狂っちゃいないぜ
監督:マイク・ニューウェル
出演:ジョン・キューザック/ビリー・ボブ・ソーントン/ケイト・ブランシェット/アンジェリーナ・ジョリー
30点満点中16点=監3/話2/出4/芸3/技4
【ストレスに蝕まれていく航空管制官の苦悩】
NY上空を毎日飛び交う何百という飛行機の“交通整理”を担う航空管制官たち。ストレスに押し潰される者も多い中、自らの技術に絶大な自信を持つニックだったが、鮮やかな手際を見せつける新入りラッセルを必要以上に意識し、何かと張り合うようになる。ある日「同僚の女房と寝るべからず」という不文律を破り、ラッセルの美しい妻と寝てしまうニック。罪悪感と、ラッセルから与えられるプレッシャーがニックの心を蝕む。
(1999年/アメリカ)
【大きな破綻もなくスムーズに観られるが、響いてこない】
原題は『PUSHING TIN』。航空機の誘導を意味する業界用語らしい。それがどこでどう間違ったか、コメディともサスペンスともつかない邦題が付けられてしまった。
実際にはショップで「人間ドラマ」の棚に並べられるべき作品。とはいえ、その洞察はさして深くない。
前半部は各シーンがやや長めに感じられるアダージョのテンポ。ニックや妻のコニーが子どもの教育について話し、ラッセルの妻メリーは夫に異常な依頼心を抱き、と、人となりの説明が中心だ。また管制官たちのパーティなど彼らの日常を描くことにも費やされる。だが、要素不足というか出来事を追うだけというか、それぞれの人物が「何を考え、どんな価値観のもとに行動するのか」がわからず、響いてくるものがない。
そもそも航空管制官という仕事、われわれには馴染みが薄く、確かにストレスの多い仕事だろうとは認識するが、「だから」という部分がこの映画には欠けている。職場の建物に入ることすら恐れる元管制官や、歌ったり体を鍛えたりすることでストレスに向き合おうとする姿をさりげなく映し出そうとはするものの、それが物語・キャラクターの背景や血肉として機能するまでには至っていない。
特に、ラッセルを演じるビリー・ボブ・ソーントン。持ち前の「得体の知れなさ」を前面に出していい雰囲気なのだが、彼に割かれる時間が短いため、単に口数の少ない“キモイ”人間以上には映らない。コニーにも、妻としてや母としての苦悩はあるはずだが、それも十分には伝わってこないし、アンジェリーナ・ジョリー演ずるメリーも、肢体といい情緒不安定のアル中の演技といい、あれだけの存在感を示しているのに、登場シーンはわずかで「こういう人もいる」レベルにとどまっている。時間配分としては主役であるニックの描写に労力をかけすぎているという印象だが、かといってニックについても、心のひだまでは描き切れていない。
また、説明口調のセリフや、いちど画面で見せたことをあらためてセリフでも繰り返すなど、無用なリズムの乱れも興を削ぐ一因となっている。
ニックがメリーと寝てしまうあたりから、ややスピードアップ。クライマックスへ向けて、そしてニックの自信崩壊と再生へ向けてわりあいと気持ちよく進むのだが、やはり観ているこちらの心に「だから何がいいたいのか」は届かない。
どうも、ラブストーリーのタッチで行きたい(前半部は明らかにそんなノリだった)のか、サスペンスの要素を盛り込みたい(管制室に起こるトラブルとラッセルのキャラクターは、まさにこれ)のか、それともヒューマンドラマとして煮詰めたい(後半部)のか、監督も役者もベクトルがあやふやな印象だ。
見どころといえば、導入部。立体的なCGを交えてニックの腕前を示すあたりは、スピード感とわかりやすさを両立させてなかなかの手際、期待感を抱かせる(だから余計に、その後の展開が物足りないのだが)。
また、意識したのかどうか、閉塞感はよく出ている。舞台が夜やベッドルームや管制室内に限られるのでNY郊外に見えず、人物のバストショットが中心なので広がり感があまりない。全体として、もっと大きく豊かにできる話に小さめの服を着せたというか、ジョン・キューザックの困ったような顔に頼って、あまり周囲に広げなかったというイメージ。
まぁクライマックスはアンジェリーナ・ジョリーの乳か。
この監督がハリ・ポタの『炎のゴブレット』でメガホンを取るというので実力確認のために観たのだが、一応は、シナリオを律儀にこなそうとする姿勢や、さして深くない話を2時間きっちりまとめる手腕はあるので、恐らくは詰め込みすぎになるであろうハリ・ポタならちょうどいいくらい、大丈夫だと思いたい。
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