スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー
監督:ケリー・コンラン
出演:ジュード・ロウ/グウィネス・パルトロー/アンジェリーナ・ジョリー/ジョヴァンニ・リビシ/マイケル・ガンボン/バイ・リン/ローレンス・オリヴィエ
30点満点中16点=監3/話2/出3/芸4/技3
【空の英雄は、世界を破滅から救えるか?】
1939年のNY。科学者が次々と失踪し、空飛ぶ巨大ロボットが世界中の都市からエネルギーを奪い始める。新聞記者のポリーは、元恋人で傭兵軍のリーダーでもある“スカイキャプテン”ことジョー・サリバンとともに、ドイツの科学者トーテンコフが事件の背後にいることを突き止めるが、7人目の科学者が襲われ、ジョーの助手デックスも誘拐されてしまう。ふたりは被害者たちを救い出すべく、トーテンコフのいるチベットへと飛ぶ。
(2004年 アメリカ/イギリス)
【見たこともない世界、ただひたすらにそれが売り】
映画っていうのは、観客をいままで見たこともない世界に誘い込む役割を担っている。誘い込む先は秘境だったり宇宙だったり、恐怖だったりドタバタシチュエーションだったりするわけだが、それにしても、ここまで「見たこともない世界に連れて行ってあげますよ」に徹した作品も珍しい。
なにしろ、役者の演技以外のほぼすべてがCG。しかもアール・デコ。直線とモノトーンで作られたティン(ブリキ)・パンク。20年代~30年代のマッチ箱とか劇場ポスターのような絵柄を背景にして、人物が動く。
なるほど、こんなの見たことはない。その奇天烈感覚と衝撃は、生身の人間とセル・アニメとを美しく融合させた『ロジャー・ラビット』(ロバート・ゼメキス監督)をも凌ぐものだ。
最近主流の「人物を追う」カメラワークよりも、固定カメラで捉えた絵に人物がフレームインしてくるカットが目立つのも「この世界へ誘い込む」という意識の表れか。
いっぽうで、われわれの世界との地続き感を出すことにも配慮する。アール・デコ風のデザイン自体、あるいはプロペラ機や光るリングが発射される光線銃などのガジェット類は懐古主義的だし、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』や『ジュラシック・パーク』(ともにスティーヴン・スピルバーグ監督)のパロディ的な展開もある。
われわれ日本人にとっては、なんといっても、こっそり登場するゴジラに心惹かれる。「毎朝新聞」というネーミングもシャレっ気たっぷりだ(恐らくユーモアセンスのある日本人の助けを借りたはず。とはいえ「未だ」としなければならないところが「今だ」になっているんだけれど)。
つまり、いまいるこの世界から一歩踏み出したところに、はたまた隣り合ったところに“スカイキャプテンが実在する世界”もある、という感覚を呼び起こさせるのである。
なんでもこの監督が、自宅にブルースクリーンを据え付け、パソコンを駆使して作った6分のショートフィルムが下敷きになっている作品とのこと。これがデビュー作となったわけで、執念の賜物ともいえる。
が、見かたを変えれば“企画モノ”。製作は異世界舞台の企画モノが大好きなラウレンティス一族だし、衣装にはポール・マッカトニーの娘ステラ、演技陣には古風な顔立ちのジュード・ロウとグウィネス・パルトローを持ってきて、チョイ役のアンジェリーナ・ジョリーを大きくクレジットしてネーム・バリューを借りる。うん、企画モノだ。
よって、ストーリー映画としての成り立ちは貧弱。説明口調のセリフが多い割にトーテンコフの動機がしっかりと説明されていないし、意外な展開もなく、都合よく大団円へと向かう。
まぁ世界の構築と、そこへの誘い(いざない)という点では徹底しているので、こういうのもたまにはアリだと思うけれど。楽しくないわけではないしね。
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