8人の女たち
監督:フランソワ・オゾン
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/エマニュエル・ベアール/イザベル・ユペール/ファニー・アルダン/ヴィルジニー・ルドワイヤン/リュディヴィーヌ・サニエ/ダニエル・ダリュー/フィルミーヌ・リシャール
30点満点中13点=監2/話2/出3/芸3/技3
【殺人事件に、雪に閉ざされた8人の女が歌う】
雪に閉ざされた邸宅で主が殺される。容疑者は、妻のギャビー、その母マミー、ギャビーの妹オーギュスティーヌ、娘のスゾンとカトリーヌ、被害者の妹ピレット、家政婦のシャネルとメイドのルイーズ。それぞれに動機あり。外部との連絡が断たれた邸宅で、互いに疑心暗鬼に駆られ、やがて本性をさらけ出していく8人の女たち。女優各々の歌も加えてミュージカルのエッセンスもまぶした、推理劇風の作品。
(2002年/フランス)
【映画ならではの楽しさがない】
こういうのもアリと思えれば、あるいは何も疑問を感じなければ楽しめるのかも知れないが、自分は肯定する気になれない。
舞台(セット)=場面は邸宅の1階ホールにほぼ限定され、そこで繰り広げられるストーリー(というか会話のやりとり)をカメラが捉える。規模・内容・様式の各点において、あくまでも舞台劇であり、女優たちの演技アンサンブルを楽しむための脚本といえる。それを映像化した作品であるわけだが、映画化ではない。
確かに女優陣は、それぞれ演技に力が入っている。カトリーヌ・ドヌーヴは相変わらず綺麗でエマニュエル・ベアールは依然として色っぽくてヴィルジニー・ルドワイヤンは可愛くて、みな立ち姿が美しく、動作にキレやメリハリもある。彼女たちを受け止めるセットもよく出来ている。音楽も、いかにもフレンチのノリで楽しい。
けれど、演技や美術や音楽だけでなく、カメラワーク、カットの積み重ね、展開の“間”などの相互作用によって「映画にしかできない表現」に取り組んで作り上げられるのが、映画本来の姿であるはずだ。
ところが本作では、演じられる舞台劇をほぼそのまま映像に収めるという手法が取られている。寄ったり引いたり、ある程度の工夫をカメラは見せるが、あくまで中心となるのは演技と、演技によって紡がれるストーリーとなっていて、映像による語り、場面転換の妙といった映画ならではの楽しさ・鮮やかさがほとんど感じられない。
どんなにお話が面白くても(いや、そんなに面白くはないんだけれど)この手法では「あー面白かった」とは思えないし、映画を観た実感に浸れないのだ。
舞台劇として観るならともかく、映画としてはスジを外しているように思える作品だ。
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