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2005/09/08

リオ・ブラボー

監督:ハワード・ホークス
出演:ジョン・ウェイン/ディーン・マーティン/リッキー・ネルソン/アンジー・ディキンソン/ウォルター・ブレナン

30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4

【保安官は、わずかな手勢で悪党たちに立ち向かう】
 保安官のチャンスは丸腰の男を撃ち殺したジョーを逮捕するが、ジョーの兄ネイサンは町の実力者で、目的のためなら手段を選ばない悪党。ネイサンに雇われた殺し屋どもが、ジョーの奪還にやってくる。チャンスの味方は、アル中で手を震わせるデュードと、足が不自由なスタンピー爺さんという、2人の助手だけ。状況を見かねて加勢を申し出た友人のホイーラーも殺されてしまう。それでもチャンスたちは徹底抗戦を貫こうとするのだが……。
(1959年 アメリカ)

【お話作りの面白さ、演出の巧みさを楽しめる】
 ストーリーは、ごく狭い範囲で進む。カメラが(オープニングのタイトルバックを除けば)町から出ることはなく、しかも舞台は保安官事務所、ホテル、町のメインストリート、酒場という、数か所にほぼ限られる。役名のある登場人物も10人ほどで、町の外からやってくるのは“赤い羽根の女”だけだ。
 話の広がりも、ほとんどない。一応はチャンスと“赤い羽根の女”とのロマンスも用意されているが、ひたすら保安官たちと悪党どもの対決に焦点があてられている。かといって、撃ち合いにたっぷり時間を取っているわけではない。画面を見れば、あるいはストーリーを追っていれば理解できることをクドクド説明するというマズい点もある。

 にも関わらず、退屈もさせないし、刺激にあふれているのが素敵。
 まず、セリフなしで進められる冒頭のジョー逮捕劇から、観るものをグっと惹きつける。
 ホイーラー殺害犯を探索する酒場でのシーンもスリリングだ。チャンスとデュードがふたりだけで悪党の巣に乗り込み、脅しを効かせ、その様子を2階に潜む犯人の影ごしに映し出して、ハラハラとさせる。
 圧巻は、ホテル前のピンチ。不用意にもライフルから手を離したチャンスを悪党どもが取り囲む。この窮地から脱する際の、一瞬の緊迫感とスピードと鮮やかさといったら、素晴らしいのひとこと。
 チャンスと“赤い羽根の女”のやりとりや、なんとか立ち直ろうと苦悩するデュードの姿も描きながら、バリエーションに富んだガンアクションが実にタイミングよく挿入され、メリハリのある展開を作り出しているのだ。

 撮りかたが、また面白い。全般に、いかにもカメラ前で演技をしていますという立ち姿。たとえばツーショットの会話シーンでは、ふたりが向き合うのではなく、微妙に身体をカメラの方向へ振っている。
 だが、そのカットの次には必ず別のアングルからも映したカットを持ってきて「カメラの後ろにスタッフがいる」という雰囲気を排している。ほかにも人物の動きをカメラで追ったり、フレームイン/フレームアウトを多用したり、町をまるまるひとつ再現するなどして、世界・空間の広がりを出すことと窮屈な絵にならないことに心を砕いているようだ。

 演技では、目がポイントとなる。視線の動きやまばたきで感情を表現するという細かな芸が、この時代の、しかもアクション映画で観られるとは。
 そして、全編に漂いあふれる男クサさ。ハードボイルドでタフな話に思えるが、実は、女性の扱いに慣れていないチャンス、酒びたりの日から抜け出そうともがくデュード、ちょっとイってしまったスタンピー、女房を喜ばそうとコッソリ派手な下着を買うホテル主人のカルロスなど、けっこうダメなところの目立つ連中ばかり。成り行きで保安官たちに加勢することになるホイーラーの部下のコロラドも、クールではあるが打算的で、考えてみればイヤなヤツかも知れない。そうしたカッコ悪さも含めて、ここで描かれているのは“男”なのだ。ハッキリいえば、「馬鹿」と同義語としての「マッチョ」な男。でも、その馬鹿さ加減が愛らしい男たち、である。

 バイオレンス+ド派手な撃ち合いさえ詰め込めば、西部劇は面白くなるってもんじゃない。キャラクター作り、ストーリーのメリハリ、ハっと息を飲ませたりゴクリと唾を飲み込ませる一瞬のスリルこそが、名作を生む。そういうことを認識させてくれる映画である。

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