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2006/03/12

ドラえもん のび太の恐竜2006

監督:渡辺歩
声の出演:水田わさび/大原めぐみ/かかずゆみ/木村昴/関智一/船越英一郎//劇団ひとり/神木隆之介

30点満点中19点=監5/話3/出4/芸3/技4

【のび太が恐竜の親に! でも彼らには危機が迫っていた】
 恐竜の爪の化石を見せびらかすスネ夫に「僕は丸ごと一匹の化石を発見してみせる」と宣言、街の断崖を掘るのび太だったが、そう簡単に見つかるわけもない。ところが、おじさんに頼まれてゴミ捨て用の穴を掘ると、そこからは恐竜の卵が! のび太は卵を暖め、生まれたフタバスズキリュウ(首長竜)の子にピー助と名づけて育て始める。成長したピー助を1億年前に戻そうとするのび太たちを、恐竜ハンターたちが狙うのだった。
(2006年 日本 アニメ)

★ややネタバレを含みます★

【「ドラえもん」という物語の主役は、あくまでものび太なのだ】
 劇場版ドラえもん第1作『のび太の恐竜』(福富博監督/1980年)のリメイクで、新キャストとなって初の映画。オリジナルを観たのは20年以上も前、よって細部を覚えていないため比較は避けるが、本作は「まさに劇場版ドラえもん」という仕上がりとなっている。

 とにかく、見事なまでにフォーマット通り
 のび太の無茶な思いつきから始まり、心優しいゲストキャラといかにもな悪役が登場、波乱万丈の展開の後、ハッピーエンドで幕が閉じる。その王道的ストーリーの中に、しずかちゃんのセミヌード、いわゆる「映画のジャイアン」、トラブルのもと=スネ夫などの“お約束”が盛り込まれる。欠けているのは「射撃が得意なのび太」というファクターくらいだろう。
 また「ドラえもんはSFである」という大前提が大切にされているのも映画版の特徴。どこでもドアは地図がインプットされていないとダメだとか、タイムマシンの空間移動機能が故障したので日本まで自力で移動しなきゃいけないとか、ちょっと無理があるように感じられるけれど不思議と納得してしまう設定が、ストーリー展開に大きく関わってくる。実にSF的だ。

 演出にも、映画的なスケールを感じる。
 月のアップから森へとカメラが降りていく1stカットは、ほとんどハリウッド大作のノリ。その後のスリリングな展開への伏線ともなる。中盤にあるタケコプターによる飛行シーンは浮遊感とスピード感たっぷりだし、アクション場面の迫力も全体的に上質だ(ティラノサウルスなんか、後ろのほうの席にいた女の子が『怖いぃ~』って泣いてたし)。
 のび太と妊婦との対比、その妊婦が生んだ子どもの成長で時間経過を表現したり、音楽に乗せて北米-日本間の道行きを楽しく描いたりなど、軽快さもある。

 そのいっぽうで、しっとりとした描写も実に上手い。特に、のび太とピー助との別れのシーンは極上。それまでの旅路を振り返るように、あるいはピー助のすべてを記憶に焼き付けるように、ピー助の体をゆっくりと眺めるのび太の表情が、とてつもなく、いい。たぶん、すべての映画版ドラえもんを通じてもっとも素晴らしいシーンの1つだろう。
 この場面や、焚き火のそばで黙ったまま腕組みをするジャイアンの姿とセリフなど、さすがは『のび太の結婚前夜』を作った監督だけのことはあり、ジワリと涙を誘う雰囲気作りは憎らしいほどだ。

 絵としては、光の見せかたに丁寧さがある。CGのクォリティと使いかたも上々。白亜紀の景色やタイムマシンでのジャンプシーンだけでなく、のび太が持つ本ですら立体的だ。逆にキャラクターは手書きであることを強調するようなライン。ちょっとやりすぎのような気もするが、のび太たちを“生きた人間”として表現しようとする演出的意図として機能する。
 スキマスイッチによる主題歌、その『ボクノート』をフィーチャーしたBGMも良く、画面に馴染む。映画版ドラえもんの主題歌は、“いま”を象徴しつつ後々まで色褪せないものでなければならないが、その点、恐らくもう消えてしまうことのないレベルまで来たスキマスイッチによる、この映画用オリジナル・スコアは、絶妙な人選と曲だったと思う。

 と、フォーマット通りの安定感あるストーリーを演出的なこだわりで見せる「まさに劇場版ドラえもん」的作品であるわけだが、そうした仕上がり以上に印象的なのが「そもそも『ドラえもん』とは何か?」という点を真摯に見つめ直した作品であること。すなわちテーマ性だ。
 中心にあるのは“あたたかい目”。問題を解決するのは、決して数々のひみつ道具ではない。それを用いる人(のび太たち)の「他者や即物的で便利なものに頼らず、自分が信じる道を自分の力で進もう」とする強い意志、その意志が挫けそうになったときに助け合える信頼関係こそが大切であり、そうした価値観を育みながら成長していく様子を温かく見守ろうという『ドラえもん』のそもそものテーマが、大切にされていると感じた。
 その“あたたかい目”は、父性とでも呼ぶべきものだろう。だから、ふだんの映画版では印象の薄いパパが「父」として登場し、パパやドラえもんがのび太の成長を、のび太がピー助の成長を見守るという父性に満ちた本作は、実に『ドラえもん』的であるといえる。

 そう考えると、キャスティングに込められた意図も勘ぐりたくなる。
 劇団ひとりにいくつもの役を与えたのは、「自分の力でさまざまな事態に向き合う」ことの象徴だ。が、それでは行き詰まることもあるだろう。そこで主題歌は二人組に歌わせる。黒マスクを演じた船越栄一郎は、実生活では血のつながりのない息子に父性を注ぐ人物として知られている。
 ピー助は、孵化直後の声の素晴らしさに対して成長後は神木くんの“素”の声に近く(本人も成長後ピー助のほうが難しかったといっている)、観ている間は台本を持ってマイクの前に立っている神木くんの姿がチラついて仕方なかったのだが、変声期真っ只中での本作への出演は、つまり「成長」というドラえもんの大テーマを強烈に感じさせるものであり、ある意味で奇跡的なキャスティングですらある。

 誰かの頑張りと成長を、父性をもって“あたたかい目”で見守る物語、その中心にいるのはもちろん、のび太であり、のび太でなければならない。
 すぐに泣きつき、行動の基準はサボることや仕返しだったりして、いわば人間のイヤな部分を多く持つのび太ではあるが、実は彼のファースト・プライオリティは自分自身ではなく「誰かのために何かをする」ことにある。しかもそれを押し付けがましくなく自然にやってのける。本作では対ピー助にとどまらず、ドラえもんが部屋じゅうにぶちまけてしまったドラ焼きを憎まれ口を叩きながらも拾い集めるシーンとか、ジャイアンを助ける場面などでそのことが印象づけられる。
 つまり、のび太自身が「誰かに応える」人物であり、見守るに値する少年であるからこそ、周囲ものび太に応えたり見守ったりするのであって、のび太だからこそ『ドラえもん』は成立しているのだ。

 のび太から、「誰かのために、何かをする」というエネルギー源をもらおう。本作のキャッチコピーである「君がいるから、がんばれる。」は、のび太とピー助、ドラえもん、ジャイアン、スネ夫、しずか、そして観客が相互に持ちうる想いなのだと感じさせる映画である。

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