クラッシュ
監督:ポール・ハギス
出演:ドン・チードル/ジェニファー・エスポジト/マット・ディロン/ライアン・フィリップ/ロレッタ・ディヴァイン/キース・デヴィッド/サンドラ・ブロック/ブレンダン・フレイザー/ウィリアム・フィクトナー/ノーナ・ゲイ/テレンス・ハワード/タンディ・ニュートン/クリス・“ルダクリス”・ブリッジス/ラレンズ・テイト/ビヴァリー・トッド/マイケル・ペーニャ/ショーン・トーブ/バハー・スーメク/ダニエル・デイ・キム
30点満点中23点=監6/話4/出5/芸4/技4
【多くの人種、多くの人々、多くの事件、多くの哀しみ】
クリスマス間近のLA。発砲事件を追う刑事グラハムとリア、クルマを盗むアンソニーとピーター、クルマを盗まれたリック検事と妻のジーン、彼らの家の鍵を取り替えたダニエルとその娘ララ、父を案じながらパトロールをするライアンと相棒のハンセン、彼らに侮辱を受けた演出家のキャメロンと妻クリスティン、商売を営むファハドと娘のドリ、息子の帰りを待つグラハムの母……。それぞれの夜がCRASH(事故・ぶつかる)する。
(2004年 アメリカ)
【奇跡のような映画、映画という奇跡】
小説的な言葉遣いと(多少、都合のいい部分もあるが)クロスオーバー構成を採用し、ストーリー/テーマの軸となる人種差別をパーソナルな視点でも社会的な視点でも取り上げて、各登場人物の心の闇を浮かび上がらせる、徹底して練り上げられたシナリオ。
どこに何を置き、誰をどこに配し、どこからどこまでをどんなサイズで撮ってどこに焦点を合わせれば画面に臨場感と空気感を与えることができるのかを知り尽くしたような撮影と、すべてを作り物に思わせない美術や照明、各人が普段から着ているように感じさせるナチュラルな衣装、絶妙なタイミングでカットとカット、シーンとシーンがつながれる編集。
強い力で肩をつかまれ、揺さぶられるような音楽。安物のジャンパーがこすれあう音までそれとわかるように拾い上げ、あるいはピシリとした静寂を作り出して、カット/シーンにリアリティや緊迫感を与える音響。
これ以上ない適材適所の配役と、静かに静かに耐えるグラハム役ドン・チードル、錯乱と思いやりを自分の中で飼い馴らせないアンソニー役マット・ディロン、遂に爆発へと至るキャメロン役テレンス・ハワード、マイケル・ペーニャが演じるダニエルと娘ララの交流……など、極上の演技。
そしてそれらを完璧なまでにコントロールし、美しくて哀しいハーモニーを引き出した演出の腕。
ああ、こういうのを“映画”というのだなぁと、ただただ感動する。人間が抱える業の哀しさを描いたストーリーはもちろんのこと、こういうレベルの作品に出会えたことに感動して涙する。降る雪の、なんと美しいことか。
物量を投入して1つの世界を作り上げた『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督)や『ロード・オブ・ザ・リング』三部作(ピーター・ジャクソン監督)も、あるいはシンプルな物語にイマジネーションという肉付けを施してとてつもない映像を作り出した『宇宙戦争』(スティーヴン・スピルバーグ監督)も、確かに“映画”だった。
いっぽうで、多くの人々が対面する出来事と、その中に置かれた人々の歴史や心情を切り取り「リアルタイムに流れる映像・言葉・音楽の力で、多くの人に伝える」という映画ならではのパワーを存分に発揮したこの『クラッシュ』もまた、間違いなく本物の“映画”だと思う。
なんだか、この映画の「ここがいい」とか「ここがスゴイ」とか、「この登場人物のこの部分に共感できる」だの「ここには反感を感じる」だのと、あまり語りたくない(というか、そもそも日本に暮らす日本人に語る資格はないのかも知れない)。
ただ、アイ・ラブ・ユーの言葉が、自分を含む多くの人にとって「透明のマント」になることを祈るのみである。
奇跡のような映画であり、映画という奇跡がここにある。要するに、絶賛。
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