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2005/08/01

禁断の惑星

監督:フレッド・マクロード・ウィルコックス
出演:ウォルター・ピジョン/アン・フランシス/レスリー・ニールセン/ロビー・ザ・ロボット
30点満点中17点=監2/話4/出4/芸3/技4

【宇宙船乗組員たちを襲う見えない力の謎とは?】
 惑星アルティア4を目指す宇宙船C-57-D。20年前に消息を絶った調査隊員たちを救出するのが任務だ。アダムス船長と18人の乗組員を出迎えたのは、唯一の生き残りである言語学者のモービアス博士、アルティア4で生まれ育った娘のアルティア、そしてロボットのロビー。救出隊の到着を歓迎していないらしい博士によれば、この星で“何か”が起こり、調査隊は全滅したのだという。そしてまた、見えない力が救出隊に忍び寄る……。
(1956年 アメリカ)

【生まれるのが早すぎた怪作】
 20年ぶりくらいの観賞。いま観ると、かなり重い。まぁ 『イデオン』の元ネタなのだから、重くて当然か。

 とにかくスカっとしない語り口調だ。
 まず見た目がイケていない。カメラのフレームの外に大勢のスタッフがいることや材木置き場の存在を感じさせる「作りましたっ」的なセットがあり、わずかなキャストが平面的に動き、それをほぼ一方向から撮影するという絵作り。サウンドトラックは全編にわたって、例の「ヒヨヒヨヒヨ」という“宇宙音”のみだ。
 特殊撮影の技術は、当時としては先端を行くものだったろう。星の合間を往く宇宙船、アルティア4の大気や空、各種の合成など、さすがにCGなどの技術が発達した現代作品には見劣りするものの、かなりの出来栄えだ。が、それがかえって画面を硬質なものとし、重さを増長しているる。何というか、昔の科学雑誌のグラビアみたいな雰囲気。
 ストーリー展開は、100分近い作品とは思えぬほどコンパクト。枝葉がほとんどなく(ウイスキーを欲しがる料理担当スタッフくらいか)、ひたすら「何が起こったか」を追求する。

 だから、抑揚がない。安っぽい。堅苦しくてユーモアもダイナミズムもない。
 
ただし、一気に見せてしまう実直さはある。徹底して哲学的でもある。 よくぞここまで、重い雰囲気を作り上げたものだと感心する。

 重いというより、悲観的、というべきだろうか。
 アルティア4の地下に眠るのは、発達した科学力ゆえに滅亡してしまったクレル人の遺跡。その管理権を主張することは、モービアス博士にとっては確かに「コントロールしきれない力を持つことの危険性」を知るがゆえの行動だったのだろう。が、結局は彼も“力” に取り込まれる悲しい運命を辿ることになる。
 そうした大筋だけでなく、のっけから科学に対する悲観を感じる。ナレーションで語られるのは「21世紀に人類が月面に降り立った」という設定。また二足歩行のロボットは23世紀の科学をも上回る技術とされる。現実には、アームストロング船長が月に一歩を記したのは1969年。また日本では1954年にオキシジェンデストロイヤーで怪獣を退治し、2003年には10万馬力で空を飛ぶロボットが作られると予言されていた。それに対し、なんとも遅い歩みではないか。人間と科学が成し得ることの“限界”が前面に押し出されている印象だ。

 じゃあ映画として楽しくないかというと、そうでもない。
 半世紀も前の作品だけあって、そこかしこに古めかしさは漂うが、けれど同時に、斬新なアイディアや豊富なディテールが詰め込まれている。宇宙船は円盤型。ハイパードライブから通常速度への移行時にはクルーは何らかの防護装置へと退避する。ロボット工学三原則は早くも取り入れられ(これはストーリーの伏線としても重要な意味を持つ)、スティック状のバリアシステムが登場し、地下の発電設備ではシャトルが行き来する。
 その後のSF作品やゲームなどでも採用されるデザインセンスやコンセプトが数多く散りばめられていて、なかなかに楽しい。細かなところまで力を入れてあるなと感じさせる作りだ。
 そして、ロビー。愛らしいフォルム(ロバート・カズオ・キノシタという日系人がデザインしたらしい)、発声のたびに青く光るイルミネーション、たどたどしい歩行……。明らかに人が中に入っているのだが、不思議なほど「人間クサさ」がないことにも驚かされる。ある意味ではこのロボットのための映画ともいえるくらいの抜群の存在感を発揮し、オープニングでは俳優たち以上の扱いでクレジットされているほどだ。
 ストーリーも、たとえ抑揚はなくとも、知能の意味、好奇心と潜在意識との関わりなどを考えさせ、またちょっぴり謎解きの要素もあって、十分に訴えかけてくるものはある。

 ディテールを味わうのもいいし、あくまでテーマを洞察し、潜在意識という“凶器”あるいは“狂気” が人間社会に果たす役割について考えてみるのもいい。空想科学映画であり、思想科学映画でもある作品だ。

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コメント

中々の意見です、でも、この映画がつられた時代、SFが今のようにポピュラーな時代ではなかった、まだまだ食べるものに窮していた地代にこの映画の印象派強烈でした
現在67歳になる私が未だ10歳の時この映画を見て(当時は18禁でした)、SFフアンぬなり、コンピューターの世界に向かわせたのも、この映画です
潜在意識から生まれた透明な怪物や、それよりも、この映画のようなセットが人の英知でどこまで可能にするかでした(夢でしたよ)。
この後、スタートレークに、又、ジョウダンシリーズの本へと向かわせました、本は分けあって300号まで読んで止っていますが、この映画の魅力は、今ではなんでもないことが、手作りで撮影されています、今の様なCGやFSXはまだなく、張りぼてとスタジヲの世界でこれだけの、ヒューマンドラマは他には無いと思っています
(1SF映画キチガイより)

投稿: 澁谷ジロウ | 2011/08/30 17:05

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