50回目のファースト・キス
監督:ピーター・シーガル
出演:アダム・サンドラー/ドリュー・バリモア/ブレイク・クラーク/ショーン・アスティン/ロブ・シュナイダー/ルシア・ストラス/ダン・エイクロイド
30点満点中18点=監4/話4/出4/芸3/技3
【忘れられてしまう僕、毎日が新しい1日】
ハワイの水族館に勤めるヘンリーは、観光客と一夜限りの関係を楽しむプレイボーイ。アラスカでセイウチの生態も観測したいし、地元の女性との交際は束縛されるだけ。ところが、カフェで出会った中学教師ルーシーと恋に落ちる。けれど彼女は事故で脳に障害を負い、その日の記憶を翌日には忘れてしまうという病気。同じ1日を何度も繰り返しているのだ。ヘンリーは、次の日には忘れられてしまうと知りながらルーシーに愛を語り続ける。
(2004年 アメリカ)
【重いテーマを優しさで描いた佳作】
人間というのは、突き詰めれば“記憶”の塊だ。選択と経験、出会いと別れ、成功と失敗、そうしたものの蓄積がアイデンティティを作り、思考や行動の源になる。
もし蓄積することを奪われたら? それは「生活に不便」というだけにとどまらず、成長も自由意思も望めないということであって、確かに不幸なことだろう。
ところが人間というのは、いい加減な生き物でもある。たとえ「昨日と同じ人」であっても、思考と行動の発露はちょっとしたことで方向を変える。昨日は成功したはずのナンパが、今日は(観客に成功を期待させながら)失敗。その裏切りが、いい。
そして人間は、不幸を上回る幸福を信じ、不幸を打ち負かす幸福を築き上げていく力も持つ。思えばヘンリーとルーシーの1度目の出会いは、両者の思考と行動のベクトルが合致した幸福な偶然であり、ふたりにとっての運命でもあったわけだが、その後も、その幸運がいつまでもふたりの間にあると信じて「同じ毎日」を過ごすヘンリーの、切なさとひたむきさがいい。
ルーシーに不幸を味わわせないように、という父マーリンと弟ダグ、カフェの女店主たちの優しさがいい。毎日写真に収められるルーシーの絵、冷凍されたパイナップル、丁寧に包まれる『シックス・センス』(M・ナイト・シャマラン監督)のビデオ、同じ挨拶、同じ注文……。繰り返しの作業に込められた、精一杯の思い。
キャスティングが、またいい。軽そうにも誠実そうにも見えるアダム・サンドラーのヘンリー、感情の振幅が大きいルーシーをナチュラルに演じたドリュー・バリモア、しかめっ面の裏側に優しさと哀しさとを感じさせるブレイク・クラークのマーリン。そのハマリ具合がリアリティを増す。
全体的なリズムやまとまり具合も上々で、ヘンリーからルーシーへの度重なるアタック、ルーシーが自分の症状に気づくくだり、何度も迎えるファーストキスなどが、実にテンポよく展開して、観客には繰り返しの苦労を味わわせないで繰り返しを意識させる作りになっている。
そうして描かれるのは、実は、愛の意味。笑いとホロリの向こうに見えるのは、とてつもなく重いテーマ、すなわち「誰かを愛するということは、その人の全生涯について責任を負うということ」。
笑いが多少クドかったり上滑りしている部分もあるけれど、軽く優しく愛を語った良品である。
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