アップタウン・ガールズ
監督:ボアズ・イェーキン
出演:ブリタニー・マーフィ/ダコタ・ファニング/ジェシー・スペンサー/マーリー・シェルトン/ドナルド・フェイソン/ヘザー・ロックリア
30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4
【一文無しの22歳令嬢と、愛を知らない8歳令嬢との交流】
ロックスターだった父の遺産で裕福な生活を満喫するモリー。ところが会計士が全財産を持ち逃げ、彼女は一文無しになってしまう。22歳にもなって生活能力がまるでないモリーが、ようやくありついた仕事はベビーシッター。相手はレコード会社の女社長ローマの娘で、潔癖症で神経質、他人への敬意などまるでない8歳の“大人子ども”レイ。何かと衝突するふたりだったが、やがてモリーはレイが抱える寂しさに気づく。
(2003年/アメリカ)
【あえてウェルメイドにしなかったリアルおとぎ話】
異なる個性がぶつかりあって、あらためて自分の中にある寂しさや魅力に気づいていく。そうした設定や展開はありがちというか、予測できる範囲にある。ただし本作では、説明しすぎないこと、過分におとぎ話的にならないことに配慮されているようだ。
たとえば、一文無しになったモリーから次々と友人が去っていったり、いくつもの仕事に失敗したり、心情をとうとうと述べ立てたりといった、この筋立てなら当然考えつくであろう出来事はほとんど挿入されない。割と簡単にベビーシッターの職を得るし、レイとモリーの心の距離もいつの間にか近くなっている。
8歳の頃に両親を亡くしたモリーが、現8歳のレイを気遣うという動機付けは最低限必要なこととして説明される。だが、なぜレイはそこまで潔癖症で薬にも頼っているのか、歌手を目指すニールの都合のよさ、ブタさんやモリーの友人イングリッドの見せ場の少なさ……など、詳しく描かれない部分や生かし切れていない設定も多く、場当たり的な行動もあったりして、全体として登場人物にアイデンティティの一貫性が欠けているように思える。
ところが、それがかえってリアルさを増している、ともいえる。なるほど人間というものは、何らかの印象的なエピソードですべてを説明できるほど単純ではなく、ましてや20代前半と8歳の女の子なのだから、考えや価値観などはそのときに応じてコロコロと変わったりフラフラと揺れたりするのだろう。
いわば“ビミョーな存在としての人間”が主役となっているわけで、そんな等身大のキャラクターを、ブリタニー・マーフィもダコタ・ファニングもまずまずよく演じている。ダコちゃんの存在感がもっと強調されてもよかったとは感じるが、これくらい抑え目だったからこそクライマックスの遊園地のシーンも引き立ったのだろう。
心はビミョーでも、画面作りや展開のテンポのよさはクッキリ。モリーとニールのラブシーンやコインランドリーのシーンなど、背景まで含めたユニークな絵作りを見せるカットも多いし、見下ろしたり、グルグル回したりとアングルも(うるさくならない程度に)多彩だ。レイがクラスメイトとケンカするシーンや音楽に乗せてヒロインふたりの日常を描き出すシークエンスなどでは、ストーリーの流れとメリハリの妙も示す。
つまりは「カッチリ作られているな」と思わせるのだが、これはどちらかといえばおとぎ話的な(あるいはコミカルな)雰囲気を増す手法であって、どちらかといえばアンリアル。また「突然文無しになったロックスターの娘」といった状況設定とか、モリーが持っていた意外な才能、ものわかりのいい人ばかりの登場人物群なども、本作に残されたおとぎ話的な要素だ。
ビミョーというリアルさと、カッチリというアンリアル。そのバランスを楽しめるかどうかは観る人次第、場合によってはウソっぽさが気になったり、逆にウソっぽさが足りないと思えたりするかも知れない。
が、主演ふたりは可愛いし、映画としても可愛く仕上がっていて、個人的には「こういうバランスもありか」と楽しく観ることができた。
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