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2005/11/03

マーサの幸せレシピ

監督:サンドラ・ネットルベック
出演:マルティナ・ゲデック/マクシメ・フェルステ/セルジオ・カステリット/ウルリク・トムセン/シビレ・カノニカ/カーチャ・シュトゥット/アウグスト・ツィルナー

30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4

【一流シェフに、本当に必要だったもの】
 客とたびたびトラブルを起こすものの、マーサの料理の腕は超一流。けれど姪っ子のリナだけは、彼女の料理を一切食べようとはしなかった。堅物で神経質なマーサに、母親を亡くしたばかりの少女が心を開いてくれるわけがない。そこへ現れたのが陽気なイタリア人シェフのマリオ。最初は衝突してばかりのマーサとマリオだったが、リナを通じて少しずつ打ち解けあい、マーサはシェフとして、母親代わりとして、必要なものに目覚めていく。
(2001年 ドイツ)

【開いていることって大切なんだ】
 周富徳氏は「料理人には『食べていただく』という気持ちが大切」だという。わが家の料理番=私の場合、妻とふたりで「今日は上手く(美味く)できたねー」という笑顔の時間を分かち合いたいから、剥いたり切ったり煮たり焼いたりする(ひとりのときは、かなりいい加減、ていうかレトルトで済ませることも多い)。

 それに比べてマーサの料理は、厨房の中で完結し、完成してしまっている。そこからは客の姿や表情を見ることはできない。たとえ料理を誉めてくれる人であっても、彼女にとっては自己完結を乱す迷惑な存在なのだ。
 いわば“閉じている”マーサではあるが、それだけに、厨房に立つ姿は真剣そのものだ。彼女がザっとエプロンを広げて腰に巻き、布巾を掴むとき、そこは彼女にとって戦場であり聖域であることがハッキリと伝わってくる。
 でも本来、客席も厨房もシェフにとっては地続きの空間であるはず。その証拠にカメラは、暖かな光と清潔感あふれる空気とともにレストランの隅々までをクリアに映し出す。スー・シェフもギャルソンもオーナーも、もちろんゲストもひっくるめて、そこは1つの“料理のための場”であり、開かれたスペースであるはずなのだ。

 閉じている彼女にリナが心を開くわけもない。いっぽうマリオは天真爛漫で開きっぱなし。ひょっとしてオンナたらし? とも思わせるのだけれど、そういう部分も含めて彼は“開いている”存在。いともたやすくリナにパスタを食べさせて(リナのほうを見ようとしないのが、いい)、鉛筆の束だけで人を楽しませちゃうなんて、開いている人にしかできない芸当だ。
 でも後片付けが苦手っていうのは、それだけ料理に没頭しているわけで、食器の位置がズレているのも許せないほど潔癖で神経質なマーサと、実は通ずる部分を持っているのかも知れない。それが、マーサがマリオに惹かれてゆく理由の1つといえるだろうか。

 マーサがマリオに“何か”を感じ始めるとき、途端にマーサの周囲はにぎやかになる。階下に住む建築士のサムはもちろん、セラピストですら彼女は“男”として意識しはじめる。そんなマーサの変化をサラリと感じさせるのだ。
 このサラリ感が本作のポイントとなっている。
 全体として、1から10までのうち、2と5と7を見せて、残りは省略して想像させるという作りだ。
 たとえば妊娠中のスー・シェフのレア。彼女が作ったサンドイッチさえ、マーサは食べようとはしない。でも常にレアはマーサの傍らで腕を揮い、忙しい厨房では不可欠な存在としてサラリと描かれ、お腹が大きい様子もちゃんと映し出される。で、「アレ? じゃあ出産のときはどうするのよ」と思わせて、自然とマリオの登場につなげるのだ。
 またマーサがリナのために子守りを雇うシーンでも、ベビーシッターの登場はわずか2カット(だけだったはず)、セリフは「ここにないの?」「いいえ、全然」だけというサラリ加減なのに、その後の展開をしっかりと予感させる。で、その予感通りの展開になるのだけれど、その場面をあえて描かないというサラリ感で、ストーリーにリズムをもたらし、マーサとリナの心のすれ違いも鮮やかに伝えてみせるのだ。
 マリオの歌声とか、ドアを閉める音とか、画面の外から聞こえてくる音で画面の外を感じさせるという演出も粋だ。

 たぶん本当に必要なものというのは、誰かに説教されたり押し付けられたりして“教わる”ものではなく、サラリとした空気の中で自ら“気づく”ものなのだろう。そのためには“開いている”ことが大切だ。
 そしてマーサは開いていく。もともと、料理の味から「何が足りないか」がわかる人なのだから、自分自身に足りないものもすぐにわかったはずだ。
 欲をいえばマーサが“開いた”ことをわからせる描写と、美味そうな料理が前面に出てくるシーンが欲しかったところだが、人と人とが開きあい関わりあっていく過程を、サラリと味わえる小品である。

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コメント

kimion20002000さん、毎度どうもです。

ああ、キリっとした女性っていいですねぇ。
その中に自尊心と焦りを同時に感じさせるようなら、なおさらステキです。

私自身、M属性なので、こういうタイプの女性が登場する映画は評価が甘めになってしまいます。

投稿: たにがわ | 2008/10/24 11:02

こんにちは。

この作品、僕はとても気に入ってます。
とてもリズムがいいんですね。
ハリウッド版のリメイクを馬鹿にしていたら、そっちもなかなかいいんですね。
うーん、と考えたのですが、結局僕は、厨房で働く女性のきりりとした姿に、なにかフェチを感じてるんじゃないかと、思い当たりましたね。

投稿: kimion20002000 | 2008/10/24 01:31

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» NO.107「マーサの幸せレシピ」(ドイツ/サンドラ・ルッテルベック監督) [サーカスな日々]
おいしい匂いがする「厨房映画」の極上の一品。 厨房を舞台にした映画は、大好きだが、いくつかの条件がある。 まず、おいしそうな匂いが漂ってこなければ、失格だ。食材の色彩、厨房用具のフェチ的魅力、蒸気や湯気の動き、できあがった料理の一品への最後のアレンジ。 そして、厨房の流れるようなしかし戦場を思わせるような、慌しいリズムがないと駄目だ。当然、この慌しさには、�... [続きを読む]

受信: 2005/11/07 15:43

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