ザ・ペーパー
監督:ロン・ハワード
出演:マイケル・キートン/グレン・クローズ/ロバート・デュバル/マリサ・トメイ/ランディ・クエイド
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【ぎっしりの1日】
デスクのヘンリーはライバル社移籍のための面接を受ける。局長のバーニーは前立腺に腫れ物が見つかって浮かぬ顔。次長のアリシアは給与アップを望み、コラムニストのマクドゥーガルは銃を振り回す。ヘンリーの妻で休職中の記者でもあるマーサは、出産を控えてイライラ。そんな大衆紙『サン』の編集部に、殺人事件の容疑者として逮捕された青年ふたりが無実ではないかとの情報が入る。裏付けを急ぐ一同。明日の紙面の締切が迫る。
(1994年 アメリカ)
【決断が変えるもの、変えないもの】
僕らの毎日は小さな決断の積み重ねで出来ている。決断を先延ばしにして事態を悪くしてしまうこともあったりする。「さあ、どうする?」なんて聞かれても、急には答えられないことだってあるわけだ。
いよいよ切羽詰まって決断。でも、そんなときには余裕なんてないもんだから、滑稽な決断をしてしまったり、利害だけにとらわれたあさましい行動を取ってしまうことも。いっぽうで、自分の決断をしっかりと評価してくれている人が、どこかにいたりもする。
自分を振り返れば、先延ばししていることが随分とあるような。なんとかしなくちゃとも思うけれど、でも、まだまだ切羽詰っているって感覚はないんだよね。
そうした「ちょっとした決断のうえでの行動」をぎっしりと詰め込んだ映画。朝7時から翌朝7時までの24時間の出来事が描かれる。
前立腺に異状が見つかったバーニーは、急に不安になって、離れて暮らす娘に会いに行く。自分の身に“死”を感じないと行動に移せないというのはよくわかる。娘が怒っているのは、かつてバーニーが誤った決断を下してしまったせいだけれど、バーニーはその何倍もの正しい決断を繰り返して人生を乗り切ってきた。夫や父としての決断には“甘え”があったけれど、仕事人としての決断の確かさは社長がちゃんと認めてくれている。自分も、たとえどこかで過ちを犯してしまっていたとしても、別のどこかで正しいことをやっていたいもんだ。
マクドゥーガルは、自分の決断が呼んだトラブルに悩まされている。深く考えずに決断・行動する人のようだから、それも無理はないし、他人事とは思えないのも確か。
アリシアを演じたグレン・クローズがハマリ役。絶対にこの人、見た目からして嫌われる。しかも世の中こういう人の利己的で身勝手な決断によって大切なモノゴトが進んだりするからやっかいだ、なんて思わせる。でも彼女には、自分が決定権を持っていることに対するプライドがある。
イスがないと叫ぶフィル、冤罪について問い詰められる警官、記事によって将来を失った役人、みんなみんなちょっとした決断を示す。新人カメラマンのカーメンだけは、決断する以前のアップアップした状態だけれど、自分にもそういう時期があったかも知れない。
もちろん中心となるのは、主人公ヘンリーが直面する「決断の必要性」。妻のマーサからは、仕事か家族か、例のごとくの選択が突きつけられる。紙面の締め切りも迫る(というか、もう過ぎてしまっている)。
彼も彼の周囲も、決断するヒマすらないくらい忙しいのに、なんだか楽しそうだ。特にマーサは、たぶん大きなお腹を抱えてジッと座っているだけでは、身の周りにある「決断の必要性」に押し潰されそうになるのだろう。にぎやかで、あれこれ考えているヒマなどない編集部に足を踏み入れた途端、急に表情が生き生きとする。
それぞれの決断には、ちょっぴり偽善と欺瞞も混じるが、ともかくあらゆる決断を詰め込んでエンディングへと収束させていく手際は、さすが。
もっとサンペンスフルに、あるいは純コメディやミュージカルとして仕上げる手もあっただろうが、ロン・ハワードは奇を衒わずに正攻法で、時間と決断の必要性に追われる人々を描いてみせた。カメラは編集部内を縦横に動き、人物たちの側に寄って、その場に居合わせている感覚を作り出す。ただ編集部の1日を描いただけなのに、実に緊張感がある。
かと思えば、ふわっと息を抜かせる場面、笑わせるシーンも用意されていて気持ちよく観ていられる。編集会議になかなか集まらない部員に辞書を持ち出して嫌味をいうバーニーと、ヘンリーの部屋でみんなが思い思いに喚き立てるのをマクドゥーガルが止めるシーンは最高だ。
ただ、時計のアップ、あるいは登場人物が時計を見るカットを多用して時間を意識させる割に、時間の飛びかたがぞんざいなのは気に入らないが。
デヴィッド・コープには珍しく、ピシっとまとまりのある脚本。テーマを考えれば舞台を新聞社に設定したのも効いている。
先延ばしにしていることを決断しない限り、変化は訪れない。いや、たとえ決断したとしても、その決断に要するエネルギーほどには大きな変化など望めないともいえる。そもそもヘンリーもアリシアも結局は「変えない」ために決断し、行動したのだし。
たぶん明日も、その次の日も、同じような1日が繰り返される。けれどその繰り返しの中には多くの決断が含まれていて、同じようだけれどどこか違う日々が作られていくはずだ。「日常」って、意外と面白いことなのかも知れない。
ラスト近く、バーニーの娘が新聞を読む姿に、そんなことを考えさせられる映画である。
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