、視聴率低迷のため7話で打ち切られた幻のヒーロー・ゼブラーマン。理解者は車イスの生徒・浅野晋平と、その母だけだ。折しも、市川らが暮らす横浜市八千代区に怪事件が相次ぐ。宇宙人の仕業と見て動き出す自衛隊。市川も、自分に宇宙人を見分ける力と凄まじいパワーが宿っていることに気づき、解決に乗り出す。
(2003年/日本)
【つまらなくはないが、何をやりたかったのかが不明】
お話はヒジョーにパーソナルでミニマム。舞台は小学校とアパート、銭湯と下町の住宅街にほぼ限定され、やや観づらい夜のシーンも多くて画面に“世界の広がり”がない。登場人物も(どこか間が抜けているけれど)等身大というか、隣の家庭といった雰囲気。
それはそれでいい。宇宙人による地球侵略を描くからといって、風呂敷を広げすぎる必要などないのだから。
また、ゼブラーマンのコスプレを浅野さんに見せたくて住所リストを引っ張り出してのひとこと、その道中でカニの怪物と出会ってのひとことなど、セリフの多くは、期待からワンテンポずれたタイミングと、期待から180度ずれた内容で発せられる。ズレやハズシ感で、独特の間とリズムを作り出しているのだ。
ヒーロー物として考えれば、こうしたオフビートなリズムは、物語のスピード感を削ぐものとして敬遠すべきだが、意外にも、このズレは気持ちよく、作家性として機能しているようにも思える。
だから、これもこれでいい。
ただ「じゃあミニマムな世界で、このズレで、何をやろうとした映画なのだろうか?」という疑問が残る。
オフビートなコメディかと思えば、父の復権や「信じれば願いが届く」といったテーマも散らし、アクションもあればSF的要素もある。挿入歌には、きっちりと水木一郎アニキをフィーチャーして特撮ヒーローへのオマージュも忘れない。それらが混然となって不可思議なストーリーと雰囲気を作り出しているのだけれど、混然としているだけに何かが強烈に響いてくることもない。友情出演やカメオ出演も多く、スムーズに物語が運ぶにもかかわらず「なんだか漠然・雑然としていたなぁ」という印象だけが残ってしまうのだ。
短いカットを連ねたかと思えば、長回しも挟み込む。じっくり時間を取る箇所があるかと思えば、必要なのにズバっと切り捨てている部分もある。それぞれ、映し込む対象や人の動作、カメラの動きなどを工夫して単調にならないよう配慮されてはいるのだが、こうした撮影プランも雑然としたテイストをもたらす要因となっているようだ。
いっぷう変わった学園モノのスラップスティックととらえるべきなのだろうか。ならば、この雑然とした感じ、希薄なテーマ性、ズレたリズム、閉塞感も納得できる。
面白くないわけではないのだけれど、どうも座り心地が悪い作品だ。
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