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2005/07/11

スター・ウォーズ エピソードIV 新たなる希望

★10000HIT御礼企画 SWサーガ一気SP その1★

監督:ジョージ・ルーカス
出演:マーク・ハミル/ハリソン・フォード/キャリー・フィッシャー/アレック・ギネス/アンソニー・ダニエルズ/ケニー・ベイカー/ピーター・メイヒュー/デヴィッド・プラウズ/ジェームズ・アール・ジョーンズ
30点満点中18点=監4/話3/出3/芸4/技4

【スター・ウォーズ・サーガの幕開け】
 遥か遠い銀河で。惑星すら破壊する力を持つ帝国の兵器デス・スターの設計図を、反乱同盟軍の基地へ届けようとするレイア姫。だが帝国軍の司令官ダース・ベイダーに拿捕されてしまう。レイア姫から設計図を託されたドロイド(ロボット)のR2-D2とC-3POは、惑星タトゥイーンでルーク・スカイウォーカーやジェダイの騎士オビ=ワン・ケノービと遭遇。一行はハン・ソロ船長を雇い、レイアの故郷・惑星オルデランへと向かう。
(1977年 アメリカ)

【正真正銘のエポック・メイキング】
 もはや映画というより“イベント”として認知され機能している『スター・ウォーズ』サーガ。好むと好まざるとに関わらず、ここまで至ればすでに人類の財産といっていいのではないだろうか。
 SWサーガ・ムーブメントの最高潮は『エピソードⅠ』または『エピソードIII』公開時だろうが、そのスタート地点はもちろん『エピソードIV』。劇場で観たのは小学生の頃。以来しっかりと再観賞したことはなく、もはや細部は忘れてしまったものの、かの有名なオープニング、逃げるレイアの宇宙船を追うスター・デストロイヤーに圧倒されたことだけは覚えている。

 そう、このオープニングがすべてなのだ。
 黒澤映画から着想を得た部分が多いことで知られ、ライトセイバーによる剣戟パートもあるため、和風時代劇=チャンバラの色合いを濃く含む本作。だが改めて観ると(当然なんだけれど)スペースオペラとしての仕上がりが重視されていることに気づく。宇宙を舞台にした壮大な物語。その幕開けとして、これ以上ないオープニング・ショットである。

 スペースオペラは「ウエスタンを宇宙に置き換えた」ものとされるが、なるほど西部劇の匂いも強く感じることができる。
 たとえば序盤のストーム・トルーパーvs同盟軍の銃撃戦。弾切れや流れ弾や障壁の頑丈さなど心配することなく力任せに撃ちまくり、撃たれた兵士はオーバーに倒れ込む。西部劇以外の何物でもない作りだ。また砂漠の中をトコトコ歩くC-3POとR2-D2の姿を引きで捉えた絵は、いまにも岩陰からリー・バン・クリーフあたりが出てきそうな雰囲気。
 ルークたちがハン・ソロと出会う酒場のシーンも、まさにウエスタン。しかも、ならず者に絡まれるが相手にしないルーク、執拗に絡むバカ、そいつの腕をライトセイバーで切り落とすオビ=ワン、静まっていた店内に戻ってくる楽団の演奏とざわめき……と、上質のウエスタンに通ずる緊迫感あふれる仕上がりとなっている。

 西部劇に何よりも求められるものといえば娯楽性だ。SWサーガは「しっかりとした世界観」、すなわち裏設定の細かさに定評のある(というより、裏設定を細かく作り込んだ初めての映画か)作品群であるが、そうした世界構築の確かさやストーリー性よりも、スクリーン上で“いま繰り広げられている出来事”の面白さを追求した映画といえるだろう。
 事実関係や展開をセリフで説明する部分は多いが、たぶん、シナリオそのものは薄いはずで、シナリオよりも絵コンテ/ストーリーボードを重視しているように感じる。「追っ手を迎え撃つ」くらいの短いト書きを、いかに面白く見せられるか、いかに観客を感嘆させるヴィジュアルイメージを作り上げるか、そういった点に力を注いだ映画なのだ。
 たとえば、画面右奥から来たものが真ん中で何かのアクションをし、左手前へと移動、その動きをカメラが追うといった、舞台の広がり感を出すための絵作り。
 あるいは、細かなことにこだわらず、とにかくテンポの良さを出すべくワイプやフェードアウトでどんどんと進められるシーン転換。
 各カット/シーンのヴィジュアルも極上で、異星人、ドロイドたち、雲のない青空と砂漠のコントラストなど、見た目の楽しさにあふれている。圧巻はクライマックスのデス・スターへの特攻で、巨大な星型兵器とその上を滑空するⅩファイターの姿は、感動的ですらある。
 そうした各要素を組み上げて、一瞬一瞬、いかに観客を楽しませるかに心を砕いた、まさに“いま繰り広げられている出来事”の面白さを追求した映画なのだ。

 ただし、お話の都合のよさが目立つところは、B級ウエスタン。
 重要人物どうしがあまりに簡単に出会いすぎるし、「ゴミのプレス機は遠隔操作できるのにトラックビームの発電機は手動でOFFかよっ!」なんてツッコミも入れたくなる。オビ=ワンとR2-D2が初対面のように振る舞ったりなど新3部作との整合性の甘さも気になる。細部に渡って改善が施されたヴァージョンであるはずなのに「注射器がセットされたドロイド」といった安っぽさも残されている。デス・スター内部の帝国軍兵士の統制が万全ではないことにも練り込み不足を感じる。

 が、もう30年も前に作られた本作については、そのへんには目をつぶるべきなのだ。細かなデキとかテクニックとか、ご都合主義とか心理描写の欠如とか、そういうことを置いといて、ただ観ているだけでワクワクとしてくる、「この映画が存在した」というだけで十分と思わせる、そういうパワーが満載の作品なんである。
 それに1本の映画として見た場合の完成度(完結度)と面白さは、さすがにシリーズ中で屈指であることも確か。と同時に、さまざまな謎も未解決なまま残して、この続きを観たいと思わせる映画である。

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コメント

ちょきちょき様

ご来訪、ありがとうございます。
オビ=ワンの自殺行為と死体が残らなかった理由……。

 これ、公開当時から鮮烈に印象に残っているシーンですが、不思議と疑問には感じなかったんですよ。「理力ってすげー」という感じで。

 オビ=ワンはクワイ=ガンと交信し、フォースと同一化する方法と「死は死ではない」ことを知っていたので、斬られることも怖くはなかったということなんでしょう。
 またアナキンがダークサイドに堕ちた要因には、ジェダイに対する不信感がありますから、オビ=ワンとしては「自分を斬らせることで、その憎しみの心を和らげられれば」という計算があったのかも。

 ま、死体が残らなかったことの説明にはなっていませんが、こうしてさまざまな『?』をいろいろと語れることこそ、SWサーガの魅力ですね。

投稿: たにがわ | 2005/07/12 09:07

はじめまして!
エピソード3を観たら無性に4も観たくなり
数十回目の観賞を!
改めて疑問に思うことがあるのですが
オビ=ワンはなぜ自殺行為をしたのか、それと死体が残らなかったのは?
谷川さん、知ってますか?

投稿: ちょきちょき | 2005/07/12 00:16

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