« ハリー・ポッターと炎のゴブレット | トップページ | ディープ・ブルー »

2005/12/15

デッドコースター

監督:デヴィッド・リチャード・エリス
出演:A・J・クック/マイケル・ランデス/テレンス・“T・C”・カーソン/ジョナサン・チェリー/キーガン・コナー・トレイシー/リンダ・ボイド/ジェームズ・カーク/アリ・ラーター

30点満点中17点=監4/話3/出3/芸3/技4

【死神に取り憑かれた、大事故の生存者たち】
 旅客機180便の爆発事故、生き残った学生が次々と死んだ不可解な事件から1年。ハイウェイでの大事故を予知したキンバリーが合流地点を塞いだことで、何人ものドライバーが死を免れる。だが今回も死神は「本来死ぬはずだった者たち」を見逃さなかった。ひとりずつ不審な死を遂げる生存者たち。180便事故との関連を察知したキンバリーや事故現場に居合わせた警官バークらは、何とか助かる方法を見つけようと奔走するのだが……。
(2003年 アメリカ)

【怖くて面白いエンターテインメント】
 さぁ~て、どんな死にっぷりが観られるのかな? というスタンスで臨む映画。悪趣味かも知れないが“逃れようのない死”がテーマなのだから、その姿勢は間違いではないはずだ。
 登場人物たちは「簡単に死ぬもんか」と悪戦苦闘しながらも、最後には「やっぱり死んじゃうのか」と諦めの一瞬を迎える。観る側も、死にっぷりを期待しつつも「簡単に死んでもらっては困る」という意識を持っている。
 それ逃げろ、けれどああ、死が運命づけられた人間には、死は不可避なものとしてそんな方法で近づいてくるのか……。
 ある意味、スクリーンの中の登場人物と、われわれ観る側との意識が“死”を媒介に奇妙なシンクロを起こす、そんな状況を楽しむ映画ともいえるだろう。

 そんなわけで本作には、(1)いかにも危ないぞと思わせて死なない、(2)危ない危ないと思わせてやっぱり死ぬ、(3)死にそうにない場面でこちらが油断しているときに死んじゃう、という王道3パターンを上手く散らしてある。
 各人の死にかたに、もっと徹底した伏線を張っておいて欲しかった(たとえばそこに鉤爪の男がいる理由とか)とも思うし、また全体に、生存者たちが「どうやって生き延びるか」と議論する姿をバストショットで捉える絵もやや多めで単調なのだが、そろそろ死ぬか、いや大丈夫だな、おっここか、などと、息を飲むところ抜くところをいいバランスでつないである。なかなかにスリリング、ジっと凝視させる作りだ。
 死亡シーンそのものはショッキングというより「一瞬にして鮮やか」という感じ。もし死亡シーンがグロすぎると、つい目を覆っちゃって、肝心の「死に至るまでの場面」を見逃すハメになるから、いい案配だろう。

 面白いのは、生存者それぞれに“死”をイメージさせる行動というか、そういうヤツは寿命が他人より短くて当然だろうと思わせる行為をサラリとやらせている点。初めてのドライブは故障中のクルマ、ドラッグ、タバコをくわえながらの運動、自堕落な食生活……。
 バイカーのユージーンが「死なんて、いつ訪れるかわからない」といっておきながら、いざ死を目前にすると「オレの死にかたはオレ自身が決める」なんていいだしたりして、その錯乱ぶりも興味深い。
 根本的にはショッカー映画なのに、観ている自分自身の死や寿命を考えさせる描写も詰め込まれていて、意外と芸が細かい作品だ。

 前作『ファイナル・デスティネーション』(ジェームズ・ウォン監督)を観てからの観賞がベター。また前作のほうが空間的な広がりがあって「どこまで逃げても死神は追いかけてくる」という雰囲気は出ていた。
 けれど、前作にはない「死神を出し抜く方法の模索」といった新要素を盛り込んであるし、前作は生存者が学生のみだったのに対し、今回は人種も年齢も境遇も多様なぶん、「死に至るまでの場面」にも多様性が生まれているように感じる。
 怖いけれど面白い、よく出来た娯楽作品である。

|

« ハリー・ポッターと炎のゴブレット | トップページ | ディープ・ブルー »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: デッドコースター:

« ハリー・ポッターと炎のゴブレット | トップページ | ディープ・ブルー »