姑獲鳥の夏
監督:実相寺昭雄
出演:堤真一/永瀬正敏/原田知世/阿部寛/宮迫博之/田中麗奈/松尾スズキ/いしだあゆみ
30点満点中15点=監4/話1/出3/芸4/技3
【産婦人科医院に起きた怪、その真相とは?】
昭和27年の夏。文士の関口は、産婦人科・久遠寺医院についての噂を聞きつける。令嬢・梗子が20か月もの間、身ごもったままというのだ。さらに医院では、生まれたばかりの赤ん坊が連れ去られる怪事件も続発しているらしい。梗子の双子の姉・涼子に心を奪われた関口は、古書店の店主で陰陽道にも通じた中禅寺秋彦・通称『京極堂』や、人の過去を見る力を持つ探偵の榎木津、刑事の木場らとともに、事件解決の糸口を探ろうとする。
(2005年 日本)
【ストーリーや人物は無視して観る作品】
かつて毎年のように作られていたポワロものや金田一ものと同じフォーマット。謎が提示される前半部+解決の後半部からなる。「名探偵 みなを集めて『さて』といい」の、アレだ。
古典的ではあるが、『名探偵コナン』や二時間サスペンス、水戸黄門など時代劇にまで採り入れられているほどの安定感のある作劇法だし、その骨格じたいを否定しようとは思わない。問題は、前半部でいかに巧みに伏線を張るか、後半部でいかに衝撃的に謎を解き明かすか。
そうした、ミステリー映画としての肉づけが、まるでなっていない。
原作も他の京極作品も未読だが、察するに本作は、情報・出来事の見えかた、圧倒的物量で迫る情報の中から自分に必要なモノゴトを見つけ出すことの難しさ、自分に必要でないモノゴトをシャットアウトしてしまう人間の記憶の不可思議さのようなものがテーマとなっているのだろう。
なにしろ京極堂の台詞は膨大、事件の本質そのものは薄いのに文庫サイズで600ページ以上もある長編。なんとなく『攻殻機動隊2』と同じニオイを感じるじゃないか。
たとえば本作では、たびたびお月様が、月齢や地球からの距離といったデータとして示される。同じ月であっても、切り取りかた、見る人、見るたびに、見えかたも呼び名も異なる、ということを提示しているわけである。
で、これって、活字向きのテーマではないか。あるいはもっともっと台詞を詰め込んで、意味がありそでなさそなエピソードや描写を盛り込んで、観るものを幻惑するような作りにすべきではなかったか。
ところが商業映画として成り立たせるためにはそうもいかず、とりあえずツジツマが合うように事件の真相につながる必要なモノゴトだけはピックアップして(いやピックアップも十分じゃないけれど)、原作のエッセンスもちょこっとまぶして2時間にまとめました、みたいな。
おかげで、謎の提示はぶつ切り、解決は唐突。
多くの登場人物たちも、とりあえずピックアップされただけ、出てただけという感が強い。榎木津、木場、京極道の妹(ボーイッシュな田中麗奈は可愛いけど)と妻、関口の妻などは、ほとんど意味なし。
いっそ京極堂をチョイ役、関口を主役、関口夫妻の関係も挿入しつつ事件を時間軸通りに描いて心理ホラーにしたほうが観られたんじゃないか、とも思う。それほどにミステリーとしては不完全なデキだ。
見どころはといえば、ロケーションと美術か。昭和27年が完璧に再現されているわけではないが、おどろおどろ系ミステリーの雰囲気を醸し出すべく用意された洋館は、なかなかに存在感がある。池辺晋一郎の音楽も、この風景にしっくりと乗っかる。
そんな舞台で弾けるのが、おなじみの実相寺カット。風景が奥行きのある幾何学文様として、タテにナナメに、あらゆる方向から切り取られる。昔はよく、写真を撮るときに真似したもんだ。
ただ、合間には、脚本の「とりあえずわかりやすく」という意図をなぞるように、当たり前すぎるカットが丁寧に積み上げられていて、これでもまだ実相寺監督のシュミが抑えられているように感じた。
マンガ的な作りもうかがわせる。発言とか表情とか、1つの要素が1つのカットで描かれる、というテンポが主となっていて、たとえばフィルム・ブックを作るのは楽だろうなと思わせる流れだ。
そういう「あー、まだやってるよ」とか「そういう流れの作りかたもあるのねー」と、ほのぼのしつつ、ストーリーや人物は無視して観るべき映画だといえるだろう。
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