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2006/05/29

天国と地獄

監督:黒澤明
出演:三船敏郎/仲代達矢/香川京子/三橋達也/石山健二郎/佐田豊/江木俊夫/島津雅彦/山崎努

30点満点中18点=監4/話3/出5/芸3/技3

【男気vs知能vs意地。誘拐事件の結末は?】
 職人気質の権藤は、利益最優先の重役連からナショナルシューズ社を追われようとしていた。全財産を抵当に入れ、株を買い占めて大逆転を狙う権藤だったが、そんな折「お前の息子を誘拐した」と脅迫電話が。しかし誘拐されたのは運転手・青木の息子。権藤は自らの地位を犠牲にして他人のために金を払うのか? 身代金を厚さ7センチのカバンに入れろという犯人の狙いは? 一歩ずつ犯人を追い詰めていく戸倉警部らの執念は実るのか?
(1963年 日本)

【不完全ではあるが、キリキリとした緊迫感は上質】
 ぎりぎりまで追い詰められたとき、どんなに頭が良くても、どんなに大切なものがあっても、どんなに制約があろうとも、たぶん激情とか意地とか、理屈ではない部分で人は、決断し、行動する。
 犯罪映画ではあるが、同時に、そんな人間の本能部分を描いた作品だ。

 前半部、かなり説明台詞に頼る展開だし、舞台劇っぽさも漂う。が、本作ではそれがいい方向に作用しているのが面白い。芝居重視のパートと割り切って作られていて、その芝居を味わう楽しみがあるのだ。
 三船敏郎演ずる権藤の、難しい言い回しも思い切って喋り通す澱みのなさがいい。まさに漢(オトコ)。そのオトコが、他人のために金を出すべきかどうか苦悩する様が実にリアルだ。
 お嬢様がそのまんま母になった権藤夫人・怜子の香川京子もナチュラルだし、息子の純(おお、江木俊夫だったのか)も上手い。純と青木運転手の息子・真一が似ていることをサラリと示すのも心憎い。

 犯人が指定した列車に乗るまでが、約1時間。普通に考えれば長い。しかも舞台は9割がた権藤家のリビング。だが長く感じさせないし退屈もない。それほど緊迫した空気を、権藤ファミリーや権藤の片腕・河西らの芝居が作り出す。前半部は徹底した心理劇といえるだろう。
 モノクロ特有の硬い質感の中、左右の動きの後には前後の動きが入り、全体にワイドかつ奥行きのある構図が作られて、権藤家リビングの冷たさ熱さが浮かび上がる。カット数はさほど多くないのだが、それを気にさせない密度のある画面。これも心理劇に濃さを与える。

 後半は一転、刑事ドラマに。室外がメインとなり一気に画面は広々とするが、緊張感は持続。特に鉄橋での身代金受渡しシーンは、一瞬たりとも目を離せないリアルタイムの流れ。とてつもなくスリリングだ。
 その後も、地道ではあるがしっかりした、かつ流れの良さを重視した捜査の積み重ねを経てクライマックスへと至る。漢(オトコ)に刺激された戸倉警部が、自らも漢であることを貫こうとする心意気が潔く、気持ちいい。
 また、ここまでアクションと呼べるシーンはほとんどないが、立ち回りや銃撃戦がなくとも十分に張り詰めた空気を出せることに驚かされる。立ち上る煙の衝撃的なカットたるや。

 欲と思考と意地が絡んだゲームは、やがて終焉へ。これを見せるための、あるいは『天国と地獄』というタイトルを印象づけるための2時間20分であったことが、ラストシーンで示される。
 まさに激情と意地と直感。そんな人間の本能こそが、人を天国に導き地獄におとしめるわけだ。

 作中に見られた「天丼100円」という文字から計算すると、3000万円の身代金は、現在の価値で2億~3億といったところか。もちろん大金ではあるが、ポっと出のIT長者やブローカーが企業買収のために一夜で数百億を動かす時勢からすれば、わずかな額。
 だが、そこに人としての激情や直感が絡むとき、わずかな額は途端に重みを増す。
 犯罪映画ではあるが、同時に、金を動かすもの、金で動かせないもの、それは人間の本能であるということを描いた作品である。

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