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2005/10/07

みなさん、さようなら

監督:ドゥニ・アルカン
出演:レミー・ジラール/ステファン・ルソー/マリナ・ハンズ/マリ=ジョゼ・クローズ/ドロテ・ベリマン/ルイーズ・ポルタル/ドミニク・ミシェル/イヴ・ジャック/ピエール・キュルジ

30点満点中15点=監3/話3/出3/芸3/技3

【末期を迎える父、その息子、そして友人たち】
 ロンドンでディーラーとして活躍するセバスチャンのもとに、カナダの母から連絡が入る。入院中の父レミの病状が悪化、先は長くないという。帰国したものの相変わらず父は「本を1冊も読まない」などとセバスチャンをバカにする。セバスチャンは、病院や組合を買収して個室を用意し、父の友人たちを呼び寄せ、痛みを和らげるためにヘロインを入手し……といったことを淡々と進めていく。やがて、レミに“その日”がやってくる。
(2003年 カナダ/フランス)

【考えるきっかけにはなりそうだが】
 疎遠になっている父に死が迫り、息子が帰国するという設定は『ビッグ・フィッシュ』(ティム・バートン監督)と同じ。いわんとしていることも、丸っきり正反対に思えて実は同じなのかも知れない。
 共通するのは、人生にも死にも意味などないってこと。
 ただ『ビッグ・フィッシュ』の父は、自分の人生と死に“意味”を持たせようと奮闘した。それに対し、本作では父レミが「死に意味を見つけられない」と吐露する。どんな人生を歩んだ者であろうと死は等しく訪れる、そこに意味なんてない、といったテーマが濃く漂っている。

 たとえば、友人たちとの馬鹿話・セックス話の合間に挟まれるのは、レミの歴史観、宗教、民族、国家といった話題。ただしレミは、そうした大きなモノゴトの中にただ“いる”だけの人物であり、何事も成し得なかった小さな存在であることが示される。
 彼が生きている間もそうであったように、彼が死んでも、彼によって社会や歴史が動くことはない。かけがえのない友人たちですら、レミの死後にはそれぞれの人生へと戻っていくことだろう。

 また、父と子、友と友、男と女といった関係を散りばめながら、それぞれに寄り添うような撮りかたはしない。それどころかむしろ、もっと余韻があってもいいのにと思う場面でもスっと黒くフェードアウトするなど、登場人物たちを突き放すような雰囲気を持つ。
 彼らの存在など取るに足りないもの、そう強調するかのようだ。

 その淡々とした空気が逆に、自分の生、身の周りの誰かの生、あるいは死を考えさせるきっかけにはなるかも知れない。結局は生にも死にも意味などないとしても、じゃあ自分はそれを真っ直ぐに受け止められるか、それとも何とか意味を持たせようとあがくのか、自分に死が近づいたら誰が見舞いに来てくれるだろう……。
 暗澹として思考の袋小路をさまよいそうだが、本作にも1つだけ希望の光が用意されている。父に対して望みを訊ねるセバスチャンに、レミはこう答える。「お前のような息子を持て」と。それはまさに、レミの人生にもセバスチャンの人生にも意味はあるという叫びではなかったろうか。
 誰だって、意味という足跡を、やっぱりこの世に残したいものなのだ。

 1986年に発表された会話劇映画『アメリカ帝国の滅亡』の続編とのことだが、一応は1本の映画として完結している。
 ただ、当方はのほほんと生きているだけで人生の意味など考えたことのない身。「人生の意味を考える」ことだけを目的とした映画であり、映画的楽しさにも欠ける作品なので、少々退屈であったことは否めない。

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2003年のアカデミー外国映画賞の受賞に付いて、「あれは、アメリカの賞でしょ」と、そっけない、ドゥニ監督。ローマとアメリカを「滅びる運命の帝国」論で並べるこの監督は、9.11事件のさなか、この脚本を書いていた。 女と書物とワインを愛する主人公レミ(レミ・ジラール)は、享楽的社会主義者であり、歴史を大学で教えるが、実生活はうだつの上がらなかった不良親父である。病気で公立病院に入院しつつ、看護婦らに毒舌を吐く毎日。離婚し... [続きを読む]

受信: 2005/10/25 15:07

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