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2006/03/07

子猫をお願い

監督:チョン・ジェウン
出演:ペ・ドゥナ/イ・ヨウォン/オク・ジヨン/イ・ウンシル/イ・ウンジュ

30点満点中17点=監4/話4/出4/芸3/技2

【20歳の扉が、5人の関係を変えてゆく】
 横柄な父に辟易しながらも実家のサウナを手伝うテヒ、大手企業の事務員として忙しい日々を送るヘジュ、テキスタイル・デザインを学ぶことを夢見ながら職を探す貧しいジヨン、街角でアクセサリーを売る双子のピリュとオンジョ。高校からの仲良し5人は、20歳になろうとする現在もたびたび会って話し込む。だが、それぞれに生活があり、悩みがあり、苛立ちがあり、少しずつ心がすれ違う場面も。そんなとき、ある不幸な事件が起きる。
(2001年 韓国)

【それぞれの“いま”がある理由を紡ぎ出す】
 いまの生活をすべて捨てて、どこかへ消えるとしたら? そんな話題になったとき、その場にいたみんなが「無理」という結論を出した。
 ただし理由は2つに分かれた。「戻って来るのがタイヘン」と「すべて捨てることじたいがタイヘン」。自分を含めた多くが後者。その場から消えちゃうんだから、戻って来ることを考える必要なんてない。けれど、数十年かけて積み上げてきた“いま”をリセットすることは、とてつもなく体力と精神力を要することであり、恐怖ですらある。

 本作でも5人の女性たちの居場所やキャラクター、すなわち“いま”が語られる。あるいは、人に歴史ありというと大袈裟だけれど、彼女たちの“いま”を形作っている細かな要素・理由が詰め込まれている
 ゆるゆるに見えるけれど、実は「理由」がビッシリの日常。それがこの映画の姿だ。

 たとえばテヒの周囲では、ワンマンな父親は兄と弟だけを可愛がり、女性を従順な型に押し込める男社会の縮図として家族は描かれる。サウナ風呂従業員の制服として民族衣装を取り出す父、レストランで注文するものを決められない母、そんなたわいもない出来事が、テヒの中では「ここにいたくない」という思いに変化して積み重ねられていく。
 ヘジュはコンプレックスの塊だ。学歴、コネで入社したという経緯、おそらくは勉強のしすぎで悪くした視力。すべてに劣等感を抱いていて、それを振り払うかのように、あるときは身勝手に、あるときは健気に振る舞う。両親の離婚になんか構っていられないくらい、自分自身の存在証明にいっぱいいっぱいだ。
 ジヨンのコンプレックスはもっと切実だ。貧乏というのは、それだけでひとりの人間の未来を奪ってしまう。崩れ落ちた家は、ただの事故・事件ではなく彼女の人生の象徴であり、“おしまい”を意味する。

 テヒがタバコを吸うのもトッポギを好きなのも、ヘジュがコンタクトを着用するのも洋服を買いあさるのも、ジヨンがデザイナーに憧れるのも髪を染めるのも、双子が路上でアクセサリーを売るのも、ある日それぞれの中で何かがパチンと弾けて作られたスタイル、彼女たちの“いま”を構成する重要な要素なのだ。

 女性監督のチョン・ジェウンは、極端に誰かに肩入れすることなく、少し離れた位置からの目線で5人の“いま”を紡いでいく。
 鮮やかさはないけれど、テヒがマーケットで買ったナイフ、窓際で涙するヘジュ、バラックに帰宅して愕然とするジヨン、スリッパと穴掘り、頭に懐中電灯を巻いて読書するテヒなど、お話の構成・展開や出来事の描きかたには随所に「!」があって、そうした部分が全体的な静けさの中でアクセントとして効いている。

 ヘジュの彼氏が「なんでもいうことを聞いてくれる」キャラクターとして用意されていることがうれしい。そして女性は、彼のような男を目一杯に利用してやるべきだ。
 男ってのはどこまでもバカで、女性の“いま”をありのまま受け入れることがカッコイイと思っているのだから。

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