ベティ・サイズモア
監督:ニール・ラビュート
出演:レニー・ゼルウィガー/モーガン・フリーマン/クリス・ロック/グレッグ・キニア
30点満点中15点=監3/話2/出4/芸3/技3
【夫が殺された! おかげで空想と現実がごっちゃごちゃ】
ウエイトレスのベティは、昼メロ『愛のすべて』の主人公・デヴィッド医師に夢中。ろくでなしの夫・デルに悩まされつつも、いつか看護士になることを願っている。そんなベティはある日、デルが2人の男に殺されるのを目撃、そのショックから空想と現実の区別がつかなくなってしまう。しかも自分を「デヴィッド医師にとっての運命の女性」と思い込み、彼を探す旅に出るベティ。だが殺人犯たちも、彼女の行方を追っていた。
(2000年 アメリカ)
【レニーとモーガンはさすがだが、映画的仕上がりはイマイチ】
インディーズとメジャーとの中間的な仕上がりで、小さくて地味、ところどころに笑えたり感心させられたりする部分はあるが、全体としてのまとまりには欠ける、という映画になっている。
そう思えてしまう原因は、バランスの悪さにある。
悪党たちのクルマがいきなり故障+その後の修理の様子は、何がどのようにして起こったのかをダラダラと見せることなく、サラリと画面上で描写してみせて良質なテンポ。デヴィッド医師役の俳優ジョージらが出席するパーティーにベティが潜り込むくだりも、なかなかにリズミカルだ。全体に「お話のスっ飛ばしかた」が上手いと感じさせられる。
その反面、各シーンは少々おっとりとしすぎ。ベティの頭の中で現実と空想の区別がつかなくなるあたりの描写も、いまひとつパンチ不足だ。
なんというか、パワーのない軽自動車に乗ってアクセル全開で高速道路を走っているような感じ。気持ちはいいんだけれど、もっと排気量があって乗り心地のいいクルマだったらなぁ、みたいな。
ストーリーそのものも焦点がハッキリとしない。
たとえば、ベティを追う悪党チャーリーも空想(というか妄想)をふくらませたり、ベティの空想の中で『ケ・セラ・セラ』が流れ、チャーリーが彼女を「ドリス・デイっぽい感じ」と評する場面があって、このふたりの奇妙な結びつきにはニヤリとさせられる。が、そのノリが持続せず、作品のテーマがあっちへ行ったりこっちへ行ったり。結局のところ何を描きたかったのか曖昧なお話になっているのだ。
まぁ「ベティが晴れてナースになるまでの、ちょっとおかしな物語」を誰かから聞かされて、その映像化と考えれば、そこそこ面白いとはいえるのだが、映画として観た場合、空想と現実がゴッチャになることによるハプニングをもっと盛り込めただろうとか、いろいろと不満が出てくる。そのあたりの消化不良な感じもインディーズっぽい印象を受ける原因。
収穫は主演のふたり。レニーはチャーミングで、観るたびに体型も表情も違うことに女優としての凄さを感じる。モーガンも、運転手から大統領から小悪党まで、よくもまぁこれだけ異なるキャラクターを演じられるものだ。今回は声を裏返らせてわめき立てたり妄想を全開にしたりして、こちらもチャーミング。
パっとしたところの少ない作品でも、しっかり自分の力を示してしまうこの人たち、さすがである。
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