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2005/03/01

ソイレント・グリーン

監督:リチャード・フライシャー
出演:チャールトン・ヘストン/エドワード・G・ロビンソン/リー・テイラー=ヤング/チャック・コナーズ/ジョセフ・コットン
30点満点中17点=監3/話4/出3/芸4/技3

【食糧危機の時代を迎えた人類、その行き着く先は?】
 2022年のNY。人口の爆発的増加と自然破壊により、人類は食糧危機に陥っていた。大豆や海洋プランクトンを原料とするビスケット状の合成食料ソイレント・イエローやソイレント・グリーンの配給に群がる人たち……。ある日、超高級マンションで富豪が殺され、刑事ソーンは情報収集役の老人ソルと捜査にあたるが、上層部から手を引くよう圧力がかかる。事件の裏側には、表沙汰にできない恐るべき秘密が潜んでいたのだ。
(1973年 アメリカ)

【あまりに強烈かつ劇的なシーンを味わえる】
 ワン・アイディアで作られたストーリーであるため、約100分の劇場映画としては、甘さというか、冗漫な部分は残る。特にラスト10分はもっとたたみかけるように展開させないと、せっかくの衝撃も薄れてしまうことになる。
 またソーン刑事がやたらと暴力的だったり、職権を濫用したり、事件を通じて知り合った女性とすぐにベッドに入ったりと、アウトローぶり・タフガイぶりが表現されるのはまぁいいのだが、なぜそこまでこの事件に執着するのかが判然とせず、老人ソルをはじめとするその他のキャラクターも掘り下げ不足に思える。アイディアに頼って人間の描き込みが疎かになってしまい、各人の行動の動機が曖昧なのだ。早々に画面から姿を消す富豪サイモンソンが、もっとも“動機のハッキリした人物”という印象を与えるというのも皮肉な話だ。

 が、そのワン・アイディアを支える要素、SF的なあれやこれやは、かなり詰め込まれている。
 マンションに付属して居住者の慰み者となる“家具”と呼ばれる女性、あるいは“本”と呼ばれる情報屋。物語の主役である合成食料ソイレント・シリーズは無機質で、血の滴るような牛肉と好対照をなす。スラム化したNYはゴミゴミとホコリっぽく、貧しさの中ひしめきあいながら暮らしている様子も伝わってきて、それらしく作られている。恐らくは光化学スモッグへの対応策なのだろう、外出する人々はみな帽子を被っていて、それが民衆の画一性というか「名もなき群集」という意味合いを色濃くしている。
 ひとつひとつの要素が、ことごとく鮮烈なイメージを残すのだ。

 カット/シーンの作りかたには野暮ったいところがあるものの、面白さを感じさせる点もまた多い。まず工業の進化をテンポ良く描くオープニングがいい。また、本篇中では長回しが多用されるのだが、たとえばパーティーのシーンでは、ひとりが動き、それをカメラが追い、その先にいる別の人物をまた追い……と単にカットを長くするだけでなく、カメラワークにも気を遣って画面を立体的に見せるよう配慮している。
 BGMが極度に抑えられているのも計算ずくのことだろう。前半部で音楽が使用されるのは、ソーンとソルが久しぶりにソイレントではない生きた食べものにありつく場面と、この時代には貴重なものとなっている水を贅沢に味わうシャワーのシーンくらい。つまり音楽は“幸福感”の象徴として用いられているわけだ。

 そして、世を儚んだ人たちが最期に行き着く場所“ホーム”のシーンへと至る。ソルもここへと足を運ぶのだが、その折に流れる音楽は○○○○○○の□□□□□□『●●』(未見の方のために伏字)。
 人々にとって“ホーム”=“幸福感”であるという、この世界の価値観が強烈に表現され、また前半部で音楽が抑制されていることもあって、あまりに劇的なシーンとして脳へと迫る。確か本作を観るのは3度目で、オチも知っているし、このシーンと音楽もハッキリと覚えていたのだが、それでも一瞬、涙腺が緩んでしまった。
 お話のオチは「まぁそういうこともあるかな」といったレベルだが、このシーンがあるがために「人類の危機」を深く考えさせられ、と同時に○○○○○○の偉大さも認識させられる、そんな映画だ。

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