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2006/04/28

ワンダフルライフ

監督:是枝裕和
出演:ARATA/小田エリカ/寺島進/内藤剛志/谷啓/横山あきお/内藤武敏/伊勢谷友介/吉野紗香/由利徹/原ひさ子/白川和子/志賀廣太郎/香川京子

30点満点中19点=監4/話5/出3/芸4/技3

【あなたにとって、もっとも大切な思い出は何ですか?】
 月曜日、古い建物に集まってくる人たちは、みんな死者。今週は22人とちょっと多めだ。彼らは水曜日までに、スタッフとの面接を通じて「人生でいちばん大切な思い出」を選び出さなくてはならない。土曜日には、選んだ思い出を再現したフィルムが上映される。そして当時のことが心の中に鮮やかに蘇った瞬間、その思い出だけを胸に抱いて“あちら”へと旅立つことができるのだ。22人それぞれが記憶を辿り、思い出を語り始める。
(1999年 日本)

【考えさせるというより“迫る”映画】
 ン十年ぶりの手術・入院、全身麻酔は初の体験。「じゃ、始めますよ」という麻酔医の言葉から「はい、終わりました」という執刀医の宣言まで、一瞬の出来事。実際には2時間以上を要しているのだが、一切の記憶がない。夢すらも見ていない。
 全身麻酔や脳の生化学的メカニズムは知らないが、“意識不明”と“死”の間にはどれほどの違いがあるのだろう。死んじゃったら何もかもなくなるんだろうか。いまあれやこれやと考えている私のすべても、いままであれやこれやと考えを重ねてきた私のすべても。
 手術は無事に済んだけれど、ちょっと鬱。

 というわけでもないのだが、今回からしばらくは『記憶という迷宮』シリーズで。

 お祭りの日に振る舞われる冷やし飴、飛行機や船の形に焼かれたビスケットに砂糖が乗っかったお菓子、錆びついたストーブ、懸垂のままで1分間ガマン、鍋の中にニンジンばかり残ったカレー、泣きながら廊下へと飛び出して行ったあの子、部活最後の試合で外したシュート、クスクス笑いに包まれた映画館、雨のバス停、部屋を間違えた留学生、刑事が開いた警察手帳、住宅街の夜道、酔って座り込んだ地下鉄の改札口、「あっ」といっただけで通じたあの瞬間、運送屋が落としたチェスト、懸命に擦り寄ってきたセキセイインコ、そして、ささやかな日々……。
 できれば、前だけを見て歩きたいものだけれど、甘いのも苦いのも酸っぱいのも、転機となった出来事もどうでもいいこともひっくるめて、思い出がシャツの背中を引っ張る。

 そんなパーソナルな思い出を登場人物たちから聴く、ただそれだけの映画。なのに、この情報量の凄まじさは何だろう。
 たとえば戦争や大震災を語る老人たちから、思い出が、ほとんど「歴史」とイコールとなりうることを知る。
 あるいはパイロットを目指していた人の話からは、蓄えた「知識」も思い出の構成要素となっていることがわかる。
 変わり映えのしない日常の中にふっと潜む思い出。思い出=人生経験が思いやりを作り出していくという事実。思い出は視覚だけでなく味覚や触覚にまで作用し、美化されたり捻じ曲げられたりすることもある。
 ある出来事に居合わせた人物の名前までハッキリと記憶していることを自覚する瞬間には、恐らく、その人物についての諸々も同時に思い出していることだろう。
 女性スタッフ・里中の部屋に張られた写真は、思い出をカタチとして残すことの意味を考えさせる。望月が発する「でしゃばってすいません」というセリフは、ビジネスライクに聞こえるけれど、実は、他人の思い出に干渉する行為の重大さをうかがわせるものとして用意されている。
 それぞれが語る思い出は断片的、カットされている部分も相当にあるはずなのに、圧倒的な物量の、“人生”と、思い出について考える際のヒントが、この作品には詰め込まれている

 思い出に絡みつく恐怖も提示される。
 忘れることの恐怖。思い出さなければならないことの恐怖。確かに「スプラッシュ・マウンテン」というのは幼稚で即物的すぎる思い出だが、だからといって他人から自分の思い出にダメ出しを食らってしまうのも、また恐怖ではないだろうか。
 そして、望月が抱いていたように「自分にとっての大切な思い出が、それを共有しているはずの人にも大切とは限らない」ということこそが、自らのアイデンティティをも揺るがしかねない最大の恐怖。
 そう、月の見えかたは人により心情により異なるのだ。

 思い出を語るのは、大半が素人。どうやら本当に自身の体験を披露し、本気になって「もっとも大切な思い出」を選んでいるようだ。
 が、ドキュメンタリーに見えるけれど、ちゃんと1カットずつに意味・意思を感じさせて、考え練られた構成であることを示すのが是枝流。胎児の記憶の話の後には、バスタブに沈み込む里中の姿を捉える。途方に暮れてベンチに座り込んでいるように見える渡辺さんは、公園のベンチでの妻との会話を思い出す。その流れの妥当性が、いい。
 やや長めのカットがときおり挿入されるのも、観客に考えさせる“間”として機能して、無駄になっていない。
 落ち着いた画角、やわらかな陽射し、モルタルの古い建物、鉢植え、雑木林といった撮影・ロケーション・美術も、死者たちを優しく包み込む。
 ただ単に見せるだけでなく、しっかりと作られた映画だ。

 しかし、それにしたって、60年も70年も生きて、それで選ぶのが6歳や7歳の頃の出来事って、いったい人間って何なんだろう。生きることの意味や価値を、どこに見出せばいいのだろう。
 何かを選ぶことでそれ以外を否定する、その事実に刃向かおうとする伊勢谷クンの潔さに共感する自分もいるし、いっぽうで、何かひとつの出来事をもって自分の人生を肯定しようとする自分、肯定することの難しさに苦悩する自分も、またいる。
 たぶん妻は、新婚旅行の思い出を選んではくれないだろう、とか考えたり。あと5年もたてば、自分だって考えが変わるんだろうな、とか思ったり。

 京子さんのエピソード(この映画の大テーマのひとつだが)など、やや語りすぎの感もあるし、ドキュメンタリー部分と演技部分のギャップに違和感は残るものの、キリキリと音を立てて心に迫ってくる、そんな作品である。
 けど、自分の思い出フィルムを他人に見られるのはイヤだなぁ。

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