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2005/07/22

フルメタル・ジャケット

監督:スタンリー・キューブリック
出演:マシュー・モディン/リー・アーメイ/ビンセント・フィリップ・ドノフリオ/アーリス・ハワード/アダム・ボールドウィン
30点満点中16点=監3/話3/出3/芸3/技4

【訓練を経てベトナムへ。そこで体験する戦争の真実】
 この雌豚め! 腐れマラ! 米軍海兵隊の訓練施設では、教官・ハートマン軍曹の怒号が今日も飛ぶ。そして、デブで落ちこぼれのレナード、その面倒を見るジョーカー、エイトボールやカウボーイら新兵にも卒業の時がやってくる。狂気に侵されたレナードによる“事件”を経て、ベトナムへと赴く彼ら。戦場の様子を伝える広報部隊に配属され退屈を感じていたジョーカーだが、最前線の部隊に同行することとなり、過酷な道行きを経験する。
(1987年 アメリカ)

【この内容で2時間は、みじかすぎたかも】
 軍隊不要! などと声高に叫ぶ気にはなれない。極端な話、エイリアンが攻めてきたらどうするのだ。いや、けっこうマジにそう思っている。
 とはいえ、いまのところ獰猛な異星人たちは、銀河の辺境にあるこの星に興味がないらしい。よって軍隊はエゴイズムと帝国主義によってのみ動かされることとなり、兵士は狂気に支配されて突っ走り、「戦争はカッコ良くない」という図式が出来上がる。
 そんな、カッコ良くない戦争(じゃあカッコいい戦争ってのがあるのか、というツッコミは無視)を描いたのが本作。この路線の他の作品と同様に、人間をグっと掘り下げたり分析したりはしない。その代わり、刺激的なセリフを散らし、人として扱われない米兵と、その米兵になぶり殺されるベトナム人、そういった事実・出来事を淡々と、かつリアリスティックに映し出すことで、戦争という狂気、戦争に潜む狂気を描いてゆく

 白眉はハートマン軍曹とレナードの存在感。
 ハートマンを演じたリー・アーメイは、もともとはアドバイザリー・スタッフとして参加、教官役に選ばれていた別の俳優に演技指導をおこなう予定だったらしい(ということは実際にベトナムへ行ったか、少なくとも訓練は経験しているのだろう)。ところがあまりにスゴすぎたため、そのまま起用となったのだとか。いわれてみれば“演技”にしては堅く、何かがノリうつったかのようなブっ飛びぶり。この軍曹に傾倒する倒錯したファンが多いのもうなずける。
 デブのレナードも、入隊初日の薄ら笑いから最後の登場シーンまで、ブヨブヨした気味悪さを漂わせる。

 映像のキレは相変わらず。ズラリと並んだ宿舎のベッド、夕陽をバックにした訓練、両脇を抱えられた負傷兵など、どの場面もシャープに切り取られている。スぅっと動いたカメラがピタリと止まり、そこでもキッチリと必要な要素がフレームの中に、美しいバランスで収まっていることに感心させられる。
 牧歌的なカントリーで始まり、訓練所では“海兵隊ソング”のスラングが満開、そしてストーンズで締めるという音楽の使いかたも印象的だ。
 ただ、前半で訓練施設、後半で戦場と欲張りすぎて、その狂気を存分には描き切れなかった印象だ。この内容を2時間で、というのはみじかすぎる。いっそ訓練施設の描写だけに絞るか、もう1時間延ばすか、2本立てにするか、再構成の余地を感じる仕上がりだ。

 個人的には、軍隊式教育の是非の“非”だけでなく“是”の部分もより感じ取れる内容にして欲しかったところ。
 現実に「上司の言葉には絶対」という現場は存在し、そうした価値観は危機回避や統制の取れた作業を実現するために必要ともされている(それだけ上司には能力が求められ、また責任も負うことになるのだが)。また徹底したスパルタではじめて身につくものもある。「軍隊式教育を受けた者にだけ市民権を与えるべき」(byロバート・A・ハインライン)というのは、ある意味で真理なのだと思う。
 人格無視に対する嫌悪感と、それと隣り合わせにある「でも、そうしないと成り立たないシチュエーションもあるんだよね」という現実、その描写の両立こそが、まさしく戦争や軍隊式教育の是非について深く考えるキッカケともなるのではないだろうか。

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