トーク・トゥ・ハー
監督:ペドロ・アルモドバル
出演:ハヴィエル・カマラ/ダリオ・グランディネッティ/レオノール・ワトリング/ロサリオ・フローレス/ジェラルディン・チャップリン
30点満点中14点=監2/話2/出3/芸3/技4
【眠り続ける女たち、悩み続ける男たち】
寝たきりの母を20年間も世話してきたベニグノはバレエダンサーのアリシアに恋をする。が、アリシアは事故に遭って昏睡状態に陥り、ベニグノは看護士として彼女の面倒をみることになる。いっぽう、失恋したばかりの女性闘牛士リディアと心を通わせるルポライターのマルコ。だがリディアもまた試合中の事故で植物人間となってしまう。眠り続ける2人の女性と、その傍らで悩み続ける2人の男の人生が、病院で交わる。
(2002年 スペイン)
【要素の構成方法に、いくつもの疑問が残る】
ワイドなスクリーンサイズを存分に生かして、眠り続けるアリシアの裸体を捉えたカット。ダイナミックな闘牛のシーン。画面にしっとりと染み渡る音楽。「女性化学者と、実験のため身体が縮んでしまった男とのセックス」という前代未聞のシチュエーション。
そうした、映画を構成する要素の1つ1つには、優れている部分も多い。人生に意味を見出すことのできないマルコ、人生に誤った意味合いをもたせてしまったベニグノ、ひたすら美しいアリシアなど、キャラクターも光っていると思う。
だが全体のまとまりはどうかと考えると、高い評価を与えることに躊躇してしまうのだ。
まず「3週間後」とか「4年前」とか、時制を自由に行き来するのは構わないのだが、それをテロップで示す安直な方法を繰り返すことを支持できない。しかもその時間の流れが各人にもたらした変化が鮮やかでないので、あっちこっちウロウロする煩雑さだけが前面に立ってしまう。
季節感や表情の変化など、映像と演技の力で鮮やかに時間を跳び、しかも跳ぶことに意味のある構成が取られていれば納得もできるのだが。
また、本作の重要なテーマであるはずの“人と人との関わり”も、希薄とまではいわないまでも、やはり安直にセリフで示してしまったり、濃密さと味わいに欠けているように思える。特にベニグノとマルコの心の交流、互いに示しあう好意については、それなりのエピソードをいくつも盛り込んでもっと説得力をもたせるべきだったろう。
誰にどのような想いを寄せ、その想いの熱さ・深さゆえに人はどんな行為へとおよぶのか。人生の残酷さ、運命の皮肉を描こうとする意図は汲み取れるのだが、それらを伝える手段として、映画ならではの鮮やかさを存分に出し切れなかった作品なのではないだろうか。
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