フィッシャー・キング
監督:テリー・ギリアム
出演:ジェフ・ブリッジス/ロビン・ウィリアムス/マーセデス・ルール/アマンダ・プラマー
30点満点中14点=監3/話2/出3/芸3/技3
【落ちぶれたDJと記憶をなくしたホームレスの交流】
過激なトークで人気のDJジャック。だが彼の不用意な発言をきっかけに銃乱射事件が発生する。以来、人間恐怖症に陥ったジャックは職を離れ、酒びたりの毎日だ。ある日ジャックは「神のお告げで聖杯を取り戻す」という使命を帯びたホームレスのパリーに助けられる。パリーの妻が銃乱射事件で死んだこと、そのためにパリーは本来の人格と記憶を失ったことを知ったジャックは、なんとかパリーの手助けをしようと考える。
(1991年/アメリカ)
【出来のいい映画ではないが、不思議な雰囲気がある】
中盤の展開は冗漫だし、全体的にストーリー映画としてのまとまりを欠く。「誰かを助けたいという心からの思いが自然と自分の前に道を作る」ことがテーマとなった癒しと再生の話であることはわかるし、それゆえ友情に基づく美談の体裁を取っているわけだが、コメディの要素も詰め込まれて、またジ・エンドに至っても「それで解決か?」という疑問も残るまとめかた。全体として不完全な映画だと思う。
映像的には、フツーに撮ってるなぁというシーンの合間に、パリーの初登場シーンや地下鉄の駅で繰り広げられるワルツなどテリー・ギリアムらしい大仰で映画的な楽しさが挟まれる。下からアオったり意識的にカメラを斜めにしたり、特異なカットも多用されて、主人公ふたりの不安感や焦燥を表現する。意図はわかるが、野暮ったい画面ととんがった画面の連続性とバランスとが悪く、まとまりに欠ける。
けれど、どうも嫌いになれない雰囲気がある。こういう人がいて、こういう出来事があってもいいかも、と思わせる。きっちりとまとまっていなくても、人間ってそもそもきっちりしていない存在なんだから、と感じさせる雰囲気があるのだ。
パリーの想い人であるリディアを誘い出そうとするジャックは、本職であるDJのテクニックを生かしたり、いつの間にか友だちになったオカマのホームレスに協力してもらったりする。パリーには大学教授時代の記憶が微かに残っていて、それが知性となって表出したりする。リディアは面白くない編集の仕事に明け暮れて夢見ることを失ってしまっている。何の後ろ盾もない女性がひとりでNYを生きようと思えば、なるほどアンのように安っぽいレンタルビデオ店を構え、ジャックのような人間に「支え」を求めたくなるものなのだろう。
そんなふうに、設定と人物と出来事が関わりあっている“作りの良さ”も見受けられる。
決して人に勧められるような出来のいい作品ではないが、それなりの見どころと、不思議な温かさを持つ映画だ。
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