« オーシャン・オブ・ファイヤー | トップページ | ローマの休日 »

2005/10/31

愛に迷った時

監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ジュリア・ロバーツ/デニス・クエイド/ロバート・デュバル/ジーナ・ローランズ/キラ・セジウィック/ヘイリー・オール

30点満点中17点=監4/話4/出4/芸3/技3

【夫の浮気を目撃した妻。夫婦の危機は家族の危機も呼ぶ】
 獣医師になる夢を諦め、「大学一のプレイボーイ」といわれたエディと結婚したグレイスは、キャロラインという可愛い娘に恵まれ、父が所有する厩舎を切り盛りし、忙しくも幸福な毎日を送っている……はずだった。ある日エディの浮気現場を目撃したことで、グレイスは爆発。街中で怒りを撒き散らし、キャロラインを連れて実家へと帰る。懸命に謝罪するエディを許そうとせず、腹いせに自分も浮気をしてやろうと考えるグレイスだったが……。
(1995年 アメリカ)

【夫婦で観よう。そして、自分たちの選択について考えよう】
 ひょっとしたら人生に失敗なんて、ないんじゃないだろうか。
 そりゃあ誰にだって「あのとき、別の選択をしていれば」と苦々しく思い出す人生の分岐路はあるだろう。でも、選ばなかった道の先に必ずしもいま以上のものが待っていたとは限らない。いまの道を選んだからこそ手に入れられた宝物だってあるはずだ。
 たとえばグレイスは、獣医師への夢を諦めるのと引き換えに娘キャロラインをもうけた。この愛らしい存在によって、家族の絆や価値観が綿々と受け継がれていく幸せに、なんだかんだと衝突していても結局みんな似たもの同士であることに、グレイスは気づくのだ。
 そして、後悔しないために大切なのは「いまやりたいことにチャレンジする」ことであり、その気になればいつだって、いまある幸せを手放さないままリスタートできることもまた知る。
 新たな一歩を踏み出すための開き直りがあれば、たとえ夫と元の関係には戻れなくたって、別の新たな関係を築き上げていくことはできるだろう。

 肝心なのは、チャレンジやリスタートを「いまと同じ結果」につなげないための配慮だ。危機は突然に訪れたりなんかしない。グレイスとエディは、行ってきますのキスはおろか、言葉すら交わさず出勤する。そんな姿に戻らないための、ちょっとした思いやりを持ってふたりは歩み寄れるだろうか。

 そんなテーマと、実際の出来事と、そこで悪戦苦闘するキャラクターとが噛み合っているのが、本作の魅力。上手に噛み合わせたのは演技と演出だ。
 思い込んだら周囲が見えなくなるのが、グレイスの欠点でもありチャーミングでもある部分。母親であると同時に、シチュエーションに応じて髪型を変える“オンナ”でもある。ジュリア・ロバーツは、この一直線に走る女性を全力で表現する。
 エディはちょっと“薄い”が、そういう部分も含めてエディなのだ。人生に真面目には取り組んでいないけれど、わざわざ二階の窓から外へ出ようとしたりして、彼もやっぱり生きていくのにいっぱいいっぱいの一直線男。デニス・クエイドはすっかりマッチョ風味を抑える術を身につけたらしい。
 まぬけな専制君主ながら「負けを勝ちにできるのがいいところ」のお爺ちゃんを、ロバート・デュバルはさらりと演じてみせた。
 グレイスの姉エマ・レイを演じたキラ・セジウィックも、いかにも助演女優という安定感とユーモアを見せてくれる。

 演出は、いつもながらのラッセ風味。スクリーン向けのスケール感はないのだが(それと、カット間のつながりに不自然なところがずいぶんとあったように思う)、語り過ぎず、対象に近づき過ぎず離れ過ぎず、ゆっくりと人を描いていく。
 特に本作で印象的だったのが、人と人との関係をさりげなく感じさせる手際だ。たとえば笑いながらメイドのヒザに倒れ込むエマ・レイの姿だけで、このふたりの信頼関係を想像させる。こういう細かな気配り、一瞬で多くのことをわからせる演出が、この監督の良さだ。

 まだまだグレイスとエディの間には問題山積だけれど、たぶん大丈夫。クライマックスの障害飛越の場面の清清しさ、パーティーでの開き直り、そしてユーモラスなラストカットが、そう教えてくれる。

|

« オーシャン・オブ・ファイヤー | トップページ | ローマの休日 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 愛に迷った時:

« オーシャン・オブ・ファイヤー | トップページ | ローマの休日 »