オーシャン・トライブ
監督:ウィル・ガイガー
出演:グレッグ・レインウォーター/ヴォーン・ロバーツ/マーク・マティセン/トロイ・ファジオ/ロバート・カソ/ブライアン・ブロフィ
30点満点中16点=監4/話3/出3/芸3/技3
【かけがえのない友情、最後のサーフトリップ】
イルカは仲間が死に瀕すると、群れが交替で支えて泳ぐのだという。サーフショップを営むノア、身寄りのないボブ、売れない役者のランス、放浪のバイオリニスト・ジェブ、親の敷いたレールの上を歩く医者のシュワルツ、幼い頃からの悪友でサーフィン仲間でもある5人は、高校を卒業してから疎遠になっていた。だがボブが癌に侵され余命わずかと知った彼らは、ボブを病院から連れ出し、はるかロザリータへのサーフトリップを敢行する。
(1997年 アメリカ)
【関わりあうということの意味を考えさせる】
人はひとりで生きていくことができると思う。そしてひとりで死んでいくことも。けれど、そうした生き様・死に様を選ぶ(または選ばざるを得なくなる)その決意の陰には、多くの出会いと、人との関わりの中で培われた“何か”があるはずだ。ましてや「社会生活を送る」ためには、あるいは悔いを残さず目一杯に生きるためには、他人との関わりは避けようがない。
そして、ときには無理やりにでも誰かと関わることが必要なのかも知れない。
本作は『子猫をよろしく』と同様、若者たち5人の“いま”を描くアメリカ版サーフィン・ヴァージョン。
まずは海原を泳ぐイルカと狭い容器の中の金魚を対比させ、5人が置かれた閉塞状況を暗示する。「入院中のボブを無理やり連れ出す」という行為や仲間どうしのケンカで、5人のつながりの濃さ、友情の大切さも描かれる。ひとりで生きているような彼らが、少しずつ「関わり」を取り戻していく。
どれほど能天気に見える人でもそれぞれに問題を抱えている、ってことも印象づけられる。
その問題を、ある者は頑なに押し隠し、ある者は吐露することで楽になろうとする。本作の5人は、傷口を広げあってまで互いの問題をぶつけあうことのできる間柄だ。それは幸せなことでもあるのだろうが、同時に相手や自分自身に責任を負わなければならない付きあいかたでもあるといえる。
ここまで密接な関係でなくとも、社会の中で生きていくということは「表面には出てこないものを抱えている、生きた人間」と関わる覚悟が必要だと訴えかけてくる。このあたり、ひぐちアサの『ヤサシイワタシ』にも通じるテーマに思える。
もうひとつ、変わらぬものなどない、ということも大きなテーマだろう。
変わり果てた海岸、朽ちた標識、エンコするクルマ……。すべてのものが元あった姿からの変化を余儀なくされる。友情や、自分自身の価値観も変化していく。それは必要に迫られてのことだったり、哀しい事件が契機だったりするけれど、そうやって何かの影響を受けて変化していくことこそが『生きる』ということであり、誰かと関わりあうことの意味なのだろう。
5人のはしゃぐシーンが少々クドかったり、死という結末が予期できるだけに軽快さは薄いものの、「関わりあう」ということをじっくり考えさせる映画である。
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