アンダー・サスピション
監督:スティーブン・ホプキンス
出演:ジーン・ハックマン/モーガン・フリーマン/モニカ・ベルッチ/トーマス・ジェーン
30点満点中15点=監3/話3/出4/芸2/技3
【曖昧な証言に疑惑は募る。やはり彼が犯人なのか?】
カーニバルにわくプエルトリコで、2人の少女が相次いで殺害される。警察署長のビクターは、2人目の犠牲者を発見した大物弁護士ヘンリーを呼び出す。彼の証言には曖昧な点が多く、さらに1件目の殺人現場付近では彼の車が目撃されていた。ヘンリーに詰め寄るビクター署長。ヘンリーの証言は二転三転し、何かを隠している様子もうかがえる。遂に警察はヘンリーの妻シャンタルの協力を得て家宅捜索をおこなうのだが……。
(2000年/アメリカ)
【騙すという行為が持つ意味を描く】
ダマシ系と思って観るとダマされる。
いや、ダマシの要素はあるしミステリーの範疇に入る作品でもあるのだが、「あっ」といわせる鮮やかなドンデン返しを提供するものではない。単に観客をダマすことが目的なのではなく、「なぜ人はウソをつくのか」に着目し、ダマす(というか、真実を語らない)行為が意味するもの、ダマす(というか、ウソを語る)行為が呼ぶ未来を考えさせる、そんな、余韻を楽しむための映画だ。ある意味で巷に氾濫するダマシ系映画に対しての挑戦作でもある。
ストーリー以上に楽しむべき点は、演技のアンサンブルだろう。
モーガン・フリーマンの警察署長もジーン・ハックマンの秘密を抱える大物も、何のヒネリもないキャスティングなのだが、それだけに安定感と味わいがある。トーマス・ジェーンも血気に逸る若い刑事を好演、モニカ・ベルッチも美しいだけではない存在感を醸し出している。
いずれも全身全霊を込めた力演ではないものの、目線や身を乗り出す仕草といった細かな動きで、ガランとした取調室を密度の濃い空間にしてみせる。たとえば振り向くカットでも「クリル」ではなく「ク、クイっ」と微妙な間を取り入れたりして、みんな考えながら演技を組み立てているのだなぁと思わせるのだ。
演技によって、この作品のテーマである「愛の裏返しとしてのウソ、愛の反作用としてのウソ」を描き出す、といったところか。
ひょっとすると映画よりも舞台やテレビ向きの内容かも知れない。ビデオカメラやナマのほうが、演技や物語の余韻をより楽しめるだろうから。
とはいえ、映画的な演出も採用されている。画面はバストショットが中心なのだが、フィックスのカメラで人の動きを漫然と捉えるのではなく、細かなカット割りや背景まで意識したアングルとフレーミングで、しっかりと各人の動きを捉え、ストーリーを語る。さらに、供述によって再現される映像に供述者と取調べ官が入り込む(つい先ごろ日本のドラマでも、この手法は模倣されていた)という、映画ならではの表現も見せてくれる
演技だけに頼っているわけではないぞという気概が感じられ、時おり挿入される早送り/スローモーションやコマ落とし、音楽などは少々うざったいものの、全体として丁寧に作られている印象を与える。
面白いかといわれれば、大したことはない。どうしてもダマシ系ミステリーの雰囲気に引きずられて、クライマックスを迎えてもテーマが観る側に浸透するまでに「うーむ」としばし考えることを強いる。
だが「つまらない」と見限れない渋みを、そのテーマと演技とに感じることができる作品である。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント