サイドウェイ
監督:アレクサンダー・ペイン
出演:ポール・ジアマッティ/トーマス・ヘイデン・チャーチ/ヴァージニア・マドセン/サンドラ・オー/メアリールイーズ・バーク
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【冴えない中年男ふたりの、おかしな“人生の寄り道”】
作家志望の英語教師マイルスとCMのナレーションを中心に働く俳優ジャック。親友である中年ふたりはクルマで旅に出る。目的はカリフォルニアのワイナリー巡りとゴルフ。ところが、挙式を1週間後に控えるジャックは女漁りに精を出し、マイルスは元妻の再婚を知って憂鬱気分。マイルスの様子を見かねたジャックは、旅先で出会ったステファニー、マイルスとは旧知のウエイトレス・マヤを誘って2対2の食事をセッティングするのだが……。
(2004年 アメリカ)
【わき目も、よそ見も、いっぱいにして歩こう】
映画とワインって、似ているかも知れない。軽いものもあれば重いものもあり、産地によって味はまちまち。同じ品種(題材)でも業者(監督)ごとにデキは異なる。当たり年もあるし、何年もかけて熟成してようやく良さがわかるものもある。
小市民が、ちょっとした知識をひけらかしたくなる、そのネタ元にされやすい点でも映画とワインは共通する。
作家志望の英語教師という肩書きを持つマイルスは、まさに小市民。ワインを語ることくらいしかアイデンティティを発揮しようがない人物だ。
61年のシュヴァル・ブランはもはや希少で、ブーム期には日本円で20万円以上、現在でも10万円くらいするはずだが、それを買ったこと&飲む日が人生最大のイベント、その程度の小市民。「作家デビューのことは話すな」とジャックにいいつつ、自分ではあちこちで言いふらしているらしいことも、嗚呼小市民。決して『特別』な存在ではない。
各画面からもマイルスの小市民ぶりが伝わってくる。ホテルのベランダで足の爪を切る姿、ジャックの結婚式で参列者を眺める様子などは、主役であるはずのマイルスが背景に埋没し、まるで脇役。くたびれた灰色の背広に黒のショルダーバッグといういでたちは、まんま英語教師だ(日本でもアメリカでも冴えない教師のヴィジュアル化手法って同じなんだなぁ)。
なんというか、デキの悪いスナップショットの連続=小市民の人生そのものである。しかも絶妙のタイミングで次のシーンへと切り替わるので、ますます、周囲の流れにただ身を任せている小市民ぶりが際立つのだ。
そのマイルスを演じるのが、生涯脇役ともいえるポール・ジアマッティ。爆発したり呆れてみせたりといった大きな動きだけでなく、ちょっと首を傾げて歩くことでイライラを表現したりして、なかなかに芸が細かい。
マイルスと名(珍)コンビをなすジャック役トーマス・ヘイデン・チャーチも、まさしく売れない役者風情。華やかな芸能界に属するとはいえ、女房の父の不動産業を手伝う予定だったり、ガムを噛んだままテイスティングに臨んだり、マイルスへの励ましがてんでピントはずれだったり、こちらも十分に小市民だ。度を越した女好きで、いくぶん戯画化されてはいるが。
小市民であることを自覚しつつどうにか脱皮したいとウジウジ暮らすマイルスと、自分が小市民だとか何だとか考えずに生きているジャック、どちらが幸せな人生か、どちらが自分に近いかを考えさせる、いいコンビである。
けれど神様は、ウジウジだろうが能天気だろうが、金持ちだろうが小市民だろうが、誰に対しても平等というか、ちゃんと“はからい”を示してくれる。マイルスを見つめるマヤの瞳からは、彼が彼女にとっての『特別』であることがうかがえる。マイルスにとっての『特別』な日に、ちゃんと彼の動きを僕らが追えるように、彼のクルマは赤。ダイナーでも、ポツンと、彼の姿が浮かび上がる。
小市民にだって、せめて「その人に対してだけは自分は特別」「その瞬間だけは自分は特別」と、勘違いする権利くらいはあるはずなんだ。
そしてマイルスは、自分は特別な存在ではないからこそ、何かをつかむためには自分から動かなければならないと思い至る。そこに至るまでに、ずいぶんと寄り道をしたけれど、それは必要な寄り道だったのだろう。
そう、彼にとってワインは人生の拠り所ではなく、寄り道にすぎない。でもそんな寄り道のおかげで、特別な人と出会ったり、大切なことに気づいたり、人生が豊かになったりもする。小市民だからこそ、寄り道は必要なのだ。
さて、急にワインを飲みたくなった。数少ない、そして、大したことのないストックをのぞいて見る。ピュリニィなんか勝手に飲んだら女房に殺される。それに今日は白よりも赤がいい。オーセイ・デュレスやシャトー・タケダはもう少し寝かせておきたい。
貰い物のマコン、売価は2000円くらいか、これで十分。だってこちとら小市民だし、特別な日でもないのだし。
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