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2006/05/05

エターナル・サンシャイン

監督:ミシェル・ゴンドリー
出演:ジム・キャリー/ケイト・ウィンスレット/キルステン・ダンスト/マーク・ラファロ/イライジャ・ウッド/トム・ウィルキンソン

30点満点中19点=監4/話4/出4/芸3/技4

【彼と別れるため、彼女と別れるため、記憶とも別れる】
 聖バレンタイン・デーに海岸で出会ったジョエルとクレメンタイン。内気で無口で退屈な男と、勝気でおしゃべりで奔放な女の関係は、やがて破局を迎える。クレメンタインが自分に関する記憶を消し去ったと知ったジョエルは、自分も同じ道を選んでラクーナ社へ赴く。だが、どうしても消したくない記憶があって、脳の迷宮を逃げ惑うジョエル。そこにラクーナ社の社員たちの焦りや失意も絡んで、ジョエルの逃走は思わぬ方向へ転がって行く。
(2004年 アメリカ)

【最後になって押し寄せる切なさ】
 自分の中から、誰か特定の(かつて大切だった)人物に関する記憶を消去したら、どうなるか。いまの自分が100だとしたら、たぶん、5くらいになってしまうことだろう。
 記憶や思い出の蓄積は、単に「誰か特定の人物との関係」にとどまらず、個人のアイデンティティや社会における自分の位置づけを構築する元ともなっているはずだ。ある人に関する記憶をキレイサッパリ切り捨てるという行為は、自分の中からその誰かを追い出すことに加え、その誰かとは別の誰かも追い出してしまい、また、多くの人の心の中から自分自身を追い出すことでもあり、これまで築き上げてきた自分自身をも殺してしまうことだろう。

 人生をリセットするなんて、とうていムリなことなのだ。

 かなり重くて大仰なテーマが語られる本作だが、ジョエルにとって、また観客にとってもパーソナルな問題として感じられるような工夫が凝らされている。
 手持ちカメラを中心にしたホームビデオ風の撮影で、けれど冬の空気の冷たさまでとらえる質感の描写は維持し、ジャンプカットなどつながりを無視した編集で「断片的な記憶」というものを表現。部屋中に散らばった思い出の品、1か月に3回も記憶消去を依頼する人(いそうだよなぁ)の存在、心が晴れない朝……。そうしたディテールが、突飛な発想で作られたこのストーリーに“身近さ”を与えてくれる。

 つまりは、映画としてよく出来ているということ。理によって情を作り出すあたり、あるいはかの有名な『愛しのクレメンタイン』をジョエルが知らない理由をスっと挿入するなど徹底して練り上げられたシナリオのクォリティには『花とアリス』(岩井俊二監督)に通じるものがある。
 役者の「幅の広さ」も、本作が映画的であると感じる所以。『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』(ブラッド・シルバーリング監督)のオラフ伯爵と同一人物とは思えぬ、ジム・キャリーの情けなさ。『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督)のローズから180度方向を変えたケイト・ウィンスレット。どちらも見事だ。

 全体としては、いわば、凝った構成・演出・演技で見せる痴話ゲンカ。その構成のユニークさ、映画としてのまとまり具合が勝ちすぎて“切なさ”が薄くなっているのが傷。たとえばマーク・ラファロ演じるラクーナ社スタッフ・スタンが、同僚メアリーに寄せる切ない思いが、もうちょっと描かれていればなぁ。

 と思っていた矢先、最後になって一気に“切なさ”が押し寄せてくる。ああ人間って、なんてバカで愚かなのだろう。愛する人を傷つけることは自分自身を傷つけること、という事実に、どうして気づかないのだろう。
 幸いにも、人間の愚かさ(一途さ)は、人間にとって救いでもあると示されるラストが、また心を打つ。

 あくまで男目線で作られた作品。これまた『花とアリス』と同じ。ジョエルや僕らオトコには、クレメンタインという女性が抱える“切なさ”を理解する機会は、たぶん訪れない。
 でも、それでいい。理解できないオンナという存在を懸命に理解しようと努め、でも結局は振り回されて、破滅へといたる気の弱いオトコ。そんな愚かな姿をまっとうするのは、男の義務であり運命であり、特権でもあるのだから。

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