ハリー・ポッターと炎のゴブレット
監督:マイク・ニューウェル
出演:ダニエル・ラドクリフ/ルパート・グリント/エマ・ワトソン/マイケル・ガンボン/アラン・リックマン/マギー・スミス/ロビー・コルトレーン/ブレンダン・グリーソン/ロバート・パティンソン/ケイティ・リュン/スタニスラフ・イワネフスキー/クレマンス・ポエジー/レイフ・ファインズ
30点満点中18点=監3/話3/出3/芸4/技5
【魔王の復活近し! ハリーに新たな試練が訪れる】
魔法学校4年生となったハリーはヴォルデモート卿が復活する悪夢にうなされていた。また、夜空に現れた奇怪な紋章とともに闇の魔法使いたちがクィディッチW杯会場を襲う。あいつの復活が近いのか? そんな折、三大魔法学校対抗試合が開催されることになり、参加資格もないのにホグワーツ校の代表に選ばれてしまうハリー。親友ロンと険悪になり、級友チョウ・チャンへの恋心を募らせる中、ハリーは、罠が潜んだ対抗試合へと挑む。
(2005年 アメリカ)
【物語は折り返し点へ。そして豪勢なツナギが生まれた】
キュアロン監督が大胆な方向転換を成功させた『アズカバンの囚人』の直後だけに、期待半分、不安半分。
結果は、まずまずといったところ。ニューウェル監督はしっかりと自分の仕事をまっとうした。つまりは「ツナギに思わせないツナギ」だ。
ホグワーツ周辺を立体的に見せたり背景まで丁寧に構成したりといった前作のいい部分は踏襲。過去3作以上にアクションに比重を置きながら、この後に待ち受ける「暗ぁ~いハリ・ポタ」への予兆も十分に漂わせる。ワクワクさせておいて、ズドンと落とす、というニュアンスがタップリ。友の死体にすがりつくハリーの姿からは、ひとつの時期=ハリーが子どもでいられた時代が終わり、新たなステージが始まることをハッキリとうかがい知ることができる。
原作に見られる展開の確かさ・クセのある構成を、しっかり再現した仕上がりといえるだろう。
もちろん、3時間でもキツいボリュウムの原作を2時間半にまとめたわけだから、出来事を追うのに精一杯、「テレビシリーズのダイジェスト」的になってしまった感は否めない。マダム・マクシームなど各キャラクターの描きかたが疎かにされていたり表面的だったり、人間ドラマの部分はかなり薄められている。トビーやダーズリー家の不在もちょっと哀しい。
が、まとまりの点では及第点だろう。
しょせんは“にぎやかし”に過ぎないリータ・スキーターの出番をグっと減らし、かと思えば次回以降で重要な役割を担うネビルの存在を印象づけ、ポリジュースがなくなっているなど必要なことは入れ込み……と、上手く整理されている。見せ場も各所に散らして飽きさせない。
2本分割にせよとの圧力に屈せず1本にまとめたのも、わかりやすさを生んで正しい判断だったろう(字幕翻訳も、ロンが「ボクは『ハリー・ポッターの友だち』だから」とスネるところを「どうせ僕なんか」と簡潔にするなど、わかりやすさに配慮しているように感じた)。
1本の映画としての見どころは、前述の通りアクション部分だろう。ナナメに切り取ったり大きくカメラを回したり、全体にカットの作りかたはスピーディで変化に富む。CGのクォリティも最上級レベルだ。
個人的には、クィディッチW杯の“ハレ”の雰囲気がタップリ出ていたことが嬉しい。このあたりはフットボールの国の監督ならではのセンスなのだろう。
また、役者のピタリ感も相変わらず。マッドアイ・ムーディにアンソニー・ホプキンスを迎えられなかったこと、チョウ・チャンがさして美形でないこと、レイフ・ファインズのヴォルデモートに意外と威厳がなかったことなどは残念だが、いかにもスポーツマンらしいクラム、育ちの良さ満開のセドリック、優雅な立ち居振る舞いを見せるフラー・デラクール、神経質そうなクラウチさんやマダム・マクシーム……と、全体に原作のイメージそのまんま、というか、ああこういう人だったのねと思わせるキャスティングには、ほとほと感心させられる。
問題は主役3人か。サービスカットとして用意されたハリーの入浴シーンやハーマイオニーのドレス姿からは、やはり、必要以上に彼らが大人化していることが感じられる。
ハーマイオニーいわく「みんな変わっていく」。それは仕方ない。主役3人が「暗ぁ~いハリ・ポタ」の中でしっかりと演技・存在感を示してくれる大人へと変わっていくことを期待したい。
子どもが主役の子どもの映画から、大人にならざるを得ない彼らが大人としての決意を示す映画へ。折り返し地点を迎えた『ハリ・ポタ』の、とても豪勢なツナギ、それが本作ではないだろうか。
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