セルラー
監督:デヴィッド・リチャード・エリス
出演:キム・ベイシンガー/クリス・エヴァンス/ウィリアム・H・メイシー/ジェイソン・ステイサム/ノア・エメリッヒ/リチャード・バージ
30点満点中17点=監4/話4/出3/芸3/技3
【頼れるのは、たまたまつながった電話の相手だけ】
息子のリッキーを小学校へ送り出した直後、見知らぬ男たちに拉致されたジェシカ。閉じ込められたのは、粉々に壊された電話機があるだけの屋根裏部屋。ジェシカが懸命に操作したその電話機は、偶然、軽薄な青年ライアンの携帯電話につながる。最初はジェシカの話を訝しむものの、リーキーが誘拐されるのを目撃し、救出に奔走するライアン。いっぽう退職間近の警官ムーニーも、ライアンの行動を不審に思い独自に調査を進めていく。
(2004年 アメリカ)
【多少ムリはあるけれど、やりたいことがハッキリしている】
携帯電話は、僕らの社会を劇的に変えた。
単に生活が便利になっただけじゃない。たとえば「いつでもどこでも誰とでも話ができる」という性質は、多くのミステリーのトリックや筋立てを時代遅れのものに貶めてしまった。電話機ハードが通話以外の機能(メールやウェブ・ブラウジング)を持った結果、ケータイはただの連絡ツールじゃなく“趣味”として成立するようになった。
本来なら鉄道ファンやオーディオファンや将棋ファンになるはずの若者たちの大部分がケータイファンとなり、数多くのホビーが衰退の危機にある、というのが私見だ。
そのケータイをフィーチャーしたのが本作。
設定・ストーリーは、とにかく無理やりである。強引である。ご都合主義である。ぶっ壊れた電話機をあんな風にチョチョイとショートさせて外部につながるものなのか? しかも音声を拾いすぎ。ライアンの立場に置かれたらフツーは独りで悪戦苦闘せず助けを求めるだろう。悪人の銃撃はライアンやムーニーの体を掠めるだけなのに、ムーニーの弾は敵によく当たる。
けれどこの映画には「ケータイという道具を中心にしたストーリー展開として、どんなことが考えられるか」に徹した潔さがある。
動画を撮れるという機能、本体に残る着信履歴、運転しながら通話することの危険性と迷惑、バッテリー切れ、混線(日本では滅多に発生しないようだが)、トンネルや建物の中で微弱となる電波、屋外で使うことが多いゆえに近くの騒音も相手に送ってしまう……。
とにかくケータイのあらゆる特性がストーリーに盛り込まれている。悪党にトドメを刺すシーンまでもケータイがキーとなっているほどだ。
ついでにジェシカ宅の留守番電話も大きな意味を持つし、映画の冒頭の出来事を無駄にせず後半に生かす配慮もある。プロデューサーや脚本化が額を寄せ合って、でも深刻にならず「ここはこういう展開で行けば面白いんじゃない?」「じゃあこのあたりに伏線を用意して」と、ワイワイ組み立てていったかのような“楽しさのある”展開だ。
物語の性質上、ジェシカやライアンが死ぬことはないはずで、そのうえでどうやって緊張感を持続させるかが、この手の映画でのポイント。
その点でも「次はどんなネタを見せてくれるのかな」という“楽しさのある”展開で惹きつけてくれる。この監督お得意のカーアクションも取り入れて、クドくなりすぎない程度に笑いも散らして、全体的なテンポも良質だ。95分というコンパクトなサイズにまとめ、一気に見せ切るようにしたのも大正解。
ジェシカを演じるキム・ベイシンガーは、必要最低限のスタッフしかセットに入れないようにしたり、悪党イーサンとの絡みでは「事前にイーサンがどのような行動を取るか」を知らされずに本番に臨んだりとしたとのこと。そのせいもあってか、これまたヒリヒリした緊迫感を持続させる。インテリジェンスも感じさせるし、生物教師という設定も生かされている。
ライアンについては「なぜ軽薄な青年が、見ず知らずの人間の危機にそこまで本気で行動できるか」という動機付けが希薄だし、ちょっと運転が上手すぎるようにも思えるけれど、演じたクリス・エヴァンス自身は懸命さをよく出している。
ジェイソン・ステイサムは、こういう悪党キャラクターがハッキリとハマリ役。ウィリアム・H・メイシーも、情けないけど仕事に熱心な刑事として妙に説得力がある。
役者たちは、鋭さや凄みはないものの好演の部類に入るだろう。
やりたいことが実にハッキリしていて、その枠組の中で役者たちがしっかりと仕事を全うした佳作。こういうの、嫌いじゃないなぁ。
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