マイライフ・アズ・ア・ドッグ
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:アントン・グランセリウス/メリンダ・キンナマン/トーマス・フォン・ブレムセン/アンキ・リデン/マンフレド・セルネル/ラルフ・カールソン
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【少年イングマルの、切なくて、楽しい暮らし】
おねしょをしたり、焚き火を燃え広がらせたり、騒ぎばかり起こす少年イングマル。これでは結核を患う母親が落ち着いて療養できないと、親戚の家へ預けられることになる。新しい友達もできたし、サッカーは絶好調。叔父さんが勤めるガラス工場も、周囲のヘンなオトナたちも刺激的。母さんのことは心配だし、愛犬のシッカンとはしばらく離れ離れだけれど、スプートニクで打ち上げられたライカ犬に比べれば、ボクの人生は、まだましだ。
(1988年 スウェーデン)
【パッチワークを「世界」へと昇華させる技】
不幸な人を見て「自分はまだマシ」と感じることに異を唱えたのはアンネ・フランクだったか。
そりゃあ確かに、他人と比べるよりも前にまず自分はどうありたいかを考えなきゃならないのはわかっているけれど、自分の境遇を他人と比較して得られるエクスキューズは、ときに、人生を乗り切る原動力になってくれる。心を落ち着かせて周囲を見ることで、そこに潜んでいる大切なものをつかみ取ることだってできるかも知れない。
イングマルの周りは、ヘンな人ばかり。ヒステリックな母親は本ばかり読んでいるし、兄貴はタチの悪いイタズラ坊主、叔父さんはおっぱい星人。女であることにコンプレックスを感じているサガ、下着のカタログに固執する老人、年じゅう屋根を修理する人。イングマル自身も、ちょっとえっちで意味不明の行動を取ったりするし、でもサッカーチームでは欠くことのできないエース・フォワードだ。
でも、たぶんそれが普通なのだ。虚栄とか苛立ちとかこだわりとか、それぞれが抱える“ヘン”な部分は、ときに表出して顰蹙を買ったりするけれど、と同時にその人の個性ともなって、そうして社会は成り立っているのだ。
そして、みんな不思議とあったかい。こうして外から見れば、少年という存在がいかにして守られ、どれほど豊かな感情に囲まれているかが、よくわかる。
抜群にナチュラルで上手いイングマル役のアントン・グランセリウス君、エキゾチックなサガ役メリンダ・キンナマンをはじめ、登場人物・役者たちの調子の良さ&調子っぱずれの様子も、ほのぼのとした空気を作り出す。
それにしても、ひとりの少年の“周囲”をただ描いただけの作品なのに、その切り取りかたの上手いこと。『サイダーハウス・ルール』でもそうだったが、出来事のパッチワークをひとつの「世界」へと昇華させる技は、この監督の真骨頂といえる。
鉄橋の下、慌てて窓を閉めるカエルちゃん、何度も同じ音楽ばかり聴く叔父さん、それを呆れて見るおばさん、レコードプレーヤーの末路、ガラスのデキャンター、寒中水泳……。なんてことのない、事件とも呼べない事件の数々を、本当に温かく紡いでみせる。その温かな視線が、作品そのものを温かなものに仕上げているのだ。
イングマルの主観で進むストーリーのはずが、ときおり叔父さん中心に移行するなど視点のブレは気になるが、カットの中への人物や風景の収めかたは美しいし、1つのカットの次に来るカットが実に適確で、と同時に驚きももたらしてくれる。サッカーの試合に勝つシーンなんか、いきなり試合終了のホイッスルから始めたりして、そのテンポのよさも素晴らしい。
相変わらず、ここから何を捉えるかは観客次第という大上段に構えた作りかただけれど、この人が撮ると、自然と心の中になにかが芽生えている、無意識に問いかけと答えとが見つかっている。
たぶん僕は、誰かの人生と比べるまでもなく、恵まれているはずだし、それと同じくらい不運とかだらしなさも背負っている。
| 固定リンク
« いぬのえいが | トップページ | コンスタンティン »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント