« イノセンス | トップページ | 茄子 アンダルシアの夏 »

2004/12/11

東京ゴッドファーザーズ

監督:今敏
出演:江守徹/梅垣義明/岡本綾/こおろぎさとみ
30点満点中15点=監3/話3/出3/芸3/技3

【ホームレスに拾われた赤ん坊が起こす大晦日の奇跡】
 クリスマスの夜に、ゴミ捨て場で赤ん坊を拾った3人のホームレス。元競輪選手のギンちゃんは死別した娘を偲び、オカマのハナさんは初めて味わう母親の役に心をときめかせ、家出娘のミユキは父を思う。3人は赤ん坊を清子(きよこ)と命名し、母親を見つけ出すべく、ヤクザの大親分やタクシー運転手の生活をかき回しながら、わずかな手がかりをもとに東京じゅうを駆け回る。そして大晦日の夜、雪の街で奇跡が起こる。
(2003年/日本/アニメ)

【アニメで表現する意義はあったか?】
 果たしてアニメで表現する必要があったか、という疑問が浮かぶが、恐らくは「アニメに何が出来るか」を趣旨として作られたのだろう。

 たとえばストーリー。小さな世界のドタバタ喜劇に終始しているが、間の抜けた会話やシニカルなリアクションなど随所に面白さがあり、行くところ行くところで主役3人と関わりのある人物が待ち受ける「偶然が重なり合うにしてもほどがある」的な展開も、ここまで徹底されると相当にユーモラス。ただ、どうも日曜の午後あたりに放送されるシナリオコンテスト受賞作のような内容で、テレビサイズの実写向きにも思える。

 絵的にも「実写を意識してみました」といった雰囲気だ。
 各キャラクターの身振り手振りの“それっぽさ”や、ファミレスで時間を潰す際の処理、奥行きのある画面構成、寒さを伝えるための工夫など見るべき点は多い。しかし、じゃあアニメならではの部分がどれだけあるかというと疑問。なるほどカーチェイスあたりは「都内で実写」というのは厳しかっただろうし、ネオン街も絵だからこそ表現できる味なのだろう。が、本作の絵コンテでそのまま実写映画を作っても違和感なく仕上がるのではないだろうか、と感じてしまう。
 それとは別に、画面の見にくさも気にかかる。夜の東京、しかも裏通りが舞台となっていて薄暗さを忠実に再現しているため、全編を通じて似たようなテイストの画面であふれ、何がどうなっているのか判別しにくいカットも多い。
 作画、美術、タイミングや動き・表情のユニークさを重視した演出、みなそれぞれ懸命に頑張っているのだが、それが寄り集まって作品になったときに、どうも“アニメとしての楽しさ”が画面からあふれ出てこない。せめてクライマックスの描写をもう少しファンタジックなものにしていれば、それまでの実写的な作りとのコントラストが生きたのになぁと思わずにいられない。

 キャラクターでいえば、ギンちゃん役・江守徹の声優としての力量の確かさは昔からわかっていたし、ミユキ役の岡本綾も安定感があるが、ハナさんを演じる梅垣義明は、その濃すぎるキャラクターを生かそうとするあまり早口で聞き取りづらいセリフが多く、また病院でひとり毒づくシーンなど実写を意識した場面を与えられていて「ああ、そういうことをやりたかったのね」という感想が先に立ってしまい、少し損をしている印象だ。

 いっぽうで、アニメだからこそ、画面の中の人の動きやアングルなどをコントロールできたのであり、それほどスケールの大きくない物語をただのドタバタに終わらせずにすんだ、という見かたもできる。「実写向きのシナリオをアニメで、細部まで気を遣って作ると、こうなります」という挑戦結果を示す意味では、存在意義のある作品ということなのかも知れない。

 いや、面白くないわけではないのだ。けっこう笑える。よく出来ているとも思う。だからこそ「アニメゆえに可能である設定・演出」が、もうちょっと前面に出た部分があってもよかったんじゃあ……と感じるのだ。

|

« イノセンス | トップページ | 茄子 アンダルシアの夏 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東京ゴッドファーザーズ:

» 『東京ゴッドファーザーズ』 [シーラカンスの憂鬱]
《奇跡》や《幸運》という言葉。 科学や論理で説明のつかない様な出来事。 日常生活でこの言葉たちを耳にする時、 暗雲立ち込めた闇の空に差し込む 一筋の光をイメー... [続きを読む]

受信: 2004/12/29 00:55

« イノセンス | トップページ | 茄子 アンダルシアの夏 »