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2006/03/15

未来世紀ブラジル

監督:テリー・ギリアム
出演:ジョナサン・プライス/キム・グライスト/ロバート・デ・ニーロ/キャサリン・ヘルモンド/イアン・ホルム/マイケル・ペリン/ピーター・ボーン/ボブ・ホプキンス

30点満点中18点=監4/話3/出4/芸4/技3

【情報化社会で巻き起こるテロ騒動、その裏にある夢と現実】
 情報省によって完全に統制された未来社会。だが反政府ゲリラによるテロ活動は絶えない。ある日、無実の男バトルがお尋ね者のタトルと間違われ、拷問の末に死亡するという事件が起こる。記録局の役人サム・ロウリーはバトルの未亡人に小切手を届けるが、その隣人ジルが、自分の夢に現れる美女とそっくりなことに驚く。どうやらジルはテロ活動に加担しているらしい。そこにタトルも加わり、事態は思わぬ方向へと転がり始める。
(1985年 イギリス/アメリカ)

【情報を、生かすも殺すも“関心”次第】
 1985年から見た未来。それはすなわち21世紀の現代ということになる。周囲を見回して、果たしてバラ色なのか灰色なのかと考えてみても、あまりに混沌として簡単には答えを出せそうにない。そんな現代だ。

 本作は「未来社会は灰色」との立場を取るデストピア・ストーリーだが、作品内に散りばめられた予言の多くが現実になっていることを思えば、現代社会は灰色ということになるのかも知れない。
 合成食品、携帯電話、一人乗りコンパクトカーといったガジェット類。
 情報化社会と広告社会がほぼイコールであること。
 情報剥奪局の存在が示す「情報は“やりとり”する重要な対象物」であるという事実。
 多発するテロ。
 かなりの精度で21世紀の世相を言い当てている。

 もちろんそこには、単なる予言を超えたもの、灰色の未来社会(および当時の社会)に対する批判がある。
 書類社会・手続き社会・セクショナリズムの馬鹿馬鹿しさ、美貌に対する執着心のおぞましさ、完全統制された社会で雪ダルマ式に大きくなっていくトラブル……。人間の愚かさが徹底して描かれている。

 その愚かさを、冷徹なだけでなく温かい目でも描いているのが、ちょっとした救いだ。
 ロボットやエレベーターは手作り風。伝達手段として歌うメッセンジャーやエアシューターを使うし、機械は相変わらずしじゅう故障する。意外なほどアナログで、万博チックな未来が、ここにはある。
 なんというか「確かに灰色だけれど、馬鹿っぽくて可愛らしいところもあって、人間って便利さだけを求める生き物じゃないんだよね、おかしいね」的な、温かな視線を感じるのだ。

 戯画的あるいはコント的な演出と絵作りと演技も、そんな温かさ・おかしさを引き出すのに寄与する。
 記録局内をダイナミックに動くカメラ。「はははーはー」という笑い声の音階がそのまま用いられるBGM。拷問室の造形、必要最小限の広さのオフィス、タイプを打つ手に装着されたエキスパンダー、乳児のマスクといったSF的orクレイジーなアイディアの数々と美術。
 大仰にうろたえるサム。カメラ目線のレストラン支配人。ホントの技術者にしか見えないほどのドライバーさばきを見せるラトル役のデ・ニーロ。
 全体に、アンダーグラウンドに思えてちょっとだけ滑稽、そんな空気で覆われた世界。あるいは逆に、ユーモラスに思えて残虐な世界。
 つまりは混沌。まさしく現代。

 そして気づかされるのが、情報=関心という図式。生殺与奪の権利すら有する情報省にあって、出世にも情報にも関心のなかったサムが、ジルという関心の対象を見つけてようやく生きることを始める。
 そう、どれだけ膨大な量の情報を得ようとも、それを“関心”というフィルターで通して見ない限りは無意味なのだ。これなんかまさに現代社会にも通用する教訓だろう。
 もっともその“関心”が、破滅へのトビラを開くことも多いのだけれど

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