スコルピオンの恋まじない
監督:ウディ・アレン
出演:ウディ・アレン/ヘレン・ハント/ダン・エイクロイド/シャーリーズ・セロン
30点満点中15点=監2/話2/出4/芸4/技3
【恋の魔術はトラブルの魔術でもあった】
1940年のNY。保険会社の腕利き調査員ブリッグスと、会社の合理化を唱えるリストラ担当役員のベティ・アンは、顔を合わせれば喧嘩ばかり。そんなふたりが奇術師によって愛の呪い(まじない)をかけられる。術は解かれたはずだったが、奇術師に操られたブリッグスは、知らぬうちに泥棒に手を染めてしまい危機に陥る。いっぽうベティ・アンも、社長のマグルーダーと不倫の真っ最中。だが、彼女にも呪いの効力は残っていて……。
(2001年 アメリカ)
【ラジオドラマなら楽しかったかも知れない】
作中でも触れられているけれど、実は催眠術をかけられたところで、そうやすやすと盗みを働くことはないらしい。潜在意識が「これは悪いこと」とストップをかけてしまうそうだ。
ところがブリッグスの場合、これまで「犯人になりきる」という手法で盗難事件の調査を続けてきたもんだから、心の中に犯罪者としての素養が生まれている。そのあたりの“つながり”は、まずまず上手い。
ただ、肝心の「喧嘩ばかりのふたりが、呪いのおかげで惹かれあう」という設定が、思ったよりも効いていない。
このストーリーなら、もっとこう、術が効いているときだけ愛の言葉を囁きあうシーンが挿し挟まれて笑いを誘い、それがラストにも生きてきて、男女関係の不思議を描いたお話として鮮やかに結実させられたはず。なのに、どうもブリッグスとベティ・アンの関係がモヤモヤっとしたまま進んでいってしまう。モヤモヤのまま、無理やりストンと最後に落とす。
モヤモヤの原因が、ふたりの動き・言葉にあることは明らかだ。
見たまんま「仕事で存在価値を示すほかない冴えない男」のプリッグス=ウディ・アレンや、ちょっとお高く止まったキャリア・ウーマンのベティ・アン=ヘレン・ハントは適役だと思う(ついでにプリッグスにせまるローラ役のシャーリーズ・セロンも、いつになく色っぽくてステキ)が、そのキャスティングと設定だけに頼って、「んもう、ホントはちょっと気になる関係のクセに」と思わせたり、映画的な鮮やかさを味わわせてくりたり、といったことを疎かにしている感じ。
たとえば、セット然としたオフィスやアパートの中、限られた範囲内で演出プラン通りに動くふたり。しかも、わざわざ相手の隣まで歩いて、カメラに半身を向けるようにして会話する。
さらに、やたらとセリフの分量が多い。「何コレ?」のひとことですむようなことでも「どうしてこんなところに女モノのストッキングが脱ぎ捨てられているのかしら」とベラベラ。必要最低限の5倍以上はあると感じられるボリュウムだ。
それが“味”として機能するならまだしも、観ればわかることまでセリフで説明し、いちどいったことを繰り返すこともある。
プリッグスが盗みを働く場面のみ、40年代っぽい音楽(これは雰囲気があって良かったけれど)に乗せて軽快に描かれて「映画っぽさ」を感じさせるのだが、それ以外の場面はほとんどラジオドラマかと思うほど。とにかくくどい。
そして、ほぼふたりの芝居で構成されている映画だけに、そのモヤモヤ&くどさが全編を覆ってしまうことになる。
う~ん。ウディ・アレンって、こうだっけ? くどいとは聞くけれど、もっとシニカルかつインテリジェントな作風で、観るほうも「ウディ・アレンを楽しめるのが、頭のいい証拠」っていう妙なスノビズムに毒されている、そんな世界だと思ってた。だからこそちょっと敬遠していたんだし。ドリームワークスでウディ・アレンって、カレーライスの具がサトイモとか、巨人の四番がローズみたいな違和感を覚えたのだけれど、それ以前の問題かも。
なんか、頭の悪い映画だったなぁ。
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