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2004/12/16

伝説巨神イデオン 接触篇・発動篇(上)

監督:富野喜幸(富野由悠季)
出演:塩谷翼/戸田恵子/田中秀幸/白石冬美/井上瑤/麻上洋子/石森達幸/林一夫
30点満点中25点=監5/話6/出4/芸6/技4

【接触篇:伝説の無限力=イデを巡って、ふたつの人類が交わる】
 無限力“イデ”の調査のため、ロゴ・ダウと呼ばれる星へ到着したバッフ・クラン軍は、そこが異星人の殖民星となっていることに戸惑う。軍総司令の娘カララの軽はずみな行為から交戦状態に突入するバッフ・クランとロゴ・ダウ。移民たちは遺跡から発掘された宇宙船ソロ・シップと巨大ロボット“イデオン”に乗り込み宇宙へ脱出、母星である地球を目指す。バッフ・クランもイデの秘密を求め、執拗な追撃を続けるのだった。
(1982年/日本/アニメ)

【人と人との間にある溝と拒絶の心が哀しみを増幅させる】
 富野監督が『機動戦士ガンダム』の後に手がけた作品で、1980年にTVシリーズとしてスタート。視聴率低迷のため全43話の予定が39話で打ち切りとなったが、ガンダム人気を受けてこのイデオンも映画版が製作され、TVシリーズのダイジェストである『接触篇』と真のエンディングを描いた『発動篇』、ダブルリリースでの公開となった。

 あくまでダイジェストである『接触篇』は、TVシリーズ約15時間ぶんをわずか85分に再構成したこともあり、説明口調のセリフや省略が多くて展開も性急だ。
 バッフ・クランvsソロ・シップの追撃と迎撃や、その任にあたる双方の個性豊かな軍人たちもほとんどがカット、いつの間にか死んじゃってるキャラクターもいる。物語の重要な部分を占める「バッフ・クランの女性カララが、地球人のベスに惹かれていく過程」も観ることはできない。
 ダイジェイストの弊害は個々の画面にも現れている。決して恵まれているとはいえない製作環境で作られたTVシリーズのカットを“つぎはぎ”したわけだから、作画の乱れは頻繁、画面構成や爆発シーンの処理などにも「古さ」を感じてしまう。
 ストーリーや人間関係を把握するために本来ならTVシリーズを全話、または38話まで観終えて(戸田恵子が唄う名曲『コスモスに君と』も楽しめるし)から映画へと進むべきだ。

 パッチワーク的で不完全といえる『接触編』だが、とはいえ、この作品に込められた想いや熱意、挑戦、映像的・SF的な面白さもまた、随所から汲み取ることができる
 たとえば道具立てやネーミングのユニークさは、やたらと幾何学的なデザインにこだわったりアルファベットの略称を多用する現代作品やハリウッド映画にはない、当時の国産アニメならではの魅力のひとつだ。いわゆる“板野サーカス”で画面内を縦横無尽に飛び交うアディゴ、ジグ・マックやガンガ・ルヴといった(戦闘機に脚をつけた、という画期的なデザインモチーフの)バッフ・クランの重機動メカ、ブラジラー・ポイント、コンピュータ「グロリア」、ゲル結界……。『発動編』ではアニメ史に残る巨大戦艦バイラル・ジンや超ド級兵器ガンド・ロワも登場する。
 シェリルがカララを人質にする際の画面の切り替え、画面の分割、セリフに被せるセリフなど演出上の「!」も数多く観られる
 地球人、バッフ・クランともにやや硬質なキャラクター・デザインが採用され、アフロヘア、エリが強調された服装、ぬっぺりとした色使いなど、前時代的、ある意味でサイケデリックな各要素は、観る者の感情移入を拒絶するためとするのが通説だ。この作品のテーマを考えれば的を射た配慮といえるだろう。

 そう全編において“拒絶”というか“隔絶”というか、愛と勇気と正義を謳う健全(?)なロボットアニメとは一線を画す、いわば“異”を基調とする空気を作り出すことに心が砕かれた作品だ。
 オープニングが異星人の描写から始まるのも異質だし、白兵戦の頻出も地球人が「ロゴ・ダウの異星人」と呼ばれるのもまた異色。策を弄すると機嫌を損ね、子どもの純粋な心に反応するイデという存在もまた、特異。
 ソロ星を挟んで対象の位置にあるバッフ・クランの母星と地球、握手も射撃も左手を用いるバッフ・クランなど、人類とバッフ・クランとの“異なり”は物語と世界設定の根幹をなす部分でもある。

 個別のキャラクターでいえば、人類側ではシェリル、バッフ・クラン側ではカララの姉ハルルが、拒絶の象徴として配され、2つのヒトの中間には「人類に溶け込んだバッフ・クランの娘」カララが和解のシンボルとして置かれる。
 カララに庇われたシェリルは「悔しい」と漏らす。ハルルとカララの対立は悲劇を加速させ、カララに「気丈夫な姉。男勝りに生き続けるよりはいいでしょう」とまでいわせる。高潔さを漂わせるカララ(戸田恵子)と、固く押し殺したようなハルル(麻上洋子)の声の違いも印象的だ。
 そしてシェリルにもハルルにも、理想主義者カララと理解しあう機会はとうとう訪れない。互いを“異”なるものとして認識している。

 こうして、なぜ人はわかりあえないのか、あるいは「善し・悪し」とは何か、運命とは何かという問いかけが積み重ねられていく。しかも善ではなく悪を、幸運ではなく悲運を、人と人との妬み嫉みとそれが生む悲劇を、人と人との間に横たわる溝を、人間の不可解で醜い部分を描くことで、さらに異質・拒絶の色合いは増していく。
 究極の悲劇への予兆を滲ませて、と同時にコスモとイデの対話の中に一縷の望みも感じさせて、物語は『発動篇』へと突入する。[つづく]

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