この森で、天使はバスを降りた
監督:リー・デヴィッド・ズロトフ
出演:アリソン・エリオット/エレン・バースティン/マーシャ・ゲイ・ハーデン/ウィル・パットン/キーラン・マローニー
30点満点中17点=監4/話3/出4/芸3/技3
【小さな町での再出発。けれど小さな町も寂しさであふれていた】
傷害致死の罪による刑期を終えたパーシーは、新たな人生を送るためギリアドの町で老女ハナが切り盛りするレストラン『スピットファイア・グリル』に住み込みで働き始める。ハナが店を売りたがっていることを知ったパーシーは、申込み金100ドルとともに作文を募り、優秀作に店をプレゼントするという作文コンテストを提案。全米から作品と大金が集まるが、ハナの甥ネイハムはパーシーの存在を快く思わずにいた。
(1996年/アメリカ)
【クライマックスに評価は分かれるが、感涙は誘う】
小さな町でのお話で、大仰な撮りかたもなく、じっくりと掘り下げることもなく、ミニシアターというよりテレビサイズの作品ではあるが、それだけに観客に“構える”ことを強いず、心へスンナリと入ってくる世界が作られている。
とりわけ印象に残るのは、作文を町の人みんなで手分けして読んでいる様子を描いた場面。かなり客観的なカメラアングルではあるが、この頃には観客も少しずつギリアドの町と、そこに暮らす片意地だけれど寂しさを抱えた人たちが好きになっているので、なんとかいい人物の手にレストランが渡ればいいなと思いながら、このシーンに感情移入してしまう。ギリアドがどれほど人と人とが密接に関わりあっているコミュニティであるかを示すと同時に、涙を誘われる名場面だ。
出演者たちの演技も上々だろう。演技らしい演技を見せてくれるベテランのエレン・バースティンはもちろん、主演アリソン・エリオットもネイハムの妻シェルビー役のマーシャ・ゲイ・ハーデンも感情の起伏を上手く出している。キャスティング全体としても「片田舎感」が漂っていて、本作のポイントのひとつだ。
シナリオも手堅い。小さな町ゆえパーシーが人々の好奇の目にさらされる様子が自然と描かれ、町の過去や将来もにおわせ、刑務所内で観光案内をやっていたパーシーのキャリアも物語に生かされ、「どういうことだろう?」という疑問がゆっくりと明らかになっていく……など、構成の巧みさを感じる。
その「明らかになる」場面でややセリフに頼っているきらいもあり、各キャラクターの描写に掘り下げは少ないのだが、画面で示すことと省略することを整理して展開を上手にまとめてあるので、そうした“浅さ”が気にならない。たとえば、町の人気者だったハナの息子イーライが健在だった頃、ネイハムがどのような人間(鼻つまみ者)だったかが、うっすらとではあるがわかるように、それぞれの出来事や人物の背景が想像できる作りになっているのだ。
暗いところにあえて光を当てない撮影プラン、その静かな絵を支える美しい音楽なども、本作に漂う寂しさを表現するものとして、見どころ・聴きどころとなっている。
問題は、20万ドルも集まった申込み金がなくなり、パーシーに嫌疑がかけられる後半30分の展開。好みと是非が分かれるはずで、個人的には「どちらかといえば、非」。
誰もが寂しさを抱えている、誰もが誰かの親であり子である。それが本作のテーマであるのだろう。また、未来とチャンスと希望はイコールであり、それは過去と失敗と絶望の対照として存在し、人は、自分の愚かしさを知り、過去を見つめ直して初めて、前へと歩むことができる、といったメッセージも込められているのかも知れない。
それはいいのだが、ギリアドの町の人はともかく、じゃあパーシーは誰の親や子であろうとし、彼女にとって何がチャンスであり希望であったのかを考えると、答えを出せず、どうにもやるせない気持ちが残る。
そうやって考えさせるという点においては成功しているのだが、好きか嫌いかと問われれば、映画としては好きなほう、けれど少し戸惑ってしまう後半、という仕上がりの作品だ。
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