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2005/11/30

マイ・ボディガード

監督:トニー・スコット
出演:デンゼル・ワシントン/ダコタ・ファニング/クリストファー・ウォーケン/ラダ・ミッチェル/マーク・アンソニー/レイチェル・ティコティン/ジャンカルロ・ジャンニーニ/ミッキー・ローク

30点満点中16点=監3/話2/出4/芸3/技4

【取り戻した人間の心。それゆえに彼は鬼と化す】
 クリーシーは、いくつもの死地を渡り歩いた対テロのスペシャリスト。過酷な任務に精神を蝕まれ、いまは酒浸りの毎日だ。旧友レイバーンの誘いでメキシコに赴いた彼は、自動車部品メーカー社長の娘ピタのボディガードとして働き始める。次第に心を通い合わせるようになる、クリーシーとピタ。だが彼らは何者かに襲われ、クリーシーは重傷を負い、ピタは連れ去られてしまう。ピタが殺されたと知ったクリーシーは、犯人への復讐を誓う。
(2004年 アメリカ/メキシコ)

【再生と贖罪のストーリー】
 アクション、コメディ、サスペンス。映画にもいろいろあるけれど、その多くには同じ問いかけが込められているように思える。
 あなたにとって、いちばん大切なものは何ですか?
 愛、プライド、家族、国家、笑い……。ストーリーの中心にはいつも“大切なもの”が据えられ、それを手に入れたり守ったりする登場人物の生き様を見ながら「じゃあ自分にとっては?」と僕らは考えることになるのだ。

 本作の主人公クリーシーは、過去に犯した非道な行為が己の心を責めて、酒浸りで無気力な日々を過ごしている。大切なものなんて、何もない。表情に生気はない。
 が、無邪気で、ほぼ無条件に自分を慕ってくれるピタと触れ合うことで、笑ったり、何かに一所懸命になったりする「人間らしさ」を取り戻す。それこそが彼にとって大切なものであり、奪われれば復讐への動機となる……。

 ん? ホントにそうか?

 ピタは素晴らしく可愛い。米製インチキン(三池崇史監督が神木くんに付けたニックネーム)のダコちゃんが、その屈託のない笑顔と懸命さと演技力とを存分に発揮している。透き通った瞳に見つめられるとき、ああ、この子とは真正面から向き合わなければならないなと思わせる。
 最初はビジネスとしてピタと接していたクリーシーも、いつの間にか水泳や歴史を、厳しくかつ和やかに教える関係になっている。そんなひとときにおけるクリーシーの表情は、確かに幸せそうだ。

 ところが後半になって、自堕落な第一の表情はもちろん、幸福なはずの第二の表情をも上回る生き生きとした様子を、クリーシーは見せる。すなわち眼前に死がぶら下がっているときの、彼。
 なにしろレイバーンから『死のアーティスト』という呼び名をもらったクリーシーである。誘拐犯に襲われたときの適確な射撃の腕。犯人たちを追求する際の非情な振る舞い。あくまで冷静に事を運ぶその様子の中にこそ、彼の本当の生き様を感じ取ることができる。そういえば彼がピタと過ごす日々の描写でも、何度も何度もピタに飛び込ませる水泳の鬼コーチぶりがもっとも印象的だったじゃないか。

 そう、相手を追い詰めていく瞬間にこそ、クリーシーは生きていることを実感するのだ。それこそが、彼にとってもっとも大切なもの。
 クリーシーにも自覚はある。そんな自分に嫌悪感も抱いている。けれど逃れることはできない。実に不安定。だから、安易にアルコールに救いを求めるし、ピタと真摯に向き合おうとする気持ちへと「切り替わる瞬間」が鮮やかに描かれることはない。いとも簡単に気持ちが浮き沈みする。

 画面も、彼の不安定さと苛立ちをクッキリと描き出す。やけに粒子感が目立つシャープな絵だなぁと思ったら、撮影はポール・キャメロン。『コラテラル』(マイケル・マン監督)の人だ。ジリジリと音が鳴りそうな青くて深いショットが、フラフラと揺れ、細かく細かくつなげられる。見ているこちらもイライラしてくるような、クセのある撮影と編集。
 と同時に、背景にロウソクの灯りを捉えるカットが多用され、登場人物たちの贖罪の意識を暗示する。
 ショパンやドビュッシーをはじめとする音楽は、クリーシーには安穏とした日々など似つかわしくないことを、思い知らせるように物悲しく響く。

 結局、クリーシーの行為は復讐などではなく再生なのだ。死のアーティストとしての。彼が人間性を取り戻すための天使かと思われたピタが、実は、彼を冷酷な殺人マシンとして蘇らせる役目を果たしてしまった、そんな皮肉なストーリーなのだ。その皮肉から逃れるために、クリーシーはこういう結末を選ぶのだ。

 舌足らずな感は否めない。というより、どっちつかず、か。クリーシーとピタとの交流をもっと情感豊かに詰め込んで、その反作用としての復讐譚の完成度を高めるか(映画の売りかたは、こっちだった)、自分を死のアーティストとして認めたくないクリーシーの苦悩をより掘り下げて皮肉な再生の物語として仕上げるか。スタンスをハッキリさせることが必要だったのではないだろうか。
 現状では、どっちつかず。立ち位置が曖昧で、ステロタイプな元軍人が活躍する、たいして奥行きのないストーリーにとどまっているように感じる。

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