キリクと魔女
監督:ミッシェル・オスロ
日本語版翻訳・演出:高畑勲
吹替:浅野温子/神木隆之介
30点満点中17点=監3/話3/出4/芸4/技3
【キリクは救えるだろうか? 魔女に呪われた村を】
アフリカの、とある村。母親の胎から自ら這い出て、少年キリクは生まれる。けれど魔女カラバのせいで村の泉は枯れ、男たちはみな彼女に食われてしまっていた。それでもカラバは満足せず、村の生き残りたちに黄金を出せと迫り、子供たちをさらおうとする。機転を利かせて村を救うキリク。「なぜ、どうして魔女はそんなにイジワルなの?」。キリクの素直な疑問に答えられるのは、魔女の棲家の山の向こうに住むキリクの祖父だけだった。
(1998年 フランス・アニメ 日本語版製作は2003年)
【美しさと丁寧さと寓意に満ちた作品】
「多くの場面で登場人物たちが真横から描かれています。まるで影絵、あるいは切り絵のような構図ですね」
「ストーリーの展開上、魔女カラバは正面からの描写がほとんど。その姿との対比を際立たせるための手法かも知れない」
「でも不思議と単調じゃないんですよね」
「うん。キリクはチョコチョコ、叔父さんは颯爽、魔女は威厳を漂わせ、村人たちは卑屈に、小鬼たちはコマ落とし……と、人物それぞれの動きやラインが異なっているし、色トレスも美しい。観ていて楽しい画面なんだよね」
「色合いも独特で素晴らしかったと思います」
「なんというか、渇きと熱さと、その中にほんの少し混じった水分が感じられるような褐色とオレンジが基調。そこに気持ちよく青や緑が置かれ、恐ろしげに黒が動く。日本にはないイメージだよな」
「背景も抜群!」
「空の広さ、山の大きさ、村の貧しさが伝わる背景だよ。中でも印象的だったのは川の近くの森だね」
「陰の向こうに陽の当たる場所があったりして、雰囲気たっぷりです」
「実に細かく描き込まれている。全体に質感が絹っぽくて、使っている画材も日本やアメリカとは違うのかな。この背景美術の美しさも画面が単調にならなかった要因だろうね」
「ユッスー・ンドゥールの音楽も、愉快に画面へと乗っかります」
「感心したのは、絵と音のタイミングがバッチリ合っていること。当然といえば当然なんだけれど、村人が太鼓を演奏したりキリクが壷を叩いたり、鳥がくちばしをカタカタと細かく打ち鳴らしたり、そういった場面で誤魔化すことなく丁寧にシンクロさせているんだよな。すっごく気持ちいい」
「そうした絵・音で語られるのは、寓意たっぷりのストーリーです。原作・脚本も務めたオスロ監督は幼少期をギニアで過ごした人らしいんですが、現地の言い伝えなどがベースになっているんでしょうか?」
「それはわからないけれど、教訓や人生の真理が、いろいろ詰め込まれているよな。報いや感謝を求めてはならない、解決の道はすぐ近くにある、物事は聞いた通りではないことが多いけれど見たままということもまた多い、真実の強さ……」
「男は釣った魚にエサをやらない(笑)」
「特に心に残ったのは『おまもりが必要ないことこそ、お前の強さ』っていうお祖父ちゃんの言葉。自分に自信を持って生きることの大切さを教えられるようだった」
「かといって説教臭くないんですよね」
「あくまでもおとぎ話としてまとめられていて、しかも危機、冒険、ふれあい、勝利、和解とちゃんとエンターテインメントしている。まさにジブリが目指す方向なんじゃないかな」
「今回は日本語吹替えで観たわけですが、配役もハマっていましたね」
「浅野温子って年齢不詳で、必要以上にキバって演技するよな。その点、魔女カラバにピッタリ。生涯最高のハマリ役じゃないかな。村人や祖父もナチュラルだった」
「あえて神木くんに触れるのを避けてませんか?」
「だってオレに話させると、むやみに絶賛しちゃうし」
「でも実際、上手かったと思いますよ」
「だよなっ。甘え、悩み、ウレシさ、哀しさ。感情の振れ幅が大きい役・セリフを的確に表現していた。『どうして?』っていう問いかけがこの映画のキーになっているわけだけれど、そこで、素直な疑問、猜疑、驚きといった声音を使い分けたりしてさ。間違いなく、声の演技が日本一上手い小学生だよ」
「そんなわけで、地味だけれど美しくて面白い動きを見せる絵、音と絵のマッチング、声の演技と、アニメらしい見どころがいっぱいの作品でしたね」
「最大の見どころはDVDの映像特典だけれどね」
「はぁ?」
「待ち時間に『鉄道ファン』を読んでたり、表情豊かにアフレコしたり、あのクシャってなる笑顔もいっぱい見られるし。舞台挨拶でさ、自分の番が終わった後、オスロ監督にマイクを渡そうとしておたおたしている姿も可愛いよな」
「結局は神木くんですかっ」
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