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2005/09/20

誰も知らない

監督:是枝裕和
出演:柳楽優弥/北浦愛/木村飛影/清水萌々子/韓英恵/YOU

30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4

【都会の真ん中、寄せ合う肩、2LDKが世界のすべて】
 12歳の明を頭に、2LDKのアパートで暮らす京子、茂、ゆき、4人のきょうだい。それぞれ父親は異なり、どこの誰なのかもハッキリとしない。母親のけい子はわずかな金だけを残して、新しい男のもとへ行ったまま。学校にも通わせてもらえず、明以外は部屋の外に出ることも“ルール”で禁じられていた。荷物だらけの狭い部屋、テレビ、おもちゃ、そしてきょうだいだけが、4人にとって世界のすべてだった。だがある日、お金が底をつく。
(2004年 日本)

【計算ずくで作られたリアリティ】
 幸せは歩いてこない、と、演歌歌手は歌った。けれども、われわれが考える一般的な幸せを許されず、あるいは拒否し、「4人でいること」を唯一の幸福として選んだ(選ばざるを得なかった)明たちは、歩いていくこともなく、ただ毎日を生きることに精一杯だ。
 ときには、友だちを作ったり他者の厚意に頼ったりもして、常識的な幸せをなんとか引き寄せようとする。が、結局のところ彼らにとっての幸せは家族の中にしかない。外にはないのだから、手繰り寄せることもできない。

 大人批判の映画だと妻はいう。確かにそうだろうが、同時に子供の世界もまた残酷な掟に支配されていることが示される。紗希という少女は、そうした掟によって弾き出され家族の中へとやってきた存在だ。
 だからむしろ“こちら側”と“あちら側”を作り出してしまう人間社会全体に対する批判の映画なのではないだろうか、と思う。

 いや待て。この映画を観た大多数は自分たちを“こちら側”と意識するだろうが、それは許されない。本作はあくまでも明たち4人を“こちら側”として描いているのだ。
 明たちの幸せは、彼らから見た“あちら側”にいる僕たちの目には不幸せに感じられる。「可哀想」ということは簡単だが、その不幸せはゲーセンやマンションやアパートや校門前、僕らのすぐ隣にあるものなのに、誰もそれに気づかないし、明たちもまた気づかせようとはしない。
 商店街を駆ける明は人の流れを避け、歩く人は誰も明に目をくれない。まるで“こちら側”と“あちら側”が見えない壁で遮られているように、1つの社会に別々の時間が流れているかのように。
 たぶん“こちら側”と“あちら側”の狭間にいるのがフリーターのコンビニ店員だ。モラトリアムというのは、この先“こちら側”と“あちら側”、どっちにも歩き出せるという宙ぶらりんの時期なのだ。

 いや、そもそも世界を“こちら側”と“あちら側”に分けて考えることじたいが間違っているのではないか……。

 観ている間も観終えた後も、そんなことをたっぷりと考えさせる映画。より切実に「僕らのすぐ隣にある」出来事として映るよう、長めの1カット、自然光を生かしたライティング、アドリブが大半を占めるセリフ、控えめながら画面に馴染むゴンチチの音楽など、全編に渡ってドキュメンタリー・ライクな雰囲気で仕上げられている。撮影に1年間かけたというが、その丁寧さもリアリティを増すことに貢献しているはずだ。

 だが、ただ子供たちの暮らしを淡々と撮っただけの作品ではない。
 母親に切ってもらう髪、友だち(らしき者)に唆されても万引きできない明、送り付けられてきた現金書留、ゆきのクレヨン……といった何げないシーン/描写/出来事が、後になって意味を持ってくる。
 ふと「あれ、この子たち学校は?」「ああ、それでピアノ」と気づかせるような“意図のある”カットも挟まれる。
 明が友だち(らしき者)を作る過程を描かないなど省略も多い反面、京子が母に塗ってもらうマニキュアなど重要なカットはアングルを変えて丁寧に映し出されるし、明からの電話に出た母けい子のドキリとさせる一言もしっかりと拾い上げる。
 ドキュメンタリーどころか、徹底して計算ずくで作られた映画なのだ。

 キャスティングからも計算が読み取れる。たとえば母親役にYOUを持ってきたこと。正体不明で憎めない人物を配したのは、子供たちをこういう境遇へと追いやったことに対する憤りが母親個人に向かわないように、という配慮の現われだろう。
 そして、柳楽優弥。かなりの部分が“素”であると思われるが、茂、ゆきといったコントロールできない子たちと向き合いながら物語を進める役目も担わされて、それでなおかつ自分自身の存在感もアピールするのだから、たいしたものだ。妻いわく「他の人にはない目を持っている。『目もとがお父さんに似てきた』というセリフが用意されたのがよくわかる」。まったく叫ばない前半2時間と、いらだちを滲ませて叫び始める後半20分とのギャップも素晴らしい。
 京子、茂、ゆき、紗希らも、透明感と生々しさとが共存する実在の人間として映し出されていて、この映画、キャスティングの勝利ともいえる雰囲気を持っている。

 計算ずくの演出と、キャスティング、そしてテーマ。すべてが混然一体となって観るものに迫り、その内容がしばらく思考の中心を占めてしまう、後を引く映画である。

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